この記事は「日本と北欧と世界 日本だってやれるぞ!」を下のように分割したものの、そのⅣです。
そのⅠ ある中年カップルとの会話
そのⅡ 自然災害と天然資源
そのⅢ 来た道 似たところと違うところ
そのⅣ 自然との向き合い方について
そのⅤ デザインについて
そのⅥ 世界の目と自身の目
そのⅦ 日本の今の豊かさ 「貿易立国」から「投資立国」へ
そのⅧ なぜ日本は「最高の国ベスト3」に入るのか
そのⅨ 北欧よりも日本にあるもの
そのⅩ 私の精一杯の提言
そのⅣ 自然との向き合い方について
生活技術の発展が とりわけ北欧へもたらしたもの
ぐっと北に位置して北極圏に近いのですから、もとより北欧の自然には侮れないものがあります。長く、暗く、寒い冬の季節は、ほんの数世代前までは、人々にとって厳しい試練でした。
分厚いドアや二重窓を備えた気密な住居。コックひとつで着火するガスの配管。スイッチ一つで動き出す電化製品と安定した配電。新しい素材で量産の利くさまざまな防寒グッズなど。
これらが行き渡るまでは、炊飯のたびに寒風の中で火を起こさなければならず、洗濯したにしてもガチガチに凍ったまま乾かず、凍えながら眠らなければならない吹雪の夜もあったはずです。
(SOPIVA)
保存技術が身近になるまでは、ひもじかったことも多かったでありましょう。獲物を探して薄暗い林や崖や海をさまようのは、天候が悪ければなおさら、出かける方も待つ方も、相当の覚悟が要ったはずです。
北欧の神話に現れている通りです。神々は部族ごとに争い、それだからこそ時に輝くようなユーモアと救いが現われるものの、複雑に裏切り合い、殺し合っています。世の終末を設定している神話はたくさんあると思いますが、北欧神話では、世界を造ったという「主神オーディン」が最後の戦いであっさり死んでしまうのです。世の創造神まで消えてしまうというのはなかなかの設定だと思います。 (Kiitas Shop)
けれど、北欧の自然の厳しさは季節の変化から繰り返しもたらされるもので、基本にある自然そのものは、前にも触れたとおり、基本がいたって安定したもので、しかも豊かな資源を内蔵したものです。
ですから、文明が進んで、「暗さや寒さ」を克服する技術が普及するのと歩調を合わせるように、体力を得た「北欧」が頭角を現すようになったのだと云えそうです。
考えてみましょう。寒さをしのぐ技術の方が、暑さをしのぐ技術よりも、はるかに改良しやすくて効率が良いのです。
生活の段差的な向上ということでは、日本でも同じような流れがありました。もっと劇的であったといえそうです。長く「軍国」を優先させたために、ただでさえ「民生」への投資がないがしろにされていたところに、敗戦による壊滅があったのです。
今からたった70年ほど前まで、終戦から何年も経てからも、私の母は土間のカマドに三度三度火を起こし、井戸のポンプを押し、洗濯板とタライで洗濯をし、冬の暖房には炭と練炭を使っていました。手はアカギレていました。私も藁沓を履いたことがあります。そうしたところへ、1950年代の三種の神器(洗濯機・白黒テレビ・冷蔵庫)、1960年代の新三種の神器(カー・カラーテレビ・クーラー)の普及は、同じころのプロパンガスの導入と相まって、この国の生活を一変させました。日本の高度成長はさらに勢い付いて「物作り大国」として台頭することになります。
自然と向き合う姿勢 「取り込み」と「入れ込み」
北欧と極東とでそれぞれに上昇してゆくのですが、たがいに自然から学ぶという伝統を背負ってはいるものの、自然と向き合う姿勢には正反対といえるほどのものがあると言えそうです。私にはそのように思われます。
日本人は、強大で想定外の自然に完全に対処することは無理であるとし、自然に真っ向から立ち向かうというよりも、そのエッセンスを自分の中に取り入れようとします。
北欧の人たちは、強大ではあるけれども自然は想定内にあるとし、その中に自分を入れ込んで一緒に活動しようとします。
具体的に見てみましょう。
日本人は例えば「日本庭園」「枯山水」「坪庭」「石庭」といった目の前の限られた空間に自然の一切を取り込もうとし、「盆栽」という盤上に樹木や林のエッセンスを封じ込めようとします。私でさえ、蝦夷松や赤松の寄せ植えを育てていて、年々それらしくなってゆくのを楽しみにしているほどです。
「茶道」では、柄杓から滴り落ちる水の音に瀑布の様を感ずるのだそうです。
「家紋」には様々なものがありますが、いずれも対象をぎりぎりまで要素化して「家」を象徴したものです。
日常に密着した家具や食器にも、狭いところに長く置いても疲れないような、シンプルで機能的なデザインが生き残っているとして良いと思います。
そもそも「漢字」という象形を取り入れたのも、それをさらに簡略化して「かな文字」を編み出したのも、似たような作用によるのだろうと思われるのです。
このようにして私たち日本人は、豪雨によって山の木が流されて下流の橋を持って行かれてしまっても、堤防が決壊して家々が水浸しになっても、抜本的な解決策と取り組むことをあまり企まないようです。
上流にダムを作るのは、一時的な建設費や環境への負荷を考えると、必ずしも上策ではないとためらいます。想定外のことがまた起こるだろうから何をしても同じなのだ、とするところがあるのでしょう。
想定不能な自然と四つに組んでも勝ち目は無いので、せめて一部を切り取って身近に引き寄せようとするのでしょう。
そうしたわけか、災害の惨状を一幅の絵のようにして取り込んで鑑賞し、それで収めようとするところも窺えます。
白鷺や泥の大河を飛ぶばかり
令和2年8月、この年だけでも何度目かの「これまで経験したことのない台風」のために全国の河川が決壊して大きな災害をもたらしてから数日後の新聞に掲載されていた俳句です。
このようにして、年間2000㎜という水資源は、ほとんどが活用されずに海に流れ下ってゆきます。日本の水力発電は、全発電量の8%を担っているだけです。
珍しく恵まれているというべき、森林資源についても似たようなことが言えそうです。資源ついでですから、覗いてみたいと思います。
この国の国土の70%は森林でおおわれており、そこには60億㎥もの「森林備蓄(木材として使える樹木)」があり、これは世界最大の林業国として復興しているドイツの2倍もの規模に達しているのです。「私たちは宝の山の上にいるようなものだ」と指摘する人さえいます。日本の森林蓄積60億㎥というものは年々増加しつつあります。一年間で増える森林は8000万㎥と推計され、これはこの国の年間木材使用料とほぼ均衡します。つまり我が国は木材を自給することが100%可能なのであり、しかも、その平衡を永久に維持循環できるはずなのです。
にもかかわらず、驚くべきことに、現在の日本の木材の自給率は30%ばかりにとどまっており、世界最大の木材輸入国として、アメリカ、カナダ、ロシア、マレーシャ、インドネシア、オーストラリア、ブラジル、チリ、パプアニューギニア、EU、中国・・・といった諸国から大量の木材をさまざまな形で輸入しているのです。
つまり、私たちにとって今のところ、自然は到達しがたい主、自分たちは従なのです。今のところ私たちは、自然をどうにかしようにもコストが合わないと判断しています。
水資源の活用について、特にノルウェーの人々は、自然の景観や環境を壊さないように気を配るものの、湖に水力発電装置を併設し、ダムを造り、そうした単位をトンネルなどで繋ぎにつないで活用し切ることを考えます。人は自然と対等な位置にまでのし上がっているとも言えましょう。そのようにして現在、水資源の60%を開発し終え、全消費電力のなんと95%を水力発電でまかなえるまでになっております。
北海・ノルウェー海・バレンツ海での石油・天然ガスについても果敢なものがあります。途上いくつもの大事故を乗り越えて…果敢すぎるかもしれません。
自然に対する積極性の表れなのでしょうか、ノルウェーには探検家が多く、国民的英雄や偉人として仰がれています。南極点に初めて到達したロアール・アムンゼン、グリーンランドを初横断したフリチョフ・ナンセン、コンチキ号の漂流で有名なトール・ヘイエルダールなどに代表される人たちです。
北欧人はその神話に見るように、種族の特性として自然に対して挑戦的であるのでしょう。そもそも、アイスランドやグリーンランドを発見し、北アメリカにまで到達したのは、細長くて頼りなげに見える船に乗ったヴァイキングたちでした。
今でも、フィヨルドの崖の突端に飛び出した岩の上でジャンプして見せたり、そうした所からマントのような翼を頼りに飛びだして、崖すれすれに滑空して見せたりする若者がいます。
私もフィヨルドの奥で、ヴァイキングの子孫たちが、一日のサイクリングの仕上げに、互いの頭越えに海に飛び込んでいるのを見ました。それを見物している小さな男の子が夢中になってぴょんぴょんしておりました。何年かしたら、この子も海に飛び込んだり、崖から飛び出したりするのでしょう。
私たちの変わり身の速さ
災害大国に住む私たちには「災害とは耐えていなすもの」という構えが昔からあるように思われます。
ただ、耐えているばかりではなく、その「耐え方・いなし方」のスピード感と洗練さは比類がないまでに積み上げられているのではないかと思われるのです。もっとも、これほどの自然災害を背負わされている国は他に無いので、比べることが難しいのですが。
「方丈記」の鴨長明は、当時の京を襲った大火・旋風・旱魃・地震の凄まじさを簡明に活写していますが、都の生活のはかなさに感じ入って決断したのが、自ら小さな「方丈」を設計して郊外に移り住むということでした。牛車で運べる折りたたみ式のバンガローで、プレハブ住宅の元祖ともされています。
幾度も焼き払われた京の街については、私にも学生時代の思い出があります。京都に遊学していた友達の下宿先を訪ねると、そこは小さな町屋でしたが、奥のごく限られた空間に、見応えのある坪庭がしつらえられていました。この町では普通のことだと聞かされて、「何度だってやり直しまっせ」とでもいう京都人の心意気を感じ取ったものでした。
「火事と喧嘩は江戸の華」とはやされたとおり、江戸の街も度重なる大火で焼かれたのですが、その度に、間も置かずに再建の槌音が賑やかでした。それも、また焼けることを想定したとき、地震を考えれば石造りなどは無理であるので、再び木と紙とで作ることであったのでしょう。
多くの人命を奪い、ときには修復不可能なまでの傷跡を残す大災害は今も起こり続けていますが、例えば「東日本大震災」に見るように、復興のための活動は直後から静かに始まって、士気高く続けられています。
本来、私たちは自然に対して「受け身」なのですが、仕掛けられたとなると反応は迅速です。ちょうど「柔道」に見るように。
戦災は自然災害ではありませんが、敗戦を支点にしたこの国の人々の変わり身は、世界史的な速さと規模だったと言えましょう。
つい最近も、考えさせられる集計を見ました。
今年(2020)はコロナ禍のために日本のGDPは大きく落ち込み、国内総発電量は前年同期に比べて5.4%の減少であったとのこと。けれど、総発電量に占める再生可能エネルギーの割合が、18.5%から23.1%へと大幅に上昇していたのです。
再生エネルギーについて個々の伸び率を比べると、太陽光発電が18.6%、風力発電18.5%、バイオマス発電22.7%、水力発電21.8%、それぞれ増加したとのことです。
水力発電が2割も増えたというのは今年のたっぷり過ぎる梅雨から分かりますが、少なかったはずの陽光にもかかわらず、太陽光発電2割増というのが不思議です。
日本全体を包み込んでくる大きな状況が、なにか新しいうねりを生みつつあるとすべきでしょう。政府主導でもなく、石炭や天然ガスが輸入できなくなった異変があったわけでもなく、民間の投資の方向の判断が変わりつつあるのです。
日本は時に、このように大きく舵を切ります。こんどの舵の効き具合が、どうか良好なものでありますように。
長い間たずさわってきた少年矯正の仕事を退官し、また、かなりの時が経ちました。夕焼けを眺めるたびに、あと何度見られるだろうと思うこの頃。
身近な生き物たちとヒトへの想いと観察を綴りたいと思います。