自分が嫌いな君へ 幸せてんでんこ

 

安心して良いよ 若者の半分は君のよう
 私と妻も後期高齢の日々をよたよたと送りつつある老人だけれど、実は二人ともかつては君と同じ側のグループに属していた。それが「今が一番幸せだ」と思っている。ボケのせいもあるだろうけれど、そればかりではないと思う。よかったら、お付き合いをお願いしたい。

 君は、何かにつけ周囲と比較しては、「・・・やっぱり敵わない」としてしまうのが癖になっているんじゃないかな。昔の私たちもそうだったように。
 内閣府の調査によると、毎回のこと、「自分に満足していない」と感じている子供や若者(9〜29歳)は半分近くにも達し、これは諸外国と比べると際立った特徴なのだそう。
 ・・・将来を悲観的に捉える・・・失敗する可能性のあるものにはチャレンジしない・・・結婚を必ずしも望まない・・・今の社会を変えられるとは思わない・・・といった意識も同程度に高いのだそう。
 独りよがりの自惚れよりもよっぽど良いことなんだろうが・・・苦労性というのかな。物事を実態よりも深刻に受け取り過ぎているかもしれない。

    〜雨ゃぁ降って来る 屋根の薪ゃぁ濡れる
              背中の餓鬼ゃぁ泣く 飯ゃ焦げる〜
昔・・・といっても、ほんの少し前までは、幸か不幸かこれで済んだ。とおに逝った私の母もそんなだった。山ひとつ向こうのことは知ることができなかったから。今はどうだろう。
   〜西に火事ありゃ 東にゃ地震
       オレオレ ひき逃げ 人殺し
             セクハラ パワハラ ジェノサイト〜
 それこそ朝から晩まで、現在の私たちは圧倒的な量の報道にさらされ続けているわけだけれど、それを私たちは真正面から受け入れて生真面目に憂え、実態を掴むよりも薄暗いムードとして蓄積してしまう傾向が強いようなのだ。そうした私たち日本人の特性を明らかにしている数字があるよ。

 毎年まとめられる「犯罪白書」によると、少年非行は著しい減少傾向にあり、なんと現在、1983年のピーク時の10分の1にまで激減している。少年院がどんどん統廃合されているんだ。
 ところが、定期的に為されている「少年非行に関する世論調査(内閣府)」によると、国民(成人)の80%近くが「非行は増えている」と感じているという結果が出ている。近年4度にわたって少年法が厳罰化の方向に改定され、どこそこで防犯カメラがやたらに増殖しつつあるというのは、こうしたムードの後押しがもたらしたものだろうね。何処へ行って何をしたかが全部記録されてしまう。こせこせと動き廻るつもりはないけれど、不気味だよね。
 少年非行ばかりではなく、社会全体の治安は悪くなりつつあるというのが私たちおおかたの感じ方で、実態と認識との乖離が生じている。国際的に見て、かなり珍しい現象であるらしい。犯罪率などに基づいた客観的評価では「社会の安全世界2位」である国が治安を心配しているんだよ。

不思議な国 ニッポン
 似たようなチグハグは他にも幾つか見られるよ。
 「対外純資産(海外に持つ資産から負債を引いたもの)」が32年連続世界最大。次いで、生活の質・文化的発信力・ビジネス環境など10項目にわたる採点で「世界のベストな国」の最上位クラスにランクイン。そして何といっても、社会の質の集大成と言える「平均寿命」が世界のトップ。
 ところが、主観的な自己評価を中心にして「世界の幸せな国」をランク付けてみると、日本は世界の国々の中で60位あたりを、つまり、途上国どころか低開発国といわれているレベルを浮いたり沈んだりしている。不思議なことだよね。まるで、日本という国は二つあるようだ。
 ちなみに「幸せな国」の上位にはヨーロッパ諸国がずらりと並んでいるが、その頂点を北欧のフィンランドが常連で競っている。そのフィンランドといえば、都会にはシェルター(避難壕)が人口よりも多く作られていると聞いているが、人々はそんな緊張を含んだ状況を主観的には「幸せだ」と感じているらしい。国民性、民族性というのは不思議だね。
 勿論、日本人といっても色々なタイプが居るわけだけど、全体としての色付けは、こだわり、律儀、苦労性といったものに傾いているとして良いようだ。

 ジャーナリストは、劇的に劇的にと情報を加工しようとする。注目されないと彼らは食べていけないから・・・。こういう癖がエスカレートして「大衆はこの世ならぬものを見たがるものだ」などと公言してはばからないジャーナリストが実際に居る。気を付けないとね。
 劇的に色付けされた情報の波にそのままに打たれ続けていると、深刻に深刻にと感覚が膨らみはじめて、実際には何が起こっているのかが判りにくくなるのだろう。そして、律儀という特性のせいか、私たち日本の大衆はメディアに対する信頼度が高いというか、つけこまれ易いようなんだ。

どうせ比べるなら いっそ開き直ってみよう
 いっそ、あの大谷翔平さんと比べてみよう。彼は君の倍も背が高いですか。倍も速く走れますか。
 そんなはずはないのだけど、まあ良いです。大谷翔平という人は、持って生まれた天分というか性能を君や私なんかの3倍を備えているとします。とりあえず、私たちは10、彼は30。
 話は飛んでちょっと古い話になるけれど、あのゼロ戦のパイロットとして太平洋戦争を闘い抜き、敵機64機を撃墜して生き残ったという坂井三郎というエースは「・・・戦闘機乗りは最後に頼るものは自分以外にはない・・・自分の精神、智能、体力をその極限と思われるところまで鍛えに鍛えてみた・・・大部分の人たちは自分が持って生まれた性能の平均30%くらいを使うだけでこの世から去っていってしまっているのだと私は思う・・・」と回顧録に書き残している。なるほど、そんなものかもしれない。耳が痛いな。
 大谷翔平さんはものすごい努力家らしいから、仮に自分の性能の90%を出し切れているとすれば、結果は30×0.9で27。君も頑張って90%は無理にしても50%を引き出すことができたとすれば、10×0.5で結果は5。
 なるほど、この差は大きい。5倍以上だもの。
 さらには、この5倍の差を「別格だ!」「人間離れしている!」と大勢の人達が仰いでいると、5倍どころか途方もなく膨れだすことがある。勝手に膨れだすのではない。ヒトの集団というものは、一定の枠を超えたものにカリスマ性を与えて、大空にゆらめくオーロラを見上げるように、有難くおののきたいという習性があるらしい。これも不思議だよね。
 大谷選手のオーロラの巨大さを金銭に置き換えて見ることもできそうだ。彼のこれからの10年間には1000億円超えという値段が付けられたという。日本人の平均年収がおよそ400万円だとすると・・・計算が間違っていなければ・・・なんと2500人分だぁ!
 彼にはさらにCM出演などによる収入がある代わりに、累進で高額税金を取られると事情があるわけだけど・・・まあ単純にね。

 ここで腰を抜かしたままでいると、400万円すら得られなくなってしまう。オーロラに飲み込まれない別の見方もあると思うよ。
 稀な天分と努力とが掛け合わされると、大谷選手のように空一杯にオーロラを乱舞させるのも可能なことがあるけれど、1シーズンを続けると腕の手術を受けなければならないという非情な仕事であることから分かるように、それを長く続けることは出来ない。戦闘機のパイロットがぎりぎりに張りつめた空戦を何年も続けることが不可能なように・・・。
 大谷選手が仮に10年間を輝き続けることができたとすると、27×10で270が積み上げられる。君がコツコツと精進して、こだわり、律儀、苦労性といったものを50年間溜めたとすると、5×50で250を積み上げることができる。50年間には複利が付くとしたら、もっと近づくかな。ほら、ほとんど同等。あの大谷翔平さんとだよ!

 君はオーロラのように輝くことはできないけれど、例えばウルシ塗りの食器のように深い艶を発するようになれる。いろんな分野で、現場で、君に似ている多くの人がやっていることなんだ。
 日本の「アニメ」はどうして無敵なのかを考えてみよう。和食、発酵、陶芸、木彫、盆栽、農芸、造園、養殖、音楽、舞踏、剣道、柔道、空手道・・・そしてノーベル賞、極め付きはイグノーベル賞・・・水道や電気や流通といったインフラを精緻に支えている現場の人々・・・等々、ああキリがない。こうしたこだわりと発想の積み上げは、誰がどのようにしてもたらしているものかを考えてみよう。
 私たち日本人は自然と向き合う時、それを克服しようというよりも、それを身近に取り込んでエッセンスを見出だそうと入れ込むからね。こだわるんだ。良い民芸品が多いわけだ。
 「ここにこそ自分の居場所がある」と探し当てた分野で、それぞれの現場で、自分が汗を流している処で・・・腕利きの職人、名人、達人の域に達している人はそれこそいっぱい居る。

 飲み込まれないようにと言えば、次のような見方もあると思うよ。
 例えば、ウラジミール・プーチン、習近平、金正恩といった強権政治家たちはどういう人達だろう。こうした人たちは何万人分の金銭どころではなく、数千万人数億人を統治する権力を握ってしまうまでになっている。彼らが演説する舞台の背景には体制の安定や戦争のために犠牲にされた膨大な血の池が広がっているわけだが、後ろに立つ亡霊が一定の数を超え、責任ある当人がシレッとしていると、人々は「人物が大きい」と錯覚して、そのカリスマ性を仰ぎ見ることになる。そこにつけこまれる。
 彼らは、君や私の5倍も10倍も賢くて大きいのだろうか。ちがうなぁ。何かが欠けているために大きく見える可能性があるよ。
 ナポレオンは、脇に立っていた部下の士官が飛来した砲弾で真っ二つになったのを見てカラカラと笑ったという。彼ら「大物」に欠けているのは、おそらく「恐怖心」そして「生への畏敬」。
 「他人はこの私に貢ぐために存在する」と思い込んでいる人を冷血者と呼ぶのだそうだが、その特徴は恐怖心が無いこと、後悔しないことであるらしい。なにが起こっても動じないわけだ。
 気を付けよう。奇妙なものを選んで持ち上げていると、とんでもない目に合うことになる。

こだわり・律儀・苦労性 どうして私たちが
 こだわり・律儀・苦労性の反対語はそれぞれ、おおざっぱ・移り気・楽天的とでもなるだろうね。前者は静的で、後者は動的。
 数万年前からのことらしいが、日本列島に人々が渡ってきた頃には「動」の要素を豊富に備えた人が多かったと思われる。先へ先へと移動しながら切り拓いて行かなきゃならないから。アメリカの西部開拓の様子と似たところがあるかな。長く続いた縄文時代の土器を見ると、荒々しく燃え上がるような力動感に圧倒されることがある。
 これがかなりのペースで「静」に入れ替わってきた。ついに列島に伝来した稲作というものが潮目のように作用したのだろうね。弥生式土器は、縄文式のそれとは対称的なほどに薄くて静的だ。君も感じたことがあるんじゃないかな。
 75%が山地という狭隘な列島で安定した食べ物を得るには、単位当たり収量の高い水田稲作が有利で、ことに棚田を作って守るとなればなおさらのこと、おおざっぱや移り気では済まない。入念な見積もり、石垣の積み上げ、水の按配、何よりも共同作業と互いへの気配りが必要だ。ちょっとした不注意が「水争い」になったりするからね。
 米の出来高が土地土地の経済力の基準指標となり、時々の統治者たちが米の生産を漏れなく握っておきたいと図るにつれ、人々の関係も固定されてゆく。年貢をきちんといただくためには、作り手がやたらに動き廻ってはまずいもの。
 広い平地の拡がる大陸の国々よりも、動から静への変化は大きかったはずで、こうした淘汰の積み重ねが現在の日本の人々の特性となって繋がっている。どうだろう。考えられないことじゃないよね。

静かで良いのだ
 何回も言っていることだけれど、勿論、日本人といっても様々なタイプがあり、動的な個性を持つ人は沢山いる。それ故に目立つ人も居るわけで、例えば、6つの大陸の最高峰に単独で登頂した登山家も居るし、北極圏で行方不明になってしまった冒険家も、独りで太平洋を往復したヨットマンもいる。お茶の間に無遠慮に入り込んでくるテレビタレントやコメンテーターなども沢山いる。限られた時間にこじゃれたことをどれだけ思い付けるかを競い合うから、まるで躁病者のパーティーのようにかしましい。それもどんどんエスカレートして行く傾向がある。何時テレビのスイッチを入れてもパーティーが開かれているから、騒いでいる方がノーマルで、こちらの方がずれているのではなかろうかと錯覚されてくるほどだ。
 そうかな。ノーマルかな。あの種の競争の裏には、○○事務所、××歌劇団といった裏の表情があるよ。つけこみ、つけこまれる。泥の中でのたうち回っている。SNSの悪乗りユーザー・・・地獄だぁ。

 律儀、苦労性、こだわる・・・これに徹すれば徹するほど人の中に埋もれて目立たなくなるけれども、これはこれで悪いことじゃない。
 災害大国でもあるこの国には、地震、津波、噴火、集中豪雨などが頻回に起こるが、そんな時にそれがはっきり出るんだと思う。人々は静かでパニックにならない。どさくさに紛れて強奪を企む者もいない。列を作って水を待ち、炊き出しなどをして助け合っている。驚くべきは、多くの人が次の日から生活の立て直しを口にすることだ。「いのちてんでんこ」というのは「自分のことをまっさきに考えても良い時があるんですよ」と伝え合おうとしているのだと思う。

流されても良い 溺れないようにしよう
 日常が情報戦の様相を呈しつつある現在において、テレビ、スマホ、タブレット、ゲームなどを規制することは無理であり、というか、それらは既にヒトにとってブラックホールのような存在になってしまっていて、今さら手放すことは不可能だろうと思われるんだ。
 そうした状況の副産物として、近視、肥満、総合体力の低下、不登校、引きこもりなどが増加しつつあるというのは、程度の差はさまざまにしても世界中の子供や若者に見られる傾向なのだろうね。利便性という自転車に乗ってしまったら、進み続けていないと倒れちゃうもの。
 少し前、小学6年生の教室を写した大きな写真を新聞で見た。27人中12人がメガネを装着しており、学童たちは私たち老人が小学生だったころと比べて、はるかに大人びて見えた。スマホに付き合い込んでいれば、なんだって知った気分になってしまう。彼らのほぼ全員が笑ってはいたが、その水晶体が既に弾力性を失いつつあり、心も疲れているのではないかと気を廻してしまった。利便性に流されても仕方がないのだろうけれど、失うものも大きいことを知っている必要があると思うよ。

 私の取りこし苦労かなぁ。それにつけても、日本の若者に特有な色味ではないかと妙に気になるところが有る。
 ・・・縮みゆく日本、沈みつつある日本・・・と繰り返し聞かされているせいか「将来に明るい希望は持てない、成功の保証の無いものにはチャレンジしたくない」と君たちの多くは感じている。同時にその一方で「社会のために役立つことをしたい」と願っている若者が少なくないという。・・・ということは「自分では決められないけれども、誰かが方向を示してくれればそれを支えたい」ということなのかと深読み出来なくもない。
 これは危ないのではなかろうか。誰が方向を決め、何に追従することを求めようとするのだろう。君たちはどういう社会のためになりたいのだろう。それをどうして自分たち自身で決めてはいけないのだろう。近視でも話し合いや投票は出来るものね。

 さらに、「気になる」では済まない現実がある。切ないな。
 この国の10代から30代までの若者の死因の1番は「自殺」、次いで「不慮の事故」つまり交通事故・転落・水難・中毒などが2番となっている。

 先進国(G7)では、この順序が逆なんだ。日本の社会は気配りが行き渡っていることから事故が未然に防がれており、そのために自殺がトップになるのだろうと考えようとしてみたが・・・違うんだ。若者人口当たりの自殺率そのものが、諸外国よりも目立って高いんだ。

ちょっとした心得で、それぞれの将来は開く 幸せてんでんこ
 何度も触れているように、律儀・苦労性・こだわりに傾いているという特性は、極東の小さな島国が世界に向けて特異な文化を発信してゆける基盤を支えているのであって、それはそれで悪いことではない。素晴らしいことだよね。それで日本は浮いていられるのだろうから。
 ここで、あまりに内向きになりすぎて固まってしまうと、君も仲間も沈んでしまうんじゃないかな・・・。
 どうしたら良いだろう。一人一人の問題なんだ。長く生かされて生きてきた一人の老人として、ささやかながら何かを伝えられたら有難いと思うよ。

・決めつけないようにする 上手に比較しながらゆっくり歩く
 「どうせ、私は・・・」と決めつけるのは・・・×
 「ひょっとしたら、私は…」というのが・・・〇
 「どうせ私は嫌われ者だ」とか「どうせ私は役立たずだ」という決めつけは、比較する相手と方法が間違っているところから生まれる。
 何を真・善・美とするかという基準、それを求めるために知・情・意をどのように使ってゆくかは君がこれから迎える時とともに君の内面で変化してゆく。
 私事になるけれども、最近、或る老婦人(実は私の妹)が川柳とも俳句ともつかぬものをメールしてきたことがある。
  〜百合でなく 牡丹でもない人 ゆったりと〜
「美人であることにはあきらめて、その代わり、世に通用するように少しずつ生き方を工夫してゆく。これが何よりだと気が付いて、この頃はゆったりしています」とのことだった。
 ほらご覧。普通の多くの人々が、多少の努力を続けながら、自分の芯になりそうなものを探し続けて、そしてささやかにゲットしているんだ。

 「決めつけ」が「思い込み」となり、さらに「思い詰め」というふうに煮詰まると厄介なことになる。背を向けて独りで煮詰まっているのは周囲には分かりにくいので、集計によれば、学童の自殺の原因のおよそ半分が「不明」となっているんだ。
 ちょっと心を開いたら、「どうせ…」を「ひょっとしたら…」に変えられるかもしれない。心を開くコツの、少なくとも幾つかは次のようだ。

・少しずつで良い 動いてみる
 「思い詰め」の背景には「・・・誰も分かってくれない」「・・・何処にも居場所が無い」「・・・相談できる人が居ない」といった「孤独感」がある。それで「共感」や「信頼関係」の有無というのがキーワードになってくる。
 共感と信頼というものは何処から生まれるものだろう。
 赤ちゃんが泣く。チッチなのかマンマなのか、お母さんの推測と赤ちゃんの期待は一致したりすれ違ったりする。それを繰り返しているうちに、だんだんビンゴが多くなる。互いにコツが分かってくるんだ。「いい子ねぇ!」・・・赤ちゃんもお母さんもニコニコ・・・これが共感と信頼の芽生えと基本。
 単管パイプで足場を組み上げている職人さんたちの作業ぶりを見たことがあるだろ。鉄のパイプは結構に重いものだ。一人が一本を投げ上げる。それが頂点に達して、あわや落下というきわどいタイミングで、上の人が掬い取るように手を伸べて受け取る。絶妙なリズムの連続で、言い換えれば信頼の積み上げで、足場はたちまち張り巡らされてゆく。
 どうして親子はしばしばキャッチボールを好むのだろう。「言葉のキャッチボール」というのは、何処から生まれた表現かを思ってみよう。
 一緒に何かを経験すること、身体を動かすこと。一緒に汗をかくこと。これが基本のキなんだ。
 君は家事手伝いが出来ているかなぁ。食器の片づけ、新聞取り、ゴミ出しといった簡単なものでも家の空気を何処かで微妙に支えてる。お母さんと一緒に動いているんだ。まして、みんなの靴磨き、お使い、庭の草取り、ペットの世話、DIYの手伝いなどを引き受けられてるとすれば、お父さんお母さんはニッコニコ。手を抜いたら小言を言われることはあるだろうけれど、こっぴどく叱りとばされるということはあるはずがない。

 ところが、「あるはずのないこと」が起こることが残念ながらあるんだ。稀なことだけど。
 暴力やネグレクトといった「虐待」を受けることがその一つで、赤ちゃんの頃に作られているはずの「基本的信頼感」の歪みが根っこになっていることが多い。君と両親とのミスマッチングの最悪な結果だと言えるんだろうね。
 それが君に起こっているとしたら大変だ。クモの糸のように細い命綱にすがりながら、別の土俵で新しいマッチングをまさぐらなければならない。大変なことだけど、命綱の先を握ってもらえるのは、血のつながった親でなければいけないという訳ではないんだ。
 短くても一緒の時間を過ごせる相手を見付けること。それも容易であるはずはない。当人は「自分が悪い子だからこういう目に合う」と思い込んでいることが多いから、なおさら勇気が要る。
 けれど、一本の電話を掛けることから新しい信頼関係が芽吹くかもしれない。電話をかけることも身体を動かすことだから。チャレンジしてこそチャンスは生まれるんだ。
 いじめ? 親とのミスマッチングに比べればヘノカッパ。共感と信頼関係のこじれだから、対応の基本のキは同じ。あれこれと悩んでいるよりも、家の手伝いのことに立ち返って見て・・・これが出来ているなら、しばらくはお父さんとキャッチボールをしたり、お母さんと散歩したりしていれば良いんだ。出来ていなければ、どんな小さなことでも良いから始める。先ずは自分の巣穴というかホームベースを堅めないとね。あとはしばらく待つ。この私でさえ乗り越えることができた。

・細くて強い神経を
 偉そうなことを言ってる私も、何年か前までは「図太い神経」に憧れていた一人だった。ああではないか、こうではないかと何時も周囲をおもんばかっていて、言いたいことやりたいことがあっても、つい立ちすくんでしまう。そして「あの時ああすれば良かった、こうすれば良かった」と後悔ばかりする。
 そんなふうでも、私は齢を重ねることができた。だんだん分かってきたことがある。消極や引っ込みは相手を傷付けることがあり、例えば「だんまり」は相手を疑うというジコチュウな行為。これまで、どれほどの人がそれを許してくれていたことだろう。
 「間違っているかもしれないけれど・・・」と自分の思いをはっきりさせて動くように少しずつ努めることにした。少しずつではあったが、それにつれて「自分なりに頑張っているのだ」という肯定感が増してきた。
 「細い神経」というものは生まれつきのところが多いのだろうが、それを「強い神経」に変えてゆくことは可能であるらしい。「太くて強い神経」は当たり前だろうけれど、「細くて強い神経」はちょっと格好いいものだよ。違うかなぁ。

・生への畏敬
 かれこれ二十年ばかり前のこと、無残な方法で二人の子供を殺めて日本中を震撼させた少年がいた。その少年の表現によれば「ヒトもキャベツも同じだ」というのだった。
 軽く見られたね! 先ずはキャベツに失礼だ。植物はその場に居たままで、昼間は光合成をして糖分を蓄え、夜はそれを燃焼させて成長してゆくことができる。代謝のサイクルが完結しているから動かないで済む。ヒトを含む動物は植物の作り出したものを当てにしないと生きてゆけない。ヒトよりもキャベツの方が優れたところが有るんだ。
  〜オケラだって ミミズだって アメンボだって 
       みんな みんな生きているんだ 友達なんだ~
 知ってるだろ。この唄には多くの小動物が出てくるが、植物は登場しない。可哀そうに、手落ちだよねぇ。
 現在の地球には3000万種ともいわれる生命体で満ちあふれている。そのどれもこれもが生きようとするエネルギーで張りつめているからこそ、命の炎をバトンしながら、絶滅を逃れられて今に続いているんだ。
 君もちょっと調べて欲しい。この惑星上の生命は、何十億年も前に、生きるための「不敗の戦略」ともいうべきシンプルで優れたシステムをゲットすることができ、それをみんなが便利に使い廻すことになった。そいう意味では、ウイルスを除いて、地球上の生き物は1種類なんだ。
 動物が植物を食べるのは共喰いとも言え、本来は責任を伴うはず。私たちは「いただきます」とよく言うけれど、命あるものへの慈しみと感謝とを保つためには、おざなりであってはいけないと思う。命のいとなみというものに鈍感であるものが、自らも幸せになれるはずはないよね。
 
・流されても 溺れなければ良い
 今の世、押し寄せる情報の量に流されないようにするのは不可能なことだと思われる。ただ、要領がある。頭を先にして流されていると岩にぶつかって致命傷を受けることがあるので、脚の方を先にして出来るだけ辺りの様子をうかがいながら流されること。流されるのに頭を使う必要はないじゃない。
 お金に振り回されるのは最高に悲惨だぁ。地獄の窯でアップアップしていても、なお追いかけられる。お金は不思議なもので、有っても無くても人を振り回しにかかる。
 が、若い君には信じられないことだろうけれど、金銭には換算できないものが確かにあるんだ。負け惜しみではないけれど、私たち老夫婦はそこそこに頂いている年金で日々を送っているが、いまが一番幸せだと思っている。何をどうして・・・笑われそうだから教えない。
 苦労性をそのままに、律儀に、こだわりながら齢を重ねていたら君にもきっと見付かるだろうから、まあ頑張ってくれたまえ。

終わりに
 よくまあ、ここまで付き合ってくれたね。
 最後に、また比較の話に戻って明るく終わろうと思うんだ。

 私は東京都多摩地区の片隅で後期高齢の日々を送っているのだけど、ラッキーなことに、車で4分半ほどのところに「秘密基地」と云えそうな場所を見付けることができている。そこは、私にはぴったり手頃な大きさの菜園、ケヤキとヤマザクラが作ってくれている木陰、ウグイスが鳴く雑木林、トビが舞う多摩川中流の空・・・といったものに恵まれている。どれもこれも私のものではないけれども、楽しむことは出来ているから、そんなことはどうでもいいことなんだ。駐車スペースもあって毎回使わせてもらっているが、「駐車は遠慮願います」と書かれた古びた札が立っているものの、一度も咎められたことはない。今どきの東京でだよ。地方に出かけた時でもうっかり車中泊なんかしてごらん。ちょっとした空き地で寝ていて職務質問されたことがある。
 というわけで、今の都内でも、いつかヨーロッパで見て憧れた「クラインガルテン」をゲットできることがあるんだ。

 ある高名な学者のシミュレーションによると、これから100年もすると日本の人口は江戸時代並みの3000万人に減少するのだそうだ。よく聞かされるように「GDPのランクが後退する」「国際競争力が落ちる」といようなマイナスばかりだろうか。違うな。
 日本は亜熱帯から亜寒帯までを占める細長い列島で、その広さは37万8000㎢。残念ながら平地は20%ほどしか無いが、その半分ほどは農耕地として残されている。つまり400万ha前後は農耕地としてこれからもあり続ける。これを人口の3000万で割った1300㎡が一人当たりの耕地面積となるわけで、これはおよそ400坪に当たる。計算に間違いがなければね。
 一方「100坪の田があれば飢え死ぬことはない」とは昔から言われていたことで、なるほど江戸時代の日本は食料の自給率は100%であったことが頷ける。だから100年後の日本は、オイルショックだろうとガスショックだろうとリチュウムショックだろうと、GDPや競争力が落ちようと‥・大丈夫、飢えることはない。日本は縮んでも沈んでしまうことはないんだ。
 首都圏であっても空き家や空き地がどんどんと目立つようになるはずだ・・・人が抜け落ちるのを「スポンジ化」と言うらしい・・・例えば「多摩ニュータウン」なども、集約すれば広大な地面を公共的に活用できるはずで、こうしたことが現行の法制下では難しいとするなら、どのようにしたら公正に役立てるかを考えるのは君達がしなければいけないことだ。ほら、参画しなければいけないことは身近にある。それぞれの秘密基地やクラインガルテンがかかっているんだ。生活の質の問題だよ。
 100年という時間は瞬く間に過ぎるけれど、その時、耕作放棄地や空き地がやたらに増えてゆくばかりで、あるいは海も痩せたままに放置されていて、生産の基盤があるにもかかわらず3000万人分の食糧が自給自足できないとすれば、残念ながら私たち日本人は江戸時代よりも心身が退化してしまったのだと言わざるを得ない。武蔵野が再び原生林に還ってゆく様子を想像するのは、楽しくないことはないけど。

 「退化」や「萎縮」に流され勝ちというのは、いわゆる「マインド」が係わるところが大きいと思うんだ。知らず知らずに自己催眠に掛かっているのだろうかね。
 国際情勢というものに絡んで、例えば大国「ロシア」を思い浮かべてみる。あの国の国土は世界最大で地球の陸地の13%を占め、ユーラシア大陸の北をヨーロッパから極東まで、なんと日本の45倍もある。それでいてなお、西方にも東方にも、強引に拡大しようとしているように見える。北方領土など、とてもではないが、返してもらえそうな気配はない。
 ロシアと聞いて私たちが思い浮かべるのは、先ずはプガチョフ、ラスプーチン、ロマノフ王家、スターリン、プーチン、プリゴジン、ナワリヌイといったふうで、いずれも、反乱、独裁、革命、粛清、暗殺といった陰惨なイメージを伴わないでは済まない。トルストイ、ドストエフスキーという名前さえも私には重い。
 「ツァーリボンバ」と呼ばれる水素爆弾に至っては、広島型原子爆弾の3300倍もの化け物で人類史上最大の兵器とされ、これが爆発した時の衝撃波は地球を3周したという。その孫のような大量殺人兵器を「必要があれば何時でも使う」とプーチンは言ってる。おそろしや、おそロシア!

 これは本当なのだろうかね。私たちが勝手に、あるいは、あの国の巧みなイメージ操作に乗せられて作り上げてしまっている虚像では?
 国土の60%が永久凍土であり、80%はヒトが住むのは難しい風土だという。これだけで、日本の45倍という大きさが一気に9倍というレベルに縮んでしまう。残された国土も生産性は低いだろうから、実態は更に縮むとさえ考えられるよ。
 広いだけに天然地下資源には恵まれており、技術の進歩によって採掘現場は点と線で繋がりながら荒野を北上するのだろうが、それらの間の広大な原野はそのまま。そこに取り残されるように、180以上もの少数民族が薄く広がっている。これらを纏めてゆくには中央集権的で強力な統治機構が必要であるだろうことも頷けるようだ。かつてのツァーリ、ソビエト、現在のプーチンもそのように行動して束ねた。独裁国家は脆そうに見えるから、他の独裁者に狙われることがある。ロシアは北へ北へと撤退を繰り返すことで、ナポレオンにもヒトラーにも負けなかった。勝利をもたらしたのは、永久凍土を含む荒野だったんだ。
 ロシアを支えているのは不毛の凍土であり、凍土をこの世から消し去ることは不可能。けれど、凍土は本来受け身であって攻撃的でも侵略的でもない。
 ロシアと付き合うコツはここにあるのではないかな。やたらに怖れるのではなく、大きさの実態を掴んで凍土を開発するウィンウィン関係を広げてゆくことだろうね。プーチンも言ったことがあるよ。「引き分け」だって。
 そうだ、ロシアはしばしばクマに例えられる。なるほど、ピッタリ。クマは力強く、飢えにも強いが、猜疑心も強い。当方は何処で何をしていて、何を希望しているかを常に伝えて、いきなりの鉢合わせを避けることだよね。

 パラドクスが言われることがあるよ。
 〜やり残したことがあるからこそ死んでゆける〜
 どういうことだろうね。「希望」ということがキーワードになると私は思うんだ。
 どんなに頑張っても、やり残すことは必ずある。それを未来と後進に託すことを希望という。明るい未来を信じられるから死んでゆける。これが成り立つ条件は、どんなにささやかなことであっても、やっていることが未来に託するに値するものであること・・・。
 こだわり・律儀・苦労性を醸しながら生きることには価値がある。そういうわけで、ここまで付き合ってくれた君に未来を託します。よろしくお願いします。

この光景 Forever 秋編


この光景 Forever

 私たちの列島は、龍が横たわったように南北に細長く伸びているので、亜熱帯から亜寒帯までの自然がうまく連続し、四季が豊かに現れます。
その7割ほどが複雑な形をした山地であることから、例えば秋、「こんなに多くの鷹たちがいったい何処に住んでるの?」と思われるほどの「鷹の渡り」と言われる光景が各地で見られます。秋晴れの向こうの連山の上に「蚊柱」ならぬ「鷹柱」が立って巻き上がるありさまは、心が放たれるような感動を与えてくれるものです。

 夏編の続きとして、「樹の上で獲物を食べるミサゴ」「薄の群生や林」「秋のカワセミ」「和太鼓の練習」など、秋の光景を幾つかピックアップしてみました。
どれも身近なものですが、当たり前のようでいて、なかなかそうではありますまい。ミサイルやドローンや砲弾などが飛んでこないこと・・・これは勿論ですが・・・私たちが注意深く守ってきた平和と平穏の全体が収斂して、こうした光景となって現われているのだと言えそうです。誇りに思います。

ミサゴ
ミサゴは、猛禽類のうちでも、もっぱら魚を捕らえて食べるように特化した種類で、空中でホバリングして狙いを定めるや、さかしまにダイブして水面下かなり深くに居る魚を抜き上げるという特技を持っています。
ここに見るミサゴは、折角の獲物を樹の上まで担ぎ上げられたものの、ご馳走が大きすぎてバランスを取るのに苦労しています。
大きな翼を盛んに煽り上げていますが、もったいを付けたり、見せびらかしているわけではありません。ご馳走をテーブルに按配良くセットしようとしているのです。


プランクトン・・・水棲昆虫・・・魚・・・ミサゴ・・・やがてみんなが再びプランクトンに・・・。この連環が何時までも、自然のままに保たれて続きますように。


ススキの穂が風に揺れるありさまは、それこそ見慣れた光景です。
けれど、それを順光で見るか、逆光で見るか、背景は・・・そもそも尾花の色味や透明感が、株によってあるいは季節の進み具合によって千差万別であるので・・・ふと立ち止まってしばらく眺め入ってしまうことがしばしばあります。

 花穂がそよぐ様子が、深海のクラゲか何かの乱舞を見るように幻想的であることさえあります。

秋のカワセミ
「ツー」と鳴きながら一直線に飛ぶのが、翡翠の弾丸を見るように心躍るものですが、ここは、枯れて垂れ下がったカラスウリか何かの蔓に止まって魚を探しています。
クチバシの下側が赤みがかっているところから、メスであることが分かります。

またの日、おそらく同じ個体ではないかと思われますが、水面に張り出した藪の窪みで休憩しています。枯葉の影が背中にタスキを懸けたように落ちており、あたりが照り返しに映えています。

和太鼓の練習
 このあたりに伝わる「のろし太鼓」の保存会の皆さんです。楽しそうです。
太鼓は誰が叩いても音は出るものの、それを聞かせるまでにするには、大層な練習が要るのだそうです。秋の休日、河川敷の堤防の脇は、合奏の合わせにはうってつけの場所なのでしょう。


 

この光景 Forever 夏編


この光景 Forever

 ほんの少しを身近から抜き出しただけでも、ここに並べたような光景がそこかしこに見られる・・・なんでもないことのようですが、なかなか、そうではありません。私たちは誇りとすべきだと思います。

 極東に位置する天然資源少なく自然災害多い気難しい列島。これを上手に運用して浮いていられるのは、この国に住む人々の資質と努力のみがよくするところだと感ずるのです。
 このところしばしば、「・・・縮みつつある日本・・・」というようなことが言われますが、そんなことに煽られることはありません。量よりも質の問題です。縮んでスリムになっても、沈まなければ良いのです。
 私たちは憲法前文に謳われている「・・・国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ・・・」を長い間を懸けて具現してきました。今迄と同じように平和を保って堅実を積み上げてゆければ、特異で上質な文化を世界に向けて発信し続けることができるのです。浮いていられます。間違いありません。

朝の河川敷運動公園 夏
 この夏は猛暑の日が続きましたが、朝の陽射しが未だ斜めである頃を選んで、季節を楽しんでいる光景がありました。習慣のようにしているそうです。
 登場する方々とワンチャン達には、動画を撮した直後に見ていただいて、ここに掲載する許可を得ています・・・。

折からの猛暑を忘れさせるような透明感と素敵なエチケット

 

サギと少年たちの夏
この頃の学校では、このような川遊びは推奨していますまい。
少し冒険したのでしょうが、きらめく流れとサギたちに恵まれて・・・うらやましい夏休みです。

 私が学童だったころには、もっぱら、木曽川の水源近くの本流で水遊びをしました。「夏でも寒い」と木曽節にあるように、水温は高くても19度前後で、ほんのしばらく川に入っていると唇が紫色になって身体の震えるのが止まらなくなりました。子供たちは声を揃えて歌ったものです。

   テントサマ テントサマ
   お手紙あげるで お湯おくれ
   山ばっか照って 川ばっか照らん
   川の神様 泣いている

 

夏の朝のキセキレイ
 キセキレイが美しい小鳥だとは承知していましたが・・・。
水鏡に映えて、素晴らしく端正です。
私たちを取り巻く環境の全体が、こんな光景を支えているのです。これからも、ずっと続くでしょう。

 

 

 

 

 

アオバト Ⅰ 三悲鳥(?)の筆頭


まずは 日本三鳴鳥

 「三鳴鳥」という呼び方が何時の頃からかなされており、ウグイスコマドリオオルリがそれとされています。

 あらためてそれぞれのさえずりを聞いてみると・・・なるほど、ウグイスもコマドリもオオルリも・・・鳴き声は力強く、明るく、透明で、聞くものの心を揺さぶります。
 例えばウグイスについては古くから「鳴き合わせ」という何日間も持ち回る競技があり、ことに江戸時代には盛り上がったということです。ある年、江戸本郷の八百屋の主人のウグイスが、同じ町内である加賀の殿様が飼っていたウグイスに鳴き勝ったことがあり、八百屋さんは「ウグイスや百万石もなんのその」と詠んで喝采を受けたことがあるそうです。士農工商の縛りの中で、よほどの快挙だったのでしょう。

 ウグイスは「ホーホケキョ」、コマドリは「ヒヒーンカラカラ」、オオルリは「ピリーリー」とさえずると聞きなされているところ、私自身は他人様に聞いてもらえるような録音を持ち合わせていません。ウグイスだけは何とかなりますが・・・。
 この頃は素晴らしい記録がウェブ上にたくさん挙げられているので、例えば「コマドリの鳴き声」と検索すれば、たっぷり堪能することが出来ます。是非、先ずは楽しんでみてください。

日本三悲鳥・・・?

 さて、「さえずり」は求愛や縄張り宣言のオス鳥のアッピールですから、力強く、美しくなければなりません。これは解ります。
 ところが、懸命に力み過ぎて、周囲に・・・ヒトばかりではなく、多くの生き物が同じように感じているだろうと私は信じているのですが・・・悲愴不気味さ必死さを届けてくるものがあります。種を守り、縄張りを守るためには、そうした効果も必要なのかも知れないですが。

 私は勝手に三種の野鳥を選び、「三悲鳥」としています。
 アオバト、アオゲラ、コノハズクがそれで、次のように聞こえるというのがおおかたです。
  アオバトアーオー アオー ウーワオー
  アオゲラ・・・ヒョー ヒョー ピョヒョー
  コノハズク・・・オット オットートー フットットー

 鳴き声はどれも美しくはありますが、悲愴、妖しげ、不吉・・・といったものが織り込まれて迫って来るのです。
 各地に暮らした人々が同じように受け取っていたとみえて、あれこれ評判し合っているうちに、ついに民話や伝承となって残ることになりました。
 アオゲラ、コノハズクの順に出てもらい、最後に真打アオバトに登場してもらうことにします。

アオゲラ
 アオゲラはヒヨドリを少し太くしたようなシルエットをした中型のキツツキで、美しく存在感があり、冬のフィールドで観察していると他の野鳥に対してドスを効かせている風があり、しかも日本の固有種です。この鳥に会いたくてわざわざ外国からやって来る愛好家も少なくないほどです。

 残り柿にツグミやヒヨドリが集まっているところに幹の下方からズリズリと迫り、先客を追い払っている様子を見てください。

 「コッコッコッ」と力強く樹を叩いて次の箇所に移る時に「キョ キョ キョ」と短く鳴き、林から林へと波状を描いて移る時に「ケロ ケロ ケロ」と軽く鳴くことがあります。そして繁殖期に、殊にここぞという林に分け入った時に「ヒヨーッ ヒヨーッ」と鋭くさえずります。

 そのさえずりが怪しく聞こえるのです。
  私は学生時代に中央アルプスで「高山植物監視員」のアルバイトをしたことがありますが、主峰への登山道の一つ木曽福島口の八合目の少し下に「山姥(やまんば)」と名付けられたガレ場があり、巨岩が打ち重なってできた大小の岩穴のどれかに、山姥が住んでいるという言い伝えがありました。山姥は山奥に棲む老婆の妖怪で、美しい娘に化けて旅人を引き入れてさまざまにもてなし、夜になると殺して食べてしまうのだというのです。
 アオゲラのさえずりは今の私にも、山姥や魔女の到来を告げているように緊張をもたらします。
多くの人々が同じような感じを受けるようで、アオゲラをわけありとする伝承が各地にあります。

      すずめときつつき  青森県津軽地方

 むかしむかし、すずめときつつきとは姉妹(あねいもうと)でありました。
 親が病気になって、もういけないという知らせがあった時に、二人は化粧の最中でした。すずめはちょうどお歯黒でくちばしを染めかけてが、直ぐに飛んで行って看病しました。それで今でも、ほっぺたが汚れ、くちばしの上の半分がまだ白いのであります。
 きつつきの方は、紅をつけおしろいをつけ、ゆっくりおめかしをしてから出かけたので、大事な親の死に目にあうことができませんでした。  
 だからすずめは、姿は美しくないけれどもいつもヒトの住むところに住んで、ヒトの食べる穀物を食べることができるのです。
 きつつきは、早くから森の中をかけあるいて「かっか むっか」と木の枝をたたいて、一日にやっと三匹の虫しか食べることができないのだそうです。
 そうして夜になると樹の空洞(うつろ)の中に入って、「おわえ、嘴(はし)が病めるでや」と鳴くのです。

 ここで、夜にキツツキが鳴くのだろうか? それは「嘴が痛い」と聞こえるのだろうか? 疑問が湧いてきます。
 親不孝者にされてしまったキツツキにはかわいそうですが、歯痛のために「 ヒエー ヒエー」と悲鳴をあげ続けているというのであれば、これは頷けます。

       妖怪 寺つつき  奈良県の伝承  (谷真介編)

 今から千五百年ほど前のこと、仏教を日本に入れるか入れないかで大変な争いがあった。
 蘇我氏や聖徳太子は仏教を入れるのに賛成し、物部氏はこれに大反対であった。
 戦にまでなり、仏教を入れる側の勝利となった。滅ぼされた物部一族の大将が物部守屋(もののべのもりや)であった。
 大きな恨みをつのらせた守屋の霊は、ついにキツツキとなり、仏教のお寺の柱をつつくようになったのだという。これが妖怪「寺つつき」である。
     きつつきの死ねとてたたく柱かな    小林一茶

 疑問・・・柱をつついて虫を食べてくれれば、それだけお寺は長持ちすることになるのでは?

 

コノハズク
 コノハズクは日本で最も小型のフクロウとして知られ、深い森の中に生息しています。

 その鳴き声は、「ブッポーソー(仏法)」と聞きなされて有名です。
 実は長い間、ブッポーソーと鳴くのは同じく鬱蒼とした森に棲んでいることの多い別の鳥だと思い込まれていました。その鳥は全身が緑色でクチバシと脚が赤色という目立つコスチュームをしていて…いかにも仏法僧とでも鳴きそうなので、つい騙され続けていたのでしょう…この鳥は実は「ゲェ ゲェ」とドナルドダックのような濁声で鳴くのであり、「ブッポーソー」と澄んだ声で鳴くのはコノハズクであるくということが分かったのは、なんと昭和時代になってからでした。
けれど、鳥の方には何の罪も無い話ですから、間違えられた方の鳥を今でもブッポーソーと呼んでいます。

 私は木曽谷で育ちました。
 幼稚園に通っていたころの或る夏の夜、何やら黒い小さな影が物干しにやって来て、長い間、声をあげていたことがありました。山と山が狭まって、いちばん低まったところを木曽川が流れています。谷の何処へでも届くだろうというような、美しく通る、もの悲しい鳴き声でした。
 私には「オット オットートー オットートー」と聞こえましたが、祖母が教えるには、「あれはブッポーソーと鳴いとるんだに」とのことでした。

      夫鳥  岩手県中心に多数 聞耳草紙百十四話

 あるところに若夫婦があった。或る日、二人そろって山奥へわらび採りに行った。
 夢中になって蕨を採っているうちに、別れ別れになって、互いに姿を見失ってしまった。
 若妻は驚き悲しんで「オット オットー」と山の中を捜し歩いて疲れ果て、ついに死んでしまった。
 オットドリに身を替えて、今も鳴きながら夫を探している。

 

アオバト
 アオバトは、そのあでやかさもさりながら、さかんに海水(海が遠いところではミネラル分の多い鉱泉)を飲むことで有名です。それもチョンチョンとついばむというのではなく、群れを作って海岸に飛来し、荒波に命を張るようなことをしてでも、ガブガブと海水を飲みます。

 大層に珍しい習性ですが、ハトというものはこういうおかしなことをするものかというとそうではなく、日本に生息する6種類のハトの中でも、海水を飲むのはアオバトだけだそうです。

 どうしてこんなことを?…日を改めてまとめてみようと思っています。

 私の腕前とカメラでは鮮明とはまいらないけれど、オスメスともに全体にオリーブ色と印象され、オスには肩のところに赤ワイン色の色味が乗っているのが分かります。薄くピンクがかっている脚を内また気味にして止まっている様子、これらも相乗して、見ての可愛らしさを増しているようです。

 私たちにお馴染みのドバトとキジバトに出てもらって、違いを見てみましょう。

ドバト(堂鳩)あるいはイエバト(家鳩)
 「ポッポポ ハトポッポ…」と歌われているのがこれで、地中海や北アフリカ原産のカワラバト(河原鳩)が食用や伝令用に家畜化され、日本へは遠く平安時代に持ち込まれたところ、ある時逃げ出して野生化し、神社仏閣のお堂や観光地などで逞しく繁栄しているものです。
 人の手が加わっているだけに色彩は白・褐色・黒などを組み合わせてさまざまですが、首元の光沢を帯びた緑色味が特徴です。

 大きなイベントの際などに平和の象徴として大群が放たれることがありますが、それは飼育し易くて沢山の数を集めるのが難しくないということに加え、何よりもドバトたちが密集隊形を崩さずにあたり一杯に円を描き続けるという習性があるからです。「クー クー クル クー」と呟くように鳴きます。

キジバト(雉鳩) あるいはヤマバト(山鳩)
 ドバトに次いでお馴染みで、里山や公園などでしばしばお目にかかれます。
「デーデ ポポ デーデ ポポ」と濁声で平板に鳴きますが、低い声なのに結構に遠くまで響く独特のもので、一度聞いたら忘れられますまい。


 ドバトよりもスリムな形をしており、色は全体にグレイと印象される地味ぶりですが、首元の白と青の縞模様が特徴的です。
 習性もドバトとは真逆のようなところがあり、近くに住んでいる割にはヒトに近付きたがらず、番だけでひっそりと行動することが多く、飛ぶときも群れを作りません。

 アオバトに話を戻します。
 アオバトは、大きく飛翔するときはドバトのように見事な編隊飛行をなし、普段はキジバトのようにひっそりと生活していると言えそうです。
 実のところ、ひっそりを通り越して巣を見付けるのさえ大変なことで、その生態には分かっていないところが多く、夏場に大量の海水を飲むという謎とあいまって、謎の鳥とされています。

 謎の鳥とされているのにふさわしく、とても鳥とは思えない音色で「アオー アオー ウーワオー」などと鳴き、悲痛、懇願、必死といった雰囲気をあたりに振り撒くのです。

      馬追鳥  遠野物語 五十二話

 馬追鳥(ウマオヒドリ)は時鳥(ホトトギス)に似て少し大きく、羽の色は赤に茶を帯び、肩には馬の綱のやうなる縞あり。胸のあたりにクツゴコのやうなるかたあり。これも或長者が家の奉公人、山へ馬を放しに行き、家に帰らんとするに一匹不足せり。夜通し之を求めあるきしが終に此鳥となる。アーホー、アーホーと啼くは此地方にて野に居る馬を追ふ聲なり。年により馬追鳥里に来て啼くことあるは飢饉の前兆なり。深山には常に住みて啼く聲を聞くなり。

 この伝承では、「馬追鳥」という名前はその鳴き声が野に放たれた馬を追う声に似ていることから付けられていると説明されており、ウマオヒドリとルビが振られています。これを東北の方言で速く発音すると「マオウドリ」あるいは「マオウドリ」となるはずで、これから「魔王鳥」ともされ、その鳴き声はさらに不吉の前兆とされるようになったと推察されます。
 遠野近隣の別の伝承では、鳴き方を「アオー アオー」と聞きなしているものもあり、アオーとは「青毛(青味を帯びた黒色)の」を呼んでいるのだとしています。
 また「…肩には馬の綱のやうなる縞あり」とは、肩に手綱が擦れたような縞模様があるということだと思われ、「…胸のあたりにクツゴコのやうなるかたあり」というのは、胸にクツゴコ(馬の口に嵌める麻の網の袋)の形をした跡があるということでしょう。
 そういうことかとアオバトの写真を見直してみると、はて、胸にも肩にもそれらしいものはありません。ふと思い当たってヤマバトを見てみると、首に手綱が擦れた跡と言われればピッタリするような筋状の模様が見えます。これらについては、アオバトとキジバトを混同してしまっているのではないかとも思われます。

 忌まわしさ不吉さが込められているとするのは幾つもの伝承に共通しており、「飢饉の前兆である」「マオウドリを見た者は長生きしない」「この鳥が村にたくさんやって来ると世の中に悪いことが起こる」「この鳥が出ると雨か嵐になる」などが知られています。

 アイヌにもアオバトを語る神謡が伝えられています。
 オキクルミカムイ(北の大地に住むアイヌ民族の始祖であり最大の英雄)は雷神カンナカムイを父とし、ニレの樹の精霊を母として落雷の炎とともに生まれ、太陽の女神に育てられ、アイヌつまり人間に日の使い方や儀礼などを授けました。
 オキクルミカムイが性悪のカムイ(動物など)を懲らしめるという神謡はアイヌにとって普遍的なものであり、その一つに、あまり縁起の良くないアオバトを叱りつけるのに「和人」を登場させているものがあります。残念なことですが、近世以降の和人はアイヌにとって忌まわしいものであったので、このような組み合わせが生まれたのだろうと思われます。
 アオバトの由来を当のアオバトカムイ自身に語らせているところもユニークです。

     アオバトの神が生まれたわけ アイヌ神謡(カムイユカラ)

 私(アオバト)は山の中に住んでいたが、ある日退屈なので人間の村に降りて来て、ワウォワウォと鳴いていた。そこに子供たちがやって来て、私の鳴き声の真似をする。私はそれに腹を立てたので、昼も夜も大きな声で鳴き続けた。
そのうちに私の声で、川は干上がって只の窪地になり、只の窪地だったところは水が出て川になった。

 それでも止めずに鳴き続けていると、オキクルミの神が窓から身を乗り出してこう言った。
 「この悪いアオバトめ。お前はそんなことをするほど偉い神ではないのだぞ。昔、和人の侍が木こりになって、毎日山で木を切って暮らしていたが、ある日霧の中で道に迷って帰れなくなってしまい、とうとう息絶えた。その時、自分の髷(まげ)を切って投げた。その髷はその髷は腐りきることができなかったので、アオバトに生まれ変わったのだ。お前はそのようにして生まれたのだから、お前の鳴き声を子供たちが真似をしたにしても、腹を立てるほど良い神ではないのだ。この悪いアオバトめ。川が干上がるほど、夜も昼も鳴き続けおって」
 と、私を叱りつけた。私はそれを聞いて大変恥ずかしく思った。それからは鳴くときも大きな声を出さず、静かになくようになったのだ。

 幕末のころ、徳川幕府は南部・津軽・伊達などの諸藩に北方警備を命じ、命じられた藩はそれぞれに兵を出し、蝦夷地に陣屋を設けて都合40年にもわたって駐留しましたが、北方警備を優先するとはいえ、木材資源や漁業資源を求める和人の経済活動を盛んに伴うのは当然のことで、たくさんの樵・運搬人・船大工・鍛冶屋などが入山し、そこでは多数のアイヌを下働きとして雇用したり強制的に働かせたりしました。ここに挙げた、明るいとは言えないアイヌ伝承で、和人の特異な風俗である髷を小道具に使っているところが、なるほどなと思われます。
 髷というのはそもそも、戦場でいつでも潔く死ねるという覚悟を示すために、あらかじめ大きく頭を剃り上げておくという武人の心得から生まれたものと思われます。死期が近いと知った時に自分で髷を切るということは、俗人としては死ぬけれども新たに僧体となって生まれ変わりたいということでありましょう。
 和人の侍は髷を切り落とすばかりでなく、「…切って投げた」とされていますから、自分の命運に対する無念怒りが強かったことが分かります。
 髪の毛は、他のどの組織よりも長く腐らずに残り続けるものです。これに侍の心残りが作用して、アオバトに生まれ変わったというわけです。

悲鳥たちこそ

 野鳥はことに繁殖期には美しく力強くさえずることが多く、わけても「三鳴鳥」と取りざたされている小鳥たちのさえずりは見事で、人の耳に心地よく響きます。
 が、例えばウグイスのように、その声を近くに置いておきたいというわけで飼育手法が発達し、「鳴き合わせ」というような競技が生まれて高額で売買されたりするようになると、趣味、余裕、賭け事といった要素が加わってきます。ウグイスには迷惑な話です。

 それに対して、わけても「三悲鳥(筆者が勝手に呼んでいるもの)」の鳴き声は人の生活の根底のところに響いて、これを不安、不吉、切実といった情感で色付けします。おそらく鳥たちは懸命でありすぎるのでしょう。
 アオバトは「アオー アオー」と馬を呼び戻そうとしており、コノハズクは「オットー オットー」と夫を探し続けており、アオゲラは「ヒー ヒー」と歯痛に耐え続けています。

 馬を挟んだ長者と奉公人との緊張、夫の突然の失踪、お化粧への入れ込み過ぎ・・・日常に何時でも起こり得る落とし穴を捉えて組み入れて、長い年月を醸されて・・・鳥にも人にも、心打たれます。

 

バン 水かきの無い水辺の鳥

ゆったり 静かな水辺で

「バン」は、ハトよりも少し大き目の「水辺の鳥」で、池や湿地や水田などに棲み付いているのが見られます。
「クイナ」の仲間であるだけに、陸に上がった姿は脚が長くてスマートに見えるのですが、水に浮かんでいる様子はずんぐりむっくりしており、動きもゆったりしていることが多いようです。

「バン」というのは「番」のことで、「クルルー」と鳴いて水田などの番をしてくれているということから付けられた名前だそうです。
が、いつも見張っていて、怪しいものが来たら警報を発するというような殺気立った感じではなく、棲み付いたように近くの水辺の茂みに居て、ひっそりと見守ってくれているようだという雰囲気を掴んでのことだと思われます。つまり「番犬」「見張り番」「寝ずの番」とかではなく、「お留守番」「別荘番」といったふうなのです。

泳ぎが下手

水に浮かんでいる様子は、クイナというよりもカモの類に似ています。全体に青味を帯びた黒褐色の印象で、特徴的なのは、広い額(額板)とクチバシの赤色(冬季には黄色)と、脇腹の白い線です。

広い水面や流れのある所に出ることは少なく、群れることもなく、静かな池の草陰などを好み、首を前後に振ってぎこちなく泳ぎます。
高く浮き上がってスムースに動いているなと思うと、水面下に沈んでいる小枝や水草の上を伝っているのが知れたりします。苦笑ものです。

それもそのはず、足に水かきが無いのです。

広い分布

つまり、バンは水辺の鳥ですが水鳥ではなく、水を好むクイナなのです。
おっとり不器用に見えますが分布は驚くほど広く、オセアニアを除く全世界(ユーラシア、アフリカ、南北アメリカ)の温帯と熱帯に分布しており、冬には寒冷を避けて暖地へ移動します。
おっとりしているように見えますが、環境への適応力が高いことは、最近の公園などでヒトから餌を貰うことを覚えつつある個体が増えていることからもうかがえます。

オオバンに比べると

同じクイナ科の鳥に「オオバン」という水辺の鳥が居ます。
バンよりも一回り大きく、全身真っ黒のところ、大きな額(額板)とクチバシが白くてくっきりと目立ち、西欧ではなかなかに洗練されたセンスだと評されるのだそうです。

バンと違って、オオバンは「弁足」という木の葉状の水かきを備えています。
それだけ泳ぎは上手で、広い水面で群れを作って盛んに活動します。例えば多摩川では、ちょっとした流れがある川面でも嬉々として餌を探しているのがよく見られ、それも近年多くなっているようです。

水かきがあるので、羽ばたきながら水面を助走して飛び立つことが出来、沢山のオオバンが次々と離水してゆく様子は、なかなかに胸躍るものです。

そして、オオバンはバンよりも更に広く分布しています。
北極圏もすれすれのアイスランドから、赤道を跨いでオーストラリアやニュージーランドまで、全大陸に及びます。
極寒から酷暑まで、環境適応力が大きく、最近の地球温暖化に伴って棲息区域を広げつつあるようです。

ともに繁栄を

バンは控え目に、オオバンはいくらか行動的に。ともに地味に・・・。
揃って、さらに広域に適応できますように。

ちょっと見マツボックリ トラフズク

巨大なマツボックリ?

「この冬もトラフズクの群れが来ている」と教えてくれた人が居たので、早速、訪ねてみました。

多摩川の河川敷からわずかに離れて、剪定などの手を入れてない松の木があり、入り組んだ枝の間をすかすと、40センチもあろうかという巨大なマツボックリがむっくりむっくり・・・。

あちらこちらから見通すと、一つ、二つ、三つ‥…六つ。松の肌や枝によく馴染んでいて、どうしてもマツボックリです。

よく見ると、達磨さんのように首を沈めて寝ている生き物なのだと知れるものがあり、さらに待っていると、別の個体が目を開けてこちらをすかしています。とうとう、正面を伺うことが出来ました。

トラフスズク

トラフズク」を漢字では「虎斑木菟」と書きます。「虎の斑紋と兎のような耳を持って木に棲むもの」という意味なのでしょう。

実際は、トラの模様よりも複雑で松の木の肌合いによく似ており、危険を感じた時に身を細めて針葉樹の幹にすり寄るという擬態を使います。
ウサギのような耳をしているといいますが、実際の耳は別にあり、それと見えるものは羽角と呼ばれる羽の束で、これも擬態のために使われるということです。

トラフズクはこの惑星の北半球の中緯度地帯に広域に分布して、主に周年棲息しますが、寒冷地に分布する個体は冬季には南下し越冬します。こうした広い適応力には訳がありそうです。

神秘な狩り ハンター

夜行性であり、夕方から夜にかけて活動し、ネズミやモグラを好んで食べます。
松の木の下を探してみると、良くこなれてはいましたが、ネズミなどの毛が混じっているらしいペレットがいくつか見つかりました。

昼間は、大きな達磨ボックリのようにうつらうつらしているとしか見えないのに、夜間とはいえ、昼夜を分けずにヒトが活動する地鳴りのようなゆらぎの絶えることのないこのあたりで・・・どうやってネズミやモグラを狩って獲るのでしょう。
ビル、街路樹、ヘッドライト。自動車、電車、さまざまな家電などから大量に排出されるモーターの振動や電磁波・・・。
雑音の雪崩の中から、ネズミやモグラの発する特有でかすかな振動を聞き分け、邪魔をする波動の洪水の中から、地表や地下の獲物を手繰りだすことをしているのです。
おそらく、私たちの感ずることのできない情報を駆使する能力を備えているに違いありません。それが広い分布を可能にしているものと思われます。

とすると、トラフズクの夜の飛翔は、達磨ボックリとはまるで違うはずで、ひよっとすると幽鬼のようであるかもしれません。見たいものです。

レンジャクの混群 遠望

春も五合目

満開を過ぎたの花殻が枝にこびり付いたようになり、代わって、の花芽がはち切れそうに太ってきている頃の或る朝、多摩川の岸辺に小石を拾いに行きました。
愛犬モッチ(子犬)も春は嬉しいらしく、庭に出してやると喜んであちこちをほっつき歩くのは良いのですが、家の中に戻そうとするとき、足の裏を拭いてやるのが大変になってしまったので、庭のここぞという所を小石で敷き詰めてしまうのが良かろうと考えたからです。

あれ ナスが巨木の枝に?

バケツにほどほどに小石を入れてサイクリングロードに戻ろうとしたとき、川沿いに連なっている落葉巨木の梢近くのひとつに、丸っこいものがいくつか並んでいるのに気が付きました。じっとしています。

ナスの形に似たシルエットは14羽の鳥、それもイカルの群れではないかと思いました。ずんぐりした身体を縦に立てて止まる習性のあるイカルは、春の移動の前にあんな風に集合するものです。

レンジャク! 

望遠レンズで拡大してみると、朝の斜光も遠くからのことでしたが、イカルではないことが分かりました。イカルには有るはずのない冠羽(後頭に突き出た羽毛)が見えたからです。

レンジャク!
今年は当たり年?

レンジャク」は漢字で「連雀」と書かれるとおり、「連なって止まるスズメ科の鳥」ということだそうです。

特徴的な冠羽、濃いサングラスを掛けたような目の周り、風切り羽の配色の美しさ。これらもさりながら、比較的に人を怖れない性質があることから、機会に恵まれれば、実をついばむ姿を近々と見ることが出来るので、バードウオッチャーやカメラマンには人気があります。

謎めいたところがあるのも、いっそう人を引き付けるのかも知れません。
日本で冬を越す鳥ですが、探しても訪ねても一向に出会えない年もあれば、大きな群れを作って街路樹や電線などにさえ何日もとどまっているために飽きられるほどのことがあり……年によって飛来する数が大きく変動し、それがどのような周期で何故なのかが分からないのです。

イボタ、ヤツデ、キズタ、ズミ、ナナカマド、ヤドリキといった木の実を食べますが、とりわけヤドリキの実は好物でレンジャクたちを引き寄せるので、マニヤックな人たちが、全国規模のヤドリキスポットともいうべきものを作っているほどです。飛来の少ない年でも、ヤドリキに注目していればお目にかかれる機会は大きいというわけです。
レンジャクとヤドリキとは共生関係にあると言われるほどに密接で、レンジャクのお腹を通ったヤドリキの種子はネバネバした糸を引くようになっており、また樹の枝に絡み着いて発芽発根するチャンスを得られるという仕組みです。

  写真 石田光史


ヒレンジャクとキレンジャク

「ヒレンジャク」と「キレンジャク」の2種類があり、それぞれ「緋連雀」「黄連雀」と書かれるとおり、簡略には、尾の先端が赤いか黄色いかで判別できます。


2種の分布はかなり違います。図に示しました。
ヒレンジャクはシベリア東部、中国北東部(アムール川やウスリー川流域)で繁殖し、北海道を除く日本、朝鮮半島、中国東部の沿海地域で越冬します。分布はキレンジャクよりも狭く、繁殖地の森林減少と環境悪化のために絶滅が危惧されています。

一方のキレンジャクは、ユーラシア大陸の寒帯に広く分布して繁殖し、日本全土を含む東アジアで越冬します。
つまり、ヒレンジャクはキレンジャクよりも少し南の地域で繁殖し、越冬もより南を好むようです。それで日本でも、ヒレンジャクは温暖な西日本で多く見られ、キレンジャクは東日本で多く見られるのでしょう。

レンジャクの混群

とはいえ越冬地は重なっているわけですから、2種のレンジャクはしばしば混じり合って行動します。親戚同士が混群を作るということになります。
私が多摩川で遠望したレンジャクたちも、上の写真に見られるように混群でした。

やはり謎めいて

この日、上空をタカ(おそらくオオタカ)が旋回していました。
レンジャクたちが算を乱して藪や低木の中に避難する行動をとれば、こちらとしては近くで対面できる機会が生まれるかもしれないと思ったのですが……レンジャクたちは悠然としてなんの動きも見せませんでした。
レンジャクたちは頭上のオオタカに気が付かないほどにのんびりしているのか。
気付いていながら、オオタカが小型の鳥を狙うことは滅多にないということを計算した上での無反応なのか。
やはり、謎めいたところがあるようです。

次にはもっと近くでお目にかかれて、冠羽や背中の美しさなどをじっくり見られたらと願っています。

 

残り柿に来る鳥たち 動画編

柿の木を舞台と鳥の揃い踏み
「柿の当たり年」というものがあるとみえます。
東京都の多摩地方だけのことかもしれませんが、この秋も深まると、たわわに実を付けた柿の木が目立つようになりました。
柿たちは「今年はみんな頑張って沢山の実を付けましょう」とでも声を掛け合うのでしょうか。不思議です。
いずれにしても、熟し柿をたっぷりいただけるのですから、野鳥たちにとっては有難いことです。

遠来のツグミを癒やせ残り柿
別れ前のツグミの宴柿たわわ
ツグミは胸の斑紋が美しい鳥です。斑紋は、地味だけれどもバリエーションがあって、アサリ貝の模様を見るように楽しいものです。

シベリアなどからはるばると渡って来る冬鳥で、秋も深まった頃に日本に到達しますが、しばらくは越冬地の具合を見定めるかのように群れのままで過ごし、本格的な冬を迎えるころに群れを解いて散って行きます。

両脚を揃えてホッピングし、止まると背筋を伸ばしてあたりを一心に窺う様子がなんとも愛嬌があるので人気があります。

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憧れの「ツミ」

日本で一番小さい猛禽類

ようやく、出会いました。
初夏の林の中。左手から飛来して、少し離れた枝に止まった鳥の影。
キジバトかと思いましたが、身体を斜めに倒して止まることの多いキジバトと違って、太目の身体をまっすぐに立ててこちらを見ています。

「ツミ!」
日本で一番小型の猛禽類。
画像の1枚だけを見ると、達磨さんのようにどっしりと大きく感じられますが・・・小柄なのです。
スズメのように小さい鷹ということで、漢字では昔から「雀鷹」と書かれ、スズメタカというのがススミタカに、次第に短く詰まって、ススミ、スミなどとなり、何時の頃からか「ツミ」となったということです。

頭部から背面は青味がかった黒褐色。胸から腹にかけてはカーキーの粗目の横縞。黄色の光彩。同じく黄色をした頑丈そうな脚が目立ちます。

オス・メス  違う種類かと思われるほど 

幾つかの写真に揚げたのは、実はメスのツミ。
昔から知られていたことですが、オス・メスの違いが大きいのです。それを図にまとめてみました。

精悍で気が強い 

ツミは小型であるだけに小回りが利き、小鳥たちを襲撃して主食としていますが、コウモリ、ネズミ、トカゲ、小型のヘビなどを捕らえることがあり、バッタ、カマキリ、セミなどの昆虫も食べます。
身体の小さいオスは殊に俊敏で、スズメ、カワラヒワ、シジュウカラ、エナガ、ホウジロなどを巧みに捕え、一方、体格の大きいメスはムクドリやオナガやキジバトなど大きめの鳥も狩りの対象にします。

古く、鷹狩(放鷹)が盛んだったころには、狙う小鳥の種類が違うことから、オスとメスを別けて扱っていました。
メスのことを「ツミ」と呼び、オスのことを「エッサイ(悦哉)」と呼んでいたそうです。「悦哉」というのは「よろこばしいかな」という意味でしょうから、鷹を使う人にとっては、オスのツミはとりわけ仕込み甲斐があったとみえます。

そのはずです。
ツミは小兵ながら気が強く、カラスを襲撃することさえあります。
そのカラスといえば、その荒っぽさは有名で、トビを追い掛け回しているのはよく見られる光景です。他の猛禽類と活劇を繰り広げるのもしばしばのことで、例えば、木の上で食事中のミサゴから魚を奪おうとして数匹が巧みに連携し合って挑みかかり、これに辟易したミサゴがご馳走を半分ほど残して退散するのを見たことがあります。
ツミは、そんなカラスにさえ向かってゆくのですから、鷹匠たちをたまらずわくわくさせたに違いありません。

オナガ(何回か紹介したことがあります)という中型の鳥は、乱暴なカラスに挑んでゆくツミの勇猛を当てにして、ツミの巣の周り50メートルほどを間借りすることがあります。集合して営巣するのです。・・・この頃はツミもオナガも少なくなったせいか私は見たことがありませんが・・・。
オナガたちは、ツミに襲われるリスクよりも、カラスに卵を奪われる被害の方が深刻だと計算しているわけです。

潔癖? 衛生好き?

ツミの分布図を示しました。
ツミの大部分は、ユーラシア大陸の北部と北海道で繁殖し、秋になると南に渡って、九州と東南アジアで越冬します。一部は移動せずに日本の本州に周年棲息します。つまり一部は留鳥です。

本州で繁殖をするとなると、北方とは違って、梅雨時のジメジメした環境での子育てということになります。
ツミはオス・メスが協力して、針葉樹の樹上を好んで巣作りをしますが、材料の枝を地面からは拾わず、生木の細い枝をクチバシでへし折って集め、仕上げには杉の葉を敷き詰めます。
湿った環境への適応なのかどうか、落ちている枝に付着している雑菌を嫌い、杉葉の消毒効果を活用するためだとされています。
勇猛であるばかりではなく、なかなか賢くもあるのです。

市街地に進出している?

このところ、「市街地に猛禽類が進出して来ている」という話をよく聞きます。東京西部の多摩地区でも、ちょっとした公園の林や街路樹などで、ツミが巣を掛けて子育てをしているのが見られるということです。

ツミが営巣するとしたら、餌になる小鳥や小動物がその付近に不足しないということが必須な条件となります。街で子育てをするとなると、ヒトに近すぎるというマイナスを埋め合わすためには、餌に不足しないどころか、潤沢にあることが必要だろうと思うのですが・・・。
公園や並木道に、小鳥や昆虫が豊富なのでしょうか?

「里山」と呼ばれている不思議な区域は、ヒトの営みと自然とがバランス良く混じり合っていて、そこには野鳥や小動物などが意外に多く生息していることは私も知っています。
住宅街が里山と移行し合い、混じり合っているような微妙な場所。そんなところにツミが営巣することがあるとしたら・・・それは、「猛禽類が進出している」というような生息地の拡大ではなく、「目立つようになっている」ということだと私は思います。

鷹たちは飛ぶ

さて、初めてツミにお目にかかってから数日後、同じ森の上空はるか高く、タカ類らしいものが飛翔しているのに気付きました・・・あのツミか!
あわてて連写しましたが、残念ながら、私の腕前ではピントが外れてしまって、うっすらにしても鷹斑(たかふ・胸の褐色の横縞)が認められることから鷹には違いないのですが、ツミなのかオオタカなのか判然としません。
頼りない判断ですが、胸の横縞がこまかく整然と見えるところから、オオタカとするのが当たりのようです。

奥多摩の森でのピントの合った鷹の写真があります。
胸の横縞が荒いところから、ツミかハイタカであるようですが、そのどちらであるかを判別するのは無理がありましょう。

嬉しいことに、私たちの遠くないところで、鷹たちは飛翔しているのです。

 

北へ還る前の日々に ベニマシコ

お猿の顔のように

全体に紅色と印象される、尾の長いスズメといったシルエット。
この美しい小鳥は「ベニマシコ」と呼ばれ、漢字では「紅猿子」と書かれます。
「・・・猿(ましら)のように軽々と屋根から屋根を伝って・・・」などと表現されることがあるとおり、「マシコ」とはお猿さんのこと。


納得

ベニマシコを一目見れば「なるほど!」と納得です。
全体の印象もさりながら、目の周りの紅色がとりわけ濃く、アングルによってはお猿さんにとてもよく似ているのです。
それも、サル山のボスザルといった貫録を感じさせる個体もあります。
ここに挙げた写真はどれも冬の終わり頃のものですが、夏場にはもっと鮮やかに紅く色付くのだそうです。

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