ハチを食うタカ 「ハチクマ」

白樺峠のタカ見の広場

タカの仲間に「ハチクマ」という種類があるというのは知っていましたが、「妙な名前だな」というだけで長い間が過ぎていました。
数年前、野鳥を撮る楽しみを覚えてから「タカの渡り」と呼ばれるものがあるのを知り、それから2年ほどして「渡り」が観られることで有名な、信州の「白樺峠」を訪ねることができました。松本市から「梓川」をさかのぼって方向としては上高地にほど近く、白樺の美しい峠の近くに「タカ見の広場」はしつらえられていました。

秋晴れに恵まれ、生涯忘れられない光景に出会いました。
霧が上がると、大小の尾根が入り組んで低まってゆく向こうに安曇野が霞んでおり、まほろばのような空間をタカが渡るのです。
上昇気流に乗って旋回しながら大きく高度を上げるのを「巻く」といい、そこから水平飛行に移って南に向かうのを「流れる」というのだと教わりました。3羽、5羽。時にはもっと多くのタカが巻き、流れてゆくありさまは能の舞台のように静かで美しく、大気が重そうに見えました。太陽を背にしたシルエットが頭上で巻くことがあって、目がくらみました。 “ハチを食うタカ 「ハチクマ」” の続きを読む

追憶 木曽川本流の水泳大会

プールがない頃

私が子どもだったころには、小学校にも中学校にも、プールというものはありませんでした。私は木曾谷で育ちましたが、学校にプールが無いというのは山国だからというわけではなく、全国どこでも同じような具合だったろうと思います。
敗戦後、この国の人々は必死に復興に取り組み、朝鮮戦争という特需もあって高度経済成長の波に乗ることができましたが、三種の神器といわれた白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫に手が届きそうになったのは昭和30年(1955)を過ぎてからのことです。そしてその頃は未だ、ケイタイやパソコンは存在もしませんでした。
やがて、新・三種の神器と言われた3C(カラーテレビ・クーラー・カ―)が出回ったあたりから、学校にプールが整備されるようになったのだと思います。

川での水泳

プールが無かったころ、子供たちは川で水泳をしました。木曾川の本流です。
淀みを選んだとはいえ流れはあります。向こう岸に渡ろうと思ったら、あらかじめ、泳ぎ着いて掴まれそうな岩の見当をつけておき、流れの速さを見計らってこちら側の上流から泳ぎ出さなければなりませんでした。西部劇によくあるシーンですが、ウシの群を渡河させると斜めになるのと同じです。
水温は真夏でも18度に届くかどうかという冷たさでしたから、川を2往復ほどすると体が冷えて、誰の唇も桑の実のように紫色になりました。 “追憶 木曽川本流の水泳大会” の続きを読む

追憶 ダム氷上の下駄スケート大会

木曾谷の温暖化

「ぼくが成人式を迎えるころまではダムでスケート大会ができたよ。下駄スケートでね・・・」と話すと、地元の人でも「えーっ!信じられない」と云う人が多い。この頃のことである。
信じられないというのは、下駄スケートを使ったということではない。少し前まで、大勢の人が乗れるほどにダムが凍結した、という方についてである。

日本列島の温暖化のスピードは驚くほど速いらしい。
終戦後15年(1960)ころまで、たしかに木曾谷のダムは全面が凍結した。それが年ごとに薄くなり、多少の揺り戻しがあったらしいが、戦後30年(1975)に帰省した冬には、なんと、ダムの水面はさざなみ立っていた。

蒼氷

私が子どもだったころ、田んぼでもダムでも、まだ誰も乗っていない氷はレンズのように透明で、下のものがそのまま透けて見えた。田んぼでは稲の切り株の列が、ダムでは・・・ダムの氷の下は黒々と深みに続いていて何も見えず、不気味だった。子供たちはそんな氷を蒼氷(あおごおり)と呼んでいた。
蒼氷には粘りがあるようだった。ダムの蒼氷の上を数人が連なって滑るのを離れたところから見ていると、氷がしなって沈み、一群が通り抜けるとゆっくりと持ち上がった。
今よりも寒かったとはいえ、ダムに張る氷はそんなに厚くはなかった。氷がたわむ時にひびが生じることがあり、腹に響く音とともに、ガラスに入るひび割れによく似た腺が電光のように通り過ぎてゆく。これも不気味だった。 “追憶 ダム氷上の下駄スケート大会” の続きを読む

追憶 下駄スケート・国道ボブスレー

スケートといえばスケート靴。金属の刃(ブレード)が丈夫な革靴に取り付けられているというのが当たり前、というよりも、今はそれしかありません。
が、明治時代の末に信州の諏訪湖で「下駄スケート」というものが発明され、長いあいだ山国の子供たちの冬の遊びのアイテムでした。私もお世話になった一人です。
図のように下駄の歯を払って、村や町の鍛冶屋が打った刃をネジ止めしたもの。
鼻緒に足を入れただけでは不安定なので、足首と下駄とを紐を回して固定しました。これが難しかったのです。昔の草鞋掛(わらじがけ)の要領ですが、きつく締めあげすぎると痛い上に血の巡りが悪くなり、ゆるすぎるとぐらぐらして立つのもおぼつかない。案配には慣れが必要でした。年下の子供たちの紐の調子に気を付けてみてやるのが、スケート遊びをする者の慣わしになっておりました。 “追憶 下駄スケート・国道ボブスレー” の続きを読む

雨型台風 洪水とその後

令和元年(2019)10月12日。想定を絶する甚大な被害。雨型台風19号がもたらしたもの。
それに前後した多摩川中流の河川敷の様子を並べてみると、自然の拍動の大きさが今さらながら身に迫ります。

洪水の前(2019年10月5日前後)

多摩川中流の右岸堤防からの上流方向と下流方向 平時の静かな流れ

一面のアレチウリ
この春からいきなり、河川敷はアレチウリに席捲されました。まるで雪崩を見るように、ススキ、アシ、ヨモギ、イタドリ、ノバラなどなどの上に被さって窒息させ、一面を一色一種に変えていったのです。

繁茂力が大きいために樹木の敵とされるクズと出会うと、両者のせめぎ合いがなされますが、勝ち目はアレチウリの方にあるようでした。

雪崩のように

クズとのせめぎ合い

「アレチウリ」は「荒地瓜」のこと。北米原産のウリ科のツル植物ですが、その繁殖力のすさまじさから、侵略的外来種ワースト100に選定されています。
一年草であるだけに、1株に25000個以上の種子をつけた例があるというから怖ろしくなります。

咲きそろう花は昆虫の楽園
白い花の広がりには昆虫たち、ことにスズメバチ、アシナガバチ、ツチバチ、クマバチ、ミツバチ、ホウジャクなどが集まり、平和でありました。

 

洪水とその後

10月13日 早朝

私はしらしら明けの頃に多摩川に着きました。水は一時、サイクリングロードに整備されている堤防をわずかに残す高さにまで達していたことが分かりましたが、その頃には大きく退いていました。それでも河川敷はひたひたに浸ってそこかしこに渦を巻いており、その向こうの本流は黒々と逆巻いて流れ下っていて、地鳴りのような振動が感じられるようでした。流された石がぶつかり合うのでしょうか、ボクンボクンという鈍い音が届いてきました。
動画の中から静止画面を取り出したものがあるので、一部に粗い写真があります。

上流方面

ほぼ正面

下流方面

倒れた草 光っている

10月26日 およそ2週間後の早朝

下流方面

傾いた木々

水が引いた後のさざなみ様の斑紋

 

そして芽吹き

あらわになったクルミの木の根元に落ちた実 ずたずたの枝に残った実

 

裸にされたクルミの小木

先端に芽が出てきている

名も知らぬ小木とその枝先

タヌキの足跡

タヌキの糞場の脇からのヨモギの芽生え

地下茎からのヨモギの芽生え

イタドリ

名も知らぬ草

ヨシ

カラスのエンドウ

生き物は着々

洪水に耐えたクルミの木の1本

木を少し拡大

モズがてっぺんに来て縄張り宣言

取り残された水溜り

取り残された小魚たちの命運は?

カワラヒワの群
カワラヒワはこの時期に冬鳥として渡来するのですが、今年は餌場の河川敷に草の実が見つかりません。何羽かで降り立っては途方に暮れ、せわしなく移っては途方に暮れ、写真に撮るとこんな具合です。泥の中に散らばっても直ぐに飛び立ってしまいます。

勢いを取り戻しつつある巨木

仮借ない天候に負けずに、新しいバランスを作り直そうとする生き物たちの象徴のようです。堂々としていて、眺めていると安心感が増してきます。
頑張れ!河も堤防も生き物も!
そういえば、巨大な敷物を引き剥がすように、ごっそりと持っていかれたアレチウリはどうなるのでしょう。あまりの繁殖力の物凄さは脅威でしたが・・・来年の春に、少し帰って来てくれればと思うのです。

 

 

ミツバチを巡るスズメバチとカマキリの腕比べ

刺されて死ぬ人が毎年20人前後に達することから、スズメバチは日本の野生生物では最も危険なものにランクされています。
スズメバチにも種類がありますが、毒の強さと攻撃の執拗さなどで、キイロスズメバチはオオスズメバチと並んで横綱級です。
先ず「キイロスズメバチ」に登場してもらっておきます。
全体に黄色味が強く印象され、しばしばオレンジがかって見えることから「アカバチ」とも呼ばれます。脚までも黄色であるところが、飛翔時の見分けに役立ちます。

カマキリ登場

ご存知「カマキリ」には、どうも滑稽なところがあります。私にはそう見えます。
翅を広げ、身を立て、前脚を鎌のように左右に構えて見得を切る姿は、どう見ても大真面目です。それを「蟷螂の斧」などと、自分の力量もわきまえずに強大な敵に挑む様子に見立てられて揶揄されるのは、気の毒なことです。
ヒトにとっては全く無害です。
虫の世界に分け入ってみれば無害どころではありません。「蟷螂の斧」はカギの付いた大きな鎌となり、それが電瞬に獲物を絡めて引き寄せ、おそろしい咢へと運びます。
カマキリは「鎌切」と表記されることがあります。
カマキリは果敢なハンターで、各種の昆虫は云うまでもなく、ミミズ、クモ、ヘビ、カエル、トカゲなどを、はては小型のコウモリや小鳥を捕食した例が報告されています。
小鳥などの場合、その頭に穴を開けて脳を食べるという物凄さですが、それが内に向かうとどうなるかというと、ひもじくなると共食いしあったり、交尾の後にメスがオスを食べてしまうという習性が10〜20%ほどに発揮されるということです。
オスを食べるとメスの産卵の量が2倍にもなるという観察があり(オスの持つ特殊なタンパク質のため)、してみれば、オスは種を多く残すために己の身を犠牲にしているわけで、いたましいのか崇高なのか分からなくなるような凄絶さです。 “ミツバチを巡るスズメバチとカマキリの腕比べ” の続きを読む

スズメバチ Ⅰ 「キイロスズメバチ」

スズメバチと言えば、日本では最も危険な野生動物として知られています。年間20人ほどが犠牲(アナフラキシーによる)になっており、これはマムシやハブなどの毒蛇や熊によるものよりも多いのです。

キイロスズメバチ

日本には3属17種類のスズメバチが棲息しており、わけても「オオスズメバチ」と「キイロスズメバチ」が横綱級とされています。
なかなか堂々とした飛行ぶり。上がオオスヅメバチ、下がキイロスズメバチ。
写真であると細部の違いが分かります(キイロスズメバチの方が背中の黒い部分が少なく、肩にも黄色な斑紋があり、脚も黄色)が、飛翔しているときは全体の印象で判別しなければなりません。
キイロスズメバチは黄色味が強く、光によってはオレンジ色に印象されます。それで私たち木曾谷の子供たちは、キイロスズメバチのことを「アカバチ」と呼んでいました。
アカバチことキイロスズメバチは獰猛さと毒の強さでオオスズメバチに引けを取らないばかりか、執拗さと適応力の大きさでは上を行っており、都市化した環境に食い込んで繁栄しています。ヒトが「あぶない」といって騒ぎになる相手は、おおかたキイロスズメバチです。 “スズメバチ Ⅰ 「キイロスズメバチ」” の続きを読む

ハウ マッチ 苦労性の幸せ

御下問

        
「これ、いくらだったと思う?」
そら、来た!
妻にしばしば問われることがある。
クリアランスセールとやらで求めたブラウスをかざしてのこともあるし、発泡スチロールにラップされたマグロのサクを取り出しながらのことだったりする。デパートもスーパーにも、特別なサービス・デイがあるのだそうである。  “ハウ マッチ 苦労性の幸せ” の続きを読む

限りなく ピンピンコロリ

みんなの願い ピンピンコロリ

寿命が延びるにつれ、いかに生きるかも大切ですが、いかに死んでゆくかということが大きな課題となりつつあります。誰にも避けられない課題です。
ピンピン活動していてコロリと逝きたいというのが、みんなの願いでありましょう。

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ハチドリのような蛾 「ホシホウジャク」

ホウジャク(蜂雀)」については一括して、カテゴリー「身近な生き物たち」の中で記事にしたことがあります。ホバリングしながら花に蜜を吸う蛾の一種です。
ホウジャクには「ホシホウジャク」「ヒメクロホウジャク」「ホシヒメホウジャク」などの種類があります。かなりマニヤックにならないと区別することはできないだろうと思われますが・・・。

いっそうハチドリのように見える 「ホシホウジャク」

何回かお目にかかったことはありますが、その度に、後翅の黒い部分の大きさと形から、「おそらくホシホウジャクだろう」と見当をつけた生き物が朝食を摂っているところです。
長いストローで蜜を吸い上げながら、上昇、下降、横滑り、ホップ・ステップ・ジャンプと、花から花へと華麗に舞うのですから、「ハチドリを見た」という騒ぎになるのも無理はありません。 “ハチドリのような蛾 「ホシホウジャク」” の続きを読む