切れ易いヒト+車+高速=移動地獄

1馬力

 少年だった頃、私は兄たちと一緒に1頭の馬を飼わされたことがある。敗戦後の食糧難を乗り越えるためには、子供たちを一丸として農作業に当たらしめるのが上策であるとう父の思い付きからである。
 この馬がひとたび暴れ出すと、私たちには命がけであった。騎乗しているときに暴れられたら、一緒に砕ける覚悟で屏風のように立ちふさがっている崖に向えと教えられた。1馬力でさえこれである。
 馬と自動車については、「人の正体」というカテゴリーの中で「大きな異常に何時しか流されて・・・」という記事に書いたことがあるけれど・・・

60馬力

 この頃の軽自動車60馬力ほどのエンジンを搭載している。ハンドルの前に60頭の馬が黒々と密集して自分を牽引している光景を想像する。馬蹄の響きや汗の臭いだけでも怖ろしい。策具で繋がれた60頭の馬が学童の列に暴れ込んだとする。たくさんの子供たちが犠牲になるのは当たり前であろう。 “切れ易いヒト+車+高速=移動地獄” の続きを読む

空に心を遊ばせる

野鳥を観察しようとしていると上に視線が向くことが多くなり、たとえば、はるか上空を行く旅客機などはうっとうしく感じるほど頻繁に目に入って来るものです。雲がそれよりも多くなるのは言うまでもありません。
不定形のものを見たとき「何かに似ているのでは?」という思いが湧くのは、私たちの本能ではないかと思うことがあります。ヒトの正体の一つは、物事の共通点を探し出しては分類したり意味づけをしたりすることでしょうから。

それこそ「そっくりさん」の雲がウェブ上のサイトなどに載せられていることがあります。ところがたとえば、火炎を噴き上げている「ゴジラ」の姿そのものに盛り上がっている入道雲などを見ると「え、ほんと、どうして」とちょっと引いてしまいたくなるのは、私だけではないだろうと思います。これまで学習してきている雲という概念とゴジラという概念(?)が、こんなふうに繋がっていいものかと不安(?)になるからだろうと思います。 “空に心を遊ばせる” の続きを読む

Z旗と私のX旗

 最近、かつてヨットに親しんだという一人の老人がエッセイに書いていた。大型台風が近づくと、自作の「Z旗」を自作のポールに掲げ、家を点検し、そこかしこを固縛して回るという。Z(後がない)にあやかって、もうひとつ踏ん張ろうというのであろう。
 あの東郷平八郎提督の檄は、いまもなお、広く人々にやる気を吹き込んでいるのだなと思った。そういえば「ふうてんの寅さん」も「・・・いつかお前も喜ぶような 偉い兄貴になりたくて 奮励努力の甲斐もなく…」と歌っている。 “Z旗と私のX旗” の続きを読む

頭が高いのではありません 「カシラダカ」

 頭が高いのではありません。気が張ると冠羽が三角に立ち上がるのです。それで「カシラダカ」。

お初にお目にかかります 緊張すると毛がつっと立つのです

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