拘禁

 1968年(昭和43年)、私は府中刑務所の医務部に勤務していた。おりから学生運動の最後のたかまりがあり、多数の若者たちが逮捕され、首都圏の拘置所が満杯になったために、刑務所の「独居房」の一部が拘置区として転用されるという事態になったことがある。

 学生たちは拘禁に強いとはいえず・・・古い造りの小部屋での毎日である・・・、不眠や焦燥や不安の訴えから始まって、時に小児に近いまでの退行をきたし、大小便の失禁や錯乱を示す例も少なくはなかった。
 「生活場面をもう少し広くゆるく・・・」という一医官の提言は刑務所では通らなかった。未決と既決、拘置区と服役区とは画然と線引きされていなければならないもので、これをあいまいにすることは考えられない運用なのである。
 弁護士や検察官が相談に来た。「打ち合わせも、取り調べもなにも、言っていることが分からない・・・かわいそうやら、臭うやら・・・あれはどういう状態ですか」。応じて病況書や診断書を書くと、当該の学生は或る日ふと居なくなった。刑務所の中で居住空間を広げるよりも、塀の外へ一息に出す方が簡単なのかと思えることがあった。
 通常の人であれば生涯あじわうことのない経験であろうが、自分から刑務所なりの個室の中に入って扉を閉め、外側にだけ取手のある鉄扉の錠が落ちる音を聞き、つるりとした扉を内側からしばらく見ているだけで何ともいえない不安と焦燥感が沸き上がってくるものである。
 狭い場所から自分の意志では出られないという状況はつくづく怖ろしい。自分が拘禁されたわけではないのに、今でもうなされることがある。

ロウボウ

投稿者: ロウボウ

長い間たずさわってきた少年矯正の仕事を退官し、また、かなりの時が経ちました。夕焼けを眺めるたびに、あと何度見られるだろうと思うこの頃。 身近な生き物たちとヒトへの想いと観察を綴りたいと思います。

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