今般のアメリカ大統領が選ばれる経過を通して、米国社会の分断化ということが指摘され続けた。
銃器氾濫の由来
米国社会の分断は今に始まったことであろうか。そもそもあの国の自然について想っただけでも・・・大草原、砂漠、いくつもの長大な山脈、ハリケーン、トルネード、大寒波、山林火災、バッタの大群の来襲など・・・ヒトを拒んで荒々しいものがある。
そうした自然と闘いつつ、先住民を駆逐しながらヨーロッパの白人たちが押し寄せるように入植したので、早い者勝ち、フロンティア、砦、1500万人に達するとされる奴隷の持ち込みと酷使、独立戦争、南北戦争、ゴールドラッシュなどと、人の為したこともたけだけしい。 “アメリカはどうして銃の規制ができないのか” の続きを読む
長い間たずさわってきた少年矯正の仕事を退官し、また、かなりの時が経ちました。夕焼けを眺めるたびに、あと何度見られるだろうと思うこの頃。
身近な生き物たちとヒトへの想いと観察を綴りたいと思います。







鍵の束についている小さなナイフの刃を出して荷造テープをなぞると、蓋を両側に弾くようにして中身が盛り上がってきました。一羽また一羽と取りだして並べてゆくと、ちょう五羽ずつの列が二本になりました。
それから何年も何年も経てこの春の終わり、私たちボランティアのフィールドの「百草分園」とでもいうべき区画の一つに居ると、一方に続いているクヌギの林の奥から、少年のころに馴染んだことのあるキツツキのドラミングが聞こえてきました。そっと踏み込んでみると、林のほぼ真ん中にクヌギと思われる一本の巨木が枯れたままそびえていましたから、さてこそと仰いで目を凝らしてみましたが、動くものはありません。くびすを返そうとしたとき、なんと、太い幹のほとんど目の高さのあたりに、見事な「アオゲラ」が取り付いているのに気が付きました。これが互いにお近づきの挨拶といった写真です。