この国の行方 Ⅸ キープ ジャパン ブライト

日本の「ブランド力」 世界一

 「時事通信社」が2019・6・29に配信した記事(勝手ながら1部を構成変え)

 [ロンドン時事] 日本の「ブランド力」は世界最高。英フューチュアーブランド社が25日発表。国・地域の評判を基準に算出した「フューチュアーブランド・カントリー指数」のランキングで、日本が1位となった。製品・サービスの信頼性のほか、健康的な食事や自然の美しさ、独得な文化などが世界で高い評価を得た。

 同社は「国・地域の力を測るのに、GDPや人口規模、核兵器の数に意味はあるだろうか」と指摘。・・・高い技術やイノベーションを背景にした製品・サービスよりも、西洋とは異なる無駄を省いたシンプルさなどを体現した独特な文化こそが「日本の偉大な輸出品」だと述べた。

 調査はGDPの上位75ヶ国・地域が対象。調査期間は今年1〜2月。過去1年で少なくとも1度は海外旅行をした計2500人にオンラインでインタビューを実施。さらに、交流サイト(SNS)に見られた各国・地域に関する投稿を多数の言語で分析し、22項目で採点した。

 日本は5年前の調査でも1位だった。2位はノルウエー(前回6位)。3位スイス(同2位)、4位スウェーデン(同4位)、5位フィンランド(同13位)。上位の国々は総じて、生活の質や環境への優しさなどが高く評価された。
 米国は5つ順位を落として12位に転落。トランプ大統領の言動が影響したとみられるという。EU離脱で混迷する英国も7つ順位を落として19位となった。近隣諸国では、韓国が20位(同20位)、中國は29位(同28位)だった。

ひよわな花 頑張る

  日本の内実。エネルギー自給率8%、食料自給率40%、木材自給率30%。
 原油の輸入路が少し波立っただけでも、ひやひやしなければならないような脆弱な基盤の上に咲く花は、ひよわに見えながらけっこうに弾力性があって逞しい。
  これまで日本流にやってきた結果が、「ブランド力世界一」の評価を受けているのである。「エイジングニッポン」とか「沈みゆく船」どころではない。脆弱なところを注意深く、少しずつ、たゆまず補修改善してゆけば、世界最高のブランド力をキープしてゆくことは、この国の人々の能力からして可能である。このところを若者たちに気付いてほしい!

  このブログのシリーズの「Ⅶ 再生 幸せな国へ」でも以前に書いた。・・・東方に小さな島国がある。どの方向にも開かれていて、特異な産物と文化と技術とを発信し、良いものは柔軟に取り入れる。おごらず、ひるまず、静かに自立している。平和と地球の環境を守るためには果敢で、国際連合には欠かせないメンバーである。人々は、勤勉で明るく、平等をモットウとし、慎重に計画した上で行動的である。安心して子育てができ、安心して死ねる社会を実現することができている・・・GDPが世界何位などというのは、どうでもいいことである。・・・キープ ジャパン ブライト!

きらめきの中で一休み 「クサシギ」

 5月上旬の多摩川中流。離れた中洲の向こうの瀬で、野鳥の小さな群れがくつろいでいるのを見付けました。初夏の陽光のきらめきが、無数のシャボン玉のようにあたりを取り巻いており、ファインダーの中は四角に切り取られた夢の世界のようでした。望遠レンズの醍醐味は、こういうところにもあります。

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霜の朝のソロ 「ダイサギ」Ⅲ

あした霜おく

 多摩川の中流の4月上旬。早朝。土手の草々にはたっぷりと霜が降りています。霜の乗り方が草によって違うようです。私は野草の名前をほとんど知りませんが、まるでテンプラの衣のようにまぶされてるもの、干し芋のように薄く粉が吹いているようになっているもの、まるで霜を乗せていないもの、といろいろです。草たちの種類によるのか。ちょっとした風の通り道の違いからそうなるのか。誰かに教えてほしいものです。いずれも5:40頃の表情です。

 

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恋(?)の季節 多摩川の「コイ」Ⅱ

 昨年の5月4日、乾上がりかけた多摩川の傍流から必死に本流に脱出し、見事に産卵を遂げたコイの群の様子を見、「川に生きる コイ」という記事にしたことがあります。

 5月の第1週は「バード・ウイーク」とされ、小鳥たちの巣作りや抱卵、タカナキやサエズリ、エサ運び、そして可愛らしいヒナたちの巣立ち・・・バードウイークと呼ばれるのにぴったりです。

 同じ頃を、どうして「フィッシュ・ウイーク」と呼ばないのでしょう。水面下であるだけに魚類たちの営みは目につきにくく、なんだかぬめぬめした感じが付きまとうからでしょうか。

コイの季節

 多摩川のコイの魚影の濃さは知る人ぞ知る!
個体数としては、ウグイやアユなどには負けるかもしれませんが、生体の総重量としては優に凌いでいるものと思われます。バード・ウイークと同じころ、やはり5月の初旬が「コイの季節」ですが、迫力のあるものです “恋(?)の季節 多摩川の「コイ」Ⅱ” の続きを読む

アユの遡上を巡って Ⅴ-2 「饗宴」

 このところ毎年500万匹を超すアユが遡上していることからも、かつて「死の川」と呼ばれた「多摩川」は見事に蘇ったと云えそうです。ことに昨年(2018)の遡上は994万匹に達したということで、多摩川にそれだけのアユを養う力があるか」が議論になり、「少し間引きが必要なのでは」という見方もあったそうです。
 自然の摂理というものか、こうしたことに対応するように、昨年のアユを捕食するものたちの活動も大仕掛けのもので、私はその様子を「アユあの遡上を巡る宴 Ⅴ」としてブログの記事にしました。
 今年もアユの捕食者たちの活動は「饗宴」といった豪華さです。それから逆に、今年の遡上もまた相当のものだろうと期待されるわけです。

上流を目指すカワウたち

 日の出から間もない頃、陽の光を右後ろに受けて、整然としたカワウの群がいくつも通り過ぎます。6月18日 5:03  “アユの遡上を巡って Ⅴ-2 「饗宴」” の続きを読む

ぽんぽこたぬき?? 「タヌキ」

 この春は、畑をよく荒らされました。ネギの苗床を作ったり、コカブ、ホウレンソウなどを蒔くと、平らに均されたところを狙うように結構に深い足跡を散らされるので、質の良くないネコイヌの仕業とばかり思っていました。
 五月の中頃にショウガの種を植え込むと、その五・六個がほじくり出されて、ほとんど元の位置に並べてあるということが二度ありました。ネコやイヌはこういう手の込んだことはしません。タヌキかハクビシン。おそらくタヌキだろうと思いました。

タヌキ登場

 
 五月の末のこと、キュウリの苗の手入れをしていてふと目をあげると、ずんぐりした感じの動物がジーッとこちらを窺っているのと対面することになりました。距離は5〜6メートル。
 直ぐにタヌキだと分かりました。幼い頃から、良く特徴を捉えたタヌキの略画やマンガを見慣れているせいもあるでしょう。 “ぽんぽこたぬき?? 「タヌキ」” の続きを読む

わたしの子供たちへ

  わたしの子供たちへ      
                   
年老いた私が ある日 今までの私と違っていても
どうか 私のそのままを見てほしい
服に食べ物をこぼしたり 靴ひもを結び忘れても
同じ話を 何度も何度も繰り返しても
どうか いらだたずにいてほしい・・・
あなたにせがまれて繰り返し読んだ絵本は
結末はいつも同じでも 私たちの心を平和にしてくれた

悲しいことではないんだ 薄まってゆくように見える私の心へ
励ましのまなざしを向けてほしい
楽しいひと時に 私がおもわず下着を濡らしてしまったり
お風呂に入るのをいやがるときには 思い出してほしい・・・
あなたを追い回し いろんなわけを見つけて
いやがるあなたとお風呂に入った 懐かしい日のことを

悲しいことではないんだ 旅立ちの準備をしている私に
祝福の祈りを捧げてほしい
いずれ歯も弱り 飲み込むことさえ難しくなるかもしれない
脚も衰えて立ち上がることさえ出来なくなるかもしれない・・・
あなたが 幼い脚で立ち上がろうとして私に助けを求めたように
よろめく私に どうかあなたの手を握らせてほしい

あなたを抱きしめる力が無いのを知るのはつらいことだけど
私の姿を見て悲しんだり 自分が無力だと思わないでほしい
私を分かろうとする心だけを持っていてほしい
それだけで それだけで きっと 私には勇気がわいてくる
あなたの人生の始まりに私が付き添ったように
私の人生の終わりに少しだけ付き添ってほしい・・・
あなたが生まれてくれたことで私が受けた多くの喜びと
あなたへの変わらぬ愛をもって その時も笑顔で応えたい

私の子供たちへ
愛する子供たちへ

何年も前になる。知人の奥様からプリントをいただいた。原作:不詳、訳・作曲:角 智織、樋口亨一とあった。キリスト教にゆかりのあるものであるらしい。心を打たれた。筆者が勝手ながら一部を変えたものです。

しあわせ続けよう

平和こそ力。あと二十年ほどを誤らなければ、内外に誇れる到達となるでしょう。
オリンピックの金メダル何万個、何十万個。そんなものよりもはるかに価値があるみんなの積み上げ。心に新しい力が蘇ってくるような目標です。
「大きな古時計」のメロディでどうぞ・・・。

一 今日はサシミが食べられる  ミカンもあるし
  小さな梅ノ木咲いていて   洗濯日和だし
  夜には娘が来てくれる    明日は働ける
  そのまた次の日も      しあわせ続けよう
  ※百年休まずに行ったり来たり  お前と一緒に行ったり来たり
   そのまた次の日も   しあわせ続けよう

二 四十五十は洟たれよ     六十やっと根が生えて
  神戸のおばちゃん七十で   ホームを立ち上げた
  七十八十働き盛り      死神はお断り
  百になったら晴れた朝    めでたくピンコロリ
   ※くりかえし

心につながる 「ウソ」

 ウソという小鳥がいる。スズメよりも少し大きめで、全体がふっくりと丸みをおびており、微妙に濃淡のある灰色の服をまとっている。頬のあたりに別の色気がまじることから、私たちは、アオウソ、アカウソ、と二種類に分けて呼んでいた。アカウソなどというと、「真っ赤な嘘」というのが連想されるが、ウソたちはクチバシからして短く太く、スズメやシジュウカラやヒヨドリのような小賢しいというようなところはまるでなく、おっとりとしている。
 おおかた、人里はなれた高山の原生林ともいうべきところに棲息していて、民家の近くに姿を見せるのは一年のうちでわずかの数週間、早春の一時期だけだった。二月の終りから三月いっぱい、桜の新芽が動き出したころ、餌の少ない山奥から降りてくる。
 まだ根雪が残っている林を歩いているとき、薄桃色をしたチリのようなものがドーナツ状に散乱している場所にでくわしたら、その中心に野生の桜の木があることが知れ、さらにちらちらと落ちつつあるものが見えたなら、今その桜の木の枝にはウソたちが集まっているのだと知られる。薄桃色をしたチリは、冬の間じっと芽を守っていた硬い皮なのである。ウソたちは、私たちが竹の子をむいて中身だけを食べるのとおなじことをする。あまり器用そうには見えないクチバシのなかで、いそがしく木の芽を転がすだけでこれをやる。 “心につながる 「ウソ」” の続きを読む

チチバナ

 照準を通して十五メートルほど先に、小さな標的が見える。そのはるか向こうは木曾川の対岸の石垣で、チチバナが満開に垂れ下がって豪華な緞帳をつくっている。あざやかな黄一色を背景に、白い的がくっきりと浮かび上がっている。
 私は窓枠に空気銃を乗せて標的を狙っている。まず、きっちりと中心をとらえ、息をつめ、それからわずかに左下に照準をずらせた。この銃にはしたたかな癖があったからである。

 中折れ式の小さな空気銃。台尻からすこし上のところに、月と狩のローマの女神ダイアナの像が彫りこんであった。長いローブのようなものをまとった女神は左腕を下ろして、おそらく何万年も愛用してきた弓と矢を惜しげもなく足元に投げ捨て、右手に高々と銃をかかげている。このポーズから察するところ、ダイアナは移り気な女神様のように思われる。
 この銃は次兄が買ってもらったものだそうだ。はじめのうちは狙ったとおりに弾丸が飛んだが、いつのころからか微妙に的を外れるようになった。欠陥に気付いた次兄は、むんずと銃身をひっつかんで逆手に振り上げ、そのへんの立木に叩きつけた。銃身が曲がっているなどということは、持ち前の潔癖性がとてもゆるさなかったのである。まるで西部劇映画の一場面のようであったろうが、台尻に大きなひびが走り、弾丸の通り道は決定的に曲がってしまった。
 空気銃の使用権は三番目の兄に譲られることになった。飛び道具というものにとってははなはだ困った癖のために、兄たちは使用権にあまり固執しなかったので、銃は三番手、四番手、とだいたい一年半ぐらいで通過し、しだいに私の手に近づいて来つつはあった。 “チチバナ” の続きを読む