1 日本の若者たち・・・うかがえる完全主義
2 日本国憲法の創造性
3 JICAの実績を継ぐもの
4 まとめ
1 日本の若者たち・・・うかがえる完全主義
毎年発行される内閣府からの「子ども・若者白書」「少子化社会対策白書」に見るように、日本の若者はこのところ、自己評価が低く、社会を厳しいと受け止め、成功の保証のないことに手を染めるのを避けたがり、将来を悲観的に予測する、といった傾向が諸外国に比べて高くなっている。
そのあらわれとして、「恋愛スルー」「結婚しない」といった風潮が増してきているのは、「契約社員」といった雇用形態の変化や賃金格差の拡大とは無関係ではあり得ず、若者を霧のように包み込む重苦しい不安感や不安定感がうかがえるが、20代青年男女の70%ほどが「交際相手ない」と回答し、そのうちのおよそ40%、つまり20代全体の30%弱が、「恋人が欲しくない」と答えている。
その理由として複数回答を求めると、「恋愛は面倒だ」46%、「自分の趣味に力を入れたい」45%、「仕事や勉強に力を入れたい」33%、「恋愛に興味がない」28%・・・「恋愛はコストパフォーマンスに合わない」などが挙げられている。1980年代の同様な調査と比較すると、ほとんど真逆のような意識変化である。
今の20〜30代は幼いころから、テレビをはじめとするマスメディアは勿論のこと、アニメ、ゲーム、漫画、インターネット、その他のSNSなどからの溺れるほどの情報にさらされており、それらにつられてそこそこの経験を経てもいて、「恋愛なんてこの程度のものなんだ」「結婚に恋愛は不要」、あるいは「そんなものにさえ失敗したら救いようがなく惨めだ」「別れざるをえなかった相手に、リベンジとして超個人的な情報がWEBに流されるようなことがあったら・・・」「人生はそんなものなのだ」といった疲れというか諦めというか、奇妙な老成が生じているのだとも言えそうである。
学術などについても似たような傾向が指摘されることがある。国際比較で日本の大学のランクが年を追って下がり気味であり、国際的に注目されるほどに質の高い論文の数が減り、海外に留学して学ぼうとする人が少なくなりつつある。
30代で老成して100まで生きるという人生はどんなものだろう、などと冷やかし半分で居られるどころではない。このままでは、2035年には男性の3人に1人、女性の5人に1人は生涯未婚者となることが予想されてすらいる。
2 日本国憲法の創造性
日本の若者たちは、全体として内向きの方向に傾きつつあるというのは間違いなさそうである。とはいえ、全体を構成している個人やグループについて見れば、その性向はさまざまであり、現に、溢れかえる情報から自分に合ったものを巧みに選んで風をつかみ、10代で高々と飛翔してみせてくれる若者たちもさまざまな分野で少なくない。情報との付き合い方は姿勢次第といったものを立証してみせてくれている。
先の「子ども・若者白書」によっても、内向きである一方で、「自国のために役立つことをしたい」と思っている若者の率が、意外や、諸外国よりも高目なのである。国を想う心意気を良い方向に発展させて行ってほしいと願うところである。
そもそも「日本国憲法」は、その前文で謳いあげているように、暴力や武力によってではなく、諸国民の公正と信義に信頼して恒久の平和を維持し、安全と生存を保持しようと決意している。
人類史上初めての到達であり、創造的である。「創造的平和主義」とでも呼ぶことができるだろうか。
ヒトが到達すべき段階は、三層のピラミッドのように積み上がっているとされることが多い。第一層が「生理的欲求を充たす」レベル、第二層が「承認と愛情を充たす」レベル、そして発達の理想は「創造の欲求を充たす」段階に到達することだとされる。
日本人特有の熱狂性からか、段階的に順序を踏むなどのことは無視して、一面の焼け野原の中から、とにもかくにも「創造的平和」をかかげて一心に働き、たちまち国際連合の分担金では突出した多額を担うことになった。
石油もガスも鉄も産出しない、地震と津波と台風の多い狭小な国土でありながら、そういうことを私たちは続けてきた。
発達の段階はピラミッド状の積み上げを順に登ってゆかなければならないものでは必ずしもなく、どの要素も必須であるものの、互いに後追いするように並べられた三つの「勾玉」のような構造と捉えて、どの部分から取り掛かっても良いのだということを世界に示し続けた。国連への分担金の割には、常任理事国にもなれず、組織で働く職員の数も少ないけれども、創造的平和の理念に基づいて私たちは70年間を超えて平和を保ってきた。
3 JICAの実績を継ぐもの
日本独自の実践がある。その一つとして、「国際協力機構(JICA)」を挙げてもよいであろう。
JICAは開発途上国や地域への援助を続けてきた日本の機構であるが、近年の年間予算は1兆円(円借款7500億円・技術協力1800億円・無償資金協力1200億円)を超え、同じ目的を持つ国連の「国連開発計画(UNDP)」の規模4500億円より、日本1国で2倍以上の予算を運用している。
JICAの特徴は資金協力と技術協力を合わせて行っているところにあり、これを1800人ほどの職員と契約ベースの9000人の各分野の専門家とで運用している。これに対してUNDPは技術協力のみを7500人もの正規職員で実施しており、契約ベースの専門家の数は少ない。JICAの方がパフォーマンスが高いことは明らかである。
JICAの円借款7500億円は、低金利・長期であるとはいえ返済の義務を持つものであるから別に考えなければならないが、JICAでは新人職員が数十億円〜数百億円規模の事業管理を担当することも多いという。1兆円という運用規模は、日本の防衛予算が年間5兆円ほどであることを思うと、小さな事業活動ではない。
そうした中、2016年の夏に起こったバングラデシュのテロ事件で7人の邦人が犠牲になった。大都市である首都ダッカの交通渋滞緩和のためのインフラ関連プロジェクトに派遣されていたJICA関連の技術者たちであった。彼らの仕事はダッカの交通インフラを整えるだけではなく、日本との絆を深め、平和を守るという意味を含んでいたとすることができる。
7人の遺体が羽田空港に帰ってきたときの映像を見た。滑走路を外れて、トロッコを繋いだような車列の上に二体ずつの棺が置かれており、被せられた白い布が強風に大きく扇ぎあげられていた。外務大臣とバングラデシュの駐日大使が献花をしたが、ひどく寂しい出迎えだった。
オリンピックで活躍したアスリートをコンフェッチで迎えるのとは状況が異なるけれども、片手落ちの感じがするのを否めない。棺を乗せた車列を都心近辺に徐行させて・・・とまではゆかないにしても、何らかのメダルの授与や報奨がなされるべきだったと思う。平和を願う国民からの慰労と感謝の気持ちは形にして明らかにしたい。この国の若者たちは内向きで将来を悲観している率が高く、それでいて、みんなのためになることをしたいと考えている。人類への貢献が明解に称揚されることは、そうした若者たちにとって刺激と励みになるであろう。
4 まとめ
誰もが並外れたアスリートになれるわけではない。少し勇気を出せば、誰でも人のために何かをすることができる。もう少し勇気を出せば、世界のどこかで創造的な作業ができる。
治山治水、砂漠の緑化、農漁業の工夫、港湾の整備、防災、災害の復興、環境の保護、衛生と医療の改善、クリーンなエネルギーの創成、安全な交通、海洋と宇宙の解明、他の生物から学ぶイノベーション、民生の改善、民族文化の保護、遺跡の発掘や保全、音楽と舞踏、アートと文学・・・あらゆる地域で、あらゆる分野で、創造のための努力をしたい。
JICAの在りようをさらに工夫し、規模を幾倍にも大きくし、広い地域と分野を対象にする。その局面では無駄に終わったように映ったにしても、そうした志を鼓舞するような若々しい雰囲気を持った社会でありたい。
「創造を通して共存共栄を育む国へ」「世界に無くてはならない国へ」。どことも深い絆を結んでいる民を、誰が敵にできるだろう。若者たちに外向きになってほしい。出来ることは無限にあり、やりがいも無限に生まれる。それを楽しみながらやってほしい。これからの時代の光と影。その光の部分をより多く見い出せるものと信じる。
長い間たずさわってきた少年矯正の仕事を退官し、また、かなりの時が経ちました。夕焼けを眺めるたびに、あと何度見られるだろうと思うこの頃。
身近な生き物たちとヒトへの想いと観察を綴りたいと思います。