ウソという小鳥がいる。スズメよりも少し大きめで、全体がふっくりと丸みをおびており、微妙に濃淡のある灰色の服をまとっている。頬のあたりに別の色気がまじることから、私たちは、アオウソ、アカウソ、と二種類に分けて呼んでいた。アカウソなどというと、「真っ赤な嘘」というのが連想されるが、ウソたちはクチバシからして短く太く、スズメやシジュウカラやヒヨドリのような小賢しいというようなところはまるでなく、おっとりとしている。
おおかた、人里はなれた高山の原生林ともいうべきところに棲息していて、民家の近くに姿を見せるのは一年のうちでわずかの数週間、早春の一時期だけだった。二月の終りから三月いっぱい、桜の新芽が動き出したころ、餌の少ない山奥から降りてくる。
まだ根雪が残っている林を歩いているとき、薄桃色をしたチリのようなものがドーナツ状に散乱している場所にでくわしたら、その中心に野生の桜の木があることが知れ、さらにちらちらと落ちつつあるものが見えたなら、今その桜の木の枝にはウソたちが集まっているのだと知られる。薄桃色をしたチリは、冬の間じっと芽を守っていた硬い皮なのである。ウソたちは、私たちが竹の子をむいて中身だけを食べるのとおなじことをする。あまり器用そうには見えないクチバシのなかで、いそがしく木の芽を転がすだけでこれをやる。 木の下で耳をすませば、ぴちぴちと芽をはじかせる軽い音が聞こえるし、そのあいだにも互いに合いの手を入れたり無駄口をたたいたりするのだろう、「ピョ、ピョ」という控えめな可愛らしい声がする。遠くの仲間と呼び合うときには、たぶん餌を飲み込んでから、「ピョー、ピョー」とひっぱる。これより他の声音を知らず、ほんとうのやまだしの彼らは万事おっとりしていて、私たちが銃を片手にして見上げていても、平気で木の芽を剥きつづけていた。
スズメやホホジロなどにはとても考えられないことである。ホホジロは、姿かたちはスズメに良く似ている。スズメをいくらか細めにして、頬のところにもっと鮮やかな白いワッペンを貼り付けると、ホホジロができあがる。
空を刺している桑の木の枝先などに、はすかいにかじりついて揺れながら
「てっぺん欠けたか!」
「おせん泣かすな。馬肥やせ!」
「一筆啓上仕候!」
「デッチびんつけ、いつ付けた!」
叱咤激励するばかりのすざましい鳴き声をたて、姑根性まるだしである。
空気銃の射程内までホホジロに近づくのは至難のことだった。きょときょとしているばかりか、なかなかに頭の回転も速いので、土手に身を隠したり、なんの興味もないといわんばかりに口笛を吹いたりして近づかなければいけない。途中でちらりと横目を使っただけでもう駄目である。ホホジロは直ちになにがたくまれているかを察して飛び立ち、遠くでまた大声をあげる。
「け、け、け。見えたかい、見えたぞ。ふえー!」
「お前の鉄砲、曲がってるじゃないか!」
「風邪引かぬうちに、とっとと帰れ!」
「間抜け、間抜け。お父ちゃんに叱られろ!」
「階段すべるな、落ちるな、けっつまずくな!」
ホホジロの歌は、どのようにも聞き取れる面妖なものだ。声はとても美しいのに、いつも叱られているような、野次られているような感じをうける。
また、分類の位置からしてもスズメの親戚だそうだから、これがうすのろであるはずがない。一羽ずつを比べれば、数で補うところのあるスズメよりも上を行くかもしれない。
ウソの無邪気さは、じれったくなるのを通りこして、可哀想なほどだった。桜の新芽の皮がちらちらと舞い降りてくる。その渦をずっとたどれば幾羽かが対になって、かろやかに芽を転がしながら小首をかしげて見おろしている。何をされようとしているのか、まるで分からないでいる。
ゆっくり狙いを調整しつくしてから引金をひくことができ、したがって二羽三羽と、私たち兄弟が血祭りにあげた小鳥が彼らだった。敗戦直後は国中が飢えており、木曾谷も例外ではありえなかった。田も畑も少ないのである。ことに数年間は、蛋白質の補給のために小鳥は不可欠であったろう。兄弟は成長の途上だったとはいえ、むごいことをしたものである。
「プスン!」弾が発射され、命中すると、「パン!」と奇妙に明るくかわいた音がした。小さな胸がはじける音であった。
小鳥は絶命するとなお軽く感じられる。下の枝に、二バウンド、三バウンドして落下し、腐った根雪に当たっても、ほとんど跡がつかないほどである。空気銃の弾がいくら小さいとはいえ、小鳥にしてみれば砲弾もおなじことであろう。私たちに砲丸投げ競技用の何ポンドもある玉が唸りをたてて飛来してきて直撃するのと同じようなものだ。まともに当たれば即死。かすっても腕が砕けるぐらいは当然なことである。おどろいたことに、仲間がいきなり抜け落ちてもまだなにが起こったのかが分からず、群れはさして騒ぎもせずにいることもあった。
四メートルと離れていないところから、番で食事をしているウソの片方を殺したことが私にもある。見事なアカウソの成鳥で、雪の上から拾いあげるとびっくりするほど暖かく、弾丸が貫いた胸の箇所を、血糊の付いた羽毛がふさいでいた。まだ膜が落ちていない目の玉は黒々とおどろいたような表情で動かず、口の中には食べかけの桜の紅い芽がひとつ入っていた。
木曾川の流れに顔を出している岩の陰で、一羽のカワガラスが水に潜ったり石の上にもどったり、せわしなく働き続けている。岸から下に向かって、これを射止めようとしているのが四番目の兄である。何発も発射したが全てが無駄だった。近くに着弾して小さな飛沫を上げはするものの、カワセミの度胸はたいしたもので、平気で潜っては頭を出し平然と潜っては頭を出し、まるで兄をからかっているように見えた。
しびれを切らして、兄はその辺の石を掴んでカワセミに投げつけた。もちろん大きく的をはずれたが、こちらのほうが命中する可能性が高いと判断したのであろう。カワガラスはあわてて飛んでいってしまった。
この兄は、俯角の射撃がこれほど下手だったが、一度だけ、銃を真下に向けながら、みごとな大当たりを取ったことがある。調子に乗りすぎた男の子たちに対する、山や川の神様がくだした警告と罰であったであろう。ただ、それをまともに受けることになったのが、私たちのうちでいちばん癖も少なく素行もおとなしい兄であったのが、なんとも不思議なことではある。
冬の晩のこと、この兄は隣の家の同級生を呼び出し、相手の耳の脇をいきなり銃弾でかすめるという、例のいたずらをしてやろうと思い付いたらしい。私も何回かこのいたずらを仕掛けられたことがあった。鋭く空気を裂く音が耳元をかすめるのも無論いやなものだが、銃口を向けられた気分がなんとも不愉快なもので、左にも右にも下手に身動きもできず、すくんでいることを強制されるのが大変に自尊心を傷つけられる。
「どうだ。シューと言ったろう」
すこしも威張ることではない。物体が乱暴に空気を押し分ければ、「シュー」とも「ドカン」とも音を立てるにきまっている。この手のいたずらは、ひょっとすると天罰に相当するものであるかも分からない。
兄は物干し台に出て口笛を吹いた。「遊ぼうよ」という意味である。もいちど合図を送った。隣の同級生はほぼ察していたとみえて出てこない。兄はいらだってかさかさと足踏みをした。次に、引き金に手をかけたまま、足の甲に銃口を乗せて拍子をとった。たいへんに寒くもある。
「ズン!」
舌打ちをして身をひるがえそうとした瞬間、弾が飛び出して自分の右足に深々と食い入ってしまった。直後は痛くもなんともなく、いたずらをあきらめて部屋に戻る途中、「足の裏が妙にぬらぬらするな」と感じた程度だったそうである。四、五人が囲んでいたコタツの上に足を乗せたときに、はじめてなにをしてしまったのか分かったという。足の甲に小さな穴が開いており、そこから血がトクントクンと湧き出し、きれいに二筋に分かれて足の裏に伝い落ちていた。
私たちは揃って、「あ」と言いながら身をのりだしたが、本人は「ひゃー」と叫んで不思議な表情をした。なかば疑い、なかば泣き、なかば笑い、気の毒に全体としてどうして良いのかわからず、こんぐらかってしまっていた。
父が傷口にゾンデを入れてみると、四センチばかりするすると進んだところで、コツコツと異物に触れる手ごたえがあった。弾丸はもう一センチほどで、足の裏に突き抜けそうなところに止まっていたのだそうである。距離は近くても、足の裏からメスを入れるのは禁忌とされる。どうせなら貫通すれば世話はなかったといいながら、父は甲のほうから掘り進んでほじくり出そうとした。
弾が行方不明になってしまった。もがき逃げようとする相手を、残りの馬鹿息子どもを総動員して身動きできないまでに抑えこませ、ゾンデやエイヒで掻き回すほどに探ったが、どうしても掴むことができない。レントゲン写真を撮ってみると、相手は鉛であるだけにこのうえなくくっきりと映るのだが、妙なことにどこをどうまさぐっても取り出すことができなかった。
次の日、本人を松本市まで送り、そこでちゃんとした外科医が手術をして、今度は間違いなく弾丸をつまみ出すことができた。
弾には機械油と一緒に細菌もいっぱい付いているから、傷口が化膿しないわけがない。足首の上までおどろしく腫れ上がってしまい、ドレナージで膿を抜きながら、一ヶ月余の安静を要した。
自分が処置を複雑なことにしてしまった口惜しさもあって、父の虎のような怒りも倍ほどにも膨らんだ。吼えに吼え、今後こそは私たちから空気銃をむしり取っていって、どこかへ隠してしまった。
傷が癒えてからも、兄の足の甲には長さが七センチにもおよぶ無残な瘢痕が残ってしまったので、私はなぐさめてやろうとした。この兄は、とかく年齢や体力の差というものが無視されがちな農作業や草刈りの場面で、なにくれと気を配っては私をかばってくれる優しさがあったからである。こういうところで恩返しをしなければいけないと私は思った。
「兄ちゃんがどっかで死んじまったとするよ。首が無くなっても身元不明にはならない。気にすることないよ。その傷跡が良い目印になるもの・・・・」
このあたりまで言ったとき、兄はいきなり私にピンタを返してよこした。
そんなことがあってから、なんと、たっぷり半世紀を超える時が経ってしまった。兄の傷跡は年とともに盛り上がりが低くなり、一筋に光る線状のものに癒され、風化してきていることは知っていた。他の兄たちの後を追うように、先年、この兄も死んでしまった。
忘れられずに私の中にあざやかに残り続けているのは、私が落とした一羽のアカウソの黒々と驚いたような目の表情と、その口の中に入っていた桜の木の芽のほんのりした紅の色である。
*「アカウソ」というのは、オスのウソのことを私たちが勝手に呼んでいたもので、スケッチにあるような本当に赤い種が別にあるようだ。見たことはない。
長い間たずさわってきた少年矯正の仕事を退官し、また、かなりの時が経ちました。夕焼けを眺めるたびに、あと何度見られるだろうと思うこの頃。
身近な生き物たちとヒトへの想いと観察を綴りたいと思います。