ルーペ

 
六歳のときのことです。
夏のある日、父の引き出しを掻き回していると、不思議なものが見つかりました。ぽってり丸く透きとおったもので、上にかざすと、どんなものでも大きく見えるのです。

夢中になって、あたりを覗いてまわりました。新聞の写真がおそろしくツブツブなのに驚き、手の指におかしな渦があって、よく見ると渦の山にそって可愛らしい水玉がならんで光っているのに驚き、障子紙がひどく毛羽立っているのに感心し、死んでいる蜘蛛の頭を覗いたときにはあやうく目を回すところでした。
一段落してみると、不思議でたまらなくなります。ガラスらしいものがふっくらしているだけで、どうしてこんなことが起こるのだろう。

その日の夕飯の最中、コップの水を飲もうとした瞬間、すばらしいことがひらめきました。コップの向こう側に透けて見える指が、これが自分のものとは思えないほどに歪んで大きく見えるのに気付いたのです。
・・・さては、あの手品の道具の中にも、水が入っているにちがいない!あれだけの薄さで、あれだけ大きくして見せるのだから、ただの水ではなく、とろりとした特別上等な水が詰め込まれているのだ・・・。

あの頃の私にとって、上等の水といえば、即、砂糖水だったのです。ああ砂糖!あの甘さ! 
私の六歳当時、日本は戦争の末期を戦っていて、砂糖などというものは姿を消していました。戦争は木曾谷にまで登って来ており、いくつかのダムが爆撃されるという情報があったらしく、就学前の子供たちにも訓練が課せられました。号令がかかると、開いた手の平を顔の前に持ってきて、叩き付けるような勢いで地面に伏せるのです。そのとき素早く、親指で左右の耳の穴を塞ぎ、人差し指と中指で眼を、小指で鼻の穴を塞いでいなければなりません、そうしないと、爆風のために脳がこわれて鼻と耳から血が噴き出し、眼が飛び出してしまうということでした。

そんなことになる三~四年前、たった二歳のころに嘗めたドロップの味を舌が忘れないでいました。中二階の階段を四つん這いで登りながら、口の中でいつまでも溶けずにいるドロップにもどかしくなって、八の字に開かれた蔵の扉の陰に吹き出して始末したことが何回かあったのです。
なんと勿体ない、ばちあたりのことをしたものだろう。数年もたってから、扉の陰の埃のなかを繰り返し這いまわって探してみるありさまでした。
甘さへのあこがれは身をふるわすほどで、他の可能性を思うことができませんでした。
虫眼鏡の中身が、せっぱつまった私の望みを満たしてくれるはずでした。

夜が明けると、中庭の飛び石に皿を一枚敷き、その上に虫眼鏡を置いて、ためらいなくハンマーを振り下ろしました。
と、まったく驚いたことに、飛び散ったのはガラスと皿の破片だけで、いくら見直しても液体らしいものはこれぽっちも無かったのです。この予想外の結果をどもりどもり父に報告すると、「ばか!」とあびせられただけでは済まず、ゲンコツまで加えられました。

この仕打ちはどこか腑に落ちないと感じ、口惜しくて口惜しくて、私はながいあいだ泣きました。
父も、「自分の息子は馬鹿ではあるが、ばかげたことをした状況には酌んでやるべきところもないではない」と感ずるところがあったらしいのです。20cc(だったと思うのですが)の注射用ブドウ糖のアンプルを切って持ってきてくれました。父は木曾谷でたった一人の開業医でありましたから、軍医として召集されずにいたのです。
甘さという感じはこんなに淡白なものだったろうかと怪しみながらも、三・三・九度の杯のようにちびちびと厳かに楽しみ、そして父を許してやることにしました。

そんなことがあってから二年もすると、私も兄たちに付いて沢にアケビを採りに行けるほどに大きくなりました。
沢沿いに生えているアケビはおおく五葉で、実は透明感のある紫色をしており、バナナのように五・六本がまとまって房をつくって垂れています。内側の純白な床に、見ようによってはサナギになりかけのカブトムシの幼虫に似た、やはり透き通った果肉が付いているのです。
私の舌は待ちに待っていました。アケビを口に含んだときの甘い芳香は例えようもないものでした。惜しいことに、果肉の大部分が光沢のある細かい種子で占められておりましたが、本当の甘味として私は満足しておりました。

はるかに時がたち、首都圏の狭い庭に、五葉のアケビを探してきてもらって植えつけました。
さらに何年か後の秋、薄皮の房を拡げてわくわくしながら実を含んだのですが、遠い日の感激に浸るといったことにはついぞなりませんでした。期待していたよりもはるかに淡白なのです。芳香はたしかにさわやかで、幼いころの思い出につながってはいるものの…。

そっと置いておくほうが良い感覚があることを、こうしてまた、教えられることになりました。六歳のときに振り下ろしたハンマーの下。味わいそこねた甘味。幻の感覚。これが私にとっては永遠の甘さであり続けています。

私はいま、六個のルーペを持っています。気が付かないうちに、ずいぶん増やしてしまったものです。
二個は、柄の付いた普通の事務用のもの。二個は、筒型をした写真の引き伸ばしやネガの点検用のもの。二個は透明な肉饅頭といったふうで、重石を兼ねたものです。なかでも、ネガ点検用というのは「整像レンズ使用」などと書いてあり、十倍もの拡大性能をそなえているとのこと。どうしてそんな高倍率になるのか、実はいまだに不思議なままになっています。

間違いでした。写真を撮るために集めてみたら、八個ありました。

投稿者: ロウボウ

長い間たずさわってきた少年矯正の仕事を退官し、また、かなりの時が経ちました。夕焼けを眺めるたびに、あと何度見られるだろうと思うこの頃。 身近な生き物たちとヒトへの想いと観察を綴りたいと思います。

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