剣豪宮本武蔵はモズが気に入っていたようです。秋も9月の末ごろから、枝先で「キーイ、キリキリ、キリ」と鋭く高鳴きして凛々と縄張り宣言をし、スズメよりも少し大き目といった体格でありながら、あたりを睥睨しているありさまが剣豪には好ましかったのでしょう。ワシ・タカ類のようにクチバシの先が鉤状に曲がっていて、徹底した肉食のハンターであることにも共感したのかも知れません。挨拶してもらいます。
わしがモズじゃ おぬし できそうだの
お立ち台の上でというような、モズの風格は写真でご覧の通りです。宮本武蔵は「枯木鳴鵙図」という、モズをモチーフにした水墨画を残していますが、これは「重要文化財」に指定されているほどの出来栄えとされています。
長い間たずさわってきた少年矯正の仕事を退官し、また、かなりの時が経ちました。夕焼けを眺めるたびに、あと何度見られるだろうと思うこの頃。
身近な生き物たちとヒトへの想いと観察を綴りたいと思います。
日光の話に戻ります。観光客が買い与える餌や残し物でうるおったためらしく、まずハトが増え、そのハトのヒナやタマゴを満足に食べることができたためもあって、やがて日光の周辺にカラスが目立って増えたのだそうです。
スズメといえば、私には強烈な思い出があります。小学校5年生の夏休みに、ようやく兄たちを通りすぎて私のところに順番が回って来ていた「講談全集・猿飛佐助」というのを読んでいると、屋根に並んではしゃいでいるスズメの一団がいつになく気に障りました。読めない字が多くてイライラしていたのでしょう。
茶色のチョッキをカメラのファインダーに入れるたびに、幼かったころの木曾谷の夏祭りを思い出します。先の大戦後も数年間、「木曽馬」の馬市はサーカスの小屋が立つほどににぎわったのですが、農耕機械などの発達とともに馬市は次第に先細りとなって、ついに消滅してしまいました。おとなしくて働き者だった木曽馬は必要でなくなったのです。それから谷は過疎化に向かうのですが、女神さまを祭ってある「水無神社」の祭りだけは輝きを失わないように、谷の人々は踏ん張り続けました。

