タヒバリはセキレイの親類
姿と動作にそれが現われています。
セキレイと同じように、シルエットがスマートで、腰と尾をリズミカルに上下させ、飛ぶときは波を打つような飛跡を残します。
けれど、セキレイたちがどれもすっきりと色分けして装っているのに、タヒバリは徹底して地味づくりです。
そもそも「田雲雀」という名前は、「ヒバリに似た小鳥だがよく田んぼで見られる」ということから付けられているのです。
水辺だけに頼らず、野原や田畑でも安心して動きまわれるようにカモフラージュに専念したので、だんだんに同じような場所に住むヒバリなどに姿が近づき、セキレイからは離れていったのかも知れません。
姿 ヒバリと似た者どうし
タヒバリは冬の河川敷、中洲、水田、湿った耕地などを広く好み、ヒバリは丈の低い草が生えた石のゴロゴロしたような草原を好みますが、まずは似たような環境に暮らしています。
ともに褐色の濃淡という地味ぶりで、ともに足を交互に出して歩くので、見掛ける場所によっては、見分けが難しいと思われます。
私の見分け方は次のようです。
季節
タヒバリは、日本で冬を押すために北から飛来する冬鳥。春の終わりから冬の初めまではお目にかかれない。
冠羽
ヒバリは留鳥で四季を通して見られる。短い冠羽(トサカ状の羽)があり、これを立てていることが多い。
尾の上下
タヒバリは腰と尾を上下に振る。
眼と頬
ヒバリは目の周囲が比較的広く白っぽく抜けて見える。
タヒバリとヒバリ 明暗を分けて
ヒバリといえば、昔から春と麦畑。
繁殖には、温暖な地の広い草原を必要としています。
ことに近来の日本では、草地や畑が開発されて宅地になり、多くの河川も護岸のためにべトンで固められて河川敷にゆとり少なくなりました。ヒバリの繁殖に必要な丈の低い草地が減少を続け、そのうえ、食品を含めた廃棄物の増加などの事情もあって、ネコ、タヌキ、アライグマ、ハクビシンなどが増え、地面に直接に巣を作って子育てをするヒバリにとっては深刻な脅威になってしまいました。全国的にヒバリの数は減少しつつあり、東京都では既に絶滅危惧種に指定されています。
一方のタヒバリは世界中に広く分布しており、北極圏のような寒い地方の夏に繁殖して、日本のような温帯に飛来して冬を越すという習性を作り上げています。繁殖地域に選んだ寒帯の環境は、ヒトの活動も低いこともあって、急激に変わりつつあるとは思えません。タヒバリにとっては吉です。
日本に飛来しても、タヒバリは場所を厳しく選びません。水辺、田畑、河口、草原などに。
あまり偏らずに万事地味に通していること…これが平穏をもたらしているのでしょう。
長い間たずさわってきた少年矯正の仕事を退官し、また、かなりの時が経ちました。夕焼けを眺めるたびに、あと何度見られるだろうと思うこの頃。
身近な生き物たちとヒトへの想いと観察を綴りたいと思います。
ロウボウさま
初めてコメントさせていただきます。
ロウボウさまの幅広い知識に基づいた興味深い記事、いつも楽しみに読ませていただいております。
読んでいる間、自分の知らなかった世界に導かれていく心持ちがします。
今回も、タヒバリがその名にも関わらずセキレイの親類であること、ヒバリと似かよった姿、ヒバリとの違い、どれも初めて知ることで、興味深く読ませていただきました。
そして、ロウボウさまの文章は平明でリズミカルで、学術的なことでも嚙み砕いてお話してくださっり、私のようなものにも内容が実にスーッと入ってきて、心地よいのです。
実は私は長く朗読に携わってきているのですが、ロウボウさまの文章はついつい声に出して読んでみてしまいます。それがまた楽しいのです。
こんな風に、いつもいろいろな楽しみを与えてくださるロウボウさまの記事に感謝!です。
過分な!
誠にありがとうございます。ただ・・・
・・・月日は百代の過客にして、行き交う人もまた旅人なり・・・
・・・ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず・・・
日本語には(どの言葉もそれぞれにそのようなのでしょうが)、固有のリズムがあり、やはり美しいと思うのです。
川端康成の最晩年のエッセイに、秋の夜に、屋根に降る落ち葉の音を独り聞く描写があって、
・・・さらさらさらと・・・というようなフレイズが何気なく繰り返されていて、読んでいて鳥肌立った憶えがあります。
できるだけ自然なリズムに添っていられるように、とは私なりに願っております。
どうぞ、お見守りください。
再度、申し上げます。ありがとうございます。