アオバト Ⅰ 三悲鳥(?)の筆頭


まずは 日本三鳴鳥

 「三鳴鳥」という呼び方が何時の頃からかなされており、ウグイスコマドリオオルリがそれとされています。

 あらためてそれぞれのさえずりを聞いてみると・・・なるほど、ウグイスもコマドリもオオルリも・・・鳴き声は力強く、明るく、透明で、聞くものの心を揺さぶります。
 例えばウグイスについては古くから「鳴き合わせ」という何日間も持ち回る競技があり、ことに江戸時代には盛り上がったということです。ある年、江戸本郷の八百屋の主人のウグイスが、同じ町内である加賀の殿様が飼っていたウグイスに鳴き勝ったことがあり、八百屋さんは「ウグイスや百万石もなんのその」と詠んで喝采を受けたことがあるそうです。士農工商の縛りの中で、よほどの快挙だったのでしょう。

 ウグイスは「ホーホケキョ」、コマドリは「ヒヒーンカラカラ」、オオルリは「ピリーリー」とさえずると聞きなされているところ、私自身は他人様に聞いてもらえるような録音を持ち合わせていません。ウグイスだけは何とかなりますが・・・。
 この頃は素晴らしい記録がウェブ上にたくさん挙げられているので、例えば「コマドリの鳴き声」と検索すれば、たっぷり堪能することが出来ます。是非、先ずは楽しんでみてください。

日本三悲鳥・・・?

 さて、「さえずり」は求愛や縄張り宣言のオス鳥のアッピールですから、力強く、美しくなければなりません。これは解ります。
 ところが、懸命に力み過ぎて、周囲に・・・ヒトばかりではなく、多くの生き物が同じように感じているだろうと私は信じているのですが・・・悲愴不気味さ必死さを届けてくるものがあります。種を守り、縄張りを守るためには、そうした効果も必要なのかも知れないですが。

 私は勝手に三種の野鳥を選び、「三悲鳥」としています。
 アオバト、アオゲラ、コノハズクがそれで、次のように聞こえるというのがおおかたです。
  アオバトアーオー アオー ウーワオー
  アオゲラ・・・ヒョー ヒョー ピョヒョー
  コノハズク・・・オット オットートー フットットー

 鳴き声はどれも美しくはありますが、悲愴、妖しげ、不吉・・・といったものが織り込まれて迫って来るのです。
 各地に暮らした人々が同じように受け取っていたとみえて、あれこれ評判し合っているうちに、ついに民話や伝承となって残ることになりました。
 アオゲラ、コノハズクの順に出てもらい、最後に真打アオバトに登場してもらうことにします。

アオゲラ
 アオゲラはヒヨドリを少し太くしたようなシルエットをした中型のキツツキで、美しく存在感があり、冬のフィールドで観察していると他の野鳥に対してドスを効かせている風があり、しかも日本の固有種です。この鳥に会いたくてわざわざ外国からやって来る愛好家も少なくないほどです。

 残り柿にツグミやヒヨドリが集まっているところに幹の下方からズリズリと迫り、先客を追い払っている様子を見てください。

 「コッコッコッ」と力強く樹を叩いて次の箇所に移る時に「キョ キョ キョ」と短く鳴き、林から林へと波状を描いて移る時に「ケロ ケロ ケロ」と軽く鳴くことがあります。そして繁殖期に、殊にここぞという林に分け入った時に「ヒヨーッ ヒヨーッ」と鋭くさえずります。

 そのさえずりが怪しく聞こえるのです。
  私は学生時代に中央アルプスで「高山植物監視員」のアルバイトをしたことがありますが、主峰への登山道の一つ木曽福島口の八合目の少し下に「山姥(やまんば)」と名付けられたガレ場があり、巨岩が打ち重なってできた大小の岩穴のどれかに、山姥が住んでいるという言い伝えがありました。山姥は山奥に棲む老婆の妖怪で、美しい娘に化けて旅人を引き入れてさまざまにもてなし、夜になると殺して食べてしまうのだというのです。
 アオゲラのさえずりは今の私にも、山姥や魔女の到来を告げているように緊張をもたらします。
多くの人々が同じような感じを受けるようで、アオゲラをわけありとする伝承が各地にあります。

      すずめときつつき  青森県津軽地方

 むかしむかし、すずめときつつきとは姉妹(あねいもうと)でありました。
 親が病気になって、もういけないという知らせがあった時に、二人は化粧の最中でした。すずめはちょうどお歯黒でくちばしを染めかけてが、直ぐに飛んで行って看病しました。それで今でも、ほっぺたが汚れ、くちばしの上の半分がまだ白いのであります。
 きつつきの方は、紅をつけおしろいをつけ、ゆっくりおめかしをしてから出かけたので、大事な親の死に目にあうことができませんでした。  
 だからすずめは、姿は美しくないけれどもいつもヒトの住むところに住んで、ヒトの食べる穀物を食べることができるのです。
 きつつきは、早くから森の中をかけあるいて「かっか むっか」と木の枝をたたいて、一日にやっと三匹の虫しか食べることができないのだそうです。
 そうして夜になると樹の空洞(うつろ)の中に入って、「おわえ、嘴(はし)が病めるでや」と鳴くのです。

 ここで、夜にキツツキが鳴くのだろうか? それは「嘴が痛い」と聞こえるのだろうか? 疑問が湧いてきます。
 親不孝者にされてしまったキツツキにはかわいそうですが、歯痛のために「 ヒエー ヒエー」と悲鳴をあげ続けているというのであれば、これは頷けます。

       妖怪 寺つつき  奈良県の伝承  (谷真介編)

 今から千五百年ほど前のこと、仏教を日本に入れるか入れないかで大変な争いがあった。
 蘇我氏や聖徳太子は仏教を入れるのに賛成し、物部氏はこれに大反対であった。
 戦にまでなり、仏教を入れる側の勝利となった。滅ぼされた物部一族の大将が物部守屋(もののべのもりや)であった。
 大きな恨みをつのらせた守屋の霊は、ついにキツツキとなり、仏教のお寺の柱をつつくようになったのだという。これが妖怪「寺つつき」である。
     きつつきの死ねとてたたく柱かな    小林一茶

 疑問・・・柱をつついて虫を食べてくれれば、それだけお寺は長持ちすることになるのでは?

 

コノハズク
 コノハズクは日本で最も小型のフクロウとして知られ、深い森の中に生息しています。

 その鳴き声は、「ブッポーソー(仏法)」と聞きなされて有名です。
 実は長い間、ブッポーソーと鳴くのは同じく鬱蒼とした森に棲んでいることの多い別の鳥だと思い込まれていました。その鳥は全身が緑色でクチバシと脚が赤色という目立つコスチュームをしていて…いかにも仏法僧とでも鳴きそうなので、つい騙され続けていたのでしょう…この鳥は実は「ゲェ ゲェ」とドナルドダックのような濁声で鳴くのであり、「ブッポーソー」と澄んだ声で鳴くのはコノハズクであるくということが分かったのは、なんと昭和時代になってからでした。
けれど、鳥の方には何の罪も無い話ですから、間違えられた方の鳥を今でもブッポーソーと呼んでいます。

 私は木曽谷で育ちました。
 幼稚園に通っていたころの或る夏の夜、何やら黒い小さな影が物干しにやって来て、長い間、声をあげていたことがありました。山と山が狭まって、いちばん低まったところを木曽川が流れています。谷の何処へでも届くだろうというような、美しく通る、もの悲しい鳴き声でした。
 私には「オット オットートー オットートー」と聞こえましたが、祖母が教えるには、「あれはブッポーソーと鳴いとるんだに」とのことでした。

      夫鳥  岩手県中心に多数 聞耳草紙百十四話

 あるところに若夫婦があった。或る日、二人そろって山奥へわらび採りに行った。
 夢中になって蕨を採っているうちに、別れ別れになって、互いに姿を見失ってしまった。
 若妻は驚き悲しんで「オット オットー」と山の中を捜し歩いて疲れ果て、ついに死んでしまった。
 オットドリに身を替えて、今も鳴きながら夫を探している。

 

アオバト
 アオバトは、そのあでやかさもさりながら、さかんに海水(海が遠いところではミネラル分の多い鉱泉)を飲むことで有名です。それもチョンチョンとついばむというのではなく、群れを作って海岸に飛来し、荒波に命を張るようなことをしてでも、ガブガブと海水を飲みます。

 大層に珍しい習性ですが、ハトというものはこういうおかしなことをするものかというとそうではなく、日本に生息する6種類のハトの中でも、海水を飲むのはアオバトだけだそうです。

 どうしてこんなことを?…日を改めてまとめてみようと思っています。

 私の腕前とカメラでは鮮明とはまいらないけれど、オスメスともに全体にオリーブ色と印象され、オスには肩のところに赤ワイン色の色味が乗っているのが分かります。薄くピンクがかっている脚を内また気味にして止まっている様子、これらも相乗して、見ての可愛らしさを増しているようです。

 私たちにお馴染みのドバトとキジバトに出てもらって、違いを見てみましょう。

ドバト(堂鳩)あるいはイエバト(家鳩)
 「ポッポポ ハトポッポ…」と歌われているのがこれで、地中海や北アフリカ原産のカワラバト(河原鳩)が食用や伝令用に家畜化され、日本へは遠く平安時代に持ち込まれたところ、ある時逃げ出して野生化し、神社仏閣のお堂や観光地などで逞しく繁栄しているものです。
 人の手が加わっているだけに色彩は白・褐色・黒などを組み合わせてさまざまですが、首元の光沢を帯びた緑色味が特徴です。

 大きなイベントの際などに平和の象徴として大群が放たれることがありますが、それは飼育し易くて沢山の数を集めるのが難しくないということに加え、何よりもドバトたちが密集隊形を崩さずにあたり一杯に円を描き続けるという習性があるからです。「クー クー クル クー」と呟くように鳴きます。

キジバト(雉鳩) あるいはヤマバト(山鳩)
 ドバトに次いでお馴染みで、里山や公園などでしばしばお目にかかれます。
「デーデ ポポ デーデ ポポ」と濁声で平板に鳴きますが、低い声なのに結構に遠くまで響く独特のもので、一度聞いたら忘れられますまい。


 ドバトよりもスリムな形をしており、色は全体にグレイと印象される地味ぶりですが、首元の白と青の縞模様が特徴的です。
 習性もドバトとは真逆のようなところがあり、近くに住んでいる割にはヒトに近付きたがらず、番だけでひっそりと行動することが多く、飛ぶときも群れを作りません。

 アオバトに話を戻します。
 アオバトは、大きく飛翔するときはドバトのように見事な編隊飛行をなし、普段はキジバトのようにひっそりと生活していると言えそうです。
 実のところ、ひっそりを通り越して巣を見付けるのさえ大変なことで、その生態には分かっていないところが多く、夏場に大量の海水を飲むという謎とあいまって、謎の鳥とされています。

 謎の鳥とされているのにふさわしく、とても鳥とは思えない音色で「アオー アオー ウーワオー」などと鳴き、悲痛、懇願、必死といった雰囲気をあたりに振り撒くのです。

      馬追鳥  遠野物語 五十二話

 馬追鳥(ウマオヒドリ)は時鳥(ホトトギス)に似て少し大きく、羽の色は赤に茶を帯び、肩には馬の綱のやうなる縞あり。胸のあたりにクツゴコのやうなるかたあり。これも或長者が家の奉公人、山へ馬を放しに行き、家に帰らんとするに一匹不足せり。夜通し之を求めあるきしが終に此鳥となる。アーホー、アーホーと啼くは此地方にて野に居る馬を追ふ聲なり。年により馬追鳥里に来て啼くことあるは飢饉の前兆なり。深山には常に住みて啼く聲を聞くなり。

 この伝承では、「馬追鳥」という名前はその鳴き声が野に放たれた馬を追う声に似ていることから付けられていると説明されており、ウマオヒドリとルビが振られています。これを東北の方言で速く発音すると「マオウドリ」あるいは「マオウドリ」となるはずで、これから「魔王鳥」ともされ、その鳴き声はさらに不吉の前兆とされるようになったと推察されます。
 遠野近隣の別の伝承では、鳴き方を「アオー アオー」と聞きなしているものもあり、アオーとは「青毛(青味を帯びた黒色)の」を呼んでいるのだとしています。
 また「…肩には馬の綱のやうなる縞あり」とは、肩に手綱が擦れたような縞模様があるということだと思われ、「…胸のあたりにクツゴコのやうなるかたあり」というのは、胸にクツゴコ(馬の口に嵌める麻の網の袋)の形をした跡があるということでしょう。
 そういうことかとアオバトの写真を見直してみると、はて、胸にも肩にもそれらしいものはありません。ふと思い当たってヤマバトを見てみると、首に手綱が擦れた跡と言われればピッタリするような筋状の模様が見えます。これらについては、アオバトとキジバトを混同してしまっているのではないかとも思われます。

 忌まわしさ不吉さが込められているとするのは幾つもの伝承に共通しており、「飢饉の前兆である」「マオウドリを見た者は長生きしない」「この鳥が村にたくさんやって来ると世の中に悪いことが起こる」「この鳥が出ると雨か嵐になる」などが知られています。

 アイヌにもアオバトを語る神謡が伝えられています。
 オキクルミカムイ(北の大地に住むアイヌ民族の始祖であり最大の英雄)は雷神カンナカムイを父とし、ニレの樹の精霊を母として落雷の炎とともに生まれ、太陽の女神に育てられ、アイヌつまり人間に日の使い方や儀礼などを授けました。
 オキクルミカムイが性悪のカムイ(動物など)を懲らしめるという神謡はアイヌにとって普遍的なものであり、その一つに、あまり縁起の良くないアオバトを叱りつけるのに「和人」を登場させているものがあります。残念なことですが、近世以降の和人はアイヌにとって忌まわしいものであったので、このような組み合わせが生まれたのだろうと思われます。
 アオバトの由来を当のアオバトカムイ自身に語らせているところもユニークです。

     アオバトの神が生まれたわけ アイヌ神謡(カムイユカラ)

 私(アオバト)は山の中に住んでいたが、ある日退屈なので人間の村に降りて来て、ワウォワウォと鳴いていた。そこに子供たちがやって来て、私の鳴き声の真似をする。私はそれに腹を立てたので、昼も夜も大きな声で鳴き続けた。
そのうちに私の声で、川は干上がって只の窪地になり、只の窪地だったところは水が出て川になった。

 それでも止めずに鳴き続けていると、オキクルミの神が窓から身を乗り出してこう言った。
 「この悪いアオバトめ。お前はそんなことをするほど偉い神ではないのだぞ。昔、和人の侍が木こりになって、毎日山で木を切って暮らしていたが、ある日霧の中で道に迷って帰れなくなってしまい、とうとう息絶えた。その時、自分の髷(まげ)を切って投げた。その髷はその髷は腐りきることができなかったので、アオバトに生まれ変わったのだ。お前はそのようにして生まれたのだから、お前の鳴き声を子供たちが真似をしたにしても、腹を立てるほど良い神ではないのだ。この悪いアオバトめ。川が干上がるほど、夜も昼も鳴き続けおって」
 と、私を叱りつけた。私はそれを聞いて大変恥ずかしく思った。それからは鳴くときも大きな声を出さず、静かになくようになったのだ。

 幕末のころ、徳川幕府は南部・津軽・伊達などの諸藩に北方警備を命じ、命じられた藩はそれぞれに兵を出し、蝦夷地に陣屋を設けて都合40年にもわたって駐留しましたが、北方警備を優先するとはいえ、木材資源や漁業資源を求める和人の経済活動を盛んに伴うのは当然のことで、たくさんの樵・運搬人・船大工・鍛冶屋などが入山し、そこでは多数のアイヌを下働きとして雇用したり強制的に働かせたりしました。ここに挙げた、明るいとは言えないアイヌ伝承で、和人の特異な風俗である髷を小道具に使っているところが、なるほどなと思われます。
 髷というのはそもそも、戦場でいつでも潔く死ねるという覚悟を示すために、あらかじめ大きく頭を剃り上げておくという武人の心得から生まれたものと思われます。死期が近いと知った時に自分で髷を切るということは、俗人としては死ぬけれども新たに僧体となって生まれ変わりたいということでありましょう。
 和人の侍は髷を切り落とすばかりでなく、「…切って投げた」とされていますから、自分の命運に対する無念怒りが強かったことが分かります。
 髪の毛は、他のどの組織よりも長く腐らずに残り続けるものです。これに侍の心残りが作用して、アオバトに生まれ変わったというわけです。

悲鳥たちこそ

 野鳥はことに繁殖期には美しく力強くさえずることが多く、わけても「三鳴鳥」と取りざたされている小鳥たちのさえずりは見事で、人の耳に心地よく響きます。
 が、例えばウグイスのように、その声を近くに置いておきたいというわけで飼育手法が発達し、「鳴き合わせ」というような競技が生まれて高額で売買されたりするようになると、趣味、余裕、賭け事といった要素が加わってきます。ウグイスには迷惑な話です。

 それに対して、わけても「三悲鳥(筆者が勝手に呼んでいるもの)」の鳴き声は人の生活の根底のところに響いて、これを不安、不吉、切実といった情感で色付けします。おそらく鳥たちは懸命でありすぎるのでしょう。
 アオバトは「アオー アオー」と馬を呼び戻そうとしており、コノハズクは「オットー オットー」と夫を探し続けており、アオゲラは「ヒー ヒー」と歯痛に耐え続けています。

 馬を挟んだ長者と奉公人との緊張、夫の突然の失踪、お化粧への入れ込み過ぎ・・・日常に何時でも起こり得る落とし穴を捉えて組み入れて、長い年月を醸されて・・・鳥にも人にも、心打たれます。