盆踊と花火

 ・・・日本の夏は、雨が降っているか、蒸し暑いか、そのどちらかである・・・
 ある外国人がこんなふうに書いているのを読んだことがある。「梅雨明け十日」というのを知らないのかな、とそのときは思った。

 その夏、外国人に言われたとおりになってしまった。びしょびしょ雨が降り続き、ドウダンツツジなりウメの徒長枝を整えようとしても雨だれが飛び散るありさまで、たちまち全身が濡れそぼり、そして蒸れる。梅雨が居座ってしまった感じで気温ばかりが上がり、不快だった。
 さすがに、八月に入るとそんな気候も持ち直したように見えたので、恒例になっている盆踊りをやろうとした。少年院の中庭が盆踊会場である。

何週間も前から、地域の女性会の人たちに来てもらって少年少女たちに六曲もの振り付けを教えてもらった。少しずつ蓄えてきた浴衣や帯を洗濯してアイロンを掛けた。これも何日もかけて、鉄パイプで大きなヤグラを組み上げた。ヤグラには紅白のテープを巻き、たくさんのチョウチンを取り付けた縄を手摺から四方に張った。

 ところがこの夏の天気は一筋縄ではなかった。
当日、「夕方から雷を伴う強い雨」という予報があったので、来院を予定してくれている人たちに午前中からたくさんの電話を入れ、「会場を急遽、中庭から体育館に変えるものの、盆踊りは予定どおり実施します」と連絡した。
生まれてはじめて浴衣を着、帯を締め、草履を履くという少年少女も少なくはない。なんとしても輪になって踊らせてやりたかった。
 空は不機嫌そうにしていたが、ずっとだんまりを決め込んでいた。これなら外でもいけるのではないかと飾りチョウチンの列に点灯したとたんに、いきなり物凄い雨が降り始めてほとんど一晩中つづいた。
とはいえ、体育館のトタン屋根をドラムのように叩く雨脚を吹き飛ばすように、体育館での盆踊り大会は盛り上がった。雨にもかかわらず、五十人を超す人たちが、わきまえたもので下駄ではなく柔らかな草履を用意してきてくれていて、一緒に楽しんでくれたおかげであった。ただ、中休みの余興のために用意しておいた花火を上げることは、いかにしてもあきらめるより仕方なかった。

 数日後、天気を見定めて、夕方から夜に移行する時刻に特別日課を組み、少年少女を中庭に集めて、花火を見せてやった。
 遠くで見る花火も良い。ポンポンパラパラ。安心して見ていられる。
 けれどちかじかと見る花火は、小さなものであってもやはり迫力がある。うずくまって点火線に着火する若い教官の影が見え、導火線がチラチラする。手元で爆発してしまうのではないかとはらはらしてしまう。
 発射! 白熱した縦の直線。網膜に焼きつくようだ。その頂点でカッと割れてバチバチと広がる。硝煙がたなびいて映え、火薬特有の刺激臭があたりを這う。誰かが手を叩いている。誰かがむせ返っている。あといくつ見られるのだろうかと、惜しみながら見るのもなかなか悪くない。
 泣いている女子生徒がいた。「どうしたのか」とたずねたら、「うれしくて・・・」ということだった。どういう育ち方をしたものだろうと思った。

 私の中でも、少年のころから盆踊りと花火は一緒になっている。木曾福島の町は、木曾谷のうちでも、とりわけ山が迫っているところにある。木曾川が南北に流れ下っており、その両側に沿って民家が並んでいる。町はずれに、江戸時代までは日本三大関所のひとつと言われた中仙道の関所があった。そうしたところにも夏祭りはあり、盆踊りが踊られ、多くはないものの花火があげられた。

 関所跡の上の森のあたりで、夏のひと夜、ボ、ボ、と鈍く発光し、そのたびに漂う煙と木立のシルエットが浮かび上がり、闇に戻り、それからしばらくは何もなくなってしまう。
 と、夜空の真ん中にポツリと光の点が現れ、たちまち大気を掻き分け、点は壮麗な球体に膨張する。橙色から青に、ふたたび紅に変わってゆく火の玉が、木曾の空をほとんど一杯にうめつくしてしまうほどだった。火の玉が消えると、そのあとほんのわずかの間、微細な火の粉でできた爆発の名残が、放射状に絞られた縮緬皺のように見えた。そして、木曾谷の花火のクライマックスは、むしろこののちにやってくる。
「ズッダーン! ゴーン、ゴーン、ゴーン・・・」
 爆発音がとてつもなく荘重なものだった。山々に反響し、木々をふるわし、川に沿って拡がり、一年分もの木霊を谷間に放ったような余韻を引いた。それは、入り江に進入してくる海の波の高さが奥になるほど増大するのと似た現象であったろう。
 平地ではパラパラと弾けるだけの三寸玉も、木曾谷で打ち上げたら、その音といい、奥行きといい、たっぷり尺玉以上に思えた。尺玉が爆発したものなら、衝撃のために気圧が高まり、物干しは揺らぎ、鼓膜がゆがみ、三半規管に変調を起こすのではないかというほどだった。
 私たちは物干しに仰向きに寝ながら花火を見た。真夏だというのに布団を被って転がっていると、山の中腹からわずか斜めに発射された花火が、ちょうど頭の真上に達して爆発するように感じられた。八方に放たれた火の矢の一部が自分に向かって落ちてくるようで、そのたびに身体をずらしたくなるほどに不安だった。
 私たちばかりではなく、日頃は怖いものなしのカラスもスズメも、閃光と轟音に翻弄され、この夜ばかりは身も世もなく震え上がっていたに違いない。夜に強いコノハズクも、敏感すぎる視覚のために目がくらんで、幽鬼のように枝のあいだをすり抜けて餌を探すという、いつもの調子どころではなかったに相違ない。
 花火の合い間には、星がことさら輝きを増すようだった。目の隅につと動くものをとらえ、「あんなところに燃え残りガ・・・」と思うと、それは本物の流れ星だったりする。花火にはひとつひとつ「銀龍昇天化流星」というふうな名前がつけられていて、プログラムは四、五日も前から家々に配られてあった。
 私の知る限り、もっとも力強く、もっとも妖しく、もっとも幸せな、小さな花火大会であった。

 少年院でささやかな盆踊りをする。その中庭で小型の花火を上げる。それを見て涙を流した少女は、ひょっとすると私と同じように、狭い谷の出身かもしれなかった。確かめておけばよかったかなと、今になって思うのである。

投稿者: ロウボウ

長い間たずさわってきた少年矯正の仕事を退官し、また、かなりの時が経ちました。夕焼けを眺めるたびに、あと何度見られるだろうと思うこの頃。 身近な生き物たちとヒトへの想いと観察を綴りたいと思います。

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