「アオサギ」は、日本の水辺に繁殖する鳥のうちで最大のもので、体長95㎝近く、翼をひろげると160㎝にも達し、魚ばかりでなく、カエルやヘビ、カニ類、小鳥のヒナなども食べます。「グワァー」と吠えるように川辺を飛翔する灰色の巨体は、川をゆっくりと取り締まっているように見えることがあります。挨拶してもらいましょう。
そろいぶみといこうか 先頭にいるのが わたしら
青というよりも灰色に印象され、現に英語圏では「灰色サギ(grey heron)」と名付けております。外国人がしばしば「どうしてあれが青(ブルー)なの」と不審がるのだそうです。英語圏でブルーといえば、スカイブルー、コバルトブルー、ネイビーブルー、プルシャンブルー、スモークブルーなどと、青みがはっきりしているものをいうのでしょう。日本では、アオサギを漢字で書くと「蒼鷺」となりますが、「蒼」とは干した草のような青みがかった灰色をいうようで、この国の人の独特な色のとらえ方でありましょう。もっとも、アオサギが飛んでいるところを前方やや上から見ると、風切り羽のブルーと肩のあたりの白のコントラストがはっきりするのですが、その角度からのショットを探してみたのですが、ひどくピントが外れてしまったものしか見当たりません。はずかしながら、説明にはなるだろうとして出しておきます。
そうそう ほかの鳥たちを紹介するのを忘れていました。アオサギの後にいるのが「ダイサギ」、小さめのが「コサギ」です。夏なのでコサギには可愛らしい「冠毛」というオサゲが垂れているのが分かります。そうした面々の前の水面で、顔を出したり潜ったりしている黒い群れが「カワウ」です。 “川をとりしきるかのように 「アオサギ」” の続きを読む
長い間たずさわってきた少年矯正の仕事を退官し、また、かなりの時が経ちました。夕焼けを眺めるたびに、あと何度見られるだろうと思うこの頃。
身近な生き物たちとヒトへの想いと観察を綴りたいと思います。


それから何年も何年も経てこの春の終わり、私たちボランティアのフィールドの「百草分園」とでもいうべき区画の一つに居ると、一方に続いているクヌギの林の奥から、少年のころに馴染んだことのあるキツツキのドラミングが聞こえてきました。そっと踏み込んでみると、林のほぼ真ん中にクヌギと思われる一本の巨木が枯れたままそびえていましたから、さてこそと仰いで目を凝らしてみましたが、動くものはありません。くびすを返そうとしたとき、なんと、太い幹のほとんど目の高さのあたりに、見事な「アオゲラ」が取り付いているのに気が付きました。これが互いにお近づきの挨拶といった写真です。
お立ち台の上でというような、モズの風格は写真でご覧の通りです。宮本武蔵は「枯木鳴鵙図」という、モズをモチーフにした水墨画を残していますが、これは「重要文化財」に指定されているほどの出来栄えとされています。
日光の話に戻ります。観光客が買い与える餌や残し物でうるおったためらしく、まずハトが増え、そのハトのヒナやタマゴを満足に食べることができたためもあって、やがて日光の周辺にカラスが目立って増えたのだそうです。
スズメといえば、私には強烈な思い出があります。小学校5年生の夏休みに、ようやく兄たちを通りすぎて私のところに順番が回って来ていた「講談全集・猿飛佐助」というのを読んでいると、屋根に並んではしゃいでいるスズメの一団がいつになく気に障りました。読めない字が多くてイライラしていたのでしょう。
茶色のチョッキをカメラのファインダーに入れるたびに、幼かったころの木曾谷の夏祭りを思い出します。先の大戦後も数年間、「木曽馬」の馬市はサーカスの小屋が立つほどににぎわったのですが、農耕機械などの発達とともに馬市は次第に先細りとなって、ついに消滅してしまいました。おとなしくて働き者だった木曽馬は必要でなくなったのです。それから谷は過疎化に向かうのですが、女神さまを祭ってある「水無神社」の祭りだけは輝きを失わないように、谷の人々は踏ん張り続けました。
