一羽のカッコウのヒナが巣立ちをしました。ゆっくりと、ワシやタカに似たシルエットを見せつけてあたりの小鳥たちをすくませながら、お父さんとお母さんが待っていた木立まで達し、ふんわりと枝に降り立って胸を張りました。
誇らしく、幸せでした。けれどもそれは、白地にグレイの横縞の胴を立てた父親から、次のように告げられるまでの、ほんのわずかな間だけのことでした。
・・・お前はモズの巣の中に産み落とされた。卵からかえると、自分の背中を使ってモズのヒナどもを次々と放り出し、エサもなにも独り占めにして、この父と母にではなく、モズの夫婦に育てられた。あのしたり顔のモズの鼻をまたあかしてやったわ。われわれ一族がさずけられている生まれながらの知恵とはいえ、お前はよくやった・・・。
幼いカッコウの全身がいきなりぞっと毛羽立ち、大きくふるえだしました。そういえば、はるか闇の奥から這い上がってくる幻があったのです。
・・・ふいに背中から重みが消えると、下のほうで柔らかな物がつぶれる音がした。のぞきおろすと、長い尾を持った動物が、骨を噛みくだき、汁っぽいものをすするのが見えた。あれは自分が巣の中から押しのけたモズのヒナが、半死半生のままネコに食べられていたのだ・・・。
「ぼくがやったんだ! いくつもやった。ぼくはオニだ。生まれてこなければ良かった!」
叫びざま、幼いカッコウはあっけにとられている父と母から逃げるように飛び立ち、よろめきながら遠ざかってゆきました。夕方になると、遠くの街が灯りだし、それを西の空の明るみと取り違えて飛び続け、とりわけ明るいクリーム色に映えている壁に引かれてゆきました。
少年は透けるような肌をしており、ベッドに横たわっていながら、せわしい息づかいをしていました。白血病が進んで腹に水がたまり、脾臓も肝臓も大きくふくれあがって肺を強く押し上げてしまっているのです。鼻をかんでも咳をしても、血が混じってなかなか止まりません。
病室に淀んでいる空気には酸素が足らないような気がするので、窓を開け放ってもらっています。そこへ、一羽の小鳥が飛び込んできたのです。
「カッコウ君、どうしたの?」
その声は明るく張りのあるものでした。小鳥の話を聞きながら、カボチャのように盛り上がった自分の腹を、痩せ細った腕で叩いていたので、腹の中にたまった水が揺れて、ボクンボクンと音がしています。
「ぼくは生まれてきて良かった。たちの悪い血液のガンだから、じき死ななきゃなんない。あれを仕上げればね。でも、生まれてきて良かった」
ベッドの横の低いテーブルに、タタミ二枚ほどの大きさの和紙が広げてあり、クジラの化け物がとぐろを巻いているような、とてつもなく大きな生き物が大波を叩き割って突き進む様子が描いてありました。化け物は大きな耳を持っています。その背中に一人の少年がまたがっており、片手で怪物の耳をつかみ、一方の腕はまっすぐ天に向かって伸ばされていました。
少年とクジラは高く跳ね、きらめくたくさんの飛沫が雲までもとどきそうでした。
「あの腕にやりを握って、星を突き刺すのさ」
貼り絵は半分も進んでいないのだといいます。「この少年と生きよう」とカッコウは心を決めました。
首都に隣接している人口七十万人に近い街に、不思議に思う人がでてきました。その夏、毎日、朝も早くから日が暮れるまで、ほとんど切れ目なくカッコウの歌う声を聞くのでした。張りつめて澄んだ調子が疲れた様子もなくつづくので、手始めは有線放送のネットを使った市のサービスかと考えたけれど、カッコウの音は遠く近く、いろいろの方向からやって来るのです。熱気に痛めつけられているたくさんの人たちが癒されました。町の新聞に投書があったほどに話題になったのですが、その声の動きの中心は総合病院の小児科病棟の前に立っている一本のクスノキであるとは、誰も気付きませんでした。
少年は、じりじりと貼り絵を進め、輝く雲の間に、楽しそうに輪をえがく一羽のカッコウの姿を描き加えました。
小便が真っ赤になって止まらず、貧血のため気を失ってしまうことが始まりました。ちょうどおなじ頃から、それまで澄み切っていたカッコウの声が、「かっごう!」と濁りはじめました。
最後の色紙の一片を張り終えたとき、大きな出血がおこり、少年は肺の中に溢れ出した自分の血に溺れて死んでゆきました。
カッコウは胸をいっぱいにふくらませ、一声を鳴きました。
「カッコウ!」
奇跡のように澄んだ音が、轟きわたりました。くるりと目が白くなり、石のように落下して息絶えました。
工場の多い街を、交通量のはげしさで有名な国道が貫いています。昼も夜も唸り続けているのです。暑い夏をなぐさめてくれたカッコウの声のことを人々はすぐに忘れてしまいました。
少年とカッコウが描いた耳の大きな鯨は、街の福祉施設のホールに飾られています。けれど実物はそこから抜け出して、誰も知らない遠い海で、今も星を求め続けているのです。いつかの夏、カッコウと少年はふたたびこの街に帰ってくるかも知れません。
長い間たずさわってきた少年矯正の仕事を退官し、また、かなりの時が経ちました。夕焼けを眺めるたびに、あと何度見られるだろうと思うこの頃。
身近な生き物たちとヒトへの想いと観察を綴りたいと思います。