銀の星

 カラスのお母さんが三羽の赤ちゃんを産みました。みんな男の子だったので、一郎、二郎、三郎と名前をつけました。
 一郎と二郎は、お母さんたちが餌を運んでくると、黄色いクチバシを精一杯に開いて首を突き出し、自分がどんなに腹がすいているかを訴えました。三郎だけは、二人の兄さんたちのうしろに隠れるようにして、ひっそりと口を半開きにしているだけでした。これでは食べ物をもらえません。
 一郎と二郎は日に日に重くなり、つやつやと光る黒い羽根がだんだんに生えそろってきました。三郎は羽根が生えるどころか、がりがりに痩せ細り、生まれてきたばかりのトカゲの子に大きなクチバシを付けたような格好のまま、弱ってゆくばかりでした。ただどうしたわけか、頭のてっぺんに銀色の産毛がまとまって生えているのが目立ちました。 “銀の星” の続きを読む

盆踊と花火

 ・・・日本の夏は、雨が降っているか、蒸し暑いか、そのどちらかである・・・
 ある外国人がこんなふうに書いているのを読んだことがある。「梅雨明け十日」というのを知らないのかな、とそのときは思った。

 その夏、外国人に言われたとおりになってしまった。びしょびしょ雨が降り続き、ドウダンツツジなりウメの徒長枝を整えようとしても雨だれが飛び散るありさまで、たちまち全身が濡れそぼり、そして蒸れる。梅雨が居座ってしまった感じで気温ばかりが上がり、不快だった。
 さすがに、八月に入るとそんな気候も持ち直したように見えたので、恒例になっている盆踊りをやろうとした。少年院の中庭が盆踊会場である。 “盆踊と花火” の続きを読む

カッコウと少年

 一羽のカッコウのヒナが巣立ちをしました。ゆっくりと、ワシやタカに似たシルエットを見せつけてあたりの小鳥たちをすくませながら、お父さんとお母さんが待っていた木立まで達し、ふんわりと枝に降り立って胸を張りました。
 誇らしく、幸せでした。けれどもそれは、白地にグレイの横縞の胴を立てた父親から、次のように告げられるまでの、ほんのわずかな間だけのことでした。

  ・・・お前はモズの巣の中に産み落とされた。卵からかえると、自分の背中を使ってモズのヒナどもを次々と放り出し、エサもなにも独り占めにして、この父と母にではなく、モズの夫婦に育てられた。あのしたり顔のモズの鼻をまたあかしてやったわ。われわれ一族がさずけられている生まれながらの知恵とはいえ、お前はよくやった・・・。

 幼いカッコウの全身がいきなりぞっと毛羽立ち、大きくふるえだしました。そういえば、はるか闇の奥から這い上がってくる幻があったのです。 “カッコウと少年” の続きを読む

運転免許証物語

 自動車の運転免許を取得しようとしたら、普通の人はいわゆる「教習所」のやっかいになる。ちかごろは、「ドライビングスクール」などと名付けられていて、「スタンダードコース」「ウイークデイコース」「クイックコース」「トップコース」「学生プラン」「合宿プラン」「ペーパードライバーコース」などと分けられ、「料金定額制」「安心パック」などと、広いニーズに応えられるように工夫されている。
 さて、一人の若い娘が、生活のリズムからどうしても通常の「教習所」に通えないので、都合の付いた時に個人レッスンを重ねて、飛び込みで実地試験をパスすることを目論んだ。それも警視庁の「府中運転免許試験場」に殴りこむのだという。
 周囲はあやうんだ。特定のスクールに所属して、普段練習しているコースで受験することには見過ごせないメリットがある。車種とコースの配置に慣れている。教習所では「講習修了試験」と呼ぶらしいが、受験者が複数いるときには、同一のコースで為されることが多いから、順番がさがるにつれ、「ああ、あそこが要注意。あれがポイントだ」としだいに伝えられてくる。料金定額を一応うたってあるので、生徒たちがほどほどのところで実地試験をパスできるように、教習所側も有形無形の努力をする。 “運転免許証物語” の続きを読む

オオムラサキと木曾漆器・友

 中学二年の夏祭りの日、女神様をお迎えしようと鎮守の森への山道を登ってゆくと、同級生の須藤栄三郎君、通称ザブ君が坂を下ってくるのに出会った。
 ザブ君は「里彦」という屋号の旧い漆器製造元の息子で、絵が上手なのと、相撲がめっぽう強いということで、仲間から一目置かれていた。腰が据わっているのは、代々どっかりと坐って漆の芸にうちこんできた血筋のせいなのかどうか。色白のはにかみ屋で普段はでしゃばらなかったが、相撲を取るとなるとごうも容赦なく、したたかに相手を投げとばした。しばしば土俵際で得意技のウッチャリをかけられ、地面と顔とがまともに御対面ということになり、しばらく立ち上がれないことも私にはあった。
 ザブ君は胸の前の何かに気をとられながらゆっくりと下ってくる。声をかけると、おどろいたように顔を上げ、はずかしげに薄く笑い、親指と人差し指で摘まんでいるものの上にもう一方の手を被せて、それを私から守ろうとするような仕草をした。なにも隠すことはないだろうと腕に手をかけて覗き込んでみると、それは一匹の蝶であった。
 まず受けた印象は、蝶々というものはこんなに毛深い生き物だったかということである。ことに太めな胴回りから翅の根元のあたりにかけて、銀色の光沢をはなっている無数の毛でびっしりと覆われていた。ルビー色がかってつぶつぶした眼には、痛いとも苦しいとも表情が見えなかった。そのとき発条のように巻き込まれている口吻がするすると伸ばされ、しばらく小刻みに震えたかと思うと、再びするするとたたみこまれた。
「生きてるじゃないかよ」
「うん・・・」
 そのままでザブ君は指先に力をこめたから、胴体がつぶれる小さな音がして、口から緑色に濁った汁が溢れ出てきた。
「これ、スミナガシってやつなんだ。あんまり珍しいもんじゃないけど、捕まえるのは難しいんだよ」

スミナガシ キベリタテハ クジャクチョウ テングチョウ

 水の上に一滴の墨汁を落とすと、さっと表面に拡散して微妙に入り乱れた黒と白のだんだらを作る。その上に和紙をかぶせると、その模様をそっくり写しとることができる。この遊びを私たちは「墨流し」と言っていた。紺の光沢のある墨があり、それを点状に流すことができたなら、この蝶の羽根に似たような模様を得ることができるだろう。この瞬間まで私は、この世に蝶といえば、モンシロチョウとカラスアゲハだけしかないと思っていた。 “オオムラサキと木曾漆器・友” の続きを読む

拘禁

 1968年(昭和43年)、私は府中刑務所の医務部に勤務していた。おりから学生運動の最後のたかまりがあり、多数の若者たちが逮捕され、首都圏の拘置所が満杯になったために、刑務所の「独居房」の一部が拘置区として転用されるという事態になったことがある。 “拘禁” の続きを読む

馬に噛まれて・・・川また川を渡る

 馬‥・これに私は二度噛まれ、一度振り落とされ、一度蹴り上げられたことがある。
 一歳半ころ、ネエヤに背負われて街道に出ると、ちょうど一頭のふとぶととした運送馬が荷車につながれたまま飼葉を食べていた。「ほら、おうまちゃんよう」とネエヤが背中をねじると、カボチャのような私の頭が運送馬のほうに振り出された。馬は付き合っている気分ではなかったらしい。麻雀のパイのような前歯が私の額の真ん中に当てられ、四角く皮膚がめくれてずいぶん血が出たそうだ。これはいくらなんでも憶えていない。
 八歳のとき、仲間と木曽馬の馬市に遊びに行って、度胸試しのつもりをやった。仮の囲いと囲いのあいだを駆け抜けるのである。馬たちが両方からずらりと首をだして、丸太をカヌーのようにくりぬいた桶からボクリボクリと飼葉を食んでいた。 “馬に噛まれて・・・川また川を渡る” の続きを読む

子犬のケン

             
  〽総攻撃の命くだり
   三軍の意気天を衝く
   目醒めがちなる敵兵の
   胆驚かす秋の風
   ・・・・・
   トテーッ!
   やい、有象無象!

 乱れがちなる父の足音が、大きなだみ声ともつれあって石段を降りてきた。私が小学校二年生のころの秋の夕辺。歌は日露戦争当時の古い軍歌。父が酔ったときによく歌っていたが、正確かどうかは分からない。「トテー、やい、有象無象」というのは、父の即興の合いの手。
 ガラガラと大気を裂いて落下してくる敵の砲弾が至近であるのを知って、私はすばやく草履をつっかけ、台所から庭のほうへ避難しようとした。が、酔っ払いというものはいつでも変なところに冴えているもので、この時も父の目はすでに私の動きを捕捉しており、すかさず浴びせてきた。
「そこな、待てい。トテーッ! やい、有象無象!」
 有象無象というのは何であるか、後になってだいたい分かるようになった。もうひとつの合いの手「トテーッ!」の方は、いまになっても何のことか分からない。 “子犬のケン” の続きを読む

首振りエンジン始末記

 中学一年の夏休み、兄の一人が東京の土産に「首振りエンジン」という玩具を買ってきて来てくれたことがあった。真鍮で造られたごく小型のスチームエンジンで、一人前に安全弁の付いたボイラーと、小指の先ほどのシリンダー部分との二つから組み立てられていた。原理は蒸気機関車に付けられているのと全く同じなのだが、この小型の原動機のシリンダーは、いやいやをするように左右に揺りながら勢車(はずみぐるま)をまわすので、「首振りエンジン」と呼ばれる。ぎりぎりまで簡素に工夫された実に愛くるしい機関である。
 これを搭載するにふさわしいものとして、私は船を造ることにした。幅十六センチ、長さ六十センチもの大船を設計し、「信濃」と名づけ、波を蹴散らして進む勇姿を想像しながら一週間ほどは無我夢中だった。ブリキ板を三十センチもある装甲鉄板にみたてて、手を傷だらけにしながらハンダ付けをした。機関部を取り付ける際には、上級の技師を買ってでている兄に厳しく監督された。 “首振りエンジン始末記” の続きを読む

冬の半魚人

 中学二年の晩秋の夕暮。私たちは一列縦隊になって山道を走っていた。まず足腰を鍛えようという野球クラブの訓練で、学校から出て「黒川渡ダム」をひとまわりして帰ってくるというのが定番のコースだった。なるほど、木の根や石ころをうまく避けて走ることは野球のためにもわるくないトレーニングだったろう。急な坂をのぼりつめると、こんどは木の間越しに黒い水面を透かしながらの下り坂が続いた。私たちは勢いづいて駆け下りにかかった。
 「なんだ!」
 先頭を引き受けていた先生がいきなり立ちすくんだので、全員がたたらを踏んで追突をくりかえし、斜面から落ちかかった者もいるほどの混乱となった。

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