カモネギどころか・・・「カルガモ」

 もともと「カモ」という水鳥は、ヒトの近くに居ながらおっとりしたところがあって、「デコイ」などのオトリに容易に騙されやすくもあり、捕まえやすい獲物だったのでしょうか・・・、「カモがネギしょって来た」「あいつをカモッてやる」などと使われるようになるほど、私たちから軽く見られているところがあります。
 そうでしょうか? けっこう貫禄のあるところで「カルガモ」に挨拶してもらいます。

 どうぞ 勝手になされ 「カルガモ」です

 「カルガモ」という名前は、万葉集にも歌われているように、「軽い池に住むカモ」ということから「軽鴨」となったというふうに古くから親しまれ、この国に常にとどまって繁殖する種であることからも、四季を通して、私たちにはとりわけなじみ深い水鳥です。

 親類ともお付き合いしてますよ

 体長60㎝ほど、全体に黒褐色に見えて雌雄同じように地味、白っぽい顔に続いた黒いクチバシの先が黄色、腰に白い三日月形の模様がクッキリと目立ちます。雑食性です。

 ところで、20年ほども前からでしょうか。東京のそれこそど真ん中で前代未聞のことが見られるようになりました。お母さんカルガモが、千代田区大手町にある大手企業の池で孵化させたヒナたちを一列に引き連れて、皇居のお堀をめざして道路の横断を始めたのです。決行するには大変な覚悟が要ったに違いありません。
 お母さんのあとを懸命に追っているヒナたちの様子は、それは可愛らしいものでしたから、いつも殺気立っているほどのドライバーたちも車を停め合って、「ほっこり」気分を味わうことになりました。
 そのころから、似たような画像やニュースがあちらこちらで報道されるようになりました。多くのヒナたちを養うには不十分なところから広い池や湖へ、カルガモ一家は是非にも引っ越しをする必要があるのですが、白昼堂々、むしろ人目に囲まれるような状況を選んで移動する方が安全だという読みが、親たちの中に生まれつつあるのは確かであるだろうと、私は思います。
カラスやネコなどの襲撃を避けるためには、ヒトの目を集めていた方が有利なのです。・・・「ヒト」は自分たちの都合のいいように、他の生物をいじりまわします。ヒツジ、ヤギ、ブタ、ウシ、ウマ、ニワトリ、アヒル、ウサギ、イヌ、ネコ・・・
そこを、あえて人目を集めることに賭ける! 生命の凄さというものはこういうことにも現れると思うのです。

おおあわてのカルガモたち

もちろん、大人なになってもカルガモには可愛らしさが残ります。風の強い春の日、多摩川の中洲越しで、いったい何に驚いたのか、いきなり一群がてんでの方向に飛び出すのを見ました。カメの子どもたちが空に投げ上げられたように見えます。扇のようにいっぱいに広げられた尻尾がほほえましいです。

 

投稿者: ロウボウ

長い間たずさわってきた少年矯正の仕事を退官し、また、かなりの時が経ちました。夕焼けを眺めるたびに、あと何度見られるだろうと思うこの頃。 身近な生き物たちとヒトへの想いと観察を綴りたいと思います。

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