チチバナ

 照準を通して十五メートルほど先に、小さな標的が見える。そのはるか向こうは木曾川の対岸の石垣で、チチバナが満開に垂れ下がって豪華な緞帳をつくっている。あざやかな黄一色を背景に、白い的がくっきりと浮かび上がっている。
 私は窓枠に空気銃を乗せて標的を狙っている。まず、きっちりと中心をとらえ、息をつめ、それからわずかに左下に照準をずらせた。この銃にはしたたかな癖があったからである。

 中折れ式の小さな空気銃。台尻からすこし上のところに、月と狩のローマの女神ダイアナの像が彫りこんであった。長いローブのようなものをまとった女神は左腕を下ろして、おそらく何万年も愛用してきた弓と矢を惜しげもなく足元に投げ捨て、右手に高々と銃をかかげている。このポーズから察するところ、ダイアナは移り気な女神様のように思われる。
 この銃は次兄が買ってもらったものだそうだ。はじめのうちは狙ったとおりに弾丸が飛んだが、いつのころからか微妙に的を外れるようになった。欠陥に気付いた次兄は、むんずと銃身をひっつかんで逆手に振り上げ、そのへんの立木に叩きつけた。銃身が曲がっているなどということは、持ち前の潔癖性がとてもゆるさなかったのである。まるで西部劇映画の一場面のようであったろうが、台尻に大きなひびが走り、弾丸の通り道は決定的に曲がってしまった。
 空気銃の使用権は三番目の兄に譲られることになった。飛び道具というものにとってははなはだ困った癖のために、兄たちは使用権にあまり固執しなかったので、銃は三番手、四番手、とだいたい一年半ぐらいで通過し、しだいに私の手に近づいて来つつはあった。 “チチバナ” の続きを読む

迷い出た魂を元に納める方法

 木曾の実家に「ミソ蔵」というのがあった。自家製の味噌を入れた大きな樽ばかりでなく、穀類をはじめ、ジャガイモ、サツマイモ、ショウガなどが貯蔵されていた。蔵というからには、扉は結構に頑丈なものだったが、ネズミが入り込む。人が出たり入ったりする時の隙を狙うらしい。
 祖母が、アオダイショウの見込みのありそうなのをひとつがい、お百姓に吟味してもらって、ミソ蔵のなかに放したのを知って、五歳だった私はわなないた。・・・
じっくり選ばれたアオダイショウが太ったネズミをたくさん食べたなら、二・三年のうちにオロチほどに大きくなるかも分からない・・・。

「なんてことを!」
 化け物は化け物を呼び合うそうだから、これは大変なことである。 “迷い出た魂を元に納める方法” の続きを読む

キアゲハの姉

 秋の彼岸の入りの日(9月20日)に、菜園に「ナバナ」と「ノラボウ」の畝を作りに出かけた。
 そこを曲がれば私の畑が見えるという小道の角、3輪の「ヒガンバナ」が燃え上がっているところで立ち止まった。ヒガンバナのせいではない。花の上で1頭の「キアゲハ」が羽を広げたり閉じたりしながら、身を震わすようにしていたからである。
 「アゲ科」の蝶は、写真に撮るのは運次第といったところがある。あちこちの木や草や花に興味を示しはするものの、止まることはあまりせずに、かなり速く広く飛び続けるからである。
 野鳥については「まず1枚を撮れ」とよく言われる。野鳥をファインダーに入れたとき「もうちょっと良いアングルを」と欲張っていると、相手がいなくなってしまうことが少なくない。チャンス。キアゲハについても通用しそうである。

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私がボールを投げられないわけ

 その頃、フィールド競技で使われる「ヤリ」は一本の木を削って作られたもので、上手に投げて、正しく飛んで、金属のキャップを被せられた先端から土に刺さらないと、ともすると折れてしまうということがあった。もちろん、材質や値段などで差はあったであろう。
 私は陸上部に属していたが、トラック競技はからきしダメ。といって、フィールド競技の投擲なども苦手。部活の時間を勝手な気晴らしと考えていた。
 その年にも「東日本医科学生陸上競技大会」というのが新潟市の「白山公園」のグラウンドで催されるという通知が私たちの陸上部にも届いたときに、「槍投げ」と「円盤投げ」参加する者として、主将(同級生)が勝手に私の名前を書き入れてしまった。日頃、「ヤリには絶対に手を触れるな!1日で折られちゃうからな」ときつく言っていたのに、どういうことだったのだろう・・・。この同級生は、皆から「あいつは出世するぜ」とよく噂されていた。案の定、やがて医学部長になり、さらに学長になって大きな勲章をもらった。私に使ったような手を繰り返したものに違いない。 “私がボールを投げられないわけ” の続きを読む

水無様 愛嬌たっぷりな女神様のお話

 信州木曽町の氏神は女神様で「水無様」と呼ばれております。
 木曾川に沿って並んでいる家々から急な坂を登って山に入り、さらに北に向かって開かれている山道を行くと、杉や檜の巨木がうっそうと繁った鎮守の森があります。二頭の狛犬と、落し水にいつも濡れながら爪の中に硬玉をかかげている竜を門番にして、女神様はここに住んでおられます。霊気に満ちた結構なお住まいを「水無神社」といいます。

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空に心を遊ばせる

野鳥を観察しようとしていると上に視線が向くことが多くなり、たとえば、はるか上空を行く旅客機などはうっとうしく感じるほど頻繁に目に入って来るものです。雲がそれよりも多くなるのは言うまでもありません。
不定形のものを見たとき「何かに似ているのでは?」という思いが湧くのは、私たちの本能ではないかと思うことがあります。ヒトの正体の一つは、物事の共通点を探し出しては分類したり意味づけをしたりすることでしょうから。

それこそ「そっくりさん」の雲がウェブ上のサイトなどに載せられていることがあります。ところがたとえば、火炎を噴き上げている「ゴジラ」の姿そのものに盛り上がっている入道雲などを見ると「え、ほんと、どうして」とちょっと引いてしまいたくなるのは、私だけではないだろうと思います。これまで学習してきている雲という概念とゴジラという概念(?)が、こんなふうに繋がっていいものかと不安(?)になるからだろうと思います。 “空に心を遊ばせる” の続きを読む

Z旗と私のX旗

 最近、かつてヨットに親しんだという一人の老人がエッセイに書いていた。大型台風が近づくと、自作の「Z旗」を自作のポールに掲げ、家を点検し、そこかしこを固縛して回るという。Z(後がない)にあやかって、もうひとつ踏ん張ろうというのであろう。
 あの東郷平八郎提督の檄は、いまもなお、広く人々にやる気を吹き込んでいるのだなと思った。そういえば「ふうてんの寅さん」も「・・・いつかお前も喜ぶような 偉い兄貴になりたくて 奮励努力の甲斐もなく…」と歌っている。 “Z旗と私のX旗” の続きを読む

私のアオダイショウ

 木曾谷はV字型に切り込まれているので、谷底の川に沿ってならんでいる民家は、どれも斜めの地盤を削るようにして作られている。私の家も、階段状に組み上げられた幾つかの土蔵の上に乗ったものだった。
 その土蔵の中に独りで入って行くなどという振る舞いは、幼い私にはおよびもつかないことのひとつだった。暗がりと奥深い棚の奥。すえた臭い。そこらへんが化け物の巣にちがいなかった。
 そう思い込んで一歩を踏みこめば、端々からもう、こちらをためている化け物どもの目のぬめりや、ひっそりした息づかいがわかる。生暖かい空気がかすかに揺らいでいるようである。いつだったか祖母が、「アオダイショウ」の見込みのありそうなのをひとつがい、お百姓に吟味してもらって蔵のなかに放したのを、私はちゃんと憶えていた。 “私のアオダイショウ” の続きを読む

あこがれ

 数年前、フランスの上空8千メートルほどのところを飛行していたジェット旅客機が、突然、左翼のエンジンに異常を発したことがある。パイロットは最寄りの飛行場に緊急着陸を敢行して、あやうく大惨事をまぬがれた。
 トラブルの原因は、一羽のヨーロッパ・コンドルであった。自分も、血と肉と羽毛で捏ね上げられた泥のようなものになってしまったが、ジェットエンジンのタービンの幾枚かを捻じ曲げて、回転をおおきく狂わせたのである。
 高度8千mといえば、酸素濃度は平地の3分の1ほどになり、ヒトにとってはデスゾーンで、脳神経細胞はどんどん死滅してゆく。鳥類は肺臓の前後に気嚢という器官を備えており、吸うときも吐くときも、肺の中の空気の流れを一定の方向に保つことができる。死腔というものが無い。呼吸システムは哺乳類よりも明らかに勝っている。
 それにしても、コンドルが何のために途方もない高空を飛翔していたのか、理由は誰にも分からない。 “あこがれ” の続きを読む

銀の星

 カラスのお母さんが三羽の赤ちゃんを産みました。みんな男の子だったので、一郎、二郎、三郎と名前をつけました。
 一郎と二郎は、お母さんたちが餌を運んでくると、黄色いクチバシを精一杯に開いて首を突き出し、自分がどんなに腹がすいているかを訴えました。三郎だけは、二人の兄さんたちのうしろに隠れるようにして、ひっそりと口を半開きにしているだけでした。これでは食べ物をもらえません。
 一郎と二郎は日に日に重くなり、つやつやと光る黒い羽根がだんだんに生えそろってきました。三郎は羽根が生えるどころか、がりがりに痩せ細り、生まれてきたばかりのトカゲの子に大きなクチバシを付けたような格好のまま、弱ってゆくばかりでした。ただどうしたわけか、頭のてっぺんに銀色の産毛がまとまって生えているのが目立ちました。 “銀の星” の続きを読む