小林一茶 光と影


思い出の学芸会

 〽信州信濃の雪解けてぇ…

 或る春の日曜日。目を覚ますと、妻が朝食の支度をしながら鼻歌を歌っているらしいのです。珍しいことでした。
 私は信州は木曽谷の生まれ、つまり木曽の山猿。一方、妻の故郷は伊豆。
 その妻が「シンシュウシナノ」とはどういうこと?・・・パジャマのままで台所に行って訊ねてみました。
「信州信濃がどうしたって?」
「あれ、聞こえてたんだぁ」
 妻ははにかみました。
小学校2年生の終わりの学芸会で「一茶と子供」という出し物があり、その主役「一茶」を務めたことがあるということでした・・・

 こんなふうに書き始めると、なんだか新婚間もない夫婦のほほえましくも平和な朝のひとときといった風に感じられるかも知れませんが、どっこい、私たちは共に80歳を超えている古手も古手の夫婦。
けれど、〽信州信濃の雪解けてぇ…という歌のことは本当です。

一茶と子供

 私は妻が口ずさんでいた「一茶と子供」という童謡の歌詞を知ろうとしました。ネットが張り巡らされている現在、このようなことはイチコロのはずです。
 ところが、いかにも古びたSP盤レコードの写真は見付かったのですが、肝心の歌詞が出てきません。
 御覧のように、盤の中央に貼られてたラベルに「一茶と子供」とあり、作詞:加藤省吾、作曲:八州秀章、歌:伊藤久雄と川田孝子が掛け合いで歌っているものと知れるものの、昭和26年(1951)にコロムビアレコードから出された盤は、今やレア物になっているということでした。


 書き出された形の歌詞にはお目に掛れなかったものの、幸い、レコードに入っている音声を直接に聞くことが出来ました。歌い手の声は相当にくすんでしまっていますが、一茶を演じている伊藤久雄は流石にどっしりとして渋く、村の女童を歌っている川田孝子は愛らしく、何度も聞き返すことで、まずまず歌詞を聞き取ることが可能でした。最後に数節を加えているコロンビアゆりかご会によるコーラス部分だけに、わずかに、これでいいのかなぁというような個所があるだけです。

      一茶と子供

     (村の女童)
   〽信州信濃の雪解けて お山はとろり春霞
    桜花咲く日暮れどき とぼとぼひとりお爺さん
    もしもし どちらに行きまする
     (一茶)
    はいはい わしかな わしならのう 
    旅から旅の歌詠みじゃ 祭りばやしのあの村へ 
    これから ぶらり行ことてのう
    (女童)
    いえいえ 怖いで止めなされ

    (一茶)
    さてさて怖いということを 少しもわしは知らなんだ
    なんとキツネが出なさると なるほど それは ぜひ見たい
    (女童)
    そしたら お話きかせてね
    (コーラス)
    信州信濃は夕暮れて 一茶のおじさん何処へ行く
    おぼろおぼろな春の夜や もみじ色なす秋の夜に
    詠んでは伝える歌の数

 これを書き写しながら自然に浮かんでいたのは、一茶の代表作とも言えそうな

    雪とけて村いっぱいの子供かな

という長閑な春の楽しさ一杯の句でした。

 一茶と言えば、大正から昭和にかけての国定教科書に

    雀の子そこのけそこのけお馬が通る
    やれ打つな蠅が手をすり足をする
    やせ蛙負けるな一茶これにあり

 という3句が長年にわたって取り上げられたことから、日本中の人々の子供時代から親しまれるものとなりました。松尾芭蕉、与謝蕪村と並ぶ三大俳人と位置付けされながら、前の二人とは全く違って、土と生活の匂いを無造作げに読んだ人だというわけです。その通りです。とりわけ小さい者への思い入れを独特なユーモアを道連れのようにした作風であり、それでいて、不思議な孤独感を漂わせている作品が少なくありません。

    是がまあついの栖か雪五尺
    目出度さも中ぐらいなりおらが春
    我ときて遊べや親の無い雀

 私の育った木曽谷は長野県のうちでも南にあり、島崎藤村が「木曽路は全て山の中である」と書いているように、山が迫った暗っぽい風土と言わざるを得ないのですが、一茶の故郷である北信に位置する上水内郡信濃町は、妙高高原、黒姫山高原、斑尾高原といった広がりに取り囲まれるようにしてあり、今でこそ、名だたる豪雪地帯ということを逆手にとって、それぞれの高原には雪質を誇るスキー場が開設されていてウインタースポーツのメッカになっています。
 あたりのもう一つの看板と言っても良いような野尻湖も、標高650mにありながら深さたっぷりに水をたたえているために水温の変動が少なく、冬季にも諏訪湖のように氷結することがないために、四季を通してヨットやカヌーが楽しめます。湖畔には大正時代から外国人宣教師によって開かれた落ち着いた別荘が集まっているスポットも点在します。
 つまりこのあたりは、今でこそ開発され尽くした魅力あるリゾートですが、一茶が各地を流転した末に故郷に帰ったころ、つまり江戸時代の末期には
     是がまあついの栖か雪五尺
とするほどに、冬場は雪ただ雪の重い景色であったに違いありません。ユーモラスなうちにも孤独感が漂うのは、こうした風土の作用によるもの・・・。

そんな簡単なことではありません。 

小林一茶

  実際の一茶の生涯は苦難の連続でした。
中農の長男として生まれたものの、3歳の時に実母を亡くし、迎えられた継母      と折り合いが悪く、15歳で江戸へ奉公に出される。
     椋鳥と人に呼ばるる寒さかな
 当時の江戸では、北国から流入してくる下層の働き手たちを椋鳥と呼んで蔑んで いた。
故郷の遺産相続がこじれて13年間も争う。
     故郷は蠅まで人を刺しにけり
     故郷やよるもさわるも茨(ばら)の花
     心からしなのの雪に降られけり
 農作業を第一とする土着の人々の共感と同情は継母と異母弟(実際によく働いて田畑を大きく広げていた)の方に寄せられがちで、相続争いは「真面目な百姓がむしり取られる」とすら評判されたよう。そんな空気の中で一茶は苦しみながらもあくまで執着する。

 ようやく争いは決着し、故郷に生活の基盤を得て52歳で28歳の妻をめとる。若い妻は農作業に精を出し、義母にも尽くし、近所との付き合いも円滑で、ようやく一家して落ち着いた日々を送れるようになったかに見えた。こうした余裕が、一茶の天分を開花させることとなり、蓄積されていた不信感や孤独感をカエル、スズメ、虫、子供などという小さく弱いものに投影あるいは同一化して、分かり易く、親しみ易い「一茶調」となって溢れ出させることになる。

     やれ打つな蠅が手をすり足をする
     雪とけて村いっぱいの子供かな
     折々に腰たたきつつ摘む茶かな
     木曽山へ流れ込みけり天の川
     美しや障子の穴の天の川  
     名月を取ってくれろと泣く子かな
     大根引き大根で道を教えけり
     ほろほろとむかご落ちけり秋の雨
     ざぶりざぶりざぶり雨降る枯野かな
     うまそうな雪がふはりふはりかな    
     わが菊は形(なり)にもふりにもかまはずに

ところが大きな不幸が雪崩のように襲い掛かる。
     千太郎(長男):生後28日で死亡
     さと(長女) :1歳で窒息死
     石太郎(次男):生後数か月で死亡
     金三郎(三男):生後まもなく死亡
     きく(妻)  :相次ぐ出産のためもあって衰弱。37歳で死亡
 一茶自身も58歳で軽い脳卒中を経ており、若い妻を失った時はすでに62歳であった。
 
     露の世は露の世ながらさりながら
     陽炎や目につきまとふわらい顔
     もともとの一人前ぞ雑煮膳

 子供を救えなかった無力と孤独に打ちのめされ、世の無常を呪うかのようであるが、一茶の凄さはそれからの最晩年にありそう。
 これほどの悲劇に見舞われながらも、なお自分の子孫を残すことに執着し、妻きくの死後、2度の再婚(1人は直ぐに離婚)を試みる。
 代々が浄土真宗の熱心な信徒であったせいもあってか、執着や我欲の強い泥まみれの自分を肯定し、生と性に縋り付く。親鸞の有名な悪人正機説「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人おや」に通ずるところを思わせる。

     ともかくもあなた任せの年の暮れ

 阿弥陀のことを「あなた」と言っており、他力本願や仏を語るにユーモアをもってするというまでに昇華している。
  
64歳時、追い打ちを掛けるように柏原村の8割がたを焼き尽くした大火が発生。
家はほぼ全焼。家財、蔵書、原稿の多くを失ってしまい、からくも焼け残った土蔵で暮らさなければならなくなる。やがて二度目の脳卒中に見舞われて身体にさらに不自由を生じるが、なお気力に衰えるところは無く、10年間以上を書き続けてきた俳文「おらが春」を完成させた時に急死。65歳。

火災に焼け出された後の最晩年の作でもユーモアへの昇華を失っていない。

     やけ土のほかりほかりや蚤さはぐ(騒ぐ)
     盥から盥にうつるちんぷんかん
 
 一茶が息を引き取った時、なんと、再再婚の妻の腹には9か月になる子どもが宿っていた。一茶の死後に生まれた女の子はすくすくと成長して小林家を存続させることになる。一茶の執念はかなえられることとなった。

初婚の妻・菊のこと

 一茶は多くの天才にしばしば見られるように、沢山の癖や欠点を併せ持った人でした。けれど後の世の人々は、その作品から醸し出されるユーモアと独特な哀愁を高く評価するという優しさで接しています。この稿の冒頭の「一茶と子供」に見るように、一茶はとぼけた味のある「旅の歌詠みお爺さん」として描かれるのが定番です・・・優れた作品は一人歩きするものでしょうから、それで良いのだろうと私も思います。
 ただ、一茶の初婚の妻である菊(きく)のことが脳裏を離れません。本来のかいがいしい農家の働き手が、10年も満たないうちに4回も懐妊して4人を出産し、そのことごとくを早期に失い、自身もおそらく衰弱のために若くして命を終わっています。
 思うに、こうした不幸が無ければ一茶の大成はあり得なかったわけで、菊の短い生涯は、北信濃の俳諧の師匠であった夫を日本を代表する俳人に押し上げるためにあったのだと言えそうです。菊は満足しているでしょうか。悔やんでいるでしょうか。

〔日本医史学会というものがあり、それらの研究者の見解には、菊とその子供たちの短命は一義的に一茶が責任を負うべき(梅毒を感染させた)とするものがあり、それは一茶が残している克明な手記などから強く推測できるとしています〕

 

 

 

サクラにウグイス?


満開のソメイヨシノの下枝で

 春はまた巡って来ました。
 4月3日の午前中、子犬と連れ立って近くの高みに出掛けると、とある満開のソメイヨシノの辺りに、ウグイスが来ているのが遠くから知れました。盛んに声を張り上げていたからです。けれど、「桜にウグイス」というのは聞いたことがありません。
 そもそも、ウグイスは藪を好むうえに警戒心が強く、直ぐ近くに大きな囀りが聞こえていても、姿を見るのは難しいものです。
 今度も無駄だろうと思いながらも・・・そっと近づいてみると・・・なんと、お目に掛れました!
 咲き誇る桜を逆光気味にして、声を張り上げる時には一杯に身体を膨らませながら(普段のスリムな姿とは一変、太り過ぎの野ネズミを思わせるほど)、低い枝に沿って移動しています。ウグイスが高鳴きする様子はこれまでも幾度か写真に収めていますが、サクラの花の蜜を当てにしているらしい様子を見るのは初めてのことで、「桜に鶯というのもありなんだ!」と思いました。
 動画に御覧の通りです。

 ところが、家に戻ってゆっくり動画を再生してみると、ウグイスは桜の枝に絡んだ蔓性の植物を当てにして移動しているのであって、背景になっている花には目もくれていないことが分かりました。やはりウグイスの食性は雑食性とは言え特にこの時期には動物性に傾いており、サクラの花との取り合わせは全くの偶然であるらしいのでした。残念!
 つまり、「梅に鶯」というのは間違っていますが、「桜に鶯」とは誰も言わないだけに、もっととんちんかんな取り合わせのようです。

桜にヒヨドリ

 「桜にヒヨドリ」というのは堂々と言えることです。この日、同じ桜の木に来ていたヒヨドリの様子を見てください。大きな図体で小さな花から飽きもせずに蜜を吸い集めています。ヒヨドリは「里山の野武士」というにぴったりのところがありますが、柄に似合わず、熟し柿やジュース、花蜜といった甘いものが大好きなのです。

 

 

フラップ・ダック鎮魂


ミモザ

 三年ほど前のこと・・・。幹が小指ほどの太さのミモザの苗を、娘が庭の東南の隅に植え足した。マンションに住んで、鉢植えのものばかりを並べているのに物足らなくて、土に根を張って立つ木を育ててみたくなったのであろう。
 ミモザは、春の先頭を切って黄色の小花をたわわに咲かせる楽しい木であるけれど、めきめきと大きくなり過ぎることから、よほど大きい庭でないと付き合うのは難しい。

 はたして、ミモザは急速に成長した。枝が道路側にはみ出るまでになってしまったのは剪定すればどうにかなるものの、結構に太くなった幹そのものが風に煽られると塀に当たるようになった。そもそも、それなりの間を考えて植え付けるべきだったのである。
 三年が経ったこの春、掘り上げて鉢植えにすべきだということになった。ミモザは植え替えが難しいと言われているけれど、細根を残すようにすれば大丈夫だろうというわけである。

出土

 晴れた休日に娘夫婦がやって来て作業を始め、注意深くスコップを使ったが、直根が深く伸びていてなかなか捗らない。探るように更に掘り進めた。
 と、スコップを使っていた娘の夫がふと手を止め、刃の先に引っ掛けるようにして、何かを深みから地面にさらけ出した。

 三人そろって息を呑んだ。春の日を受けて横たわっていたのは、泥にまみれてはいるが完全な形を保った腕時計だったからである。地面の下、それも深くに腕時計・・・。奇妙というかミステリアスな取り合わせである。
 が、その腕時計の特異なデザインを目にした時、私の記憶がよみがえった。土ごと掴み上げてその場を離れた。

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シジュウカラ ヤマガラ 賢さ比べ


軽快・才気のシジュウカラか 熟練職人肌のヤマガラか

 鳥にも結構に頭の良いのが居ます。
 誰にも文句のない堂々の金メダルカラス
 道具を作って改良する、ヒトの顔を識別して好ましくない奴を避けたり攻撃したりする、数を数えられる、などなどといった風で、5~7歳の子供レベルの知能を持っているとする研究者もいます。

 銀メダルに輝くのがシジュウカラ
 シジュウカラ語を使う、ということでこのところ注目されています。「集まれ」「上を警戒しろ」「地面が怪しい」というようなことを鳴き方やその順序を変えることで伝え合っており、その言語的な知的能力は2~3歳児に匹敵すると言われています。 樹のてっぺんから根方の地面まで活動の範囲は広く、藪や石の間をくぐり抜けて飛ぶというような敏捷性についても定評のあるところです。
 銅メダルにランクされているのがヤマガラ
 容器の蓋開けなどの操作学習が速い、試行錯誤でコツを覚える、器用な実務型、などと纏められていて、1~2歳児のレベルに相当するとされています。

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カラスザンショウとメジロ Ⅱ


 カラスザンショウ」を訪れるメジロたちの様子を楽しませてもらってから、あっという間に季節は一巡り。ひときわ綺麗に色付いたこの年の木の葉も落ち切りました。

 冬の日、前の年に私なりに多少の縁のできたカラスザンショウの樹を訪れようとすると、なんとまあ、かつての遊歩道を兼ねた山道には笹竹が侵入しており、「楢枯れ病」のために倒れてしまった大木が幾本か道を塞いだままになっていて、子犬と私が通り抜けるのに苦労させられました。わずか一年という間にこれです。大人も子供も外を歩かなくなっているとみえます。
 けれど、あのカラスザンショウの大木は前の年のとおりの所に立っており、高い枝先に付いた房状の実はどれも灰色に乾いていて、メジロたちがほとんど間を置かずに訪れて来ていました。房から房へ、せわしなく移って行ってます。

 本来、メジロは甘い花蜜や樹液や果肉が大好物なのですが、そうした物にありつけるのは難しい季節とはいえ、どうして乾いたカラスザンショウの実に集まるのでしょう。

 今度も、地面に落ちていた房状の実を持ち帰って観ることにしました。

A:カラカラに乾いた外皮
 私たちにお馴染みのサンショ(山椒)では、このように乾いた外皮を荒い粉にして「コナザンショウ(粉山椒)」とし、痺れるような辛みと爽やかな風味を楽しみます。あのウナギの蒲焼には欠かせないものですし、ご存知のように、焼き鳥、丼物、七味唐辛子などにも使われます。日本独自のスパイスとして外国でも注目されつつあるということです。
 持ち帰ったカラスザンショウの外皮(A)を噛み砕いてみると、コナザンショウとまではいかないまでも、似たような刺激が感じられました。サンショオール(痺れと辛味)、シトラネロール(爽やかさ)といった成分を共通して含んでいるのでしょう。
 この乾いた外皮はメジロたちの目当てではあり得ません。御覧のように手付かずで残されているのですから。

B:外皮の中に残っている黒い実
 房のほんのところどころに、外皮の中から黑い実(A+B)をのぞかせています。この黒い実(B)を取り出してみると、表面に不規則な皺が寄っているのが分かります。

C:皺のある薄い皮
 Bはほんの3mmほどの大きさですが、摘まむと、さして抵抗なく薄い皮(C)は剥がれて、その中から黒くて堅い実(D)が出てきます。Cは手触りが柔らか目で、薄く少量のため頼りないものの、口に入れてみるとグニャグニャした感じで、わずかに甘みがあるかなというだけでした。私の味覚に依る限り、これといった旨味があるわけではありません。

D:光沢のある黒くて堅い実
 最後に残った黒い実(D)。噛むと潰れはするもののジャリジャリと砂を噛むように崩れるだけで、なんの味も香りも感じられません。

 というわけで、メジロたちが当てにしているのはC(皺のある薄い皮)であるだろうとせざるを得ません。薄い皮を被った実を食べて、薄皮の部分だけを消化し、核のような黒い実(D)はそのまま排泄している(種子を撒き散らしてもらえるのでカラスザンショウにとっては有難い)ものと思われます。
 腹の足しになるのは至って少量ずつであるだけに、メジロたちがあちらこちらと房を飛び移る様子もさてこそと頷けます。同じように甘いもの好きであるヒヨドリが枝の間を目もくれずに通り抜けてゆく写真も撮れました。大型のヒヨドリにとっては付き合っていられない量なのでしょう。野武士さながらなヒヨドリには例えば里山の白菜やブロッコリーなどが待っております。

 冬も一月から二月の初め。甘いもの好きのメジロにとっては厳しい時期であるはずです。残り柿は落ち尽くしており、木々の樹液もまだ動かず、梅や桜の花蜜を当てにするには早や過ぎるのです。少量ずつではあってもカラスザンショウが残してくれている薄皮をも当てにしなければならないのでしょう。

 私にはどうということのない薄皮には、メジロたちにとっては特別な官能作用をもたらす成分(未知のアルカロイドなど)が含まれており、それがメジロたちを引き付けるのだ・・・である方がロマンチックなのですが、残念ながら私には知ることが出来ません。

近くの紅葉と残り小柿 訪れる小鳥たち


近くに小さな公園があり、そこへは幅一メートル半ほどの急な坂を上って行きます。坂を上り切るかというあたりに一本のひょろりとした柿の木が立っていて、この年はどういうわけか、ピンポン玉より少し大きいほどの小柿を沢山実らせました。秋が早足で進んだせいか、この近辺の紅葉も例年よりも鮮やかでした。

 公園に向かう坂道は、近辺の学校に通う学童、多摩モノレールの駅へ近道する人、グラウンドゴルフを楽しむシニアのグループ、それにそうそう、強豪で知られるT大学ラグビー部の屈強な面々(真っ黒に焼けて冬近くまでTシャツとハーフパンツ、にこにこして子犬に挨拶してくれる)などに結構に利用されます。人気にもかかわらず、道の上に被さるような小柿を多くの小鳥たちが訪れました。見かけによらず味の何かが好ましかったのでしょう。

なんといっても 先ずはメジロ
 一番手は、なんと言ってもメジロ。甘い果実や果汁好きということでは定評があり、ここに載せた動画でも、ねっとりして見える赤い果肉をさらうように食べ続けています。マナーが良いのです。次から次へと実をつつき廻すということをせずに、ひとまず満腹するとあたりの林で腹ごなしをして来て続きを食べるといった様子がうかがえます。群れを成していることが多いのですが、みんな上品です。


次いでこわもて野武士風 ヒヨドリ
 ぐんと小さく見える果肉を引きちぎるように食べています。
 ヒヨドリはメジロの3倍はあろうかという体格で、クローズアップすると「なるほど鳥類は恐竜の直系の子孫だな」と納得させられる迫力を放っており、それにふさわしく優れた飛翔能力を備えていて、少なくとも里山では他の野鳥を圧倒しているように映ることがあります。それでいてどちらかというと菜食主義者であるようで、冬も押し詰まって木の実を食べ尽くしたとなると、畑のハクサイやブロッコリー、伸び始めたエンドウの芽などを荒らすようになります。


けっこう美味しそうに シジュウカラ

 お馴染みのシジュウカラも雑食性ですが、動物性のものか堅い実を好み、早春に咲くウメやモモに来ることがあるものの、常連客のメジロが花蜜を吸い集めているのに対して、よく見ると、その頃に動き始める枝先のアブラムシなどをつついていることが多いのです。やはり春先に咲くコブシに集まったヒヨドリが柔らかな花弁をむしゃむしゃと食べていることがありますが、シジュウカラの目当ては花の付け根の虫なのです。
 ここでは、ちょっと味見に寄ってみた風ではなく、本気に食べています。この小柿は特別な風味があるのでしょうか。


珍しく コゲラ

 コゲラも雑食性ではあるけれど、最も小柄なキツツキとは言え、やはり木をつついて虫をほじり出して食べるのが普通です。エナガ、メジロ、シジュウカラ、ヤマガラなどと混群を作り、そのしんがりを務めながら移動して行くのがしばしば見られるように、他の野鳥たちが集まるところに魅かれるようです。エナガが枝先に、ヤマガラが小枝周辺に、シジュウカラは何処でも屋さんですが、・・・木々や林を群れが取り囲むと虫たちがパニック状態になるので、鳥たちが餌を見付けやすくなるから混群をなすのだろうというのが私めの推測です。キツツキにしても虫を掘り出し易くなるのでしょう。シベリアから渡ってきたばかりのツグミの群れが残り柿に群がっているところに、大型のキツツキであるアオゲラが顔出し程度にやって来たのを見たことがあります。
 この残り小柿にやって来たコゲラは、口直しやデザートというよりも、メインディッシュのような勢いで食べています。珍しいことだと思います。

 野鳥は大体が雑食性ですが、ここに登場する小鳥たちを樹液や果肉を好む順に並べれば・・・メジロ>ヒヨドリ>シジュウカラ>コゲラ・・・となりましょう。
 残り柿がすっかり落ち切ると、いよいよ冬本番です。

 

楽しかった乗物 三つ


 人生の第4コーナーを廻ってから、なんと、3週間ほどの入院を要する手術を2度受けた。麻酔から醒めると襲ってくる強烈な痛みの中で、1秒1分を少しでも楽に耐える方法は無いものかとあがいた。・・・来し方のうちから、楽しかったこと三つ、美しかった光景三つ、恐ろしかったこと三つなどと、あれこれを掘り出してゆくのが最も有効だった。幼い頃のことがほとんどだった。


楽しかった乗り物 三つ

① バンクーバーの水上飛行機
② ナイヤガラフォールのヘリコプター
③ チボリ公園の回転塔

1 バンクーバーの水上飛行機

  カナダのバンクーバーは「世界の住み易い街」の上位にランクされる常連であるだけに、海と山と街とが立体的に調和して組み上がっている都市である。
 そういう所を、高く低く、上から眺めるのは楽しくないはずはないと考えて、日本を立つ前に水上飛行機(sea plane)での遊覧飛行を予約しておいた。水上飛行機の発着場はバンクーバー港の西の外れにあることも調べていた。

 当日の午前中、無料の送迎バスというのに釣られるようにして、市街地を北方に外れた所にある「キャピラーノ吊り橋」という観光名所を訪れた。失敗だった。世界一長い吊り橋ということだが、園内を作り込みすぎている。混んでいる上に入場料もバカ高かった。帰りのバスに乗る際に「このバスでエアポートに行けますね」と尋ねると、係員が怪訝な顔をした。気がついて、エアポートをシープレーンポートと言い直すと、ニッコリしてOKということだった。
 水上飛行機は英語ではsea planeと呼ばれる。車輪の代わりにカヌー型をした大きいフロートを付けているので、曲芸飛行などは出来ないであろうが、見るからに安定していて愛嬌がある。

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沁みついている光景 三つ


 人生の第4コーナーを廻ってから、なんと、3週間ほどの入院を要する手術を2度受けた。麻酔から醒めると襲ってくる強烈な痛みの中で、1秒1分を少しでも楽に耐える方法は無いものかとあがいた。・・・来し方のうちから、楽しかったこと三つ、美しかった光景三つ、恐ろしかったこと三つなどと、あれこれを掘り出してゆくのが最も有効だった。幼い頃のことがほとんどだった。

沁みついている光景 三つ

1 幻の大湖の決壊
2 南の島の岩磯
3 スイス ベルン郊外の俯瞰

1 幻の大湖の決壊

 独峰木曾御嶽は木曽側から望むと殊に美しい。高さではかなわないけれど、アフリカ大陸の最高峰キリマンジャロを想わせる威容を漂わせている。独峰ということに限れば、富士山に次いで日本で2番目に高い。なにしおう活火山でもある。
 ある夏、私はいくつかの登山道のうちでも開田高原口を選んで、独りでこの山に登ろうとしていた。
 ようやく四合目も近いかというあたり。折り返しの一つを回り込むと、突如、雪崩を打って落ちかかって来る黒いきらめきの連なりに向き合い、決壊しつつあるダムの正面に立ってしまったかと狼狽えてしまった・・・。
 山襞一つを隔てて、裾野を埋めている無数の前山のうちの二つが程良く間を開けて向かい合っており、その間をびっしりと埋めている針葉樹の梢たちが、折からの逆光を背負いながら下へ下へ、巨大な漏斗に吸い込まれるように連なっていたのである。檜やサワラであったであろう。それぞれが急斜面にしっかりと根を張って立っているはずだったが、どの梢も黑く透き通って飛沫のように輝いて、音の無い瀑布さながらに動いて見えたのである。

 この光景をいつも何処かに温めながら、なんと60年近くが経ってしまった。

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恐ろしかった光景 三つ


 人生の第4コーナーを廻ってから、なんと、3週間ほどの入院を要する手術を2度受けた。麻酔から醒めると襲ってくる強烈な痛みの中で、1秒1分を少しでも楽に耐える方法は無いものかとあがいた。・・・来し方のうちから、楽しかったこと三つ、美しかった光景三つ、恐ろしかったこと三つなどと、あれこれを掘り出してゆくのが最も有効だった。幼い頃のことがほとんどだった。

恐ろしかった光景 三つ

1 決壊寸前のダム
2 街道に沿って渦巻く炎
3 東日本大震災の津波

1 決壊寸前のダム

 太平洋戦争の末期。戦局が押し詰まってくると、信州信濃の山奥の木曽谷でも空襲警報のサイレンが鳴った。敵はいよいよダムを爆撃して水力発電を壊滅させようと企んでいるのだという。狭い谷間でのサイレンの繰り返しは波うち、山と谷に幾重にも反響してそれは恐ろしい咆哮になって轟いた。小学校に上がる前の幼児だった私に込み入った話は分かるはずはなかったが、恐ろしいことが近づいているという緊張にはたっぷりと晒された。

 結局、ダムは爆撃されなかった。けれど、粗雑に造られつつあったらしい溜池のようなダム(緻密に建設されればロックフィル式ダムとして合理的な技術)が、決壊しそうになった光景を見たことがある。

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身は自然に任せたい


欅の大樹の下で

 私がささやかに楽しんでいる菜園の近くに、一本の欅の大樹が聳えています。根が四方に張って、幹はたっぷり二抱えを越え、枝には幾つものヤドリギを養っています。その実を目当てにして、かのヒレンジャクやキレンジャクが訪れることもあります。
 冬の日、根方に深く食い込んだ笹竹を掘り上げてやろうとしていると、なんと、幾片かの石器が混じった縄文土器が出てきました。樹木は、この惑星で一番に長寿の生き物でありましょう。人生の第四コーナーを回り切ろうとしている私には感ずるところがありました。

 かつて、縄文や弥生の時代をこの地で生きた先人がこのあたりに葬られたことがあったとすれば、その人の一部は根から取り入れられて目の前の大樹の何処かで今も活用されているかも知れないのです。「縄文杉」というのが有るからには「縄文欅」というのが在ってもおかしくはありますまい。

    大欅根に縄文の土器を抱く
    弥生二千年武蔵野を見て大欅

 私たちの身体を組み上げていた組織が元素のレベルまでばらばらになり、それがほんの一部であっても次の生命体に活用されてゆく。・・・素晴らしいと思います。
 38億年と言われる生命の歴史を連綿と引き継いだ先端を生きている私。これが途切れるのは怖いし、悔しいことだけれど、どうにも避けられないことです。受け入れるより仕方のないことです。まさに生命の火が消えようとする刹那には、それなりの苦悶に耐えなければならないだろうことも覚悟しています。みんながそうしているのですから・・・。
 さして遠くない日、火葬されて残ったものをそのあたりの無理のないところに撒き散らしてもらいたいと強く願っているこの頃です。

 この稿で言いたいことは、これで尽きています。後は蛇足になります。

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