仁義ある闘い 「ヒヨドリ」Ⅲ


ドヤ顔のヒヨドリ

自動車で、目がつり上がって歯を剥きだしているようなフロントデザインを「ドヤ顔」と言うそうで、「どいたどいた」という気分を車に託すのがこのところのトレンドであるようです。
野鳥についていえば、とりあえず「ヒヨドリ」がドヤ顔といえそうです。「なるほど、鳥類は恐竜の子孫なのだ」と思い出させるような押し出しと、それを強調している灰色だけの衣装を選んでいます。時にカスリ模様が浮いて見えることがあって、ななか美しいのですが・・・。

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黄金に輝く崖


夏の早朝

朝まずめの中から切り立った崖が銀色に浮かび始め、輝きを増すにつれて黄金に変わり、迫力を増し、手前の川辺に大型の水鳥たちが集まって来たりして彩を添えると、しばらく幻想の世界に浸ることができます。ちょっと、ミステリアスな話ですが、この謎を解いてみようと思います。 “黄金に輝く崖” の続きを読む

湖とダム 海


湖とダムは北方が似合う

地球上に、湖というものは無数にあるのだろうと思います。
シベリア上空をジェット旅客機で飛んで、黒い湖が勾玉が連なったように延々と続いている光景を見た人はおおぜい居るはずです。北極圏だけでもそんなふうです。

阿寒湖、摩周湖、支笏湖、十和田湖、バイカル湖、オンタリオ湖、ネス湖・・・その深さや透明度や特有の生き物などのためもあって、それぞれに伝説とロマンに溢れています。
黒部ダム、佐久間ダム、アスワンハイダム・・・ダムもこのクラスになると、建設の途中から伝説を生んでいます。
水が堆積すると、私たちに語り掛ける不思議な力を持つようになるのでしょう。 “湖とダム 海” の続きを読む

ルーペ

 
六歳のときのことです。
夏のある日、父の引き出しを掻き回していると、不思議なものが見つかりました。ぽってり丸く透きとおったもので、上にかざすと、どんなものでも大きく見えるのです。

夢中になって、あたりを覗いてまわりました。新聞の写真がおそろしくツブツブなのに驚き、手の指におかしな渦があって、よく見ると渦の山にそって可愛らしい水玉がならんで光っているのに驚き、障子紙がひどく毛羽立っているのに感心し、死んでいる蜘蛛の頭を覗いたときにはあやうく目を回すところでした。
一段落してみると、不思議でたまらなくなります。ガラスらしいものがふっくらしているだけで、どうしてこんなことが起こるのだろう。

その日の夕飯の最中、コップの水を飲もうとした瞬間、すばらしいことがひらめきました。コップの向こう側に透けて見える指が、これが自分のものとは思えないほどに歪んで大きく見えるのに気付いたのです。
・・・さては、あの手品の道具の中にも、水が入っているにちがいない!あれだけの薄さで、あれだけ大きくして見せるのだから、ただの水ではなく、とろりとした特別上等な水が詰め込まれているのだ・・・。 “ルーペ” の続きを読む

カモがネギ背負って・・・? 「マガモ」


カモ類では最もおなじみ

アヒル」の英語はダック
ダックと聞いて、「ドナルドダック」を思い出す人はディズニーファン。「ペキンダック」を思い浮かべる人はグルメマニア。とっさに「マガモ」が頭に浮かんだとしたら野鳥ファンというところでしょうか。 “カモがネギ背負って・・・? 「マガモ」” の続きを読む

背に星空 「ホシハジロ」


ユーラシア大陸から冬の日本へ

ホシハジロ」はヨーロッパからアジアまで広く棲息しており、日本では主にシベリアから渡ってくる冬のお客さんです。
今のところ日本全国で見慣れた中型のカモですが、世界的に見れば、年を追って数を減らしつつあるとの警告が出されています。近年ついに「絶滅危惧種」と評定されてしまいました。
狩猟、ボートやキャンプなどのレクリエーション、河川や湖の冨栄養化・・・などによる水辺環境の悪化が原因であるとされ、これまたヒトがもたらしている災禍のようです。また一つの種を絶滅に追いやっているとは・・・申し訳ないことです。

茶と黒と白 三つに色分け

オスは分かり易く色分けされています。
頭から頸が盛り上がるように茶色、胸が黒色、背中が白っぽい灰色。ついでに、目(虹彩部)がルビーのような赤色であることもオスの特徴の一つになっています。
メスは全体を地味に装っており、どういうわけかオスと違って、目が茶色です。背中も褐色ですが、模様がヤガスリのように浮き出して見えることがあって、これをたいそう美しいと感じる人がいるだろうと思います。

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のっそり見えて優れた飛翔 「ノスリ」Ⅱ

ノスリ」については「のっそりノスリ」という題で以前に記事にしたことがあります。ずんぐりしていてのっそり。そんな印象が強かったからでした。
トビほどの大きさの猛禽類であるのに他の野鳥をあまり狙わないことから鷹匠たちから「役立たず」[能なしタカ]とさげずまれ、今でも地方によっては、止まっている時の色合いを馬糞に見立てて「マグソダカ」「クソトビ」と呼ばれることがある・・・これらが私の先入観にあったと思われます。

のっそりノスリ

たしかに、冬の寒風の中、遠い枝の上で獲物を待つ続けるノスリに長いあいだ付き合わされたことがありました。すっと身を細めて乗り出すことがあるので「さてこそ」とシャッターに指を掛けると、また元のずんぐりに戻ってしまうのでした。
また、遠くの林の枝の絡みが祠のように抜けたところに古びた地蔵さまのようなものが見えるのをいぶかしんで拡大して見ると、正体はノスリだったこともあります。に見えるほどにじっとしていることがあるのです。こうしたことから、やはり、ノスリはずんぐりのっそりという印象でした。

華麗な飛翔

この秋、「タカの渡り」が観られることで有名な信州の「白樺峠」を訪ねました。尾根から西をうかがうと白樺の幹の間から近々と乗鞍岳が見え、東には遠く松本平がかすんでいるこの地を、1シーズンで20000羽近くのタカ類が南方に渡り、そのうち4000羽ほどをノスリが占めているとのことでした。
晴天に恵まれた一日をその日の主人公であった「ハチクマ」の渡りで堪能し、次の日、長野県と山梨県の県境に広がる「原村」に移動しました。 “のっそり見えて優れた飛翔 「ノスリ」Ⅱ” の続きを読む

ハチを食うタカ 「ハチクマ」


白樺峠のタカ見の広場

タカの仲間に「ハチクマ」という種類があるというのは知っていましたが、「妙な名前だな」というだけで長い間が過ぎていました。
数年前、野鳥を撮る楽しみを覚えてから「タカの渡り」と呼ばれるものがあるのを知り、それから2年ほどして「渡り」が観られることで有名な、信州の「白樺峠」を訪ねることができました。松本市から「梓川」をさかのぼって方向としては上高地にほど近く、白樺の美しい峠の近くに「タカ見の広場」はしつらえられていました。

秋晴れに恵まれ、生涯忘れられない光景に出会いました。
霧が上がると、大小の尾根が入り組んで低まってゆく向こうに安曇野が霞んでおり、まほろばのような空間をタカが渡るのです。
上昇気流に乗って旋回しながら大きく高度を上げるのを「巻く」といい、そこから水平飛行に移って南に向かうのを「流れる」というのだと教わりました。3羽、5羽。時にはもっと多くのタカが巻き、流れてゆくありさまは能の舞台のように静かで美しく、大気が重そうに見えました。太陽を背にしたシルエットが頭上で巻くことがあって、目がくらみました。 “ハチを食うタカ 「ハチクマ」” の続きを読む

追憶 木曽川本流の水泳大会


プールがない頃

私が子どもだったころには、小学校にも中学校にも、プールというものはありませんでした。私は木曾谷で育ちましたが、学校にプールが無いというのは山国だからというわけではなく、全国どこでも同じような具合だったろうと思います。
敗戦後、この国の人々は必死に復興に取り組み、朝鮮戦争という特需もあって高度経済成長の波に乗ることができましたが、三種の神器といわれた白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫に手が届きそうになったのは昭和30年(1955)を過ぎてからのことです。そしてその頃は未だ、ケイタイやパソコンは存在もしませんでした。
やがて、新・三種の神器と言われた3C(カラーテレビ・クーラー・カ―)が出回ったあたりから、学校にプールが整備されるようになったのだと思います。

川での水泳

プールが無かったころ、木曽の子供たちも川で水泳をしました。木曾川の本流です。
淀みを選んだとはいえ流れはあります。向こう岸に渡ろうと思ったら、あらかじめ、泳ぎ着いて掴まれそうな岩の見当をつけておき、流れの速さを見計らってこちら側の上流から泳ぎ出さなければなりませんでした。西部劇によくあるシーンですが、ウシの群を渡河させると斜めになるのと同じです。
水温は真夏でも18度に届くかどうかという冷たさでしたから、川を2往復ほどすると体が冷えて、誰の唇も桑の実のように紫色になりました。 “追憶 木曽川本流の水泳大会” の続きを読む

追憶 ダム氷上の下駄スケート大会


木曾谷の温暖化

「ぼくが成人式を迎えるころまではダムでスケート大会ができたよ。下駄スケートでね・・・」と話すと、地元の人でも「えーっ!信じられない」と云う人が多い。この頃のことである。
信じられないというのは、下駄スケートを使ったということではない。少し前まで、大勢の人が乗れるほどにダムが凍結した、という方についてである。

日本列島の温暖化のスピードは驚くほど速いらしい。
終戦後15年(1960)ころまで、たしかに木曾谷のダムは全面が凍結した。それが年ごとに薄くなり、多少の揺り戻しがあったらしいが、戦後30年(1975)に帰省した冬には、なんと、ダムの水面はさざなみ立っていた。

蒼氷

私が子どもだったころ、田んぼでもダムでも、まだ誰も乗っていない氷はレンズのように透明で、下のものがそのまま透けて見えた。田んぼでは稲の切り株の列が、ダムでは・・・ダムの氷の下は黒々と深みに続いていて何も見えず、不気味だった。子供たちはそんな氷を蒼氷(あおごおり)と呼んでいた。
蒼氷には粘りがあるようだった。ダムの蒼氷の上を数人が連なって滑るのを離れたところから見ていると、氷がしなって沈み、一群が通り抜けるとゆっくりと持ち上がった。
今よりも寒かったとはいえ、ダムに張る氷はそんなに厚くはなかった。氷がたわむ時にひびが生じることがあり、腹に響く音とともに、ガラスに入るひび割れによく似た腺が電光のように通り過ぎてゆく。これも不気味だった。 “追憶 ダム氷上の下駄スケート大会” の続きを読む