恋(?)の季節 多摩川の「コイ」Ⅱ


昨年の5月4日、乾上がりかけた多摩川の傍流から必死に本流に脱出し、見事に産卵を遂げたコイの群の様子を見、「川に生きる コイ」という記事にしたことがあります。

 5月の第1週は「バード・ウイーク」とされ、小鳥たちの巣作りや抱卵、タカナキやサエズリ、エサ運び、そして可愛らしいヒナたちの巣立ち・・・バードウイークと呼ばれるのにぴったりです。

 同じ頃を、どうして「フィッシュ・ウイーク」と呼ばないのでしょう。水面下であるだけに魚類たちの営みは目につきにくく、なんだかぬめぬめした感じが付きまとうからでしょうか。

コイの季節

 多摩川のコイの魚影の濃さは知る人ぞ知る!
個体数としては、ウグイやアユなどには負けるかもしれませんが、生体の総重量としては優に凌いでいる・・・?
バード・ウイークと同じころ、やはり5月の初旬が「コイの季節」ですが、迫力のあるものです
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アユの遡上を巡って Ⅴ-2 「饗宴」

 このところ毎年500万匹を超すアユが遡上していることからも、かつて「死の川」と呼ばれた「多摩川」は見事に蘇ったと云えそうです。ことに昨年(2018)の遡上は994万匹に達したということで、多摩川にそれだけのアユを養う力があるか」が議論になり、「少し間引きが必要なのでは」という見方もあったそうです。
 自然の摂理というものか、こうしたことに対応するように、昨年のアユを捕食するものたちの活動も大仕掛けのもので、私はその様子を「アユあの遡上を巡る宴 Ⅴ」としてブログの記事にしました
 今年もアユの捕食者たちの活動は「饗宴」といった豪華さです。それから逆に、今年の遡上もまた相当のものだろうと期待されるわけです。

上流を目指すカワウたち

 日の出から間もない頃、陽の光を右後ろに受けて、整然としたカワウの群がいくつも通り過ぎます。6月18日 5:03  “アユの遡上を巡って Ⅴ-2 「饗宴」” の続きを読む

ぽんぽこたぬき?? 「タヌキ」


この春は、畑をよく荒らされました。ネギの苗床を作ったり、コカブやホウレンソウなどを蒔くと、平らに均されたところを狙うように結構に深い足跡を散らされるので、質の良くないネコイヌの仕業とばかり思っていました。

 五月の中頃にショウガの種を植え込むと、その五・六個がほじくり出されて、ほとんど元の位置に並べてあるということが二度ありました。ネコやイヌはこういう手の込んだことはしません。タヌキかハクビシン。おそらくタヌキだろうと思いました。

タヌキ登場
 
 五月の末のこと、キュウリの苗の手入れをしていてふと目をあげると、ずんぐりした感じの動物がジーッとこちらを窺っているのと対面することになりました。距離は5〜6メートル。
 直ぐにタヌキだと分かりました。幼い頃から、良く特徴を捉えたタヌキの略画やマンガを見慣れているせいもあるでしょう。 “ぽんぽこたぬき?? 「タヌキ」” の続きを読む

わたしの子供たちへ


 わたしの子供たちへ      

                   
年老いた私が ある日 今までの私と違っていても
どうか 私のそのままを見てほしい
服に食べ物をこぼしたり 靴ひもを結び忘れても
同じ話を 何度も何度も繰り返しても
どうか いらだたずにいてほしい・・・
あなたにせがまれて繰り返し読んだ絵本は
結末はいつも同じでも 私たちの心を平和にしてくれた

悲しいことではないんだ 薄まってゆくように見える私の心へ
励ましのまなざしを向けてほしい
楽しいひと時に 私がおもわず下着を濡らしてしまったり
お風呂に入るのをいやがるときには 思い出してほしい・・・
あなたを追い回し いろんなわけを見つけて
いやがるあなたとお風呂に入った 懐かしい日のことを

悲しいことではないんだ 旅立ちの準備をしている私に
祝福の祈りを捧げてほしい
いずれ歯も弱り 飲み込むことさえ難しくなるかもしれない
脚も衰えて立ち上がることさえ出来なくなるかもしれない・・・
あなたが 幼い脚で立ち上がろうとして私に助けを求めたように
よろめく私に どうかあなたの手を握らせてほしい

あなたを抱きしめる力が無いのを知るのはつらいことだけど
私の姿を見て悲しんだり 自分が無力だと思わないでほしい
私を分かろうとする心だけを持っていてほしい
それだけで それだけで きっと 私には勇気がわいてくる
あなたの人生の始まりに私が付き添ったように
私の人生の終わりに少しだけ付き添ってほしい・・・
あなたが生まれてくれたことで私が受けた多くの喜びと
あなたへの変わらぬ愛をもって その時も笑顔で応えたい

私の子供たちへ
愛する子供たちへ

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オオムラサキと木曾漆器・友

 中学二年の夏祭りの日、女神様をお迎えしようと鎮守の森への山道を登ってゆくと、同級生の須藤栄三郎君、通称ザブ君が坂を下ってくるのに出会った。
 ザブ君は「里彦」という屋号の旧い漆器製造元の息子で、絵が上手なのと、相撲がめっぽう強いということで、仲間から一目置かれていた。腰が据わっているのは、代々どっかりと坐って漆の芸にうちこんできた血筋のせいなのかどうか。色白のはにかみ屋で普段はでしゃばらなかったが、相撲を取るとなるとごうも容赦なく、したたかに相手を投げとばした。しばしば土俵際で得意技のウッチャリをかけられ、地面と顔とがまともに御対面ということになり、しばらく立ち上がれないことも私にはあった。

 ザブ君は胸の前の何かに気をとられながらゆっくりと下ってくる。声をかけると、おどろいたように顔を上げ、はずかしげに薄く笑い、親指と人差し指で摘まんでいるものの上にもう一方の手を被せて、それを私から守ろうとするような仕草をした。なにも隠すことはないだろうと腕に手をかけて覗き込んでみると、それは一匹の蝶であった。
 まず受けた印象は、蝶々というものはこんなに毛深い生き物だったかということである。ことに太めな胴回りから翅の根元のあたりにかけて、銀色の光沢をはなっている無数の毛でびっしりと覆われていた。ルビー色がかってつぶつぶした眼には、痛いとも苦しいとも表情が見えなかった。そのとき発条のように巻き込まれている口吻がするすると伸ばされ、しばらく小刻みに震えたかと思うと、再びするするとたたみこまれた。
「生きてるじゃないかよ」
「うん・・・」
 そのままでザブ君は指先に力をこめたから、胴体がつぶれる小さな音がして、口から緑色に濁った汁が溢れ出てきた。
「これ、スミナガシってやつなんだ。あんまり珍しいもんじゃないけど、捕まえるのは難しいんだよ」

スミナガシ キベリタテハ クジャクチョウ テングチョウ

 水の上に一滴の墨汁を落とすと、さっと表面に拡散して微妙に入り乱れた黒と白のだんだらを作る。その上に和紙をかぶせると、その模様をそっくり写しとることができる。この遊びを私たちは「墨流し」と言っていた。紺の光沢のある墨があり、それを点状に流すことができたなら、この蝶の羽根に似たような模様を得ることができるだろう。この瞬間まで私は、この世に蝶といえば、モンシロチョウとカラスアゲハだけしかないと思っていた。 “オオムラサキと木曾漆器・友” の続きを読む

心につながる 「ウソ」


ウソという小鳥がいる。スズメよりも少し大きめで、全体がふっくりと丸みをおびており、微妙に濃淡のある灰色の服をまとっている。
 頬のあたりに別の色気がまじることから、少年の頃の私たちはアオウソ、アカウソと二種類に分けて呼んでいた。アカウソなどというと、「真っ赤な嘘」というのが連想されるが、ウソたちはクチバシからして短く太く、それとバランスをとるかのように、心根もおっとりとしている。
 おおかた、人里はなれた高山の原生林ともいうべきところに棲息していて、民家の近くに姿を見せるのは一年のうちでわずかの数週間、早春の一時期だけだった。二月の終りから三月いっぱい、桜の新芽が動き出したころ、餌の少ない山奥から降りてくるのである。
 まだ根雪が残っている林を歩いている時、薄桃色をしたチリのようなものがドーナツ状に散らばっている場所にでくわしたら、その中心に山桜の樹があることが知れ、さらにちらちらと落ちつつあるものが見えたなら、今その桜の樹の枝にはウソたちが集まっているのだと知られる。薄桃色をしたチリは、冬の間じっと芽を守っていた硬い皮。ウソたちは、あまり器用そうには見えない嘴の中で忙しく木の芽を転がして、私たちが竹の子をむいて中身だけを食べるのとおなじことをしているのである。 “心につながる 「ウソ」” の続きを読む

チチバナ


照準を通して十五メートルほど先に、白い小さな標的が見える。そのはるか向こうは木曾川の対岸の石垣で、チチバナが満開に垂れ下がって豪華な黄色の緞帳をつくっている。あざやかな黄一色を背景に、白い的がくっきりと浮かび上がっているわけである。

 私は窓枠に空気銃を乗せて標的を狙っている。まず、きっちりと中心をとらえ、息をつめ、それからわずかに左下に照準をずらせた。この銃にはしたたかな癖があったからである。

 中折れ式の小さな空気銃。台尻からすこし上のところに、月と狩のローマの女神ダイアナの像が彫りこんであった。長いローブのようなものをまとった女神は左腕を下ろして、おそらく何万年も愛用してきた弓と矢を惜しげもなく足元に投げ捨て、右手に高々と銃をかかげている。このポーズから察するところ、ダイアナは移り気な女神様のように思われる。
 この銃は次兄が買ってもらったものだそうだ。はじめのうちは狙ったとおりに弾丸が飛んだが、いつのころからか微妙に的を外れるようになった。欠陥に気付いた次兄は、むんずと銃身をひっつかんで逆手に振り上げ、そのへんの立木に叩きつけた。銃身が曲がっているなどということは、持ち前の潔癖性がとてもゆるさなかったのである。まるで西部劇映画の一場面のようであったろうが、台尻に大きなひびが走り、弾丸の通り道は決定的に曲がってしまった。

 空気銃の使用権は三番目の兄に譲られることになった。飛び道具というものにとってははなはだ困った癖のために、兄たちは使用権にあまり固執しなかったので、銃は三番手、四番手、とだいたい一年半ぐらいで通過し、しだいに私の手に近づいて来つつはあった。 “チチバナ” の続きを読む

迷い出た魂を元に納める方法

 木曾の実家に「ミソ蔵」というのがあった。自家製の味噌を入れた大きな樽ばかりでなく、穀類をはじめ、ジャガイモ、サツマイモ、ショウガなどが貯蔵されていた。蔵というからには、扉は結構に頑丈なものだったが、ネズミが入り込む。人が出たり入ったりする時の隙を狙うらしい。
 祖母が、アオダイショウの見込みのありそうなのをひとつがい、お百姓に吟味してもらって、ミソ蔵のなかに放したのを知って、五歳だった私はわなないた。・・・
じっくり選ばれたアオダイショウが太ったネズミをたくさん食べたなら、二・三年のうちにオロチほどに大きくなるかも分からない・・・。

「なんてことを!」
 化け物は化け物を呼び合うそうだから、これは大変なことである。 “迷い出た魂を元に納める方法” の続きを読む

分かりの良い名前 「シロハラ」


腹が白っぽく見えるというわけで「シロハラ」。地方によっては「コノハガエシ」とも呼ばれます。下に潜んでいる昆虫や木の実を探すために、木の葉をひっくり返すしぐさを繰り返すからです。両方とも、なるほど分かりは良いのですが、すこし素っ気ない名前のつけ方で申し訳ないような気がします。
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時は春 「ヒバリ」 Ⅰ

 「ヒバリ」という呼び方は「日晴」から転化したもののようです。ヒバリと聞くと、真っ先に高校(?)の教科書に載っていた詩を思い出します。

    春の朝(あした)

  時は春
  日は朝(あした)
  朝(あした)は七時
  片岡に露みちて
  揚雲雀(あげひばり)なのりいで
  蝸牛(かたつむり)枝に這ひ
  神、空に知ろしめす
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