カラスザンショウとメジロ


カラスザンショウ(烏山椒)

 1月下旬、冬も真っ盛りの空が群青の蓋のように硬く見える日のことです。
子犬と一緒に落ち葉を踏みながら山道を行くと、トンネル状に笹竹が迫っていた向こうは明るく開けており、その少し手前に、沢山の小さな実を枝先に残している落葉樹がありました。

 そこにメジロの群れがやって来ています。
 大小の団子状に固まっている実は、カラカラに乾いて口を開けている小さな灰色の果皮が集まっているもので、その小さな灰色の粒の中からさらに小さな黑い粒が顔をのぞかせているように見えます。小枝には鋭いトゲがあるのも映っています。

  落ち葉の上を探すと、くすんだ色同士で難しかったのですが、いくつかの房状のものを見付けることが出来ました。枝の先から落ちたものです。小さな黒い種子は抜けてしまっていて、ほとんど残っていません。

 樹を見てみました。
 高さおよそ9~10メートル、幹の直径が20センチほどの高木で、根元近くの幹にはトゲの跡であるらしいイボ状の瘤が残っています。

 沢山の実、小枝のトゲ、幹のイボ、高木…これで樹が何者であるか見当が付くのですが、念のため、灰色の粒のひとかけらを摘み取って噛んでみました…間違いようもない「粉山椒」によく似た痺れるような刺激性の辛味…これでまず決定。
 葉が落ちてしまっている冬場でも知れることですが…この樹はカラスザンショウ(烏山椒)。
 さらに念を入れて、枝先のあたりをアップして見ると、可愛らしいお猿さんの面のような模様が見られます。これは去年の大きな葉が抜け落ちた後で、額のあたりにねじり鉢巻きのように盛り上がっているのが、この春に芽吹くための新芽なのです。これもカラスザンショウの特徴です。

 さて、カラスザンショウならぬお馴染みのサンショ(山椒)といえば、春の芽山椒・葉山椒・花山椒、初夏の実山椒、秋から冬の粉山椒…と殊に私たち日本人が徹底的に賞味し尽くしている風味で、その枝や樹皮までもが久しく活用されてきました。使うたびに微妙な香味が料理に移ることから枝はスリコギ(擂粉木)に加工され、剝いだ樹皮をもみだして川魚を獲るという「毒もみ」という漁法もかつてはありました。サンショの実や樹皮に含まれているサンショオール、サンショウアミドは辛み成分として知られていて大きな害はないとされているものの、キサントキシン、キサントキシン酸は、動物ことに魚類に投与すると痙攣や麻痺を起こすことが分かってきました。

 サンショの仲間(ミカン科サンショウ属)には何種類かがあり、サンショ(山椒)のほかイヌザンショウ(犬山椒)とカラスザンショウ(烏山椒)がよく知られています。
どちらも本命のサンショに比べるとスパイシーな刺激のある芳香が劣るとされて食用にはされていません。イヌザンショウというのは、犬が好むサンショという意味ではなく「犬も食わない」という感じから呼ばれるようになったヒトの勝手だろうと思われます。

 山椒の仲間のうちでもカラスザンショウは抜きんでた高木で時に15メートル以上にも成長し、カフェインやニコチンと同じであるアルカロイド(アルカリのようなもの)と呼ばれる化学物質を持っているそうです。アルカロイドの多くの作用は温和であり、毒性があっても比較的安全であるとして様々な薬の材料になっているものですが、例えばケシの実に含まれるアヘン、コデインも同じアルカロイドであるので油断はなりません。カラスザンショウの若芽を天ぷらにして食べたり、葉を煎じて薬用として飲んだりするときには量に注意する必要があると思われます。
 植物は原則、昆虫や動物にやたらに食べられないように毒性のある物質を生成します。にもかかわらず、カラスアゲハ、ミヤマカラスアゲハ、モンキアゲハ、クロアゲハといった大型のアゲハ蝶の幼虫はカラスザンショウの葉を食べて健やかに育つという現象はどういうことかというと、アゲハチョウとカラスザンショウの間には、進化という試行錯誤を重ねることで得られた厳しい相互選択性ともいうべきものがあるからで、他の生き物との間で同じような平和な関係が成り立つとは限らないのです。

 春から夏にかけてのカラスザンショウの様子を見てみましょう。私にはこの季節の写真の持ち合わせが無いので、インターネットで検索しました。
 たわわに咲いている花を見て思い出しましたが、これに群がったミツバチ達が作る蜂蜜は爽やかでスパイシーな香りが独特な絶品なのだそうです。一度、味わってみたいものです。ミツバチのおなかというフィルターを通っているので安心して良いのでしょう。

カラスザンショウとメジロと

 メジロにまた登場してもらいます。
 メジロといえば、初冬の残り柿に取り付いてせっせと穿っていたり、いち早く咲き始めた早春の梅の花蜜を吸うために花から花へと忙しく渡っていたり…留まるにしろ動き回るにしろ、甘い物が大好きなのです。
 カラスザンショウに来ているメジロたちは、動画に見るように、少しもじっとしておらずに灰色の房から房へとキョロキョロしながら移動しています。梅の花蜜を吸うときと同じように、少量のものを集めているようです。

 枯れ切った灰色の果皮に蜜があるはずはありません。すると、もう一つ内側の黒い種子が目当て…???
 だいぶ前のことですが、私は本命のサンショのつやつやと光る小さな黒い実を齧ってみたことがあります。ガリガリと砂のように砕けるだけで、味らしい味も素っ気もありませんでした。

 何がメジロを呼び寄せるのだろう?
 カラスザンショウの種子には甘味があるのだろうか?
 というわけで、房状のものを家に持ち帰りました。
 灰色の果皮からは黒い種子がほとんど抜け落ちていましたが、6~7個を見付けることが出来ました。2~3ミリの大きさで、皺が寄っています。

 よく見ると、皺の中から、さらに小さな黒い粒が顔を出しているものがあります。

 それを取り出してみます。ここで、皺の寄った薄い膜をAとし、それに包まれていた黒い小さな粒をBと呼ぶことにします。

 Bを口に入れてみました。
 砂を嚙んだようにガリガリと砕けるだけで、何の味もしません。
 Aの方を口に入れてみました。ごく少量がグニャグニャする感じで直ぐに無くなってしまい…どうということはありません。少なくとも、メジロが好む甘味はほとんどありません。
 何がメジロを呼び寄せるのだろう??
 写真を見直すと、気のせいか、メジロたちが取り付かれているような様子に見えてきます。
 メジロの口から黒い物が落下する瞬間が写っているものもあります…口に入れ損ねたものでしょう。間違いなく、AかBがお目当てなのです。

メジロが残した糞の謎

 次の日も訪れると、やはりメジロたちが集ってパーティーを開いていました。メジロに限らず、小鳥が口に入れるのは両方(A+B)であり、Bはそのままで排泄するとするのが順当です。「果肉を食べさせるかわりに中の種子を運んでもらう」というのが実を成らせる植物の戦略であるからです。AのみかBも消化させてしまうというような間抜けなことを、植物がするわけがありません。
 が、カラスザンショウとメジロの間には特殊な相互選択性が有って、ひょっとしたらメジロは種子Aを消化できているのかも知れません。
 そこを確かめたくてメジロの糞を探そうとしましたが、地面は落ち葉ばかりが散り重なっていて、それらしいものを見付けるのは無理でした。
 その場の片側は急な斜面に落ち込んでいるために柵が設置してあり、それは擬木のように加工された単管パイプで組み上げられていました。
 と、樹の真下に当たるパイプの上に小鳥の糞らしいものがこびり付いているのが目に留まりました。偶然に引っかかったものでしょう。一粒のもあれば、二三粒が一緒になったのもあります。カラスザンショウが運んでもらいたい種子Bは、やはり消化されないものとみえます。

 摘まみ上げようとして驚きました。
単管パイプに吹き付けてある合成樹脂に食い込むように密着しているのです。Bを包んでいる果皮Aが、メジロの腸管を通っている間に、樹脂をも溶かす物質に変化したものだろうか??

 訪れたメジロたちがせわしなく動き回るのは、お目当ての果皮Aがごく薄くて少量ずつであるからだと頷けるのですが、そもそもカラスザンショウの果皮はメジロを引き寄せる特異な化学物質を蓄えているのではないだろうか。ヒトにとってのカフェインやニコチンなどに類するような…?

 私がこの冬、最後にカラスザンショウの大木を訪れたのは、辺りに春の気配が濃くなりつつある2月23日のことで、あちらこちらでメジロの大好きな梅の花が咲き始めておりました。
それでもカラスザンショウの梢には変わらずに乾いて見える灰色の塊りが残っており、驚いたことに、そこにメジロたちが一羽二羽と訪ねて来ていました。梅の花蜜よりもカラスザンショウの僅かな果皮の方に惹かれる? 極々薄い果皮とメジロとの間には、やはり何か秘密があるようです。

 そうこうするうちにさしものカラスザンショウの種子も食い尽くされるでしょう。謎は残ったままです。
 私の足腰がまだ耐えられるなら、来年の冬にはカラスザンショウの樹の下にビニールシートなどを敷いておいて、きちんとしたサンプルなりを集めてみたいと思っています。

バン 水かきの無い水辺の鳥

ゆったり 静かな水辺で

「バン」は、ハトよりも少し大き目の「水辺の鳥」で、池や湿地や水田などに棲み付いているのが見られます。
「クイナ」の仲間であるだけに、陸に上がった姿は脚が長くてスマートに見えるのですが、水に浮かんでいる様子はずんぐりむっくりしており、動きもゆったりしていることが多いようです。

「バン」というのは「番」のことで、「クルルー」と鳴いて水田などの番をしてくれているということから付けられた名前だそうです。
が、いつも見張っていて、怪しいものが来たら警報を発するというような殺気立った感じではなく、棲み付いたように近くの水辺の茂みに居て、ひっそりと見守ってくれているようだという雰囲気を掴んでのことだと思われます。つまり「番犬」「見張り番」「寝ずの番」とかではなく、「お留守番」「別荘番」といったふうなのです。

泳ぎが下手

水に浮かんでいる様子は、クイナというよりもカモの類に似ています。全体に青味を帯びた黒褐色の印象で、特徴的なのは、広い額(額板)とクチバシの赤色(冬季には黄色)と、脇腹の白い線です。

広い水面や流れのある所に出ることは少なく、群れることもなく、静かな池の草陰などを好み、首を前後に振ってぎこちなく泳ぎます。
高く浮き上がってスムースに動いているなと思うと、水面下に沈んでいる小枝や水草の上を伝っているのが知れたりします。苦笑ものです。

それもそのはず、足に水かきが無いのです。

広い分布

つまり、バンは水辺の鳥ですが水鳥ではなく、水を好むクイナなのです。
おっとり不器用に見えますが分布は驚くほど広く、オセアニアを除く全世界(ユーラシア、アフリカ、南北アメリカ)の温帯と熱帯に分布しており、冬には寒冷を避けて暖地へ移動します。
おっとりしているように見えますが、環境への適応力が高いことは、最近の公園などでヒトから餌を貰うことを覚えつつある個体が増えていることからもうかがえます。

オオバンに比べると

同じクイナ科の鳥に「オオバン」という水辺の鳥が居ます。
バンよりも一回り大きく、全身真っ黒のところ、大きな額(額板)とクチバシが白くてくっきりと目立ち、西欧ではなかなかに洗練されたセンスだと評されるのだそうです。

バンと違って、オオバンは「弁足」という木の葉状の水かきを備えています。
それだけ泳ぎは上手で、広い水面で群れを作って盛んに活動します。例えば多摩川では、ちょっとした流れがある川面でも嬉々として餌を探しているのがよく見られ、それも近年多くなっているようです。

水かきがあるので、羽ばたきながら水面を助走して飛び立つことが出来、沢山のオオバンが次々と離水してゆく様子は、なかなかに胸躍るものです。

そして、オオバンはバンよりも更に広く分布しています。
北極圏もすれすれのアイスランドから、赤道を跨いでオーストラリアやニュージーランドまで、全大陸に及びます。
極寒から酷暑まで、環境適応力が大きく、最近の地球温暖化に伴って棲息区域を広げつつあるようです。

ともに繁栄を

バンは控え目に、オオバンはいくらか行動的に。ともに地味に・・・。
揃って、さらに広域に適応できますように。

アオバト Ⅰ 三悲鳥(?)の筆頭


まずは 日本三鳴鳥

 「三鳴鳥」という呼び方が何時の頃からかなされており、ウグイスコマドリオオルリがそれとされています。

 あらためてそれぞれのさえずりを聞いてみると・・・なるほど、ウグイスもコマドリもオオルリも・・・鳴き声は力強く、明るく、透明で、聞くものの心を揺さぶります。
 例えばウグイスについては古くから「鳴き合わせ」という何日間も持ち回る競技があり、ことに江戸時代には盛り上がったということです。ある年、江戸本郷の八百屋の主人のウグイスが、同じ町内である加賀の殿様が飼っていたウグイスに鳴き勝ったことがあり、八百屋さんは「ウグイスや百万石もなんのその」と詠んで喝采を受けたことがあるそうです。士農工商の縛りの中で、よほどの快挙だったのでしょう。

 ウグイスは「ホーホケキョ」、コマドリは「ヒヒーンカラカラ」、オオルリは「ピリーリー」とさえずると聞きなされているところ、私自身は他人様に聞いてもらえるような録音を持ち合わせていません。ウグイスだけは何とかなりますが・・・。
 この頃は素晴らしい記録がウェブ上にたくさん挙げられているので、例えば「コマドリの鳴き声」と検索すれば、たっぷり堪能することが出来ます。是非、先ずは楽しんでみてください。

日本三悲鳥・・・?

 さて、「さえずり」は求愛や縄張り宣言のオス鳥のアッピールですから、力強く、美しくなければなりません。これは解ります。
 ところが、懸命に力み過ぎて、周囲に・・・ヒトばかりではなく、多くの生き物が同じように感じているだろうと私は信じているのですが・・・悲愴不気味さ必死さを届けてくるものがあります。種を守り、縄張りを守るためには、そうした効果も必要なのかも知れないですが。

 私は勝手に三種の野鳥を選び、「三悲鳥」としています。
 アオバト、アオゲラ、コノハズクがそれで、次のように聞こえるというのがおおかたです。
  アオバトアーオー アオー ウーワオー
  アオゲラ・・・ヒョー ヒョー ピョヒョー
  コノハズク・・・オット オットートー フットットー

 鳴き声はどれも美しくはありますが、悲愴、妖しげ、不吉・・・といったものが織り込まれて迫って来るのです。
 各地に暮らした人々が同じように受け取っていたとみえて、あれこれ評判し合っているうちに、ついに民話や伝承となって残ることになりました。
 アオゲラ、コノハズクの順に出てもらい、最後に真打アオバトに登場してもらうことにします。

アオゲラ
 アオゲラはヒヨドリを少し太くしたようなシルエットをした中型のキツツキで、美しく存在感があり、冬のフィールドで観察していると他の野鳥に対してドスを効かせている風があり、しかも日本の固有種です。この鳥に会いたくてわざわざ外国からやって来る愛好家も少なくないほどです。

 残り柿にツグミやヒヨドリが集まっているところに幹の下方からズリズリと迫り、先客を追い払っている様子を見てください。

 「コッコッコッ」と力強く樹を叩いて次の箇所に移る時に「キョ キョ キョ」と短く鳴き、林から林へと波状を描いて移る時に「ケロ ケロ ケロ」と軽く鳴くことがあります。そして繁殖期に、殊にここぞという林に分け入った時に「ヒヨーッ ヒヨーッ」と鋭くさえずります。

 そのさえずりが怪しく聞こえるのです。
  私は学生時代に中央アルプスで「高山植物監視員」のアルバイトをしたことがありますが、主峰への登山道の一つ木曽福島口の八合目の少し下に「山姥(やまんば)」と名付けられたガレ場があり、巨岩が打ち重なってできた大小の岩穴のどれかに、山姥が住んでいるという言い伝えがありました。山姥は山奥に棲む老婆の妖怪で、美しい娘に化けて旅人を引き入れてさまざまにもてなし、夜になると殺して食べてしまうのだというのです。
 アオゲラのさえずりは今の私にも、山姥や魔女の到来を告げているように緊張をもたらします。
多くの人々が同じような感じを受けるようで、アオゲラをわけありとする伝承が各地にあります。

      すずめときつつき  青森県津軽地方

 むかしむかし、すずめときつつきとは姉妹(あねいもうと)でありました。
 親が病気になって、もういけないという知らせがあった時に、二人は化粧の最中でした。すずめはちょうどお歯黒でくちばしを染めかけてが、直ぐに飛んで行って看病しました。それで今でも、ほっぺたが汚れ、くちばしの上の半分がまだ白いのであります。
 きつつきの方は、紅をつけおしろいをつけ、ゆっくりおめかしをしてから出かけたので、大事な親の死に目にあうことができませんでした。  
 だからすずめは、姿は美しくないけれどもいつもヒトの住むところに住んで、ヒトの食べる穀物を食べることができるのです。
 きつつきは、早くから森の中をかけあるいて「かっか むっか」と木の枝をたたいて、一日にやっと三匹の虫しか食べることができないのだそうです。
 そうして夜になると樹の空洞(うつろ)の中に入って、「おわえ、嘴(はし)が病めるでや」と鳴くのです。

 ここで、夜にキツツキが鳴くのだろうか? それは「嘴が痛い」と聞こえるのだろうか? 疑問が湧いてきます。
 親不孝者にされてしまったキツツキにはかわいそうですが、歯痛のために「 ヒエー ヒエー」と悲鳴をあげ続けているというのであれば、これは頷けます。

       妖怪 寺つつき  奈良県の伝承  (谷真介編)

 今から千五百年ほど前のこと、仏教を日本に入れるか入れないかで大変な争いがあった。
 蘇我氏や聖徳太子は仏教を入れるのに賛成し、物部氏はこれに大反対であった。
 戦にまでなり、仏教を入れる側の勝利となった。滅ぼされた物部一族の大将が物部守屋(もののべのもりや)であった。
 大きな恨みをつのらせた守屋の霊は、ついにキツツキとなり、仏教のお寺の柱をつつくようになったのだという。これが妖怪「寺つつき」である。
     きつつきの死ねとてたたく柱かな    小林一茶

 疑問・・・柱をつついて虫を食べてくれれば、それだけお寺は長持ちすることになるのでは?

 

コノハズク
 コノハズクは日本で最も小型のフクロウとして知られ、深い森の中に生息しています。

 その鳴き声は、「ブッポーソー(仏法)」と聞きなされて有名です。
 実は長い間、ブッポーソーと鳴くのは同じく鬱蒼とした森に棲んでいることの多い別の鳥だと思い込まれていました。その鳥は全身が緑色でクチバシと脚が赤色という目立つコスチュームをしていて…いかにも仏法僧とでも鳴きそうなので、つい騙され続けていたのでしょう…この鳥は実は「ゲェ ゲェ」とドナルドダックのような濁声で鳴くのであり、「ブッポーソー」と澄んだ声で鳴くのはコノハズクであるくということが分かったのは、なんと昭和時代になってからでした。
けれど、鳥の方には何の罪も無い話ですから、間違えられた方の鳥を今でもブッポーソーと呼んでいます。

 私は木曽谷で育ちました。
 幼稚園に通っていたころの或る夏の夜、何やら黒い小さな影が物干しにやって来て、長い間、声をあげていたことがありました。山と山が狭まって、いちばん低まったところを木曽川が流れています。谷の何処へでも届くだろうというような、美しく通る、もの悲しい鳴き声でした。
 私には「オット オットートー オットートー」と聞こえましたが、祖母が教えるには、「あれはブッポーソーと鳴いとるんだに」とのことでした。

      夫鳥  岩手県中心に多数 聞耳草紙百十四話

 あるところに若夫婦があった。或る日、二人そろって山奥へわらび採りに行った。
 夢中になって蕨を採っているうちに、別れ別れになって、互いに姿を見失ってしまった。
 若妻は驚き悲しんで「オット オットー」と山の中を捜し歩いて疲れ果て、ついに死んでしまった。
 オットドリに身を替えて、今も鳴きながら夫を探している。

 

アオバト
 アオバトは、そのあでやかさもさりながら、さかんに海水(海が遠いところではミネラル分の多い鉱泉)を飲むことで有名です。それもチョンチョンとついばむというのではなく、群れを作って海岸に飛来し、荒波に命を張るようなことをしてでも、ガブガブと海水を飲みます。

 大層に珍しい習性ですが、ハトというものはこういうおかしなことをするものかというとそうではなく、日本に生息する6種類のハトの中でも、海水を飲むのはアオバトだけだそうです。

 どうしてこんなことを?…日を改めてまとめてみようと思っています。

 私の腕前とカメラでは鮮明とはまいらないけれど、オスメスともに全体にオリーブ色と印象され、オスには肩のところに赤ワイン色の色味が乗っているのが分かります。薄くピンクがかっている脚を内また気味にして止まっている様子、これらも相乗して、見ての可愛らしさを増しているようです。

 私たちにお馴染みのドバトとキジバトに出てもらって、違いを見てみましょう。

ドバト(堂鳩)あるいはイエバト(家鳩)
 「ポッポポ ハトポッポ…」と歌われているのがこれで、地中海や北アフリカ原産のカワラバト(河原鳩)が食用や伝令用に家畜化され、日本へは遠く平安時代に持ち込まれたところ、ある時逃げ出して野生化し、神社仏閣のお堂や観光地などで逞しく繁栄しているものです。
 人の手が加わっているだけに色彩は白・褐色・黒などを組み合わせてさまざまですが、首元の光沢を帯びた緑色味が特徴です。

 大きなイベントの際などに平和の象徴として大群が放たれることがありますが、それは飼育し易くて沢山の数を集めるのが難しくないということに加え、何よりもドバトたちが密集隊形を崩さずにあたり一杯に円を描き続けるという習性があるからです。「クー クー クル クー」と呟くように鳴きます。

キジバト(雉鳩) あるいはヤマバト(山鳩)
 ドバトに次いでお馴染みで、里山や公園などでしばしばお目にかかれます。
「デーデ ポポ デーデ ポポ」と濁声で平板に鳴きますが、低い声なのに結構に遠くまで響く独特のもので、一度聞いたら忘れられますまい。


 ドバトよりもスリムな形をしており、色は全体にグレイと印象される地味ぶりですが、首元の白と青の縞模様が特徴的です。
 習性もドバトとは真逆のようなところがあり、近くに住んでいる割にはヒトに近付きたがらず、番だけでひっそりと行動することが多く、飛ぶときも群れを作りません。

 アオバトに話を戻します。
 アオバトは、大きく飛翔するときはドバトのように見事な編隊飛行をなし、普段はキジバトのようにひっそりと生活していると言えそうです。
 実のところ、ひっそりを通り越して巣を見付けるのさえ大変なことで、その生態には分かっていないところが多く、夏場に大量の海水を飲むという謎とあいまって、謎の鳥とされています。

 謎の鳥とされているのにふさわしく、とても鳥とは思えない音色で「アオー アオー ウーワオー」などと鳴き、悲痛、懇願、必死といった雰囲気をあたりに振り撒くのです。

      馬追鳥  遠野物語 五十二話

 馬追鳥(ウマオヒドリ)は時鳥(ホトトギス)に似て少し大きく、羽の色は赤に茶を帯び、肩には馬の綱のやうなる縞あり。胸のあたりにクツゴコのやうなるかたあり。これも或長者が家の奉公人、山へ馬を放しに行き、家に帰らんとするに一匹不足せり。夜通し之を求めあるきしが終に此鳥となる。アーホー、アーホーと啼くは此地方にて野に居る馬を追ふ聲なり。年により馬追鳥里に来て啼くことあるは飢饉の前兆なり。深山には常に住みて啼く聲を聞くなり。

 この伝承では、「馬追鳥」という名前はその鳴き声が野に放たれた馬を追う声に似ていることから付けられていると説明されており、ウマオヒドリとルビが振られています。これを東北の方言で速く発音すると「マオウドリ」あるいは「マオウドリ」となるはずで、これから「魔王鳥」ともされ、その鳴き声はさらに不吉の前兆とされるようになったと推察されます。
 遠野近隣の別の伝承では、鳴き方を「アオー アオー」と聞きなしているものもあり、アオーとは「青毛(青味を帯びた黒色)の」を呼んでいるのだとしています。
 また「…肩には馬の綱のやうなる縞あり」とは、肩に手綱が擦れたような縞模様があるということだと思われ、「…胸のあたりにクツゴコのやうなるかたあり」というのは、胸にクツゴコ(馬の口に嵌める麻の網の袋)の形をした跡があるということでしょう。
 そういうことかとアオバトの写真を見直してみると、はて、胸にも肩にもそれらしいものはありません。ふと思い当たってヤマバトを見てみると、首に手綱が擦れた跡と言われればピッタリするような筋状の模様が見えます。これらについては、アオバトとキジバトを混同してしまっているのではないかとも思われます。

 忌まわしさ不吉さが込められているとするのは幾つもの伝承に共通しており、「飢饉の前兆である」「マオウドリを見た者は長生きしない」「この鳥が村にたくさんやって来ると世の中に悪いことが起こる」「この鳥が出ると雨か嵐になる」などが知られています。

 アイヌにもアオバトを語る神謡が伝えられています。
 オキクルミカムイ(北の大地に住むアイヌ民族の始祖であり最大の英雄)は雷神カンナカムイを父とし、ニレの樹の精霊を母として落雷の炎とともに生まれ、太陽の女神に育てられ、アイヌつまり人間に日の使い方や儀礼などを授けました。
 オキクルミカムイが性悪のカムイ(動物など)を懲らしめるという神謡はアイヌにとって普遍的なものであり、その一つに、あまり縁起の良くないアオバトを叱りつけるのに「和人」を登場させているものがあります。残念なことですが、近世以降の和人はアイヌにとって忌まわしいものであったので、このような組み合わせが生まれたのだろうと思われます。
 アオバトの由来を当のアオバトカムイ自身に語らせているところもユニークです。

     アオバトの神が生まれたわけ アイヌ神謡(カムイユカラ)

 私(アオバト)は山の中に住んでいたが、ある日退屈なので人間の村に降りて来て、ワウォワウォと鳴いていた。そこに子供たちがやって来て、私の鳴き声の真似をする。私はそれに腹を立てたので、昼も夜も大きな声で鳴き続けた。
そのうちに私の声で、川は干上がって只の窪地になり、只の窪地だったところは水が出て川になった。

 それでも止めずに鳴き続けていると、オキクルミの神が窓から身を乗り出してこう言った。
 「この悪いアオバトめ。お前はそんなことをするほど偉い神ではないのだぞ。昔、和人の侍が木こりになって、毎日山で木を切って暮らしていたが、ある日霧の中で道に迷って帰れなくなってしまい、とうとう息絶えた。その時、自分の髷(まげ)を切って投げた。その髷はその髷は腐りきることができなかったので、アオバトに生まれ変わったのだ。お前はそのようにして生まれたのだから、お前の鳴き声を子供たちが真似をしたにしても、腹を立てるほど良い神ではないのだ。この悪いアオバトめ。川が干上がるほど、夜も昼も鳴き続けおって」
 と、私を叱りつけた。私はそれを聞いて大変恥ずかしく思った。それからは鳴くときも大きな声を出さず、静かになくようになったのだ。

 幕末のころ、徳川幕府は南部・津軽・伊達などの諸藩に北方警備を命じ、命じられた藩はそれぞれに兵を出し、蝦夷地に陣屋を設けて都合40年にもわたって駐留しましたが、北方警備を優先するとはいえ、木材資源や漁業資源を求める和人の経済活動を盛んに伴うのは当然のことで、たくさんの樵・運搬人・船大工・鍛冶屋などが入山し、そこでは多数のアイヌを下働きとして雇用したり強制的に働かせたりしました。ここに挙げた、明るいとは言えないアイヌ伝承で、和人の特異な風俗である髷を小道具に使っているところが、なるほどなと思われます。
 髷というのはそもそも、戦場でいつでも潔く死ねるという覚悟を示すために、あらかじめ大きく頭を剃り上げておくという武人の心得から生まれたものと思われます。死期が近いと知った時に自分で髷を切るということは、俗人としては死ぬけれども新たに僧体となって生まれ変わりたいということでありましょう。
 和人の侍は髷を切り落とすばかりでなく、「…切って投げた」とされていますから、自分の命運に対する無念怒りが強かったことが分かります。
 髪の毛は、他のどの組織よりも長く腐らずに残り続けるものです。これに侍の心残りが作用して、アオバトに生まれ変わったというわけです。

悲鳥たちこそ

 野鳥はことに繁殖期には美しく力強くさえずることが多く、わけても「三鳴鳥」と取りざたされている小鳥たちのさえずりは見事で、人の耳に心地よく響きます。
 が、例えばウグイスのように、その声を近くに置いておきたいというわけで飼育手法が発達し、「鳴き合わせ」というような競技が生まれて高額で売買されたりするようになると、趣味、余裕、賭け事といった要素が加わってきます。ウグイスには迷惑な話です。

 それに対して、わけても「三悲鳥(筆者が勝手に呼んでいるもの)」の鳴き声は人の生活の根底のところに響いて、これを不安、不吉、切実といった情感で色付けします。おそらく鳥たちは懸命でありすぎるのでしょう。
 アオバトは「アオー アオー」と馬を呼び戻そうとしており、コノハズクは「オットー オットー」と夫を探し続けており、アオゲラは「ヒー ヒー」と歯痛に耐え続けています。

 馬を挟んだ長者と奉公人との緊張、夫の突然の失踪、お化粧への入れ込み過ぎ・・・日常に何時でも起こり得る落とし穴を捉えて組み入れて、長い年月を醸されて・・・鳥にも人にも、心打たれます。

 

ちょっと見マツボックリ トラフズク

巨大なマツボックリ?

「この冬もトラフズクの群れが来ている」と教えてくれた人が居たので、早速、訪ねてみました。

多摩川の河川敷からわずかに離れて、剪定などの手を入れてない松の木があり、入り組んだ枝の間をすかすと、40センチもあろうかという巨大なマツボックリがむっくりむっくり・・・。

あちらこちらから見通すと、一つ、二つ、三つ‥…六つ。松の肌や枝によく馴染んでいて、どうしてもマツボックリです。

よく見ると、達磨さんのように首を沈めて寝ている生き物なのだと知れるものがあり、さらに待っていると、別の個体が目を開けてこちらをすかしています。とうとう、正面を伺うことが出来ました。

トラフスズク

トラフズク」を漢字では「虎斑木菟」と書きます。「虎の斑紋と兎のような耳を持って木に棲むもの」という意味なのでしょう。

実際は、トラの模様よりも複雑で松の木の肌合いによく似ており、危険を感じた時に身を細めて針葉樹の幹にすり寄るという擬態を使います。
ウサギのような耳をしているといいますが、実際の耳は別にあり、それと見えるものは羽角と呼ばれる羽の束で、これも擬態のために使われるということです。

トラフズクはこの惑星の北半球の中緯度地帯に広域に分布して、主に周年棲息しますが、寒冷地に分布する個体は冬季には南下し越冬します。こうした広い適応力には訳がありそうです。

神秘な狩り ハンター

夜行性であり、夕方から夜にかけて活動し、ネズミやモグラを好んで食べます。
松の木の下を探してみると、良くこなれてはいましたが、ネズミなどの毛が混じっているらしいペレットがいくつか見つかりました。

昼間は、大きな達磨ボックリのようにうつらうつらしているとしか見えないのに、夜間とはいえ、昼夜を分けずにヒトが活動する地鳴りのようなゆらぎの絶えることのないこのあたりで・・・どうやってネズミやモグラを狩って獲るのでしょう。
ビル、街路樹、ヘッドライト。自動車、電車、さまざまな家電などから大量に排出されるモーターの振動や電磁波・・・。
雑音の雪崩の中から、ネズミやモグラの発する特有でかすかな振動を聞き分け、邪魔をする波動の洪水の中から、地表や地下の獲物を手繰りだすことをしているのです。
おそらく、私たちの感ずることのできない情報を駆使する能力を備えているに違いありません。それが広い分布を可能にしているものと思われます。

とすると、トラフズクの夜の飛翔は、達磨ボックリとはまるで違うはずで、ひよっとすると幽鬼のようであるかもしれません。見たいものです。

レンジャクの混群 遠望

春も五合目

満開を過ぎたの花殻が枝にこびり付いたようになり、代わって、の花芽がはち切れそうに太ってきている頃の或る朝、多摩川の岸辺に小石を拾いに行きました。
愛犬モッチ(子犬)も春は嬉しいらしく、庭に出してやると喜んであちこちをほっつき歩くのは良いのですが、家の中に戻そうとするとき、足の裏を拭いてやるのが大変になってしまったので、庭のここぞという所を小石で敷き詰めてしまうのが良かろうと考えたからです。

あれ ナスが巨木の枝に?

バケツにほどほどに小石を入れてサイクリングロードに戻ろうとしたとき、川沿いに連なっている落葉巨木の梢近くのひとつに、丸っこいものがいくつか並んでいるのに気が付きました。じっとしています。

ナスの形に似たシルエットは14羽の鳥、それもイカルの群れではないかと思いました。ずんぐりした身体を縦に立てて止まる習性のあるイカルは、春の移動の前にあんな風に集合するものです。

レンジャク! 

望遠レンズで拡大してみると、朝の斜光も遠くからのことでしたが、イカルではないことが分かりました。イカルには有るはずのない冠羽(後頭に突き出た羽毛)が見えたからです。

レンジャク!
今年は当たり年?

レンジャク」は漢字で「連雀」と書かれるとおり、「連なって止まるスズメ科の鳥」ということだそうです。

特徴的な冠羽、濃いサングラスを掛けたような目の周り、風切り羽の配色の美しさ。これらもさりながら、比較的に人を怖れない性質があることから、機会に恵まれれば、実をついばむ姿を近々と見ることが出来るので、バードウオッチャーやカメラマンには人気があります。

謎めいたところがあるのも、いっそう人を引き付けるのかも知れません。
日本で冬を越す鳥ですが、探しても訪ねても一向に出会えない年もあれば、大きな群れを作って街路樹や電線などにさえ何日もとどまっているために飽きられるほどのことがあり……年によって飛来する数が大きく変動し、それがどのような周期で何故なのかが分からないのです。

イボタ、ヤツデ、キズタ、ズミ、ナナカマド、ヤドリキといった木の実を食べますが、とりわけヤドリキの実は好物でレンジャクたちを引き寄せるので、マニヤックな人たちが、全国規模のヤドリキスポットともいうべきものを作っているほどです。飛来の少ない年でも、ヤドリキに注目していればお目にかかれる機会は大きいというわけです。
レンジャクとヤドリキとは共生関係にあると言われるほどに密接で、レンジャクのお腹を通ったヤドリキの種子はネバネバした糸を引くようになっており、また樹の枝に絡み着いて発芽発根するチャンスを得られるという仕組みです。

  写真 石田光史


ヒレンジャクとキレンジャク

「ヒレンジャク」と「キレンジャク」の2種類があり、それぞれ「緋連雀」「黄連雀」と書かれるとおり、簡略には、尾の先端が赤いか黄色いかで判別できます。


2種の分布はかなり違います。図に示しました。
ヒレンジャクはシベリア東部、中国北東部(アムール川やウスリー川流域)で繁殖し、北海道を除く日本、朝鮮半島、中国東部の沿海地域で越冬します。分布はキレンジャクよりも狭く、繁殖地の森林減少と環境悪化のために絶滅が危惧されています。

一方のキレンジャクは、ユーラシア大陸の寒帯に広く分布して繁殖し、日本全土を含む東アジアで越冬します。
つまり、ヒレンジャクはキレンジャクよりも少し南の地域で繁殖し、越冬もより南を好むようです。それで日本でも、ヒレンジャクは温暖な西日本で多く見られ、キレンジャクは東日本で多く見られるのでしょう。

レンジャクの混群

とはいえ越冬地は重なっているわけですから、2種のレンジャクはしばしば混じり合って行動します。親戚同士が混群を作るということになります。
私が多摩川で遠望したレンジャクたちも、上の写真に見られるように混群でした。

やはり謎めいて

この日、上空をタカ(おそらくオオタカ)が旋回していました。
レンジャクたちが算を乱して藪や低木の中に避難する行動をとれば、こちらとしては近くで対面できる機会が生まれるかもしれないと思ったのですが……レンジャクたちは悠然としてなんの動きも見せませんでした。
レンジャクたちは頭上のオオタカに気が付かないほどにのんびりしているのか。
気付いていながら、オオタカが小型の鳥を狙うことは滅多にないということを計算した上での無反応なのか。
やはり、謎めいたところがあるようです。

次にはもっと近くでお目にかかれて、冠羽や背中の美しさなどをじっくり見られたらと願っています。

 

残り柿に来る鳥たち 動画編

柿の木を舞台と鳥の揃い踏み
「柿の当たり年」というものがあるとみえます。
東京都の多摩地方だけのことかもしれませんが、この秋も深まると、たわわに実を付けた柿の木が目立つようになりました。
柿たちは「今年はみんな頑張って沢山の実を付けましょう」とでも声を掛け合うのでしょうか。不思議です。
いずれにしても、熟し柿をたっぷりいただけるのですから、野鳥たちにとっては有難いことです。

遠来のツグミを癒やせ残り柿
別れ前のツグミの宴柿たわわ
ツグミは胸の斑紋が美しい鳥です。斑紋は、地味だけれどもバリエーションがあって、アサリ貝の模様を見るように楽しいものです。

シベリアなどからはるばると渡って来る冬鳥で、秋も深まった頃に日本に到達しますが、しばらくは越冬地の具合を見定めるかのように群れのままで過ごし、本格的な冬を迎えるころに群れを解いて散って行きます。

両脚を揃えてホッピングし、止まると背筋を伸ばしてあたりを一心に窺う様子がなんとも愛嬌があるので人気があります。

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憧れの「ツミ」

日本で一番小さい猛禽類

ようやく、出会いました。
初夏の林の中。左手から飛来して、少し離れた枝に止まった鳥の影。
キジバトかと思いましたが、身体を斜めに倒して止まることの多いキジバトと違って、太目の身体をまっすぐに立ててこちらを見ています。

「ツミ!」
日本で一番小型の猛禽類。
画像の1枚だけを見ると、達磨さんのようにどっしりと大きく感じられますが・・・小柄なのです。
スズメのように小さい鷹ということで、漢字では昔から「雀鷹」と書かれ、スズメタカというのがススミタカに、次第に短く詰まって、ススミ、スミなどとなり、何時の頃からか「ツミ」となったということです。

頭部から背面は青味がかった黒褐色。胸から腹にかけてはカーキーの粗目の横縞。黄色の光彩。同じく黄色をした頑丈そうな脚が目立ちます。

オス・メス  違う種類かと思われるほど 

幾つかの写真に揚げたのは、実はメスのツミ。
昔から知られていたことですが、オス・メスの違いが大きいのです。それを図にまとめてみました。

精悍で気が強い 

ツミは小型であるだけに小回りが利き、小鳥たちを襲撃して主食としていますが、コウモリ、ネズミ、トカゲ、小型のヘビなどを捕らえることがあり、バッタ、カマキリ、セミなどの昆虫も食べます。
身体の小さいオスは殊に俊敏で、スズメ、カワラヒワ、シジュウカラ、エナガ、ホウジロなどを巧みに捕え、一方、体格の大きいメスはムクドリやオナガやキジバトなど大きめの鳥も狩りの対象にします。

古く、鷹狩(放鷹)が盛んだったころには、狙う小鳥の種類が違うことから、オスとメスを別けて扱っていました。
メスのことを「ツミ」と呼び、オスのことを「エッサイ(悦哉)」と呼んでいたそうです。「悦哉」というのは「よろこばしいかな」という意味でしょうから、鷹を使う人にとっては、オスのツミはとりわけ仕込み甲斐があったとみえます。

そのはずです。
ツミは小兵ながら気が強く、カラスを襲撃することさえあります。
そのカラスといえば、その荒っぽさは有名で、トビを追い掛け回しているのはよく見られる光景です。他の猛禽類と活劇を繰り広げるのもしばしばのことで、例えば、木の上で食事中のミサゴから魚を奪おうとして数匹が巧みに連携し合って挑みかかり、これに辟易したミサゴがご馳走を半分ほど残して退散するのを見たことがあります。
ツミは、そんなカラスにさえ向かってゆくのですから、鷹匠たちをたまらずわくわくさせたに違いありません。

オナガ(何回か紹介したことがあります)という中型の鳥は、乱暴なカラスに挑んでゆくツミの勇猛を当てにして、ツミの巣の周り50メートルほどを間借りすることがあります。集合して営巣するのです。・・・この頃はツミもオナガも少なくなったせいか私は見たことがありませんが・・・。
オナガたちは、ツミに襲われるリスクよりも、カラスに卵を奪われる被害の方が深刻だと計算しているわけです。

潔癖? 衛生好き?

ツミの分布図を示しました。
ツミの大部分は、ユーラシア大陸の北部と北海道で繁殖し、秋になると南に渡って、九州と東南アジアで越冬します。一部は移動せずに日本の本州に周年棲息します。つまり一部は留鳥です。

本州で繁殖をするとなると、北方とは違って、梅雨時のジメジメした環境での子育てということになります。
ツミはオス・メスが協力して、針葉樹の樹上を好んで巣作りをしますが、材料の枝を地面からは拾わず、生木の細い枝をクチバシでへし折って集め、仕上げには杉の葉を敷き詰めます。
湿った環境への適応なのかどうか、落ちている枝に付着している雑菌を嫌い、杉葉の消毒効果を活用するためだとされています。
勇猛であるばかりではなく、なかなか賢くもあるのです。

市街地に進出している?

このところ、「市街地に猛禽類が進出して来ている」という話をよく聞きます。東京西部の多摩地区でも、ちょっとした公園の林や街路樹などで、ツミが巣を掛けて子育てをしているのが見られるということです。

ツミが営巣するとしたら、餌になる小鳥や小動物がその付近に不足しないということが必須な条件となります。街で子育てをするとなると、ヒトに近すぎるというマイナスを埋め合わすためには、餌に不足しないどころか、潤沢にあることが必要だろうと思うのですが・・・。
公園や並木道に、小鳥や昆虫が豊富なのでしょうか?

「里山」と呼ばれている不思議な区域は、ヒトの営みと自然とがバランス良く混じり合っていて、そこには野鳥や小動物などが意外に多く生息していることは私も知っています。
住宅街が里山と移行し合い、混じり合っているような微妙な場所。そんなところにツミが営巣することがあるとしたら・・・それは、「猛禽類が進出している」というような生息地の拡大ではなく、「目立つようになっている」ということだと私は思います。

鷹たちは飛ぶ

さて、初めてツミにお目にかかってから数日後、同じ森の上空はるか高く、タカ類らしいものが飛翔しているのに気付きました・・・あのツミか!
あわてて連写しましたが、残念ながら、私の腕前ではピントが外れてしまって、うっすらにしても鷹斑(たかふ・胸の褐色の横縞)が認められることから鷹には違いないのですが、ツミなのかオオタカなのか判然としません。
頼りない判断ですが、胸の横縞がこまかく整然と見えるところから、オオタカとするのが当たりのようです。

奥多摩の森でのピントの合った鷹の写真があります。
胸の横縞が荒いところから、ツミかハイタカであるようですが、そのどちらであるかを判別するのは無理がありましょう。

嬉しいことに、私たちの遠くないところで、鷹たちは飛翔しているのです。

 

北へ還る前の日々に ベニマシコ

お猿の顔のように

全体に紅色と印象される、尾の長いスズメといったシルエット。
この美しい小鳥は「ベニマシコ」と呼ばれ、漢字では「紅猿子」と書かれます。
「・・・猿(ましら)のように軽々と屋根から屋根を伝って・・・」などと表現されることがあるとおり、「マシコ」とはお猿さんのこと。


納得

ベニマシコを一目見れば「なるほど!」と納得です。
全体の印象もさりながら、目の周りの紅色がとりわけ濃く、アングルによってはお猿さんにとてもよく似ているのです。
それも、サル山のボスザルといった貫録を感じさせる個体もあります。
ここに挙げた写真はどれも冬の終わり頃のものですが、夏場にはもっと鮮やかに紅く色付くのだそうです。

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まさかの優しいつぶやき イカル

まるで礼拝堂に迷い込んだように

数年前、木の芽が動き始めるかという早春の頃。
とある林の中に踏み入って・・・足が止まってしまいました。
木々たちが歌っている!
控え目で優しい音色が、林全体を包み込んでいたのです。

重なり合った枝の中に、何羽かのイカルが見付かりました。
灰色の全体に、烏天狗のような巨大なクチバシ。そのクチバシは黄色。太めのムクドリといったドスノ効いたシルエット・・・見間違いようもありません。
春のBGM・・・まさか。これがこわもてのイカルたちによって奏でられているとは、その時は気付きませんでした。

イカルの鳴き声「さえずり」といえば、「イカルコキー」「キーコキーキー」「お菊二十四」「蓑笠着い」「月・星・日」などと聞きなされています。
私には「特急列車来い!」としか聞こえない甲高いもので・・・ホームの黄色線から下がって待てというような警告だとすればピッタリの調子だと思います。
おしまいが「キーッ」とか「ヒーッ」と切り上がって鋭く響き渡るもので、あたりを包み込むようなBGM風とは正反対です。
「イカルコキー」という聞きなしから「イカル」という名前が、「月・星・日」と聞いたことから「三光鳥」という呼び方が、それぞれ生まれています。

すると、春のBGMは「さえずり」ではなく「地鳴き」だということになりますが、イカルの地鳴きというのは「キヨッキヨッ」という比較的単純で短いものだと説明されており、私も「そんなところだろう」と思い込んでしまっていたわけです。

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奇跡のV字回復 オナガ

黒いスイミングキャップを被って、全体はくすんだ水色。
ヒヨドリほどの大きさの身体に目立って長い尾。それでオナガ。
トレーマークの長い尾をなびかせながら、縦隊になってするすると木立を縫うありさまには、舞を見るような独特な雰囲気があります。
スマートさに似合わず「ギューィ ゲーイ ギー」などと鳴き交わすのが似合っているような、そうでないような・・・。


不思議な盛衰

4・50年前から繁殖が激減しました。
全く新しい托卵先として、「カッコウ」に目を付けられたための災難で、「托卵」ということに未経験だったオナガは良いように利用され、殊に西日本ではほとんど姿が見られなくなったといいます。
カッコウのヒナはセッティングされた通りにオナガの卵たちよりも少し前に孵化し、この世にあらわれて一番初めにすることは・・・仮の兄弟たちの入った卵を背中に当ててエンヤコラ。一つまた一つ、巣の縁まで持ち上げて押し出してしまうという仕事です。勿論、仮の兄弟たちは落下して潰れてしまいます。
羽毛も生えてない鳥肌、眼も見えているのかどうか。こんな時期になされる鬼気迫る奮闘で、兄弟のことごとくを始末するまで止めはしません。
だまされた里親が運んでくる餌を独り占めするためにすることですが・・・カッコウは「半端ない」のです。

数十年間、関東でもオナガの個体数は減少しました。
たまに見かけることがあっても、ぼそぼそに毛羽立って、すくみあがっているかのようでした。

一族の命運は尽きるかというときに・・・

オナガはカラスの親戚であるだけに、学習能力が高く、団結して行動する能力もなかなかのもののようです。

何が起こっているかを理解するようになったのです。
あわやというタイミングで、エナガたちは巣に産み付けられたカッコウの卵を見分けて、つまみ出してしまう眼力を備えることができました。
さらには、グループで見張っていて、カッコウがあたりに近づくと激しく攻撃して駆逐するようになったといいます。
あやうく逆転のV字回復。進化というものは驚くほどの短期間で進むことがあるという実例だとされています。

そうしたわけで、この頃また、オナガにお目にかかれるようになりました。
冬の終わりの頃に私が出会った群れは、互いに見張りを置きながら悠々と水を飲み合っておりました。長いシッポを振り立て振り立て・・・。


一時期よりも色つやが良くなり、体格もがっしりしてきて、群れは自信に溢れているようです。楽しそうです。
私にはそのように映ります。