運転免許証物語

 自動車の運転免許を取得しようとしたら、普通の人はいわゆる「教習所」のやっかいになる。ちかごろは、「ドライビングスクール」などと名付けられていて、「スタンダードコース」「ウイークデイコース」「クイックコース」「トップコース」「学生プラン」「合宿プラン」「ペーパードライバーコース」などと分けられ、「料金定額制」「安心パック」などと、広いニーズに応えられるように工夫されている。
 さて、一人の若い娘が、生活のリズムからどうしても通常の「教習所」に通えないので、都合の付いた時に個人レッスンを重ねて、飛び込みで実地試験をパスすることを目論んだ。それも警視庁の「府中運転免許試験場」に殴りこむのだという。
 周囲はあやうんだ。特定のスクールに所属して、普段練習しているコースで受験することには見過ごせないメリットがある。車種とコースの配置に慣れている。教習所では「講習修了試験」と呼ぶらしいが、受験者が複数いるときには、同一のコースで為されることが多いから、順番がさがるにつれ、「ああ、あそこが要注意。あれがポイントだ」としだいに伝えられてくる。料金定額を一応うたってあるので、生徒たちがほどほどのところで実地試験をパスできるように、教習所側も有形無形の努力をする。

 その娘は、個人レッスンに応ずるフリーのオジサン指導員を見つけてきて、一時間の教程ごとのクーポン券を買った。幸い個人指導を請け合ったオジサンは良い人で、懇切な指導のもと、腕は順調に上達した。そろそろいけるのではということになって、「府中運転免許試験場」に乗り込むと・・・、あっさり落とされた
 試験場のゲートから出るときに、娘はショックから我にかえった。コースにとってかえし、「ミスした覚えがありません。どうして落とされたのですか」とたずねたのは天晴れであった。「そういうことはいちいち教えないことになっています」と返されたのに食い下がったのはさらに天晴れであった。「あなたは発進の際に、ウインカーを右に出さなかった。それですでに二十点の減点になってます」と教えられた。
 二度目も落ちた。「道の左側に駐車していた車を避けたのは当然であるが、そののち、直ちに元のレーンに戻らなかった」というのが理由だった。
 三度目も落ちた。さて発信というときにパーキングブレーキを外そうとしても、どうにもいうことをきかない。おたおたしていると、「あなた、何してるんですか」と言われた。かーっとして、力一杯のしかかるようにしてもハンドブレーキは落ちない。「あのね、すこし引き戻すようにして引っ掛かりを外すんです」とあきれ顔で教えられ、それから後のコース巡りの指示も唐突で、試験官はまともに見ていてもくれないようであった。
 その夜、娘は友達に電話を掛けまくった。
「どうして、こんなになることを教えてくれなかったのよ!」
「え、なーに。府中の試験場に飛び込みで・・・? そんなバカなこと考えているとは知らなかったし、だいたい常識はずれよ!」
 というのが、おおかたの答えであった。
 最後に一人だけ、要領の悪いことでは仲間うちでも評判の娘であるらしいが、おなじやり方で辛酸をなめたというのを捉まえることができた。
「そうよ。まったくひどかったのよ!」
 この娘は五度落ちた。もう自信も何も無くなり、ついには多感の年頃のおりから、自分の能力全般にまで不信が広がってしまって苦しんだという。
「私の場合はね、スペインに留学する日が迫ってたの。免許が中途半端になりそう。あせったあ。もう半分やけになって、二週間ばかり車に触れずにいたの。あさっては発つという日に行ったら受かったの。あなたもちょっとペース変えてみたら?」
 この話ですこし落ち着くことができ、主人公の娘も五度目で晴れて合格した。うれしさはひとしおであったらしい。
「日本の警察官はしっかりしてる。私のような美人も甘やかさない。カッコウ良い」
 これまでと反対の評価を口にするようになった。
 こうして、「仮免許」まではようやくたどり着いた。「本免許」に至るまで、またまたどのような目に会うことになったかは想像に難くない。

 この小さな物語に悪者は一人も出てこない。
 ところでつい先日報道されていたが、十八歳の男女六人が乗った車がカーブを回りきれずに中央分離帯に激突横転し、四人が死亡、二人が重傷を負ったという。スピードの出しすぎと見られているそうである。
 自動車というものには、八十馬力、九十馬力、うっかりすると数百馬力を超すエンジンが搭載されている。筆者は子どものころ妙ないきさつから、兄弟と一緒にではあったが、敗戦後に放出された一頭の軍馬を飼わされたことがある。これが暴れ馬といわれるような状態になると、つまり一馬力が狂奔すると、それこそ命懸けの対応が必要であった。
 自分の車の前に数百頭の馬が累々とつながれて走っているさまを想像してみれば、年に一万人ちかい人が死に、それに数十倍する怪我人がでることは当たり前のことに思える。チャイルドシートというのがあって、乳幼児は原則これに固縛しなければならないと法で定められている。これもおかしなことだ。母親が赤ちゃんを抱いていては双方に危険が増すというような場面は、本来、あってはならないものである。戦場でさえ、母に抱かれていれば赤ちゃんはわずかに安全でいられよう。
 ちかごろの車は、目が三角に尖って、しかもだんだん吊り上ってゆく傾向がある。巨大なトカゲが舌をぺろぺろさせながら向かってくるように見えることがある。これが何百馬力もの力で走りまわっているとすれば、冗談ではない、まさに超恐竜である。
 テレビ、ケイタイ、インターネット・・・。これらも私たちの「身の丈」を大きく超えている。その利便性にまどわされて、これを遠ざけるどころかヒトは奴隷の身分に落ちつつある。ちょっとやそっとでは姿かたちや正体が見えないだけに、恐竜よりも恐ろしい。

 この物語には悪人は出てこない。そろって大真面目であるが、筆者をふくめてあまりお利口さんとは思えない人たちばかりが動きまわっている。こういう時に偉いお坊様などが使う言葉を、筆者は一度使って見たかった。・・・賀すべし弔すべし。・・・

ロウボウ

投稿者: ロウボウ

長い間たずさわってきた少年矯正の仕事を退官し、また、かなりの時が経ちました。夕焼けを眺めるたびに、あと何度見られるだろうと思うこの頃。 身近な生き物たちとヒトへの想いと観察を綴りたいと思います。

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