神戸連続児童殺傷事件 Ⅳ 「行為障害」

1 不運なとりあわせ

 この事案に迫ってゆくためのキーワードは次の三つである。「行為障害」「性的サディズム障害」「愛着の問題」。
 どの一つをとっても対応や治療、そして教育に大きな困難をともなうものであるうえに、これらが三つ巴をなすように入り組んでいる。それぞれに、どういうところが生来の機能障害の存在を思わせるか、どういうあたりに生育環境が絡んできていると捉えられるだろうか。
 ひとつの不運な波が先行し、その上に後発のものが追い付いては重なることで高さを増し、ついに波の頂上が崩れ落ちる。そんな成り行きが映像的に想われる。 “神戸連続児童殺傷事件 Ⅳ 「行為障害」” の続きを読む

神戸連続児童殺傷事件 Ⅴ 「性的サディズム障害」

1 サディズム・マゾヒズム

 ・生命体と性
 性は、攻撃と支配ということに密接に関係している。
この惑星の生命体は、その誕生以来長い間(およそ38億年前に生命が誕生してから現在までの距離を仮に100㎝とすると、はじめの50㎝ほどの間)は無性生殖であり、自分の遺伝子をそのまま子孫に伝えること、つまりクローンを作るというのが繁殖の仕方だった。それでも遺伝子の突然変異というものはほぼ一定の確率で起こり、ゆっくりとではあったが進化は積み上げられた。
 やがて生命たちの多くは、有性生殖というやり方を選択することになる。父と母それぞれが自分の遺伝子を二つに分裂させ、その片方ずつを再び一つに接合して子供に伝えるというやり方である。そうした操作はかなり微妙であるので遺伝子に変化を与える率は大きくなり、それだけに子孫に形態のレベルの変容をもたらしやすく、環境の変化に耐えて生き延びられる子孫を準備する多様性の確率が高くなった。その上に自然淘汰が働くことで、進化は格段に加速された。有性生殖というシステムのもとで自分の種を繁栄させるためには、良い伴侶と結ばれることが決定的に大切なこととなってゆく。 “神戸連続児童殺傷事件 Ⅴ 「性的サディズム障害」” の続きを読む

神戸連続児童殺傷事件 Ⅵ 「愛着の問題」

1 愛着障害について

 ・母と子の無数のとりあわせ
 「愛着」とは、生まれてからのちに獲得される、親と子の間の基本的な絆の持ち方をいい、「安定型」と「不安定型」に大きく分けられるが、驚くべきことにそのタイプは生後1年6ヶ月ほどの間に決定され、それからの対人関係一般のありように影響し、しかも生涯の長くにわたって持続するという。「第二の遺伝子」とすら呼ばれることがある。
 人類史上、それこそ数えきれない子供たちが親(多くは母親であろうが、必ずしも遺伝上の親ではない)に育てられてきた。親と子は、互いにさまざまな素質を持ち、さまざまな状況の下にあったであろう。どのような赤子がどのような親と組み合わされることになったかは、まさに運命的であり、それぞれが一期一会であった。
 もとより完全な子育てというものはあり得ないとはいうものの、なんと数多くのヒトがまともに育ってきたものだろう。生物的には母親は、他の哺乳動物と同じように、分娩時に愛情ホルモンとも呼ばれることのある「オキシトシン」というホルモンが脳下垂体から分泌され、いわゆる母性が刺激されて「我が子がいとしい」という気持ちがにわかに高まるという仕組みになっている。これが大きく作用を及ぼしているのかも知れない。 “神戸連続児童殺傷事件 Ⅵ 「愛着の問題」” の続きを読む

神戸連続児童殺傷事件 Ⅶ 「湖のイメージから」

1 黒い湖

 目の前に、い水をたたえたが広がっているとイメージしてみる。図に示した、上から2番目がそれである。
この湖には第2章で述べた3本の沢が注ぎ込んでいるとする。

 ・青い沢 =「行為障害」
 ・黄色い沢=「性的サディズム障害」
 ・赤い沢 =「愛着の問題」 “神戸連続児童殺傷事件 Ⅶ 「湖のイメージから」” の続きを読む

神戸連続児童殺傷事件 Ⅷ 「処遇効果の全体的把握」

 処遇効果の全体的把握

 この事案に限ってのことではない。処遇の経過を縦断的に捉えようとする補助の一つとして、様々な場面での少年の表出を節目節目に、できるだけ多くの教官に評価してもらい、それをレーダーチャート様のものにまとめてみることがある。陶芸や板画などの作品に表れる変化と照合すると参考になる。
 図に見るように、11の項目を、あらかじめヒントとして挙げてある留意点を参考にして10段階で評価し、12番目に全体の平均点を出すようにしてある。もちろん、ここに例示したレーダーチャートは当該少年のものではない。 “神戸連続児童殺傷事件 Ⅷ 「処遇効果の全体的把握」” の続きを読む

神戸連続児童殺傷事件 Ⅸ 「処遇のまとめ」

1 理解と処遇を一貫したもの

 少年は乳幼児期に母親との間で生じた「愛着の問題」を抱えつつ育ち、追い打ちをかけられるように、小学5年時に自分の「性の異常」に気付いてしまう。これが決定的な打撃になった。得体の知れないものを抱えて孤独に苦しみながらも、いくつかのSOSを発信するが誰にも気付いてもらえなかった。
 理解や慰めや支え。これらを母親からこそ得ることを渇望したが、強いためらいと成り行きへの恐怖を伴った。渇望と恐怖との葛藤の中、あちこちにぶつかりながら転がり落ちてゆく。本件非行がその到達点であったが、そのとき母親へのいらだちが爆発し、少年鑑別所で罵声を浴びせている。
「なんで来やがったんや!はよ帰れ、ブタ!」。
 困惑しながらも説明を求める母親に、なお自分の口で自分の正体をはっきりと告げられず、自分ともども、少年は母というものを一旦は見限ったと思われる。「母さん、知らん方が幸せなこともあるやろ」というのは、ある意味、思いやりを含んだ決別の言葉である。
 このようにして医療少年院には、社会を捨て、自分を捨て、求めながらも親をも諦めた状態で入院してきた。 “神戸連続児童殺傷事件 Ⅸ 「処遇のまとめ」” の続きを読む

神戸連続児童殺傷事件 Ⅹ 「社会で」

1 逆風の中での贖罪

 神戸連続児童殺傷事件の犯人である元少年は、6年半の施設内処遇を経て医療少年院を仮退院した。少年事件については少年法の理念から出院の情報などは本来は守秘されるところ、被害者遺族などの要望に応えての特例にするとの法務省の判断で、出院の日時が開示された。
 仮退院が報道された直後から、インターネットを介して情報が飛び交い、掲示板には特定のコーナーが出現し、その日の夕方までに投稿は数千件に達した。投稿では、元少年の氏名や事件発生当時の写真と称するものを載せたり、新しい居住地を臆測して自治体名や地域の名前を挙げたりしていた。これに対し法務省は、「プライバシーを侵害し、社会に不安を広げ、平穏で円滑な社会復帰を阻害する人権侵害行為である」として掲示板開設者に削除を依頼した。
 一方、「本人が更生できるかどうかは、自分のペースで生きられる条件がどれだけ整うかにかかっている。周囲はできるだけそっとしておく方がよい」といった静穏な捉え方もあり、つまるところ、元少年がどのように受け入れられてゆくのかについては、社会全体のありようにゆだねられることになった。 “神戸連続児童殺傷事件 Ⅹ 「社会で」” の続きを読む

神戸連続児童殺傷事件 Ⅺ-Ⅰ 少年犯罪の俯瞰〔戦後編〕

 「神戸連続児童殺傷事件」を理解するために、戦前と戦後とを分けて、少年犯罪を俯瞰してみる。

1 戦後の少年犯罪の要約

 戦後、この国の非行現象は、3つの大きな波を経てから鎮静化した。第一の波のピークは敗戦直後の昭和26年(1951)、第二の波のピークは昭和39年(1964)、第三の波のピークは昭和58年(1983)であった。

 第一の波と医療少年院という現場
 第一の波を構成する非行は、「警察白書」などによって次のように特色付けられている。
「生活のための基本的な物品の窮乏、とりわけ極度にひっ迫した食糧事情、社会的荒廃と混乱のもと、年長少年(18・⒚歳)の窃盗、強盗、詐欺などの財産犯が目立つ」。これらをまとめて「貧困型非行」とも呼ばれた。

 この時期を受けて、医療少年院は「結核の時代」とまとめられる。
「戦災孤児」「浮浪児狩り」といった言葉がなお生々しく、国中が飢えていた中で彼らの栄養状態が良いものであったわけがない。非常な過剰収容のうち、その50%近くが結核におかされており、有効な抗結核剤が出回るのを待てずに、不幸な転帰をたどるものも少なくなかった。院の過去帳にはかなりの数の記帳があるが、ほとんどがこの時代の結核による病死である。 “神戸連続児童殺傷事件 Ⅺ-Ⅰ 少年犯罪の俯瞰〔戦後編〕” の続きを読む

神戸連続児童殺傷事件 Ⅺ-Ⅱ 少年犯罪の俯瞰[戦前編]

 同じカテゴリーのⅪ-Ⅰ少年犯罪の俯瞰[戦後編]で、経済成長率と関連付けて、「少年犯罪は社会の動きが激しい時に増加する」とした。戦後の少年犯罪は3つの波を経たが、「バブル景気」の頃に迎えた「第3の波」は、犯罪検挙数からいうと戦後最大であったものの「学校型非行」と特徴づけられたように、内容的には「万引き」と「放置自転車の乗り逃げ」が80%近くを占めていたものであり、それからというもの「バブル崩壊」後の「失われた20年」という社会の沈滞をなぞるようにして、少年犯罪は減少の一途をたどっている。けれども、戦後どの時期においても、時々の非行群の特徴とされたものからは突出した異質の犯罪が散発していることについても要約した。

1 戦前の社会の特徴

 先ずは、戦前の経済活動というものはどのようであったかをいくらかでも知ろうとした。太平洋戦争の開戦時に、日本のGNPは米国の10分の1ほどであったということはおぼろげに承知していたが、大日本帝国の経済成長率というものはどのように推移していたのかを気にしたことはなかった。 “神戸連続児童殺傷事件 Ⅺ-Ⅱ 少年犯罪の俯瞰[戦前編]” の続きを読む

神戸連続児童殺傷事件 Ⅻ-Ⅰ 少年は変わり得る 処遇事例から

関東医療少年院の役割

 「・・・非行の重大性等により、少年の持つ問題性が極めて複雑・深刻であるためその矯正と社会復帰を図る上で特別の処遇を長期に必要とし、医療の介入が一義的に重要と判断される事案・・・」
 関東医療少年院はそのような特殊な事案にかかわり続けてきた。平成10年(神戸事件後)から同16年(筆者退官直前)までの7年間に限っても、そのうちでも際立って特異な対象のおよそ20例を他の少年たちに混じえて治療教育した。この期間を中心にして(この期間を外れている例もある)、筆者の印象に刻まれている事例のいくつかを挙げてみる。比較的スムースに社会復帰を果たせたものがほとんどで、この7年間の事案に限れば、今のところ、前回と近しい犯罪を再発させたという情報を得ていない。
 事例をまとめるにあったっては、プライバシーの保護のために、氏名、年齢、日時、場所などを伏せ、内容についても要点が保たれるぎりぎりのところまで改変した。そうしたからといって、本人の同意を得ることが不要となるわけでは原則ないが、それぞれに保護処分を終了した身分には、矯正側から連絡を取ろうとするのは不可であり、ついで、ここに事例として挙げるのは、少年たちが「自他への信頼の回復」ということに如何に苦しんで努力したかという実際を、敬意をもって報告したいからである。少年たちは変化し得るということを、少しでも多くの人に知ってほしいからである。本人が目を通すことがあったにしても、私どもの間に不信が生まれることはないと信じている。
  近く成人年齢が引き下げられることにともなって、18・19歳の年長非行少年たちは原則として保護的な処遇を受ける機会が得られないことになる。保護的な対応が第一義とであると判断された事案については、そのような処遇の選択ができるようにしてもらいたいと筆者は強く願っている。
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