1980年代までのこの国において、「人はどのように育ったか」を筆者なりのまとめをしてみたい。現在のそれと比較できればと思うからである。
1 高い成長を続けた稀有の20年
2 図にしてみる
3 ロバ的な適応の功罪
4 マイノリティのさまざま
1 高い成長を続けた稀有の20年
日本は、戦後10年を過ぎたころから年10%前後の経済成長を20年近くも続けてきた。乱暴な要約であろうが、「年功序列を基本として仕事を保障される」という独特な就労慣行が好循環を支え続けたもので、世界の歴史上でも稀有のことだという。給与は低く抑えられる傾向と引き換えではあったが、所得に対する安心感は高く、それも右肩上がりの経済成長のおかげで着実に豊かになってゆくという実感を人々は持ち続けることができた。「地道に努力すれば相応に報われる」「安寧と秩序」ということが社会的価値の物差しとして強く機能し、公共の場における行動の仕方もはっきりしており、「一億総中流」という表現は、この国の人々のメンタリティにしっくりと馴染むところがあった。「平等感」というものは人々のストレスを軽減させる大きな要素の一つである。
企業体や仕事に忠実に仕えるように精進するというコンセプトに沿って教育も用意された。責任感つよく、地味な努力家、変化を嫌う、持ち場を守る、陰日向なく、功を誇らない。こういった特質はいつの世でも好ましいところがたしかにあり、当然称揚され、しっかりした軸に寄り添っていたいという人ほど暮らしやすかったわけである。
資本主義は本質的に不景気(うつ・Depression)の変動周期を持つものであるが、それを乗り切ることにさえ、日本では特異に家父長的な会社運営を崩さず、むしろ洗練させ、伝統にさえなっている国民のメンタリティを活かし、しかも成功してきた。
2 図にしてみる
一番左に、「赤ん坊」として○が書いてある。人は生まれたばかりのときはまさに生のまま。あるがままを丸出しで、おしっこをし、おなかが空いたときには泣き、他人をおもんばかったりすることはない。濁りのない円で表わしてある。
これが「育つ」あるいは「教育」を受けるということは、どういうことだったか。ことにこの国の子育てでは、「自分らしさを矯めて、全体に合わせ、同質に、分を守り、目立たない」ということが重要なこととされ、「~すべき」あるいは、「~しないと笑われるよ・置いていかれるよ・嫌われるよ・恥をかくよ」といった内容の方向付けと刺激が絶えず与えられる傾向があった。当時の社会が志向し要求するところと呼応していた。
人々は大きな流れから外れることを避けながら成長し、大人になると「仕事人間・会社人間」と呼ばれることがあるように、「過剰に適応」しようとする習性を身に付けてしまいがちであった。
イメージとしては、たとえば「ロバ」。「もっと背負わせてください。負けずに頑張れますから・・・」「忠誠を尽くしますから、ずっと面倒をみてください・・・」というところであろう。そして、このように大人になるのが大多数、つまりマジョリティということになる。図は周囲をおもんばかって、赤ん坊の頃よりも縮んでしまった「本当の自分」を、「自分の中の自分」として小さな円で表わしてある。
3 ロバ的な適応の功罪
「ロバ」として長年の仕事をこなし続け、リタイアした後に、自分が本当に執着するところを趣味に見い出して第二の人生を送る。晴れて「シマウマ」に変身する。
当時の意識調査によると、「趣味に合った暮らし」というのが人々の理想であった。点線の円で表した本当の自分がそれなりに大きめに戻っている。
「ロバ」的な性格は、しばしば、「人は常に全力で事に当たり、最良の結果を出さなければならない」とか「休みを取るなんてとんでもないことだ」などと、大脳の管理機能を優先させ、心と身体の生理を捻じ伏せるようにして頑張りすぎてしまうことがある。また、生真面目で融通に乏しいところから、たとえば課長に昇進して部下を指導統率しなければならなくなったとたんに、これまでの調子を大きく崩してしまうことなどがある。
一方、国際共同調査によると、労働時間などとの関係で見て、日本人は非常に疲れにくい国民である。多くの人は、職場なりで放電しても、いわば「安全基地」というような場をそれぞれに設けて、そこで充電を図り、燃え尽きることから救われるというふうに、巧みにバランスを取ってきた。家庭に家父長的な構造を持ち込むことや、オフタイムに同僚たちと酒場で長時間を過ごすことなどが、そうした例であろう。
このバランスが取れない事態に陥ると、つまり安全基地あるいは「安全圏」が上手く機能しないと、この機能は主として「家庭」が担うべきであろうが、「うつ」になる可能性が高くなる。安全圏については、別にまた考えることにして、安全圏機能があやしくなったらどうなるかを、マイノリティとして右側に示した。
4 マイノリティのさまざま
まず「ライオン」。
なみはずれた「才能、根性、そして運」にめぐまれ、高みに駆け上がり、みごとに自己実現、自己開花を遂げることができている存在である。先端を行く事業家、研究者、アスリート、タレント、ミュージシャン、アーティスト、ノベリストなど。高みに留まるために絶えず緊張と努力を強いられてはおり、必然的に歪みは生じるものの人格の構造の輪は大きい。「ロバ」とちがって、輪のうち、他人をおもんばかったり圧倒されたりする周囲の斜線部分を薄くて強くすることに成功している。
ついで「ネズミ」。
本当の自分が、周囲からの圧力に耐えられずに息もできないほどに縮んでしまっている在りさま。ゆったりできる場所、自分が居てもいい場所を見付けにくく、そのために、不登校、ひきこもり、家庭内暴行、摂食障害、リストカット、薬物乱用などであがいている。
そして「ハブ・コブラ」。
ぎっしりと囲み込まれてはいるが、エネルギーがあり、それをどこへ持って行ったら良いかを見失ってしまっている状態。
ことに先に述べたような教育の方向に対して違和感や恨みがあり、怒りや恨みを溜めて、必殺のチャンスをうかがうといった在りようである。「ライオン」とは光と影といった関係にあるともいえよう。
1991年(平成3年)3月、いわゆる「バブル崩壊」によって、すでに安定成長期に移行していた経済はさらに低成長期に移行する。潮目の変化に合わせるように、2002年になって「ゆとり教育」に舵を切った新しい学習指導要領が施行されたが、そうした混乱期、1997年5月に「神戸連続児童殺傷事件」がなされ、犯人であった中学生の少年が警察に挑戦状を書き、「透明な存在であるボクを造りだした義務教育への復讐を」「積年の大怨に流血の裁きを!」などと表わした。この挑戦状が報道されると、当時、日本中の中学生の多くから共感が寄せられたとされている。混乱を映して、子供たちもとまどっていたのであろう。
長い間たずさわってきた少年矯正の仕事を退官し、また、かなりの時が経ちました。夕焼けを眺めるたびに、あと何度見られるだろうと思うこの頃。
身近な生き物たちとヒトへの想いと観察を綴りたいと思います。