「方丈記」の不思議


小品でありながら

 「方丈記」は全編で400字詰原稿用紙25枚ばかりの小品でありながら、私にとっては生涯で読んだ本の中で一二を争うほどに印象深いものになっています。
 作者の「鴨長明」は琵琶や琴の名手でもあったせいか、諸行無常を結晶させたような文章が深いリズムを伴っており、読み進んでいるうちに私自身の声が自然に引き出されて音読に移っている・・・といった風です。

天災人災のルポ 

 方丈記は「災害の文学」と呼ばれることがあるそうです。
 鴨長明は何事も探求して極めようとする徹底性、冷徹な観察力、結構な行動力を備えた人でした。
 そんな人が21歳の若さで相続争いに敗れてから、30年間も、平安末期の末法感漂う洛中洛外を転々としたのですから、凄い物を見聞することになります。
 「安元の大火」「治承の竜巻」「治承の遷都」「養和の大飢饉」「養和の大地震」・・・群がり起こった天災人災の実見禄は、実際の体験から何十年も温められてから表わされたものであるだけに、簡潔でありながら叙事詩を読むような緊迫感があり、読んでいる方の緊張も次第に高まって、総毛立つような場面さえいくつかあります。

徹底した隠棲と清貧

 一方、方丈記は「住居の文学」とも言われることがあるそうです。
 荒れる帝都での年月を重ねるごとに、長明の諸行無常という構えはいよいよ強固なものとなり、和歌、琵琶、琴の達人でありながら自分のこれまでの生き様は本意ではなかったとして、50歳で唐突に出家して隠栖し、54歳時に、長い間温めていたアイデアを叶えるようにして、組み立て式の草庵(方丈)を設計します。
 本邦最初のプレハブ住宅とも言うべきものの説明が簡略ながら実に的確で、後の人が再現してみようとすると、誰もが同じ結果になるようです。私も試みてみたのですが、やはり先輩方のスケッチをなぞるだけになってしまいました。

 草庵とともに人里離れたところに移り棲んで、さらに無駄を殺ぎ落とした隠棲の自給自足を始めます。4年後の58歳で著された方丈記は、前半の緊迫のルポルタージュ風から一転して、草庵での清貧の快適さを詠い上げます。近くの森番の息子である10歳の童と連れ立って、時には「笠取山」などからの景勝を楽しみ、野草を摘み、落穂拾いなどをする様子などは、わけても伸び伸びとして楽しげです。このような楽しさが様々に繰り返して語られるので、挫折に終わった半生への無念を捻じ伏せようとして力んでいるのかとすら感じられてくるほどです。

不思議

 方丈記は「災害の文学」「住居の文学」と評されますが、これに「自然食の文学」あるいは「アウトドアの文学」とでもいうものが加わって三冠に輝く・・・残念ながら、それは成りませんでした。
 風流三昧の数寄を高らかに詠っているものの、それを可能にする基盤、つまり飢えや寒さを凌ぐための工夫や労作についてはあまり語ろうとしていません。当方としては、そのあたりも正確に知りたいのですが・・・不思議です。
 副食についてはその材料として、セリ、ムカゴ、コケモモ、ヨメナといった名前が出てくるので、それらから想像すれば、季節の旬ごとに、ツクシ、ヨモギ、ノビル、フキ、コゴミ、イタドリといった野草や、タケノコ、クワノミ、アケビ、サルナシ、イチゴ、キノコ、ヤマイモなどを最大限に活用したことだろうと推察されます。一部は冬季の一汁一菜の具材のために塩漬けにして保存したでありましょう。
 けれど、肝心の主食については「・・・峰の木の実、わづかに命をつぐばかりなり。・・・糧乏しければ・・・」とあるだけで、何をどのように加工して食の中心にしたのかは書かれていません。峰の木の実とはクリ、ドングリ、トチなどのことでしょう。ドングリことにトチは、縄文時代の人々がしたように、大変な手間をかけてあくぬきをしないと食べられません。草庵の南にしつらえた岩の桶に掛樋で水を引いて、長時間の水抜きを要したに違いなく、それを煮て炒って、乾燥させて保存するのです。気の抜けない作業が幾日も続いたはずです。それらについては何も触れられていません。

 言うまでもなく、塩は欠くことのできない物です。長明は54歳から没する62歳までの8年間を仙人のように暮らしましたが、「・・・おのづから都に出でて乞匈となれる事を恥ずといえども・・・」と記しているように、稀には京まで足を伸ばしました。塩を調達するのが目的であったろうと思われます。 
 庵を結んだあたりは標高160メートルほどであるらしいけれど、そもそも京都盆地の夏の暑さと冬の寒さは定評のあるところです。長明はそれを「藤の衣」「麻の衾」で凌いだと書いています。藤の衣というのは、藤の蔓の繊維をほぐして編み上げた衣のこと。また「・・・埋み火をかきおこして、老のねざめの友とす」とありますから、冬場には寝床の近くに囲炉裏のようなものがしつらえられていたかもしれません。
 生き長らえること、それ自体が難行苦行の積み重ねであったはずです。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        

最終の一転

 仏道の修行に「山籠り」というのがあり、世俗との関わりを断って隠遁生活を一定期間続ける難行なのだそうです。
 鴨長明が実践した隠棲生活・・・ぎりぎりの自給自足を懸命に支え、そこに間隙を見出しては花鳥風月や音曲を楽しむ・・・これこそは推奨されるべき仏道修行「山籠もり」そのものであるはずです。
 ところが方丈記の最終段に至って突如、長明は隠棲の日々に強い疑念を覚え、草庵と周辺の閑寂にあまりに愛着しているのは何事にも執心してはならぬという仏の教えに背いたことではないか、という激しい自省を記すことになります。

・・・一期の月影傾きて・・・たちまち三途の闇に向わんとす。・・・仏の教え給ふ趣は、事にふれて執心なかれとなり。今草庵を愛するも、閑寂に着するも、障りなるべし。いかが要なき楽しみを述べて、あたら時を過ぐさむ。・・・

(・・・一度の生涯も傾いて・・・いよいよ私も三途の河原を渡ろうとしている。・・・そもそも仏が教えている要点は、何ごとにつけ執心してはならないということである。してみれば今、こうして私が草庵の生活や静けさに深く入れ込んでこだわるのは、仏道の修行に反することなのである。どうでもいいような楽しみをあれこれと述べ立てて、あたら時を無駄にするのは・・・)

 答えを示さないまま、年月日を記して終わっています。

宇宙ロケットを手掛けさせてみたかった

 長明は、ほどの良さというような曖昧を許せない人でした。まして人と人との所業は全て曖昧で成り立っているということを、自分にも他者にも許せません。それで、何事にも執着してはならないと常にとらわれ続けるのも、また執着のありようの一つだということに気付けないのです。気付こうとしないのです。
 全てか無か。長明は強迫的に執着しました。それだからこそ、的確にして正確、徹底。鬼気迫る迫力。天災人災の未曾有の記録が世に残されることになりました。
 
 こういう人には、宇宙ロケットの開発を手掛けさせてみたかった。天文学的な数の部品を一つ一つ吟味して、正確に繋いでゆく長期の作業にぴったりだと思うからです。

 組み上がった巨大な飛行体を前にしたとき、「あまりに入れ込み過ぎた」と、最後の配線の一本を違えてしまうというようなことは・・・ありますまい。とらわれなどということが通用しないほど、宇宙は果てしないからです。

この光景 Forever   春編


に続いて、「多摩モノレール」「昭和記念公園のサイクリングロード」「みんなの原っぱ」「子供の森」などのの光景を挙げたいと思います。

モスグリーンに霞む春  「多摩モノレール」
樹々の芽が一斉に吹き出るころ・・・山桜がそこかしこで咲き始めるころ、森や山は暖かいモスグリーンに霞んで見えるものです。そうした中をオモチャのように見える電車がゆっくり走っています。

この動画は日野市の遊歩道の一角からほぼ西を望んだもので、近くには「都立多摩動物公園」が、遠くには奥多摩山系の山々が写っています。山々は「高尾」「陣馬」「雲取」などのはずであり、さらにカメラを少し西に振れば「富士」が視界に入ってくるはずなのですが、いずれも春霞のためにもやっていて判然としません。ただ静かで平和です。
 「多摩モノレール」は東京都の多摩地域を南北に結ぶ交通機関として2000年に整備されたものですが、その利便性が高いことから、最近、北への延伸計画が実行の段階に移ったということです。

ママチャリの天国  「昭和記念公園のサイクリングロード」
 ご存知「国営昭和記念公園」は、もともとは飛行場として使われていた土地をレクリエーション施設に再開発したものだそうです。なるほど、180ヘクタール(およそ180町歩)という広さも頷けるし、その中に14キロメートルものサイクリングロードが設けられているというのも合点が行きます。
 開園されてから40年以上もが経っていることから、植栽も大きくなって馴染んできております。初めの頃のサイクリングコースには、レース用仕様のハンドルの下がった自転車が隊列を作って駆け回るという光景がよく見られたものでしたが、この頃はいわゆるママチャリ同士がのんびり譲り合っているといった雰囲気です。2000台ものレンタル自転車が用意されており、ゴールデンウイークなどにはそれも出払ってしまうことがあるそうですが、それでも混み合っているという感じはしません。広いのです。

大欅を真ん中に  「みんなの原っぱ」
1本の大欅がシンボルツリーのようにど真ん中に置かれている広場があり、「みんなの原っぱ」と呼ばれています。その奥まったところに幾本もの桜の木が植えられていて、花見を楽しむ人も多いのですが、やはり混み合っているという感じはしません。

サクラユキヤナギ
クリスマスローズとおとぎの小屋

ふわふわ  「子供の森」

 

可愛らしい 「アオバハゴロモ」の幼虫

 

 6月中旬の良く晴れた日、何時ものように子犬と連れ立って近くの公園に行きました。
 木陰に入って真夏のような日差しを避けていると、ふと、眼の前の柵の鉄パイプに何やら小さなコンペイトウのようなものが付いているのに気付きました。3つ4つあります。何だろうと訝しんでいると、その1つがチコチコチコと動き始めたのです。
 私のカメラは望遠仕様なので近くのものを接写するのは苦手なのですが、精一杯にクローズアップした動画がこれです。

 チコチコ歩いて行って1匹のアブラムシのようなものと出会い、一旦離れて何を思ったか、後ずさりして挨拶。その様子がなんとも可愛らしい!

 腕時計と比べてみると分かるとおり、綿菓子のかけらのように見える全体は大層小さいのですが、精々アップしてみると、お相撲さんのように結構に踏ん張っているのが分かります。それがまた可愛い。

 ちょっと腕時計を乱暴に動かすと・・・ピッ・・・どこかに跳ね跳んでしまいます。脚を踏ん張っているのは、いつでも瞬発できるための心得なのでしょう。
顔が写っている写真もあります。

 家に帰って調べてみると、すぐに分かりました。「アオバハゴロモ」の幼虫なのです。成虫の写真を引用させてもらいます。

アオバハゴロモ】症状・対策・予防(植物の害虫) 

 そういえば、まんまるな眼つきや透き通ったような脚つきが、大人と子供で似通ったところがあります。誰にもお馴染みの昆虫で、アオバハゴロモという名前は、青みがかった羽衣を纏ったように綺麗だというところから付けられたものでしょう。体長6~10mmほどの大きさで、所によって「シロコババ」「ハトムシ」「ポッポ」などと呼ばれるそうです。

 ハゴロモと言えば天女が羽織るものと決まっていますが、アオバハゴロモの学名はGeishia distinctissima Walkerとされており、ラテン語では「とびきりの芸者さん」というような意味でありましょう。名付け親であるWalkerという学者の何やら訳ありの思い入れが窺えます。

 アオバハゴロモの幼虫たちが例外なく背負っている綿穂のようなものは、自分の尾の端から分泌した蝋物質であり、それらが集団をなして広葉植物の茎に取り付くことが多いので、その部分が真っ白な粉まみれになって目立つのが普通なのです。    どうしてわざわざ目立つようなことをするのだろう。

 どうしてまた、私と子犬が出会ったように、歯も立たない鉄パイプの上で運動会をするのだろう・・・ただ可愛らしいと思うだけで、何も分かりません。
 チコチコ頑張れ!

「菩提樹」と「雪山讃歌」

 

 私はマニアックな音楽の愛好家ではありません。
 一人で工作や草取りなどをしている時などに、ふと、何やらメロディーを口ずさんでいるのに気付くことがあったり、美空ひばりはやっぱり上手いなぁ、と思ったりする・・・といった程度の音楽好きです。
 そんな私にも、長い間を呑気に付き合っていた歌が、ひよっとした拍子に、実は深刻な内容のものであったのだと分かって、独りで思い入ってしまうことが幾度かありました。とりあえず「菩提樹」と「雪山讃歌」がそうした例です。

菩提樹

    菩提樹   近藤朔風 訳詞

   〽泉に添いて 茂る菩提樹
    慕いゆきては うまし夢見つ
    幹には彫りぬ ゆかし言葉
    うれし悲しに といしそのかげ

    今日も過(よぎ)りぬ 暗き小夜中
    まやみに立ちて まなこ閉ずれば
    枝はそよぎて 語るごとし
    来よいとし友 此処に幸あり

 「菩提樹」を教わったのは、おそらく中学3年の時でした。
 教科書には2番までしか載っていませんでしたが、歌詞が難しくて半分も解らなかったものの、メロディーはすんなり入ってきたので、家に帰ってからも兄とよく合唱したものです。
 唄い出しに〽泉に添いて~とあるのを、私は勝手に〽泉に沿いて~と受け取ってしまったので、頭の中に浮かんで来るのは、大きな泉の岸に沿って何本もの樹が茂っているという広々とした明るい光景でした。音楽の先生が、菩提樹はヨーロッパでは街路樹としてよく使われる、と話してくれたことも先入観として影響したと思われます。

 つまり、少年のころの私にとっては、シューベルト作曲の「菩提樹」という歌は美しく、広く、穏やかなものでした。

一変

 学生時代に第二外国語としてドイツ語を選択したことがあり、そのゴツゴツした文法に苦戦させられたものでした。
 ある日の講義で、無味乾燥になりがちな時間を和ませようとしたのでしょう、ドイツ語の教授が紹介してくれたのが「菩提樹」の原詩でした。
「これは恐ろしい詩です。これから羽ばたこうとする若者の足を引っ張る。無理して遠くへ行かなくてもいいよ、じっと休んでいなさいよと。みんなも気を付けた方がいい」
といった風に解説したので私は驚きました。それまで「菩提樹」に抱いていたイメージとは正反対だったからです。

 なるほど、Muellerという詩人による原詩では、菩提樹(セイヨウシナノキ)は湧き水の脇に立っている1本(ein Lindenbaum)であり、その詩を訳した近藤朔風という人もきちんと、泉に沿いてではなく、泉に添いてとしています。泉に寄り添うように、一本のひときわ大きい菩提樹が聳え立っているという情景が本来なのでした。少年の頃にじゃれつくように親しんだ樹が、それを離れようとすると「ここにおいで」と招き寄せるというのですから、なんだか凄味があります。
 2番の終わりにいとし友と訳されているのは原詩ではGeselleという単語で、仲間とか朋友のことなのだそうですが、ドイツやオーストリアには伝統的に「徒弟制度」があって、この詩が作られた頃には各地を巡りながら腕を磨こうとする若い職人のことをWandergeselle(旅回り職人)と呼んだようです。Geselleである自分は、いずれはMeister(名工)になることを目指して、歯を食いしばっても修業を重ねなければならないというわけでしょう。
 日本にも 〽庖丁一本 晒に巻いて 旅へ出るのも 板場の修業~ といった旅の仕方があるように、もの作りにこだわるという点で、日本とドイツには似たところがあるようです。

 原詩は、私が中学で教わったものよりもかなり長いものでした。近藤朔風の訳にも続きがあります。

  〽面をかすめて 吹く風寒く
   笠は飛べども 捨てて急ぎぬ
   はるか離(さか)りて たたずまえば
   なおもきこゆる 此処に幸あり
   此処に幸あり

 寒風のために傘(帽子)が吹き飛ばされてしまったけれど、取りに戻る余裕もなく急ぎ、はるかに遠ざかっても、樹が招き寄せる声が聞こえる・・・これはかなり切羽詰まっていて、普通のホームシックとはレベルが違うようです。調べてみるとはたして・・・
 
 「菩提樹」はシューベルトが死期迫った頃に作曲した24の組曲「冬の旅」の5番手に置かれているもので、主人公の若者(おそらく旅回り職人)が或る滞在先で夢のような恋に出会うことができたものの、実る直前にどうゆうわけか相手に心変わりされ、激しい葛藤を抱えながら冬の旅に旅立つ・・・
     ・・・
    Komm her zu mir, Geselle, ここへおいで 若者よ
    Hier findst du deine Ruh.  君の安らぎは此処にある

 大樹が呼びかけてくる安らぎというのは幸ではなく、永遠の安らぎつまり自死であるという解釈すらもあるようでした。
 「強烈に求めるものが在るところ、そこは同時に地獄でもある」といった深刻な状況が詠われているのでした。
 「なんだか深読みのしすぎじゃないかなぁ」と私としては思ったことでした。

 やがて私は、非行少年少女の治療と教育に携わることになりましたが、現場に立ってみると直ぐに、「冬の旅」に詠われているような状況は、さして稀でもなくこの世にあり得るのだということを知ることになりました。
 例えば、虐待を受けながら育った少年少女たちが「家庭」というものに抱く想いと毎日は、「強烈に求めるものが在るところ、そこは同時に地獄でもある」という刀の刃の上を渡るような「冬の旅」の連続なのです。
 「菩提樹」は、3番の始まりでピアノが激しく変調して響き出すと、こちらの緊張も高まって来ます。そんな歌なのでした。

雪山讃歌

 大学の1年と2年の夏休みを目一杯に使って、「高山植物監視員」というアルバイトをしたことがあります。はるかな昔、昭和も30年代のことです。
 場所は、ヨーロッパアルプスのエーデルワイスに最も似たタカネウスユキソウが見られるという中央アルプス。主峰木曽駒ヶ岳の頂上小屋に長期間を泊まり込んで、仕事をするもサボるも、自分が予定して自分が監督するというおおらかさ。当時の長野営林局木曽福島営林署は、よくぞ、私を信用してくれたものです。

 いろんなことが思い出されます。直接、高山植物に関わらない事が多いのは奇妙です。
 その頃は、中学生を中心とする学童の集団登山が盛んでした。夏休みの行事として県の内外からやって来たのですが、今の感覚から思えば、熱中症を防ぐために体育館の空調が必須だとする今の感覚から思えば、引率の先生からして、良く言えばおおらか、悪く言えば準備不足。それが問題を呼び寄せることがありました。一同転がり込むように頂上小屋にたどり着いて、やれやれ・・・点呼を取ると・・・一人足らない!
 腕章(官給品・でっかくて目だつ)を付けていた私が真っ先に相談をうけたまわることになり、登山道を駆け下ることになりました。7~8号目のあたりで置いてけぼりになった生徒を見付けられたのですが、その瞬間、私の経験した二夏での3例とも「あぁ、助かった」というような表情を浮かべることはありませんでした。それほど消耗していたのでしょう。
 「山酔い」あるいは「高山病」と呼ばれますが、標高2000メートルを超えるあたりから、酸素が薄くなっていくのに身体が付いて行けずに、吐き気、ふらつき、頭痛などに悩まされることがあります。集団登山の場合は、次第に後ろに下がってどんじりを務めることになり、それさえも無理になって独り置いて行かれる状態になり、そうした時に「少しペースを落として」と声を挙げにくいのは、折角の行事である集団登山の足を引っ張りたくないという健気な思いが働くからでしょう。
 登山道の折り返しを曲がった途端に、白い人影に衝突しそうになったことがあります。暮れなずんだ中にぼんやりと佇んでいたのは一人の少女で、6合目のあたりから気分が悪くなって遅れ始め、7合目のあたりで一歩も進めなくなり、仕方なく独りで下山しようとして5合目付近まで下ると嘘のように体調は何でもなくなり、これなら大丈夫と反転して7合目まで登り直すと、また動けなくなってしまう・・・これを2度繰り返したということでした。教科書に載せたいような「山酔い」とはいえ、危ないところ。私は少女を背負って頂上小屋を目指し、途中まで出迎えに来ていた先生たちに引き合わすことができました。
 奇妙なことなので忘れないでいます。私がお礼にもらったのは、3例が3例ともそれぞれに、申し合わせたように、ウイスキーのポケット瓶1本でした。
 
 同じ頃、コーラスグループ・ダークダックスの「雪山讃歌」がヒットを続けており、当時の紅白歌合戦でも披露されたものでした。

     雪山讃歌

  〽雪よ岩よ われ等が宿り
   俺たちゃ 街には
   住めないからに
    ・・・・
   煙い小屋でも 黄金の御殿
   早く行こうよ
   谷間の小屋へ
    ・・・・
   荒れて狂うは 吹雪か雪崩れ
   俺たちゃ そんなもの
   恐れはせぬぞ
    ・・・・
   山よさよなら ご機嫌宜しゅう
   また来る時にも
   笑っておくれ
 
 「お上品だぁ」と思ったことでした。1番に〽俺たちゃ街には住めないからに~と言っておきながら、最後の6番で〽山よさよならご機嫌よろしゅう また来る時にも笑っておくれ~とあるので、「あら、帰っちゃうの。街には住めないんじゃなかったの」と気に入らず、4番の吹雪や雪崩を恐れないというのは、もっと気に入りませんでした。もともとは某大学の山岳部の歌だったそうです。
 私が仕事をした中央アルプスには際立った難所は少ないことから、新入山岳部員の初歩的な訓練の場に選ばれることが多かったようで、主峰の頂上付近でそのような場面をしばしば見かけたものでした。7・8人のグループの中の2人ほどが際立って大きな荷物を背負わされて苦しげによろぼっており、小さなバックを引っ掛けた先輩らしい連中に取り巻かれて、足蹴にされんばかりに叱咤されている光景でした。
 そんなことを軽々とハモッテ彈んでいる「雪山讃歌」を、私は好きにはなれませんでした。

一転

 「第三の男」「禁じられた遊び」「羅生門」「生きる」「ローマの休日」「七人の侍」「西部戦線異常なし」「シエーン」・・・あの頃こそ、映画の黄金時代と言えたかも知れないと思います。それらの作品に共通しているのは、やたらにスペクタクルな場面を積み上げるのではなく、一つの曲あるいは音響に、テーマに匹敵するほどの感動を込めることに成功しているところではないかと思います。例えば「羅生門」のクライマックスに挿入されたヒグラシの声は、ずっと後まで頭の中で不気味に鳴り響いていたものでした。
 そんな何年か後のある時、蔵出しの作品を単品で上映する「名画座」という小さな映画館で「荒野の決闘」という映画を観ました。ジョン・フォード監督作品で原題をOh My Darling Clementineといい、その中で私は「雪山讃歌」のメロディーと再会することになりました。

   Oh My Darling Clementine

  In a cavern, in a canyon,
  Excavating for a mine,
  Dwelt a miner, forty-niner,
  And his daughter Clementine.

  Oh my darling, oh my darling,
  Oh my darling Clementine
  You are lost and gone forever,
  Dreadful sorry, Clementine.

  Light she was, and like a fairy,
  And her shoes were number nine;
  Herring boxes without topses,
  Sandals were for Clementine.
   
   ・・・・・

  ~クレメンタインは、蓋の取れたニシンの箱をサンダルにしながらも、妖精のように可憐に跳び回る働き者。在る朝、コガモを水辺に連れて行こうとしたところ、根っこに足を採られて逆巻く湖の中へどぶん。ルビーのような唇から吹き出す泡はたちまちか細くなったけど、なんと、ぼくはカナヅチ。クレメンタインは墓地の雑草の肥やしに。父親は悲しんで松の木のように痩せ細ってしまい、娘に付いていてあげなきゃと思うまでになって、それで今はクレメンタインと同じ所に。僕がせめて釣り糸を持ち合わせていれば、それを投げ入れてやってクレメンタインを助けられたかも知れないのに~
  
 ゴールドラッシュ最中のカリフォルニアにやってきた砂金採りの男とその娘クレメンタインの運命を、クレメンタインの恋人であった若者が詠い、それが広く歌い継がれて、アメリカ民謡とまで言われるまでになっている曲なのだそうです。
 14番にも亘る中で一番ぐっと来るのは、クレメンタインという娘は蓋の無くなったニシンの箱(Herring boxes without topses)をサンダル代わりにして妖精のように動き回っていた、というところだと私は思いました。干されたニシンが詰められていた箱は、そのままでは履くわけにはゆかないはずで、おそらく金鉱探しの父親が、馬か牛の革を打ち付けてサンダル風に作り換えたものであったでしょう。

 荒々しく未開でありながら、素朴なエネルギーに溢れていた古き良きアメリカ。そんなことを想わずにはいられない曲なのでした。

つれづれフーテン老人のトランプ劇場


トランプ砲が吼える度に世界中の株が乱高下している。そのタイミングと大きさを予測できるトランプ当人とその取り巻きは、濡れ手に粟どころか札束に溺れるほどの大儲けを繰り返しているのではなかろうか。だから何度でも大砲をぶっ放す。 

・・・ど素人のゲスの勘繰りであればいいが・・・。

       目次
Ⅰ 結論
Ⅱ うらやましいアメリカの舞台
Ⅲ せっかくの恵みを活かし損ねている
Ⅳ アメリカのさまざまな歪み
Ⅴ 驚くべき富の偏在
Ⅵ それでもアメリカは膨張を続ける
Ⅶ アメリカは何処へ行く
Ⅷ 私たちは何をしているか
Ⅸ 私たちはどうすればいいか
Ⅹ そして結論の結論

Ⅰ 結論
 アメリカは広大な国土を有し、世界最大の石油と天然ガスの産出国であり、鉱物資源についても最大級の埋蔵量を誇る。
 それに見合って、人々は質の高い安定した生活を送れているかというと、これがそうではない。平均寿命は先進国中で最も短いうえに年を追って短くなってゆく傾向があり、乳幼児死亡率、相対的貧困率、ホームレス、肥満者、無保険者の率などが異様に高い。
 アメリカが伝統的に選択してきた市場経済主義は、近年の通信関連技術の発展に伴って国際的にも連動する性格を強めてきており、国境を跨いで転がりまわる資本は本家のアメリカの製造業に置いてけぼりを喰らわすようになった。中國を「世界の工場」に、アメリカを圧倒的な「通信関連サービスの提供者」にと役割を分担するまでになったのである。
それにしてもアメリカのサービス業(GAFAMなど)の生産性は高く、世界中で利益を生んで還流させ続けている。が、残念ながら、その分配については市場に任され、途方もない富の偏在が加速されることになった。それは機会の不均等をもたらしているにもかかわらず、それでも人々は「努力すればアメリカンドリームを手にすることが出来る」と信じ込んでいる節がある。自分が富裕になれないのは勤勉が足らなかったために神に選ばれなかったのであるとし、その鬱屈を慰めるためになけなしの金を払ってライフル銃を買って撫でまわし、ジャンクフッドで空腹を満たそうとする。

 こうした歪みから抜け出すには、税制を工夫して富の偏在を是正してゆくことが特効薬であるに決まっているが、アメリカの貧困層は日頃の鬱屈をトランプに託してしまった。トランプこそが美味い汁を吸っている金持ちエリートどもを懲らしめてくれるだろうと思ったのであろう。
 そのトランプは矛盾している。この記事を書いているフーテンのような老人にも分かることである。
 自分に投票してくれた層に向かっては「規制」を連呼し、移民を規制し、これ見よがしに国境に壁を築き、関税や為替レートに激しく干渉して貿易を取り仕切ろうとする。
 その一方、真逆の「脱規制」を強行して弱肉強食を煽る。パリ協定とWHOから離脱し、連邦政府職員を大量に解雇し、金融政策を策定監督するFRB(中央銀行に相当)の存在すら煙たがり、やりたい放題とはこうあるべきだと言わんばかりにハイテンションの富豪たちを後ろ盾に並べて見せる。そうしてどうも、「規制」は貧困層に向けたジェスチャーであり、本当にしたいことは「脱規制」の方であるらしい。

 規制と脱規制という正反対の中で折り合いを付けてゆこうとするのだから、どういう舵の取り方があるのかわからないけれども、これからのアメリカは大きく蛇行するに決まっている。さらに、他国の領土や地下資源に色目を使い、アメリカは世界中から騙されているのだと大声を上げ、やたらに取り仕切りたがる有り様は、愚連隊崩れが肩を揺すっているようにさえ映る。
 トランプが躍起になって問題にしているアメリカの貿易赤字は、あの国のGDPのほとんどを支えているサービス関連業の巨大さと高い生産性に起因している。そうした構造はアメリカ自身が選択して作り上げたものである。
 立役者のサービス業は非貿易財であるから、外国で大量に買われても輸出としてカウントされず、貿易収支は赤字となって目立つのは当たり前である。ドルの強さを証明しているようなものだから、放っておいてもかまわないのである。例えば、国民の所得が世界一として知られるルクセンブルグは得意の金融サービスを売りにしているから、当然、貿易収支は恒常的に大きく赤字である。
 アメリカがどうしても貿易赤字を是正したいのであれば、自国の巨大すぎるサービス関連企業にしかるべき税を上乗せ、それを財源にして製造業にテコ入れをし、製品の質を整えてから、正々堂々と国際市場に問うべきである。

アメリカの有権者にお願いしたい。国土狭隘で天然資源に恵まれず、たっぷりなのは大型の自然災害だけというような、例えば極東の小さな島国日本が、出来るだけ多くの国々と繋がり合うことで沈没を免れ、あれこれしながらも平均寿命と乳幼児死亡率とで最も良い成果を保っている。そうした懸命さを少しは思ってみて欲しい。

Ⅱ うらやましいアメリカの舞台
 石油も天然ガスも鉱物も・・・アメリカの国土はアメリカ人に微笑んでくれている。何といっても強みである。
 近年のアメリカの石油生産量は、サウジアラビア、ロシア、カナダなどを凌駕して世界のトップを占める(図1)。

 天然ガスの生産量も、ロシア、中国、イラン、カナダなどを超えて全世界の24.2%を産出してこれまた世界のトップ(図2)。

 国土は広大で地層も様々であることから、石炭、金、銅、亜鉛、その他の鉱物資源にも恵まれており、世界最大級の埋蔵量を誇っている。

Ⅲ せっかくの恵みを活かし損ねている
 狭小な国土、有るのは大型の自然災害だけといった日本からすれば、夢のような、じれったくなるばかりの舞台であるが、その活用の仕方が下手というか、歪んでいる。
 先ずは、工業生産高(図3)。

 2020年、アメリカの工業生産高が世界に占める率は16.3%に縮んでしまっている。なんと、中華人民共和国のおよそ半分である。
 赤い円で示したが、二度の大戦後、殊に第二次世界大戦直後には、疲弊した世界を尻目にアメリカの工業生産高は全世界の半分にも達していたのである。アメリカは経済、軍事、文化の総合として圧倒的に抜きんでており、世界から仰ぎ見られていた。

 どうしてアメリカの工業生産は相対的に縮んでしまったのだろう。
諸外国(殊に日本とドイツ)のめざましい復興が先行して作用したであろうが、続いて何といっても、行き詰まった共産中国が資本主義に大きく舵を切ったことが大きい。
 中国に鄧小平というしたたかな政治家が現れ、「黒猫でも白猫でもネズミを捕る猫が良い猫」「計画経済であれ市場経済であれ、生産力を上げて富の配分を多くするのが良い実践」などとし、共産党の独裁を維持しながら資本主義の仕組みを取り入れた。
 1978年には日本を訪れ、カラーテレビや自動車の生産ラインを視察し、新幹線を試乗し「これこそ中国が学ぶべきことだ」と絶賛した。
 解放された新しい市場と人的資源に殊にアメリカと日本の資本は興奮し、安い労働力をあてにして最新の工作機械とノウハウを中国に投入する。飛び付くようにして中国は稼働を始め、次第に複雑な製品を手懸けられるようになり、技術を組み合わせたより高度な物へ、それにつれて輸出するものも日用雑貨や衣類のレベルからTVや冷蔵庫などの家電などへ、コンピューターや通信機器などへ、ついにはEVや高速鉄道一式などへと発展してゆく。中国は短時日のうちに「世界の工場」と呼ばれるまでになった。

 一方、20世紀後半から始まったデジタル革命は、たちまちインターネットの普及をもたらしたが、革新の先頭を走ったアメリカ資本は、地球丸ごとを自分流のネットでくるみこんでしまうことに夢中になった。ネットサービスは世界経済に大きな影響を及ぼすようになることを予想したのである。
 アメリカは成功した。インターネット時代を先駆けてシステムやサービスの基盤を提供し続け、2010年ごろに世界が気付いて愕然とすることになるが、GAFAMと略称される米国の5大ネットサービス関連企業などが強大な市場支配力を持つ怪物に育っており、独占的な利益を得るとともに世界中の人々から情報を掻き集め、分析し、影響を与え続けるまでになってしまっていた。
 「世界の工場」は中国に、「世界のサービス業」はアメリカに・・・。これを意図したのはアメリカ自身である。自国のGDPの構成比で一次・二次産業を著しく縮小させ、それを担っている労働者の有用性を低め、人材を遠ざけ、生産手段や製造技術の改良への意欲を低めてしまったのもアメリカ自身の選択の結果である。
 サービス資本は一刻も休まずに世界中を飛び回っていよいよ肥大し、利益を吸収し続けてアメリカ経済を好調に発展させ続けたが、一方で富の極端な偏在をもたらすことになった。富の偏在は大部分の人々のフラストレーションと互いへの不信感を高めた。利便性は多様性を容認しあうゆとりを保ち難くしてしまいがちである。例えばSNSなどを使った発信は、真偽を確かめる間も無く、あっという間に攻撃的に炎上することを日常的な出来事にしてしまった。

Ⅳ アメリカのさまざまな歪み
 平均寿命と乳幼児死亡率は、その社会の民生の成熟度を表す端的な指標の一つであることには間違いはない。
 2021年のいわゆる先進諸国の平均寿命を見てみる(図4)。

 アメリカが76.3歳で最も短く、なんと、驚くべきことに年を追って短くなって行く傾向があるのである。アメリカ社会は退歩しつつあるのだろうか。極東の小さな島国である日本が84.5歳で最も長く、意外なことのようであるがプーチン政権下のロシアは数年の間に目立って伸びている。
 乳幼児死亡率(図5)。ここでもアメリカは先進国中で最下位であり、日本が最
上位にある。

 肥満者の率(図6)。

 これもアメリカ社会が群を抜いて多く、日本が最小である。アメリカでは、貧困~ジャンクフッド~肥満という相関が言われている。

 2022年の相対的貧困率(図7)。 アメリカはポイントを上げつつある

 路上や公有地で暮らしている人を「ホームレス」としてカウントした資料がある(図8)。人口10万人当たりの人数であるが、アメリカはこれも高値を示す。何事も「自己責任」という考え方なのであろう。

 ホームレスは地方自治体などによるちょっとした介入で大きく変化するのが特徴であり、例えば日本では数年前まではかなりのものであったものが、主に地方自治体やNPOなどの工夫で大きく減少したという実践があるという。

Ⅴ 驚くべき富の偏在
 アメリカの富の偏在には恐ろしいものがある(図9)。

 上位1%の所帯が国全体の富の32%を占め、上位10%ともなると72%にもなり、上位50%の所帯の所有する富が98%にもなる。ということは、下位50%の所帯は全体の富の僅か2%しか持っていないのである。そして、金は金を吸い寄せるという性を持っているから、富める者がいっそう豊かになるのは速く、貧しいものはなかなか苦境から抜け出せない。少しでも投資に回せる余裕のある人は、おこぼれにあずかって一層余裕を得られる可能性が高く、一方、日々の基本的な消費に追われている人がゆとりを得られるように浮上するチャンスは極めて少ない。なるほど、アメリカは真っ二つに分断するわけである。
 小さな政府、個人や企業の経済活動の自由、つまり「市場原理主義」のもと、社会保障制度は最低所得者や高齢者に対してわずかに配慮されているだけで、たとえば公的医療保険制度は整備されてこなかった。人々は私的に医療保険に加入しなければならないが、商品としての医療保険は高い。それで、人口の1割に近い2800万人もが無保険での生活を強いられている。こういう階層が病や怪我のために入院を要するようなことになったら、いったいどうなるのだろう。アメリカの医療技術そのものは発達しているが、それは富裕層のニーズにのみ応えがちであって、国民の多くは恩恵を受けられないでいる。加えて医療訴訟などを取り巻いて、莫大なサービス関連業が渦を巻き、それがまた保険料を高くしてしまっている。
 
Ⅵ それでもアメリカは膨張を続ける
 アメリカと中国のGDP構成比を比べてみる(図10)。

 アメリカの一次産業と二次産業の占める割合は目立って少なくなっており、それと反対にサービス関連業が80%ほどを占めて圧倒的に高くなっている。前にも述べたが、例えばアメリカのネット関連サービスは生産性が極めて高く、文字通り地球にネットを掛けたように四六時中を稼働し、世界中から利益をむしり取って来てはアメリカのGDPを支えているのである。これからの何年間もアメリカ経済は堅調に成長を続けるだろうと予想されている(図11)。

 GDPが拡大しつつありながら、その一方で平均寿命が短くなり、乳幼児の死亡率が目立って高いという社会は、どう考えても捻じ曲がっている。サービス関連業がカーテンのようになって、実態をくらましてしまっているのであろう。
 アメリカ国民は、一見フランクで実際的に見えながら、実のところ他の国民よりもロマンチックであるらしい。努力すれば「アメリカンドリーム」なるものを均等に手にすることが出来るのだと信じている節がある。ドリームが訪れなかったのは自分の努力が足らなかったために神に選ばれなかったのであるとし、それを慰めるためになけなしの金を払ってライフル銃を買って撫でまわし、ジャンクフッドで空腹を埋め合わせようとする姿が目に浮かぶのである。
 万物がそうであるように、「市場原理主義」も完全なものではあり得ない。機会の平等を謳ってはいるが、もたらされるものは恐ろしいまでの富の偏在なのである。正確な言い回しではないかもしれないけれども、彼の鄧小平はこんなことも言っていた。「計画経済にも市場があるように、市場経済にも規制は必要である」。

Ⅶ アメリカは何処へ行く
 今のアメリカは、充分に強いところを持っている。
 世界には180種類もの通貨が流通しているが、国際的な売買や資金のやり取りをしようとしたら、国際的に認められている基軸となる通貨に換算して価格付けをし合わないと取引はスムースに流れない。
 その「基軸通貨」は長い間「英ポンド」であったが、第二次世界大戦後に英国経済が退潮するに伴って「米ドル」に替わった。現在アメリカのGDPが世界に占めるシェアは20%ほどであるが、国際為替取引において米ドルが絡む取引高は実に80%を超えている。さらには、国際貿易においてアメリカが占めるシェアは10%ほどであるが、世界の輸出入品のおよそ半分はドルで価格付けされている。利便性からも、国際的な流通や評価には基準となる通貨を介した方が分かりが良いわけで、国際機関が公表している評価もドルベースで算出されている。つまり、GDPや国際貿易の実態に比べてドルの存在は圧倒的に大きく、地球を大きく包み込んでいる(図12)。

 さらに、米国企業の雄GAFAM(グーグル・アップル・フェイスブック・アマゾン・マイクロソフト)の勢いはとどまるところを知らず、例えばグーグルの検索エンジンは95%のシェアを占め、フェイスブックの1日当たり利用者は世界で20億人を超えるまでになっている。それこそ一刻も休むことなく膨大な個人情報を集めて積み上げ、分析し、行動を予測し、影響を与え続けており、これもイメージとしては地球を大きくラップアップしている。 
 
 にもかかわらずトランプ政権は、グリーンランドを、カナダを、パナマ運河を、ウクライナの地下資源を欲しがる。どうしてそんなに焦るのだろう。どこへ行って何をしたいのであろう。アメリカが今掲げなければならないのは「MAGA」ではなく「KAGL(Keep America Great Long)」という守りの姿勢であっていい。実際、守りにシフトしなければいけない事態が既に始まっているのである。
 トランプ政権の本音はおそらく、おそらくというよりもかなりはっきりと、「脱規制」にある。今こそチャンスとしてなりふり構わずに、AI関連技術や宇宙開発技術のトップの座を自分のものにしたいと焦っているのであろう。つまり、次の世界を席巻したいのである。

 世界のGDPの大きさをブロックごとに分けると、EU諸国、アジア諸国、アメリカ大陸諸国のそれがほぼ同じほどの大きさで並んでいることが分かる(図13)。10年ほど前の2016年のデータであるから、最近急成長しつつあるインドやASEAN諸国の動向を加えると、現在のアジア諸国の描く円は一回り大きくなっており、さらに10年先を予想すれば、アジア諸国のGDPが最も大きくなる可能性が高い。

 GDPの大きさばかりではなく、その内容も急速に変化しつつある。例えば、中国版GAFAMとして注目されているBATH(バイドウ・アリババ・テンセント・ファーウェイ)に代表される中国の情報通信関連企業がこのところ急成長しつつあり、例えばファーウェイが提供する5G通信設備は世界シェア35.7%というトップに躍り出るに至っている(図14)。

 BATHの時価総額は2020年の評価でGAFA の3分の1ほどまでに達しており、ちなみに、これは日本の国家予算の2年分以上にも相当する。
2025年1月には性能の卓越した生成AIモデルをアメリカの同類会社の10分の1ほどの低コストで開発し、しかもそのノウハウを世界に公表するという余裕さえ見せた。中国は他国の技術やサービスを模倣しない独自の事業を展開しながらアメリカを猛追している。

 中国の情報通信関連企業の追い上げと並行するかのように、基軸通貨であるドルを巡る動きも、殊にロシアによるウクライナ侵攻以来加速している。
 ロシアへの経済制裁の実効性を上げるために、アメリカは国際決済システムに働きかけて、ロシアがドルを介しての貿易決済ができなくなるようにした。これを受けて、ロシアは欧米とは異なる歴史と価値観を持つBRICS(ブラジル・ロシア・インド・中国・南アフリカ)と協議して、国際決済での決済通貨をドル以外の通貨に換えるシステムの新設を模索するようになっている。中国はいち早く、人民元を決済通貨とする独自の決済システムを対ロシア貿易に適用するようになり、それは先進諸国の対ロシア経済制裁の効果をそれだけ殺ぐ結果をもたらした。ロシア大統領プーチンは、BRICS首脳会議の際にBRICSの共通通貨と仮定して刷り上げた紙幣を持っていたという。

 基軸通貨としてのドルは、今のところ、がっしりと地球を包み込んで揺るぎないように見える。しかしそうした一方で、世界の分極化は加速度的に進行しており、BRICSあるいはその他新興国のドル離れは、ある時、巨大な地滑りになって現れる可能性もある。 
 仮に人民元が新しい基軸通貨としてドルに取って替わろうとしているとする。これまでドル建ての借金に苦しんできた新興国などには一挙に借金から解放される千載一遇のチャンスと映って、あえて雪崩に乗り移ろうとすることがあるかもしれない。
 「俺が取り仕切ってやるからショバダイを出しな」「オトシマエをつけようじゃないか」とばかりに愚連隊さながらに振る舞うトランプ政権の下品が、アメリカ離れに弾みを付けてしまうかもしれない。今のアメリカはぬけぬけと嘘も言う。

Ⅷ 私たちは何をしているか 
 もう一度(図13)を見てみる。
 似たような大きさの円が3っ並んでいるのを見ていると「多様性」ということが迫ってくる。みんな懸命なのである。

 ヨーロッパの国々はヨーロッパなりに、かつて植民地時代に後進の国を搾取したツケが廻ってきた形で移民問題などで揺れているけれども、殊に北欧の国々は、比較的大きい政府、タフな累進課税、高い社会保障制度などを民意によって選択しており、市場経済をバランスよく修正している。毎年のように「幸せな国」のトップに名を連ねているのは、その成熟度の証であろう。
 アジアには、人類のおよそ60%が住んでおり、多く植民地支配というくびきから解放されてから、それぞれの事情を抱えつつも成長している。日本を含めてアジアの人々は、とりわけ緻密な作業をむらなく続けることに長けているようであり、そうした特性を活かして頑張っている。
 そして3っの円の大きさを合計すると76%ほどになるが、それ以外のGDPが24%ほどあるわけであり、それは世界中に散らばっている国々の人々の生業を集積したもので、ちょうど第4の円ほどの大きさになるであろう。地球号ではすでに、「多様性」と「相互依存」こそがキーワードであることを一目瞭然にしている。
 
 そうした中で、日本はどのようにしてあるのだろう。
 かつて、「東日本大震災」が日本を襲った有様を固唾を飲んで見入った世界中の人々のうちには、「日本は大丈夫か」と案じた人も多かったと思われる。現に隣国の韓国は「日本沈没」という見出しを付けて報道した。
 甚大な被害を被ったけれども、日本は沈没しなかった。第一次オイルショック、第二次オイルショック、リーマンショックでも大きなダメージを受けたが沈没しなかった。
 OPEC諸国の禁輸措置で引き起こされた1973年の第一次オイルショックは、一滴の原油も産出しない日本の石油価格を一挙に4倍に暴騰させ、長く続いた高度成長期を終わりにさせたというような衝撃では済まなかった。ほとんどパニックをもたらしたが、官民を挙げて「省エネ」に取り組み、効率よくエネルギーを使ってエネルギー効率の良い物を作り、それを賢く使う方法を追求した。こうした積み上げがあったからこそ、第二次オイルショックにも耐えられたのだと言えそうである。

 資源の乏しい国の宿命であるだろう。「源流から河口まで」・・・資源に限ったことではなく、原料の採掘や調達、加工製造、流通、販売、消費に至るまでを、国をまたいで最もスムースに循環するように工夫する。出来るだけ多くの国々に命綱を懸け、資源の調達先を分散させてバランスをとる。そうしていないと、日本は浮いていられないのである(図15)。

 国際的に評価の高い「総合商社」のように、日本は沢山の国々に通用するように外貨を準備し、投資をしている。それは「対外純資産」として計上されるが、2023年は471兆円(国家予算の4年分)を超して30年以上にも亘って世界一である。その投資先の筆頭がアメリカであるのは皮肉である。
 要するに、食料の自給すらままならないながら、それ故に、日本は踏ん張っている。

Ⅸ 私たちはどうすればいいか
 残念なことに現在、本来は世界をリードして行くべきいわゆる大国は揃って品格に乏しい。品格に欠けるどころか、アメリカは愚連隊に、ロシアは押し込み強盗に、中国は悪徳不動産業者のように見えることさえある。
 そんなアメリカの強引な要求に対して報復的な対抗手段をとるには、広大な国土と資源を基盤にした強い基礎体力が必要であり、そうした国は上にあげた大国を除けばカナダとオーストラリアほどに限られるであろう。
 日本にできること、日本がしなければならないことは自然に決まってくるように思われる。

 第一に必要なのは、高品質な製品を勤勉に作り続けるという覚悟。
 聳え立つ関税の壁を乗り越えてでも選んでもらえるためには、仕入れた資材に一段と優れた付加価値を付けて納得してもらわなければならない。かつての「第一次オイルショック」時の合言葉は「省エネ」であった。今回のそれは製品の質を変えるほどのものでありたい。トランプの恫喝は国難とも言われるが、あたふたする前に必要なのは心掛けの確認である。
 第二には一層の投資とマーケッティング。
 この国を襲う災害は甚大で抗い難いことが多いせいか、人々の自然に対する姿勢は独特である。自然は征服すべき対象ではなく、その良いところを身近に取り入れて親しむべきものだとする。街づくり、建築様式、庭園、盆栽、茶道、華道、日本料理、・・・日本の独自性を自信として改めて投資したい。
 現在の日本の輸出先は、中国を筆頭にしたアジア諸国向けが58%を占めて最大である(図16)。
 アジア諸国への輸出増も期待できるが、EU、その他、といった国々へのシェアを増やすことも可能であろう。殊に中東地域に対しては大量の石油を輸入していることから貿易収支は常に赤字である。真面目で控え目な在り様こそがブランド性を高めてくれると信じて、これを修正する工夫も凝らしたい。

Ⅹ そして結論の結論
 トランプ政権は遠からず必ず行き詰る。何もかもぶち壊して、時に力のある者の欲するままに任せるという「規制外し」が本音である限り、アメリカ社会の歪みは是正されるわけはなく、つまり、富の偏在は一層きわまり、ついに沸点を迎えずには済まないだろうからである。外に向けられた傲岸な要求に対しては、我が国としては、したたかに対応を先延ばししているのが賢明。世界と共存する能力を高める唯一の手段は一層の真面目で控え目な取り組みであると信じながら。

人なつこい? ウラギンシジミ


熱中症の危険より・・・食い気

 今年(2024)の9月19日(木)、連日の酷い残暑を食い気で乗り切ろうというわけで、私はベランダで豚肉の一塊に煙を掛けてチャーシューに変えてやろうと目論んでいました。

 ふと気付くと、漬け汁の臭いに誘われたのか、燻製鍋の近くに置いたペーパータオルに1頭の小型のチョウがやって来ています。
 翅の裏が、アクリールガッシュ絵具を一刷毛で塗り上げたように、一面に鈍い白色をしていました。…私のうろ憶えによると、この手のチョウはウラギンシジミかヒメシロチョウのどちらかであるはずです。

ヒメシロチョウだったら大変なこと!

 これがヒメシロチョウだったら大変!
 ヒメシロチョウは、かなり前から都道府県の多くで絶滅危惧種も高いところに指定されており、東京都のレッドデータブックでも、例えば八王子市ではここ70年間以上も観察記録がないという希少種。河川敷などの草地が一度に広範囲が機械刈りされてしまうなどのことが生息域を狭めてしまったのだそうで、シロチョウの仲間内でもとりわけハタハタと儚げに飛ぶのだそうです。
 
 カメラを持ちに行って戻って来ても、お客さんは残っていましたから、先ずは1枚。邪魔なステンレスのトングをそっと取り除けても、そのままで居たので2枚目。

 背景がペーパータオルの白のうえに逆光なので、反対側に廻って撮り直そうと腰を浮かすと…飛び立って、ベランダの縁に置いた鉢の上で数回ホッピングしてから行ってしまいました。

ヒメシロチョウは幻 やはりウラギンシジミだった

 写真を見直すと、これは間違いなく、残念ながら、ウラギンシジミ。
 前翅の先端が鋭角に突き出しており、後翅の下縁も少し角張り気味。さらに裏面の一面の銀白色(「裏銀」が名前の由来)が、ブラックペッパーを振りかけた厚手の布を見るように丈夫そうだというのも特徴。
 大きさ19〜27mmでシジミ科最大。頑丈そうに見えるのにふさわしく、花の蜜をはじめ様々のものを求めて元気に飛び回り、幼虫がクズの葉を食べることから、最近増えつつあるのではないかとのこと。なるほど、クズがこのところ、ちょっとした林などは押しつぶさんばかりに独り勝ちにはびこっている様子は気味が悪いほどであるので、ウラギンシジミが増えつつあるというのは頷けることです。

好奇心いっぱい 可愛らしい

 それから3週間ばかりが経った10月13日(日)に、私は子犬を車に乗せて多摩川に行きました。秋になると、土手の斜面に機械が入って雑草が刈り取られているのが例年のことですが、この年は街の真ん中、それも市役所付近の街路樹の枝が落下して死者が出るという不幸な事故があり、そのために危険と思われる街路樹の伐採という喫緊の仕事が優先されて、やむを得ず、河川敷の手入れは後回しとなったようでした。
 私は自分と子犬が川に抜けられるだけの幅を細々と刈り取ろうとしました。このまま冬になると、雑草の種子がヒッツキムシになってワンコに取り付いてしまってドタバタするのを避けたいと思ったからです。

 気が付くと、とりあえず地面に投げ出しておいたカメラに、ウラギンシジミが止まっていました。翅がわずかに開き気味で、翅表のオレンジ色が窺えました。

・・・あらためて、私がカメラをいかに乱雑に扱っているのが分かってびっくりものです。雨に当たったり、落としたり、こすったり、埃だらけ、傷だらけ。それでも奇跡的に壊れません・・・。
 そんな私のカメラの何が気になるのかな? いくらなんでも、おかしな臭いまではしないと思うのだけど。

 ダイヤルやらファインダーやらをためしすがめつし、ようやくカメラを離れると、ウラギンシジミは私の周囲を飛び跳ねるように5・6回も浮き沈みしてから、脇に聳えているニセアカシアの梢を高々と越えてどこかへいってしまいました。

この秋3度目の出会い

 それから2・3日後の午後、玄関先でエゾマツの盆栽に水を掛けていると、独特な翅のきらめきと飛び方からウラギンシジミと知れるチョウがやって来て、エゾマツと水しぶきと私との間で、長々とダンスを披露してくれました。人なつこいのです。

 それからまた数日後のこと、私は子犬の好物の牛のヒズメにデスクグラインダーで切り込みを入れていました。ワンコがもう一度しゃぶり直せるようにするためです。半ば焦げた骨粉が飛び散ると、先ずは子犬が駆け寄って来て鼻をヒクヒクさせました。
 次に現れたのが、なんと、オオスズメバチでした。骨粉の舞う中にホバリングさながら、頭をこちらに向けながら、黄金の狩人は浮いたり沈んだりしておりました。

 ウラギンシジミもスズメバチも、燻煙や下ごしらえの漬け汁、そして骨の香りなどが好きなのだろうと思います。
 一方は、見るからにおどろおどろしく獰猛で、一方は可憐なのですが、似たようなな物を好むとは…生き物というものは不思議です。

 ウラギンシジミ

 

自分が嫌いな君へ 幸せてんでんこ

 

安心して良いよ 若者の半分は君のよう
 私と妻も後期高齢の日々をよたよたと送りつつある老人だけれど、実は二人ともかつては君と同じ側のグループに属していた。それが「今が一番幸せだ」と思っている。ボケのせいもあるだろうけれど、そればかりではないと思う。よかったら、お付き合いをお願いしたい。

 君は、何かにつけ周囲と比較しては、「・・・やっぱり敵わない」としてしまうのが癖になっているんじゃないかな。昔の私たちもそうだったように。
 内閣府の調査によると、毎回のこと、「自分に満足していない」と感じている子供や若者(9〜29歳)は半分近くにも達し、これは諸外国と比べると際立った特徴なのだそう。
 ・・・将来を悲観的に捉える・・・失敗する可能性のあるものにはチャレンジしない・・・結婚を必ずしも望まない・・・今の社会を変えられるとは思わない・・・といった意識も同程度に高いのだそう。
 独りよがりの自惚れよりもよっぽど良いことなんだろうが・・・苦労性というのかな。物事を実態よりも深刻に受け取り過ぎているかもしれない。

    〜雨ゃぁ降って来る 屋根の薪ゃぁ濡れる
              背中の餓鬼ゃぁ泣く 飯ゃ焦げる〜
昔・・・といっても、ほんの少し前までは、幸か不幸かこれで済んだ。とおに逝った私の母もそんなだった。山ひとつ向こうのことは知ることができなかったから。今はどうだろう。
   〜西に火事ありゃ 東にゃ地震
       オレオレ ひき逃げ 人殺し
             セクハラ パワハラ ジェノサイト〜
 それこそ朝から晩まで、現在の私たちは圧倒的な量の報道にさらされ続けているわけだけれど、それを私たちは真正面から受け入れて生真面目に憂え、実態を掴むよりも薄暗いムードとして蓄積してしまう傾向が強いようなのだ。そうした私たち日本人の特性を明らかにしている数字があるよ。

 毎年まとめられる「犯罪白書」によると、少年非行は著しい減少傾向にあり、なんと現在、1983年のピーク時の10分の1にまで激減している。少年院がどんどん統廃合されているんだ。
 ところが、定期的に為されている「少年非行に関する世論調査(内閣府)」によると、国民(成人)の80%近くが「非行は増えている」と感じているという結果が出ている。近年4度にわたって少年法が厳罰化の方向に改定され、どこそこで防犯カメラがやたらに増殖しつつあるというのは、こうしたムードの後押しがもたらしたものだろうね。何処へ行って何をしたかが全部記録されてしまう。こせこせと動き廻るつもりはないけれど、不気味だよね。
 少年非行ばかりではなく、社会全体の治安は悪くなりつつあるというのが私たちおおかたの感じ方で、実態と認識との乖離が生じている。国際的に見て、かなり珍しい現象であるらしい。犯罪率などに基づいた客観的評価では「社会の安全世界2位」である国が治安を心配しているんだよ。

不思議な国 ニッポン
 似たようなチグハグは他にも幾つか見られるよ。
 「対外純資産(海外に持つ資産から負債を引いたもの)」が32年連続世界最大。次いで、生活の質・文化的発信力・ビジネス環境など10項目にわたる採点で「世界のベストな国」の最上位クラスにランクイン。そして何といっても、社会の質の集大成と言える「平均寿命」が世界のトップ。
 ところが、主観的な自己評価を中心にして「世界の幸せな国」をランク付けてみると、日本は世界の国々の中で60位あたりを、つまり、途上国どころか低開発国といわれているレベルを浮いたり沈んだりしている。不思議なことだよね。まるで、日本という国は二つあるようだ。
 ちなみに「幸せな国」の上位にはヨーロッパ諸国がずらりと並んでいるが、その頂点を北欧のフィンランドが常連で競っている。そのフィンランドといえば、都会にはシェルター(避難壕)が人口よりも多く作られていると聞いているが、人々はそんな緊張を含んだ状況を主観的には「幸せだ」と感じているらしい。国民性、民族性というのは不思議だね。
 勿論、日本人といっても色々なタイプが居るわけだけど、全体としての色付けは、こだわり、律儀、苦労性といったものに傾いているとして良いようだ。

 ジャーナリストは、劇的に劇的にと情報を加工しようとする。注目されないと彼らは食べていけないから・・・。こういう癖がエスカレートして「大衆はこの世ならぬものを見たがるものだ」などと公言してはばからないジャーナリストが実際に居る。気を付けないとね。
 劇的に色付けされた情報の波にそのままに打たれ続けていると、深刻に深刻にと感覚が膨らみはじめて、実際には何が起こっているのかが判りにくくなるのだろう。そして、律儀という特性のせいか、私たち日本の大衆はメディアに対する信頼度が高いというか、つけこまれ易いようなんだ。

どうせ比べるなら いっそ開き直ってみよう
 いっそ、あの大谷翔平さんと比べてみよう。彼は君の倍も背が高いですか。倍も速く走れますか。
 そんなはずはないのだけど、まあ良いです。大谷翔平という人は、持って生まれた天分というか性能を君や私なんかの3倍を備えているとします。とりあえず、私たちは10、彼は30。
 話は飛んでちょっと古い話になるけれど、あのゼロ戦のパイロットとして太平洋戦争を闘い抜き、敵機64機を撃墜して生き残ったという坂井三郎というエースは「・・・戦闘機乗りは最後に頼るものは自分以外にはない・・・自分の精神、智能、体力をその極限と思われるところまで鍛えに鍛えてみた・・・大部分の人たちは自分が持って生まれた性能の平均30%くらいを使うだけでこの世から去っていってしまっているのだと私は思う・・・」と回顧録に書き残している。なるほど、そんなものかもしれない。耳が痛いな。
 大谷翔平さんはものすごい努力家らしいから、仮に自分の性能の90%を出し切れているとすれば、結果は30×0.9で27。君も頑張って90%は無理にしても50%を引き出すことができたとすれば、10×0.5で結果は5。
 なるほど、この差は大きい。5倍以上だもの。
 さらには、この5倍の差を「別格だ!」「人間離れしている!」と大勢の人達が仰いでいると、5倍どころか途方もなく膨れだすことがある。勝手に膨れだすのではない。ヒトの集団というものは、一定の枠を超えたものにカリスマ性を与えて、大空にゆらめくオーロラを見上げるように、有難くおののきたいという習性があるらしい。これも不思議だよね。
 大谷選手のオーロラの巨大さを金銭に置き換えて見ることもできそうだ。彼のこれからの10年間には1000億円超えという値段が付けられたという。日本人の平均年収がおよそ400万円だとすると・・・計算が間違っていなければ・・・なんと2500人分だぁ!
 彼にはさらにCM出演などによる収入がある代わりに、累進で高額税金を取られると事情があるわけだけど・・・まあ単純にね。

 ここで腰を抜かしたままでいると、400万円すら得られなくなってしまう。オーロラに飲み込まれない別の見方もあると思うよ。
 稀な天分と努力とが掛け合わされると、大谷選手のように空一杯にオーロラを乱舞させるのも可能なことがあるけれど、1シーズンを続けると腕の手術を受けなければならないという非情な仕事であることから分かるように、それを長く続けることは出来ない。戦闘機のパイロットがぎりぎりに張りつめた空戦を何年も続けることが不可能なように・・・。
 大谷選手が仮に10年間を輝き続けることができたとすると、27×10で270が積み上げられる。君がコツコツと精進して、こだわり、律儀、苦労性といったものを50年間溜めたとすると、5×50で250を積み上げることができる。50年間には複利が付くとしたら、もっと近づくかな。ほら、ほとんど同等。あの大谷翔平さんとだよ!

 君はオーロラのように輝くことはできないけれど、例えばウルシ塗りの食器のように深い艶を発するようになれる。いろんな分野で、現場で、君に似ている多くの人がやっていることなんだ。
 日本の「アニメ」はどうして無敵なのかを考えてみよう。和食、発酵、陶芸、木彫、盆栽、農芸、造園、養殖、音楽、舞踏、剣道、柔道、空手道・・・そしてノーベル賞、極め付きはイグノーベル賞・・・水道や電気や流通といったインフラを精緻に支えている現場の人々・・・等々、ああキリがない。こうしたこだわりと発想の積み上げは、誰がどのようにしてもたらしているものかを考えてみよう。
 私たち日本人は自然と向き合う時、それを克服しようというよりも、それを身近に取り込んでエッセンスを見出だそうと入れ込むからね。こだわるんだ。良い民芸品が多いわけだ。
 「ここにこそ自分の居場所がある」と探し当てた分野で、それぞれの現場で、自分が汗を流している処で・・・腕利きの職人、名人、達人の域に達している人はそれこそいっぱい居る。

 飲み込まれないようにと言えば、次のような見方もあると思うよ。
 例えば、ウラジミール・プーチン、習近平、金正恩といった強権政治家たちはどういう人達だろう。こうした人たちは何万人分の金銭どころではなく、数千万人数億人を統治する権力を握ってしまうまでになっている。彼らが演説する舞台の背景には体制の安定や戦争のために犠牲にされた膨大な血の池が広がっているわけだが、後ろに立つ亡霊が一定の数を超え、責任ある当人がシレッとしていると、人々は「人物が大きい」と錯覚して、そのカリスマ性を仰ぎ見ることになる。そこにつけこまれる。
 彼らは、君や私の5倍も10倍も賢くて大きいのだろうか。ちがうなぁ。何かが欠けているために大きく見える可能性があるよ。
 ナポレオンは、脇に立っていた部下の士官が飛来した砲弾で真っ二つになったのを見てカラカラと笑ったという。彼ら「大物」に欠けているのは、おそらく「恐怖心」そして「生への畏敬」。
 「他人はこの私に貢ぐために存在する」と思い込んでいる人を冷血者と呼ぶのだそうだが、その特徴は恐怖心が無いこと、後悔しないことであるらしい。なにが起こっても動じないわけだ。
 気を付けよう。奇妙なものを選んで持ち上げていると、とんでもない目に合うことになる。

こだわり・律儀・苦労性 どうして私たちが
 こだわり・律儀・苦労性の反対語はそれぞれ、おおざっぱ・移り気・楽天的とでもなるだろうね。前者は静的で、後者は動的。
 数万年前からのことらしいが、日本列島に人々が渡ってきた頃には「動」の要素を豊富に備えた人が多かったと思われる。先へ先へと移動しながら切り拓いて行かなきゃならないから。アメリカの西部開拓の様子と似たところがあるかな。長く続いた縄文時代の土器を見ると、荒々しく燃え上がるような力動感に圧倒されることがある。
 これがかなりのペースで「静」に入れ替わってきた。ついに列島に伝来した稲作というものが潮目のように作用したのだろうね。弥生式土器は、縄文式のそれとは対称的なほどに薄くて静的だ。君も感じたことがあるんじゃないかな。
 75%が山地という狭隘な列島で安定した食べ物を得るには、単位当たり収量の高い水田稲作が有利で、ことに棚田を作って守るとなればなおさらのこと、おおざっぱや移り気では済まない。入念な見積もり、石垣の積み上げ、水の按配、何よりも共同作業と互いへの気配りが必要だ。ちょっとした不注意が「水争い」になったりするからね。
 米の出来高が土地土地の経済力の基準指標となり、時々の統治者たちが米の生産を漏れなく握っておきたいと図るにつれ、人々の関係も固定されてゆく。年貢をきちんといただくためには、作り手がやたらに動き廻ってはまずいもの。
 広い平地の拡がる大陸の国々よりも、動から静への変化は大きかったはずで、こうした淘汰の積み重ねが現在の日本の人々の特性となって繋がっている。どうだろう。考えられないことじゃないよね。

静かで良いのだ
 何回も言っていることだけれど、勿論、日本人といっても様々なタイプがあり、動的な個性を持つ人は沢山いる。それ故に目立つ人も居るわけで、例えば、6つの大陸の最高峰に単独で登頂した登山家も居るし、北極圏で行方不明になってしまった冒険家も、独りで太平洋を往復したヨットマンもいる。お茶の間に無遠慮に入り込んでくるテレビタレントやコメンテーターなども沢山いる。限られた時間にこじゃれたことをどれだけ思い付けるかを競い合うから、まるで躁病者のパーティーのようにかしましい。それもどんどんエスカレートして行く傾向がある。何時テレビのスイッチを入れてもパーティーが開かれているから、騒いでいる方がノーマルで、こちらの方がずれているのではなかろうかと錯覚されてくるほどだ。
 そうかな。ノーマルかな。あの種の競争の裏には、○○事務所、××歌劇団といった裏の表情があるよ。つけこみ、つけこまれる。泥の中でのたうち回っている。SNSの悪乗りユーザー・・・地獄だぁ。

 律儀、苦労性、こだわる・・・これに徹すれば徹するほど人の中に埋もれて目立たなくなるけれども、これはこれで悪いことじゃない。
 災害大国でもあるこの国には、地震、津波、噴火、集中豪雨などが頻回に起こるが、そんな時にそれがはっきり出るんだと思う。人々は静かでパニックにならない。どさくさに紛れて強奪を企む者もいない。列を作って水を待ち、炊き出しなどをして助け合っている。驚くべきは、多くの人が次の日から生活の立て直しを口にすることだ。「いのちてんでんこ」というのは「自分のことをまっさきに考えても良い時があるんですよ」と伝え合おうとしているのだと思う。

流されても良い 溺れないようにしよう
 日常が情報戦の様相を呈しつつある現在において、テレビ、スマホ、タブレット、ゲームなどを規制することは無理であり、というか、それらは既にヒトにとってブラックホールのような存在になってしまっていて、今さら手放すことは不可能だろうと思われるんだ。
 そうした状況の副産物として、近視、肥満、総合体力の低下、不登校、引きこもりなどが増加しつつあるというのは、程度の差はさまざまにしても世界中の子供や若者に見られる傾向なのだろうね。利便性という自転車に乗ってしまったら、進み続けていないと倒れちゃうもの。
 少し前、小学6年生の教室を写した大きな写真を新聞で見た。27人中12人がメガネを装着しており、学童たちは私たち老人が小学生だったころと比べて、はるかに大人びて見えた。スマホに付き合い込んでいれば、なんだって知った気分になってしまう。彼らのほぼ全員が笑ってはいたが、その水晶体が既に弾力性を失いつつあり、心も疲れているのではないかと気を廻してしまった。利便性に流されても仕方がないのだろうけれど、失うものも大きいことを知っている必要があると思うよ。

 私の取りこし苦労かなぁ。それにつけても、日本の若者に特有な色味ではないかと妙に気になるところが有る。
 ・・・縮みゆく日本、沈みつつある日本・・・と繰り返し聞かされているせいか「将来に明るい希望は持てない、成功の保証の無いものにはチャレンジしたくない」と君たちの多くは感じている。同時にその一方で「社会のために役立つことをしたい」と願っている若者が少なくないという。・・・ということは「自分では決められないけれども、誰かが方向を示してくれればそれを支えたい」ということなのかと深読み出来なくもない。
 これは危ないのではなかろうか。誰が方向を決め、何に追従することを求めようとするのだろう。君たちはどういう社会のためになりたいのだろう。それをどうして自分たち自身で決めてはいけないのだろう。近視でも話し合いや投票は出来るものね。

 さらに、「気になる」では済まない現実がある。切ないな。
 この国の10代から30代までの若者の死因の1番は「自殺」、次いで「不慮の事故」つまり交通事故・転落・水難・中毒などが2番となっている。

 先進国(G7)では、この順序が逆なんだ。日本の社会は気配りが行き渡っていることから事故が未然に防がれており、そのために自殺がトップになるのだろうと考えようとしてみたが・・・違うんだ。若者人口当たりの自殺率そのものが、諸外国よりも目立って高いんだ。

ちょっとした心得で、それぞれの将来は開く 幸せてんでんこ
 何度も触れているように、律儀・苦労性・こだわりに傾いているという特性は、極東の小さな島国が世界に向けて特異な文化を発信してゆける基盤を支えているのであって、それはそれで悪いことではない。素晴らしいことだよね。それで日本は浮いていられるのだろうから。
 ここで、あまりに内向きになりすぎて固まってしまうと、君も仲間も沈んでしまうんじゃないかな・・・。
 どうしたら良いだろう。一人一人の問題なんだ。長く生かされて生きてきた一人の老人として、ささやかながら何かを伝えられたら有難いと思うよ。

・決めつけないようにする 上手に比較しながらゆっくり歩く
 「どうせ、私は・・・」と決めつけるのは・・・×
 「ひょっとしたら、私は…」というのが・・・〇
 「どうせ私は嫌われ者だ」とか「どうせ私は役立たずだ」という決めつけは、比較する相手と方法が間違っているところから生まれる。
 何を真・善・美とするかという基準、それを求めるために知・情・意をどのように使ってゆくかは君がこれから迎える時とともに君の内面で変化してゆく。
 私事になるけれども、最近、或る老婦人(実は私の妹)が川柳とも俳句ともつかぬものをメールしてきたことがある。
  〜百合でなく 牡丹でもない人 ゆったりと〜
「美人であることにはあきらめて、その代わり、世に通用するように少しずつ生き方を工夫してゆく。これが何よりだと気が付いて、この頃はゆったりしています」とのことだった。
 ほらご覧。普通の多くの人々が、多少の努力を続けながら、自分の芯になりそうなものを探し続けて、そしてささやかにゲットしているんだ。

 「決めつけ」が「思い込み」となり、さらに「思い詰め」というふうに煮詰まると厄介なことになる。背を向けて独りで煮詰まっているのは周囲には分かりにくいので、集計によれば、学童の自殺の原因のおよそ半分が「不明」となっているんだ。
 ちょっと心を開いたら、「どうせ…」を「ひょっとしたら…」に変えられるかもしれない。心を開くコツの、少なくとも幾つかは次のようだ。

・少しずつで良い 動いてみる
 「思い詰め」の背景には「・・・誰も分かってくれない」「・・・何処にも居場所が無い」「・・・相談できる人が居ない」といった「孤独感」がある。それで「共感」や「信頼関係」の有無というのがキーワードになってくる。
 共感と信頼というものは何処から生まれるものだろう。
 赤ちゃんが泣く。チッチなのかマンマなのか、お母さんの推測と赤ちゃんの期待は一致したりすれ違ったりする。それを繰り返しているうちに、だんだんビンゴが多くなる。互いにコツが分かってくるんだ。「いい子ねぇ!」・・・赤ちゃんもお母さんもニコニコ・・・これが共感と信頼の芽生えと基本。
 単管パイプで足場を組み上げている職人さんたちの作業ぶりを見たことがあるだろ。鉄のパイプは結構に重いものだ。一人が一本を投げ上げる。それが頂点に達して、あわや落下というきわどいタイミングで、上の人が掬い取るように手を伸べて受け取る。絶妙なリズムの連続で、言い換えれば信頼の積み上げで、足場はたちまち張り巡らされてゆく。
 どうして親子はしばしばキャッチボールを好むのだろう。「言葉のキャッチボール」というのは、何処から生まれた表現かを思ってみよう。
 一緒に何かを経験すること、身体を動かすこと。一緒に汗をかくこと。これが基本のキなんだ。
 君は家事手伝いが出来ているかなぁ。食器の片づけ、新聞取り、ゴミ出しといった簡単なものでも家の空気を何処かで微妙に支えてる。お母さんと一緒に動いているんだ。まして、みんなの靴磨き、お使い、庭の草取り、ペットの世話、DIYの手伝いなどを引き受けられてるとすれば、お父さんお母さんはニッコニコ。手を抜いたら小言を言われることはあるだろうけれど、こっぴどく叱りとばされるということはあるはずがない。

 ところが、「あるはずのないこと」が起こることが残念ながらあるんだ。稀なことだけど。
 暴力やネグレクトといった「虐待」を受けることがその一つで、赤ちゃんの頃に作られているはずの「基本的信頼感」の歪みが根っこになっていることが多い。君と両親とのミスマッチングの最悪な結果だと言えるんだろうね。
 それが君に起こっているとしたら大変だ。クモの糸のように細い命綱にすがりながら、別の土俵で新しいマッチングをまさぐらなければならない。大変なことだけど、命綱の先を握ってもらえるのは、血のつながった親でなければいけないという訳ではないんだ。
 短くても一緒の時間を過ごせる相手を見付けること。それも容易であるはずはない。当人は「自分が悪い子だからこういう目に合う」と思い込んでいることが多いから、なおさら勇気が要る。
 けれど、一本の電話を掛けることから新しい信頼関係が芽吹くかもしれない。電話をかけることも身体を動かすことだから。チャレンジしてこそチャンスは生まれるんだ。
 いじめ? 親とのミスマッチングに比べればヘノカッパ。共感と信頼関係のこじれだから、対応の基本のキは同じ。あれこれと悩んでいるよりも、家の手伝いのことに立ち返って見て・・・これが出来ているなら、しばらくはお父さんとキャッチボールをしたり、お母さんと散歩したりしていれば良いんだ。出来ていなければ、どんな小さなことでも良いから始める。先ずは自分の巣穴というかホームベースを堅めないとね。あとはしばらく待つ。この私でさえ乗り越えることができた。

・細くて強い神経を
 偉そうなことを言ってる私も、何年か前までは「図太い神経」に憧れていた一人だった。ああではないか、こうではないかと何時も周囲をおもんばかっていて、言いたいことやりたいことがあっても、つい立ちすくんでしまう。そして「あの時ああすれば良かった、こうすれば良かった」と後悔ばかりする。
 そんなふうでも、私は齢を重ねることができた。だんだん分かってきたことがある。消極や引っ込みは相手を傷付けることがあり、例えば「だんまり」は相手を疑うというジコチュウな行為。これまで、どれほどの人がそれを許してくれていたことだろう。
 「間違っているかもしれないけれど・・・」と自分の思いをはっきりさせて動くように少しずつ努めることにした。少しずつではあったが、それにつれて「自分なりに頑張っているのだ」という肯定感が増してきた。
 「細い神経」というものは生まれつきのところが多いのだろうが、それを「強い神経」に変えてゆくことは可能であるらしい。「太くて強い神経」は当たり前だろうけれど、「細くて強い神経」はちょっと格好いいものだよ。違うかなぁ。

・生への畏敬
 かれこれ二十年ばかり前のこと、無残な方法で二人の子供を殺めて日本中を震撼させた少年がいた。その少年の表現によれば「ヒトもキャベツも同じだ」というのだった。
 軽く見られたね! 先ずはキャベツに失礼だ。植物はその場に居たままで、昼間は光合成をして糖分を蓄え、夜はそれを燃焼させて成長してゆくことができる。代謝のサイクルが完結しているから動かないで済む。ヒトを含む動物は植物の作り出したものを当てにしないと生きてゆけない。ヒトよりもキャベツの方が優れたところが有るんだ。
  〜オケラだって ミミズだって アメンボだって 
       みんな みんな生きているんだ 友達なんだ~
 知ってるだろ。この唄には多くの小動物が出てくるが、植物は登場しない。可哀そうに、手落ちだよねぇ。
 現在の地球には3000万種ともいわれる生命体で満ちあふれている。そのどれもこれもが生きようとするエネルギーで張りつめているからこそ、命の炎をバトンしながら、絶滅を逃れられて今に続いているんだ。
 君もちょっと調べて欲しい。この惑星上の生命は、何十億年も前に、生きるための「不敗の戦略」ともいうべきシンプルで優れたシステムをゲットすることができ、それをみんなが便利に使い廻すことになった。そいう意味では、ウイルスを除いて、地球上の生き物は1種類なんだ。
 動物が植物を食べるのは共喰いとも言え、本来は責任を伴うはず。私たちは「いただきます」とよく言うけれど、命あるものへの慈しみと感謝とを保つためには、おざなりであってはいけないと思う。命のいとなみというものに鈍感であるものが、自らも幸せになれるはずはないよね。
 
・流されても 溺れなければ良い
 今の世、押し寄せる情報の量に流されないようにするのは不可能なことだと思われる。ただ、要領がある。頭を先にして流されていると岩にぶつかって致命傷を受けることがあるので、脚の方を先にして出来るだけ辺りの様子をうかがいながら流されること。流されるのに頭を使う必要はないじゃない。
 お金に振り回されるのは最高に悲惨だぁ。地獄の窯でアップアップしていても、なお追いかけられる。お金は不思議なもので、有っても無くても人を振り回しにかかる。
 が、若い君には信じられないことだろうけれど、金銭には換算できないものが確かにあるんだ。負け惜しみではないけれど、私たち老夫婦はそこそこに頂いている年金で日々を送っているが、いまが一番幸せだと思っている。何をどうして・・・笑われそうだから教えない。
 苦労性をそのままに、律儀に、こだわりながら齢を重ねていたら君にもきっと見付かるだろうから、まあ頑張ってくれたまえ。

終わりに
 よくまあ、ここまで付き合ってくれたね。
 最後に、また比較の話に戻って明るく終わろうと思うんだ。

 私は東京都多摩地区の片隅で後期高齢の日々を送っているのだけど、ラッキーなことに、車で4分半ほどのところに「秘密基地」と云えそうな場所を見付けることができている。そこは、私にはぴったり手頃な大きさの菜園、ケヤキとヤマザクラが作ってくれている木陰、ウグイスが鳴く雑木林、トビが舞う多摩川中流の空・・・といったものに恵まれている。どれもこれも私のものではないけれども、楽しむことは出来ているから、そんなことはどうでもいいことなんだ。駐車スペースもあって毎回使わせてもらっているが、「駐車は遠慮願います」と書かれた古びた札が立っているものの、一度も咎められたことはない。今どきの東京でだよ。地方に出かけた時でもうっかり車中泊なんかしてごらん。ちょっとした空き地で寝ていて職務質問されたことがある。
 というわけで、今の都内でも、いつかヨーロッパで見て憧れた「クラインガルテン」をゲットできることがあるんだ。

 ある高名な学者のシミュレーションによると、これから100年もすると日本の人口は江戸時代並みの3000万人に減少するのだそうだ。よく聞かされるように「GDPのランクが後退する」「国際競争力が落ちる」といようなマイナスばかりだろうか。違うな。
 日本は亜熱帯から亜寒帯までを占める細長い列島で、その広さは37万8000㎢。残念ながら平地は20%ほどしか無いが、その半分ほどは農耕地として残されている。つまり400万ha前後は農耕地としてこれからもあり続ける。これを人口の3000万で割った1300㎡が一人当たりの耕地面積となるわけで、これはおよそ400坪に当たる。計算に間違いがなければね。
 一方「100坪の田があれば飢え死ぬことはない」とは昔から言われていたことで、なるほど江戸時代の日本は食料の自給率は100%であったことが頷ける。だから100年後の日本は、オイルショックだろうとガスショックだろうとリチュウムショックだろうと、GDPや競争力が落ちようと‥・大丈夫、飢えることはない。日本は縮んでも沈んでしまうことはないんだ。
 首都圏であっても空き家や空き地がどんどんと目立つようになるはずだ・・・人が抜け落ちるのを「スポンジ化」と言うらしい・・・例えば「多摩ニュータウン」なども、集約すれば広大な地面を公共的に活用できるはずで、こうしたことが現行の法制下では難しいとするなら、どのようにしたら公正に役立てるかを考えるのは君達がしなければいけないことだ。ほら、参画しなければいけないことは身近にある。それぞれの秘密基地やクラインガルテンがかかっているんだ。生活の質の問題だよ。
 100年という時間は瞬く間に過ぎるけれど、その時、耕作放棄地や空き地がやたらに増えてゆくばかりで、あるいは海も痩せたままに放置されていて、生産の基盤があるにもかかわらず3000万人分の食糧が自給自足できないとすれば、残念ながら私たち日本人は江戸時代よりも心身が退化してしまったのだと言わざるを得ない。武蔵野が再び原生林に還ってゆく様子を想像するのは、楽しくないことはないけど。

 「退化」や「萎縮」に流され勝ちというのは、いわゆる「マインド」が係わるところが大きいと思うんだ。知らず知らずに自己催眠に掛かっているのだろうかね。
 国際情勢というものに絡んで、例えば大国「ロシア」を思い浮かべてみる。あの国の国土は世界最大で地球の陸地の13%を占め、ユーラシア大陸の北をヨーロッパから極東まで、なんと日本の45倍もある。それでいてなお、西方にも東方にも、強引に拡大しようとしているように見える。北方領土など、とてもではないが、返してもらえそうな気配はない。
 ロシアと聞いて私たちが思い浮かべるのは、先ずはプガチョフ、ラスプーチン、ロマノフ王家、スターリン、プーチン、プリゴジン、ナワリヌイといったふうで、いずれも、反乱、独裁、革命、粛清、暗殺といった陰惨なイメージを伴わないでは済まない。トルストイ、ドストエフスキーという名前さえも私には重い。
 「ツァーリボンバ」と呼ばれる水素爆弾に至っては、広島型原子爆弾の3300倍もの化け物で人類史上最大の兵器とされ、これが爆発した時の衝撃波は地球を3周したという。その孫のような大量殺人兵器を「必要があれば何時でも使う」とプーチンは言ってる。おそろしや、おそロシア!

 これは本当なのだろうかね。私たちが勝手に、あるいは、あの国の巧みなイメージ操作に乗せられて作り上げてしまっている虚像では?
 国土の60%が永久凍土であり、80%はヒトが住むのは難しい風土だという。これだけで、日本の45倍という大きさが一気に9倍というレベルに縮んでしまう。残された国土も生産性は低いだろうから、実態は更に縮むとさえ考えられるよ。
 広いだけに天然地下資源には恵まれており、技術の進歩によって採掘現場は点と線で繋がりながら荒野を北上するのだろうが、それらの間の広大な原野はそのまま。そこに取り残されるように、180以上もの少数民族が薄く広がっている。これらを纏めてゆくには中央集権的で強力な統治機構が必要であるだろうことも頷けるようだ。かつてのツァーリ、ソビエト、現在のプーチンもそのように行動して束ねた。独裁国家は脆そうに見えるから、他の独裁者に狙われることがある。ロシアは北へ北へと撤退を繰り返すことで、ナポレオンにもヒトラーにも負けなかった。勝利をもたらしたのは、永久凍土を含む荒野だったんだ。
 ロシアを支えているのは不毛の凍土であり、凍土をこの世から消し去ることは不可能。けれど、凍土は本来受け身であって攻撃的でも侵略的でもない。
 ロシアと付き合うコツはここにあるのではないかな。やたらに怖れるのではなく、大きさの実態を掴んで凍土を開発するウィンウィン関係を広げてゆくことだろうね。プーチンも言ったことがあるよ。「引き分け」だって。
 そうだ、ロシアはしばしばクマに例えられる。なるほど、ピッタリ。クマは力強く、飢えにも強いが、猜疑心も強い。当方は何処で何をしていて、何を希望しているかを常に伝えて、いきなりの鉢合わせを避けることだよね。

 パラドクスが言われることがあるよ。
 〜やり残したことがあるからこそ死んでゆける〜
 どういうことだろうね。「希望」ということがキーワードになると私は思うんだ。
 どんなに頑張っても、やり残すことは必ずある。それを未来と後進に託すことを希望という。明るい未来を信じられるから死んでゆける。これが成り立つ条件は、どんなにささやかなことであっても、やっていることが未来に託するに値するものであること・・・。
 こだわり・律儀・苦労性を醸しながら生きることには価値がある。そういうわけで、ここまで付き合ってくれた君に未来を託します。よろしくお願いします。

この光景 Forever  冬編

 

 何時までも、こうした光景が見られますように・・・。
 思い当たるままに、身近に見られる光景を季節ごとに分けて並べています。
 に続いて、冬の景色として「ツグミたち」「エナガの群れ」「コサギの群」  を挙げてみました。

餌をあさるツグミの群れ
 ツグミは、ユーラシア大陸の北東部のシベリアなどで子育てをし、秋も深まると南下して日本列島などで越冬する、存在感のある中型の鳥です。
 海を渡って日本に到達し、背骨のように連なっている山々を越えるまでは大きな群れを組んでおり(旅の安全のために有利)、冬が深まるにつれて群れを解いてほとんど一羽ずつに分かれて過ごし、やがて北に向かう時期になると再び集合して行動するようになります。
 群れて落ち葉の下の木の実を食べ合っている光景は初冬のもので、夢中になって旅の疲れを癒そうとしているように見えます。


残り柿を食べるツグミ

 ツグミたちは、残り柿が一番甘くなるタイミングを心得ています。柿が熟れ切って落ちてしまう直前に、これからの単独生活を思っての別れの宴を開いているようです。


エナガの冬

 エナガは、小さくモコモコしていて、飛ぶマシュマロといったふうです。寄り目がち、短いクチバシ、ずんぐりした胴、長い尾(柄杓の柄のように長いのでエナガ)などが合わさってなんとも言えない愛嬌を発散させていますが、ヒラリヒラリと枝を移ってゆく動作にも独特なリズムがあって、見る者をホッコリさせてくれます。

 可愛いばかりではありません。種として今を生き抜いている強さをやはり備えています。別名をタクミドリ(匠鳥)と呼ばれることがあるように、クモの糸を使って苔を織り上げて花瓶のような形をした頑丈で精緻な巣を作りますし、外敵に襲われるなどして子育てが頓挫すると、そのペアは子育て中の他のペアをバックアップする習性があります。健気で逞しくもあるのです。

コサギ 春はもうす
 日本に棲息する白いサギはダイサギ、チュウサギ、コサギというように、可哀そうに、あまり詩的とは言えない名前が付けられています。
 コサギはカラスの脚を長く伸ばしたほどのサイズですが、小ぶりをカバーするように、兄貴分たちとは違った習性を備えています。⓵じっと留まって待ち受けるというより、積極的に動いて獲物を探す。脚を震わせて隠れた魚や水棲昆虫を狩りだすようなこともする。②大きな群れで行動することがある。
 ここに挙げた光景は、春はもうすぐという頃、おそらく、アユの稚魚の大群が海から川へと遡上を始めるのを狙っての宴会であるようです。

この光景 Forever 秋編


この光景 Forever

 私たちの列島は、龍が横たわったように南北に細長く伸びているので、亜熱帯から亜寒帯までの自然がうまく連続し、四季が豊かに現れます。
その7割ほどが複雑な形をした山地であることから、例えば秋、「こんなに多くの鷹たちがいったい何処に住んでるの?」と思われるほどの「鷹の渡り」と言われる光景が各地で見られます。秋晴れの向こうの連山の上に「蚊柱」ならぬ「鷹柱」が立って巻き上がるありさまは、心が放たれるような感動を与えてくれるものです。

 夏編の続きとして、「樹の上で獲物を食べるミサゴ」「薄の群生や林」「秋のカワセミ」「和太鼓の練習」など、秋の光景を幾つかピックアップしてみました。
どれも身近なものですが、当たり前のようでいて、なかなかそうではありますまい。ミサイルやドローンや砲弾などが飛んでこないこと・・・これは勿論ですが・・・私たちが注意深く守ってきた平和と平穏の全体が収斂して、こうした光景となって現われているのだと言えそうです。誇りに思います。

ミサゴ
ミサゴは、猛禽類のうちでも、もっぱら魚を捕らえて食べるように特化した種類で、空中でホバリングして狙いを定めるや、さかしまにダイブして水面下かなり深くに居る魚を抜き上げるという特技を持っています。
ここに見るミサゴは、折角の獲物を樹の上まで担ぎ上げられたものの、ご馳走が大きすぎてバランスを取るのに苦労しています。
大きな翼を盛んに煽り上げていますが、もったいを付けたり、見せびらかしているわけではありません。ご馳走をテーブルに按配良くセットしようとしているのです。


プランクトン・・・水棲昆虫・・・魚・・・ミサゴ・・・やがてみんなが再びプランクトンに・・・。この連環が何時までも、自然のままに保たれて続きますように。


ススキの穂が風に揺れるありさまは、それこそ見慣れた光景です。
けれど、それを順光で見るか、逆光で見るか、背景は・・・そもそも尾花の色味や透明感が、株によってあるいは季節の進み具合によって千差万別であるので・・・ふと立ち止まってしばらく眺め入ってしまうことがしばしばあります。

 花穂がそよぐ様子が、深海のクラゲか何かの乱舞を見るように幻想的であることさえあります。

秋のカワセミ
「ツー」と鳴きながら一直線に飛ぶのが、翡翠の弾丸を見るように心躍るものですが、ここは、枯れて垂れ下がったカラスウリか何かの蔓に止まって魚を探しています。
クチバシの下側が赤みがかっているところから、メスであることが分かります。

またの日、おそらく同じ個体ではないかと思われますが、水面に張り出した藪の窪みで休憩しています。枯葉の影が背中にタスキを懸けたように落ちており、あたりが照り返しに映えています。

和太鼓の練習
 このあたりに伝わる「のろし太鼓」の保存会の皆さんです。楽しそうです。
太鼓は誰が叩いても音は出るものの、それを聞かせるまでにするには、大層な練習が要るのだそうです。秋の休日、河川敷の堤防の脇は、合奏の合わせにはうってつけの場所なのでしょう。

 

この光景 Forever 夏編


この光景 Forever

 ほんの少しを身近から抜き出しただけでも、ここに並べたような光景がそこかしこに見られる・・・なんでもないことのようですが、なかなか、そうではありません。私たちは誇りとすべきだと思います。

 極東に位置する天然資源少なく自然災害多い気難しい列島。これを上手に運用して浮いていられるのは、この国に住む人々の資質と努力のみがよくするところだと感ずるのです。
 このところしばしば、「・・・縮みつつある日本・・・」というようなことが言われますが、そんなことに煽られることはありません。量よりも質の問題です。縮んでスリムになっても、沈まなければ良いのです。
 私たちは憲法前文に謳われている「・・・国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ・・・」を長い間を懸けて具現してきました。今迄と同じように平和を保って堅実を積み上げてゆければ、特異で上質な文化を世界に向けて発信し続けることができるのです。浮いていられます。間違いありません。

朝の河川敷運動公園 夏
 この夏は猛暑の日が続きましたが、朝の陽射しが未だ斜めである頃を選んで、季節を楽しんでいる光景がありました。習慣のようにしているそうです。
 登場する方々とワンチャン達には、動画を撮した直後に見ていただいて、ここに掲載する許可を得ています・・・。

折からの猛暑を忘れさせるような透明感と素敵なエチケット


 

サギと少年たちの夏
この頃の学校では、このような川遊びは推奨していますまい。
少し冒険したのでしょうが、きらめく流れとサギたちに恵まれて・・・うらやましい夏休みです。

 私が学童だったころには、もっぱら、木曽川の水源近くの本流で水遊びをしました。「夏でも寒い」と木曽節にあるように、水温は高くても19度前後で、ほんのしばらく川に入っていると唇が紫色になって身体の震えるのが止まらなくなりました。子供たちは声を揃えて歌ったものです。

   テントサマ テントサマ
   お手紙あげるで お湯おくれ
   山ばっか照って 川ばっか照らん
   川の神様 泣いている

 

夏の朝のキセキレイ
 キセキレイが美しい小鳥だとは承知していましたが・・・。
水鏡に映えて、素晴らしく端正です。
私たちを取り巻く環境の全体が、こんな光景を支えているのです。これからも、ずっと続くでしょう。