私から見た外来野鳥始末記 「ガビチョウ」

 40年ちかくも前のこと、私は東京都多摩地区の南部に戸建ての家を求めました。庭先からすぐ続いて、林というよりも森が大きく広がっていたからでした。野鳥の楽園とも言えそうな首都圏の中のスポットで、ことにバードウィーク前後は、朝をさまざまな小鳥たちのさえずりと一緒に迎えるようで楽しく、この時期には何年間か、録音テープを回したほどです。

開発の波

 10年も経たころ、残念なことに、この森の一帯は大手の開発会社のプロジェクトにかかり、何台もの重機械のうなりとともに、あっという間に「○○台」と呼ばれる新しい街に姿を変えてしまいました。
コンクリートは私の家のすぐ近くまで迫っていましたが、ベルト状の急斜面が開発から逃れましたから、そこに生えている樹木の列が、からくも鳥たちが訪れてくれる場所として残りました。

侵略的外来種 ガビチョウの登場 必死なさえずり

 静かになりすぎた木立の列に、初めて聞く風変わりなさえずりが轟きわたるようになったのは、今から15年ほど前のことです。ある日いきなり、「カナリヤでも逃げ出したのかな。それにしても大きい声だな」と思われるほどに、おおきく澄んだ声で、一鳴きの時間が長く、複雑で、リフレインもはっきりとしないさえずりが現れました。
はじめは美しい鳴き声だな、と思いましたが、のべつまくなしという感じで、ほどの良さというものがありません。たとえばウグイスのさえずりを聞いて、のどかな気持ちの良さを感じるのは、あのさえずりの「」ということも大きな要素になっていると思います。
新しく聞かされるようになったさえずりは切迫した感じで、大仰に言うと何か悲鳴を聞いているようで、次第にうっとうしくなってきました。

ようやく見た正体

 すぐ近くで鳴いているように聞こえるのですが、なかなか姿を見ることができませんでした。ある散歩の帰り、脇のヤブの下がガサゴソするので立ち止まると、不意に例のさえずりが叩き付けるように始まったので驚きました。
全体に茶褐色、ヒヨドリほどの大きさ。
強烈なのは目の周囲で、「京劇」とか「歌舞伎」で「隈取」されるように、くっきりと白く化粧されて浮き上がっています。これでようやく、調べることができました。

見たなあ わたしがガビチョウ

 「ガビチョウ」と呼ばれるのは、中国語で「画眉鳥」と書かれるものの日本語読みです。名前の由来は、画像を見ていただければ一目瞭然。江戸時代からぽつりぽつりと入って来ていたそうですが、1970年代に折からのペットブームで輸入が急増。何らかの理由で飼いあぐねた人から、いわゆる「かごぬけ」。
地上を走り回って昆虫や果実を食べ、ヤブなどの低いところを好み、用心深くてあまり人目には付きたがりません。複雑にさえずるので「七色の声を持つ」ともいわれ、ウグイスやキビタキやシジュウカラなどの真似をすることがあるそうです。

さえずるガビチョウ

 私は思うのですが、初期に、例えば武蔵野に放鳥された頃には、この国で生存してゆけるのだろうかとガビチョウも心細く、懸命に仲間やつがいの相手を探したに違いありません。そのありったけの必死の響きが、ときに私たちに、たまらなくうとましく感じられたのではないでしょうか。

 ガビチョウの懸命さは報われ、大変な勢いで個体数を増し、ある時期には、全山ただガビチョウの声だけが響き渡る、という事態にまでなってしまいました。このころには「日本生態学会」によって「侵略的外来種ワースト100選」に、アライグマ、カミツキガメ、バス、アメリカシロヒトリ、イエシロアリといった堂々たるメンバーたちと並んで選定されるまでになりました。

このところ減少しているのでは? 調和の兆しか

 ところが、この一二年「ガビチョウは減少しているのではないか」というのが私の感じです。里山を歩いていても、ひところのように頻繁に姿が目に付くということがないような印象があります。隠れ方がさらに巧妙になったのではないか、というのでもなさそうです。なによりも、ガビチョウのあのかしましい鳴き声にうんざりする回数が、数年前よりも確実に減っているのですから。

深く静かに潜航することを学びつつあるのか。つまり、適度な静寂を保って増殖しつつあるのか。あるいは自然の摂理で、新しい調整が生まれつつあるのか。他の場所や他の地域での様子も気になるところです。

  

投稿者: ロウボウ

長い間たずさわってきた少年矯正の仕事を退官し、また、かなりの時が経ちました。夕焼けを眺めるたびに、あと何度見られるだろうと思うこの頃。 身近な生き物たちとヒトへの想いと観察を綴りたいと思います。

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