カラスのハンギング
夏のある日、一羽のカラスが首をくくられてポールから吊り下げられているのを見ました。トウモロコシが実ろうとしている畑、カラスは頭部の皮が剥がれ落ちて半ばミイラ化、というところまで腐敗していました。 “カラス鎮魂” の続きを読む
長い間たずさわってきた少年矯正の仕事を退官し、また、かなりの時が経ちました。夕焼けを眺めるたびに、あと何度見られるだろうと思うこの頃。
身近な生き物たちとヒトへの想いと観察を綴りたいと思います。
生き物はひとつ 世界のなかま
多摩川中流域を中心に、多摩丘陵の野鳥について
夏のある日、一羽のカラスが首をくくられてポールから吊り下げられているのを見ました。トウモロコシが実ろうとしている畑、カラスは頭部の皮が剥がれ落ちて半ばミイラ化、というところまで腐敗していました。 “カラス鎮魂” の続きを読む
長い間たずさわってきた少年矯正の仕事を退官し、また、かなりの時が経ちました。夕焼けを眺めるたびに、あと何度見られるだろうと思うこの頃。
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何か新しいものにばったり遭遇したとします。まず驚きや恐怖におそわれるのが普通ですが、とりあえず身に危険が及ばないと感じ取った時には、恐怖心に代わって好奇心というものが現われます。ある程度進化した生き物にとっては、更なる種の発展を促すために必要な本能とも言えましょう。
ここに挙げる小鳥たち、ヒバリ、タヒバリ、ハクセキレイ、キセキレイは、私の知る限り普段は結構に警戒心の強い野鳥たちです。にもかかわらず、目と目が合い、何かを知ろうと探り合ったひとときを、私は持つことがありました。バードウォッチヤーなら誰でも経験のあることだと思いますが・・・。 “小鳥たちの好奇心” の続きを読む
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雑食性の夏鳥です。
万葉集に「近江の海夕波千鳥汝が鳴けば心もしのに古思ほゆ」と柿本人麻呂に詠われており、清少納言の枕草紙にも「千鳥いとおかし・・・」とあるように、千鳥は昔から身近なもののようです。シギの類と合わせると、何がチドリで何がどういうシギやら、正直、私には分かりません。 “ちどりあし? 「コチドリ」” の続きを読む
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5月上旬の多摩川中流。離れた中洲の向こうの瀬で、野鳥の小さな群れがくつろいでいるのを見付けました。初夏の陽光のきらめきが、無数のシャボン玉のようにあたりを取り巻いており、ファインダーの中は四角に切り取られた夢の世界のようでした。望遠レンズの醍醐味は、こういうところにもあります。
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多摩川の中流の4月上旬。早朝。土手の草々にはたっぷりと霜が降りています。霜の乗り方が草によって違うようです。私は野草の名前をほとんど知りませんが、まるでテンプラの衣のようにまぶされてるもの、干し芋のように薄く粉が吹いているようになっているもの、まるで霜を乗せていないもの、といろいろです。草たちの種類によるのか。ちょっとした風の通り道の違いからそうなるのか。誰かに教えてほしいものです。いずれも5:40頃の表情です。

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このところ毎年500万匹を超すアユが遡上していることからも、かつて「死の川」と呼ばれた「多摩川」は見事に蘇ったと云えそうです。ことに昨年(2018)の遡上は994万匹に達したということで、多摩川にそれだけのアユを養う力があるか」が議論になり、「少し間引きが必要なのでは」という見方もあったそうです。
自然の摂理というものか、こうしたことに対応するように、昨年のアユを捕食するものたちの活動も大仕掛けのもので、私はその様子を「アユあの遡上を巡る宴 Ⅴ」としてブログの記事にしました。
今年もアユの捕食者たちの活動は「饗宴」といった豪華さです。それから逆に、今年の遡上もまた相当のものだろうと期待されるわけです。
日の出から間もない頃、陽の光を右後ろに受けて、整然としたカワウの群がいくつも通り過ぎます。6月18日 5:03
“アユの遡上を巡って Ⅴ-2 「饗宴」” の続きを読む
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ウソという小鳥がいる。スズメよりも少し大きめで、全体がふっくりと丸みをおびており、微妙に濃淡のある灰色の服をまとっている。
頬のあたりに別の色気がまじることから、少年の頃の私たちはアオウソ、アカウソと二種類に分けて呼んでいた。アカウソなどというと、「真っ赤な嘘」というのが連想されるが、ウソたちはクチバシからして短く太く、それとバランスをとるかのように、心根もおっとりとしている。
おおかた、人里はなれた高山の原生林ともいうべきところに棲息していて、民家の近くに姿を見せるのは一年のうちでわずかの数週間、早春の一時期だけだった。二月の終りから三月いっぱい、桜の新芽が動き出したころ、餌の少ない山奥から降りてくるのである。
まだ根雪が残っている林を歩いている時、薄桃色をしたチリのようなものがドーナツ状に散らばっている場所にでくわしたら、その中心に山桜の樹があることが知れ、さらにちらちらと落ちつつあるものが見えたなら、今その桜の樹の枝にはウソたちが集まっているのだと知られる。薄桃色をしたチリは、冬の間じっと芽を守っていた硬い皮。ウソたちは、あまり器用そうには見えない嘴の中で忙しく木の芽を転がして、私たちが竹の子をむいて中身だけを食べるのとおなじことをしているのである。
“心につながる 「ウソ」” の続きを読む
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腹が白っぽく見えるというわけで「シロハラ」。地方によっては「コノハガエシ」とも呼ばれます。下に潜んでいる昆虫や木の実を探すために、木の葉をひっくり返すしぐさを繰り返すからです。両方とも、なるほど分かりは良いのですが、すこし素っ気ない名前のつけ方で申し訳ないような気がします。 “分かりの良い名前 「シロハラ」” の続きを読む
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「ヒバリ」という呼び方は「日晴」から転化したもののようです。ヒバリと聞くと、真っ先に高校(?)の教科書に載っていた詩を思い出します。
春の朝(あした)
時は春
日は朝(あした)
朝(あした)は七時
片岡に露みちて
揚雲雀(あげひばり)なのりいで
蝸牛(かたつむり)枝に這ひ
神、空に知ろしめす
すべて世は事も無し “時は春 「ヒバリ」 Ⅰ” の続きを読む
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真夏の多摩川中流の日の出は5時20分前後です。
しらしら明けの頃、残った星がいくつか瞬いて見える頃はさすがに涼しく、たっぷり夜露を乗せた草々をかき分けながら岸辺に立つと、下流から上流へ、つまり東から西へ向かう「カワウ」と「ダイサギ」の大群が見られます。この時期、伸び切った雑草がけっこう硬く横に張り出しているので、これらに弾かれて川の中に転がり落ちないように注意する必要があります。 “朝の大移動 「カワウ」「ダイサギ」” の続きを読む
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