雨型台風 洪水とその後

令和元年(2019)10月12日。想定を絶する甚大な被害。雨型台風19号がもたらしたもの。
それに前後した多摩川中流の河川敷の様子を並べてみると、自然の拍動の大きさが今さらながら身に迫ります。

洪水の前(2019年10月5日前後)

多摩川中流の右岸堤防からの上流方向と下流方向 平時の静かな流れ

一面のアレチウリ
この春からいきなり、河川敷はアレチウリに席捲されました。まるで雪崩を見るように、ススキ、アシ、ヨモギ、イタドリ、ノバラなどなどの上に被さって窒息させ、一面を一色一種に変えていったのです。

繁茂力が大きいために樹木の敵とされるクズと出会うと、両者のせめぎ合いがなされますが、勝ち目はアレチウリの方にあるようでした。

雪崩のように

クズとのせめぎ合い

「アレチウリ」は「荒地瓜」のこと。北米原産のウリ科のツル植物ですが、その繁殖力のすさまじさから、侵略的外来種ワースト100に選定されています。
一年草であるだけに、1株に25000個以上の種子をつけた例があるというから怖ろしくなります。

咲きそろう花は昆虫の楽園
白い花の広がりには昆虫たち、ことにスズメバチ、アシナガバチ、ツチバチ、クマバチ、ミツバチ、ホウジャクなどが集まり、平和でありました。

 

洪水とその後

10月13日 早朝

私はしらしら明けの頃に多摩川に着きました。水は一時、サイクリングロードに整備されている堤防をわずかに残す高さにまで達していたことが分かりましたが、その頃には大きく退いていました。それでも河川敷はひたひたに浸ってそこかしこに渦を巻いており、その向こうの本流は黒々と逆巻いて流れ下っていて、地鳴りのような振動が感じられるようでした。流された石がぶつかり合うのでしょうか、ボクンボクンという鈍い音が届いてきました。
動画の中から静止画面を取り出したものがあるので、一部に粗い写真があります。

上流方面

ほぼ正面

下流方面

倒れた草 光っている

10月26日 およそ2週間後の早朝

下流方面

傾いた木々

水が引いた後のさざなみ様の斑紋

 

そして芽吹き

あらわになったクルミの木の根元に落ちた実 ずたずたの枝に残った実

 

裸にされたクルミの小木

先端に芽が出てきている

名も知らぬ小木とその枝先

タヌキの足跡

タヌキの糞場の脇からのヨモギの芽生え

地下茎からのヨモギの芽生え

イタドリ

名も知らぬ草

ヨシ

カラスのエンドウ

生き物は着々

洪水に耐えたクルミの木の1本

木を少し拡大

モズがてっぺんに来て縄張り宣言

取り残された水溜り

取り残された小魚たちの命運は?

カワラヒワの群
カワラヒワはこの時期に冬鳥として渡来するのですが、今年は餌場の河川敷に草の実が見つかりません。何羽かで降り立っては途方に暮れ、せわしなく移っては途方に暮れ、写真に撮るとこんな具合です。泥の中に散らばっても直ぐに飛び立ってしまいます。

勢いを取り戻しつつある巨木

仮借ない天候に負けずに、新しいバランスを作り直そうとする生き物たちの象徴のようです。堂々としていて、眺めていると安心感が増してきます。
頑張れ!河も堤防も生き物も!
そういえば、巨大な敷物を引き剥がすように、ごっそりと持っていかれたアレチウリはどうなるのでしょう。あまりの繁殖力の物凄さは脅威でしたが・・・来年の春に、少し帰って来てくれればと思うのです。

 

 

ハウ マッチ 苦労性の幸せ

御下問

        
「これ、いくらだったと思う?」
そら、来た!
妻にしばしば問われることがある。
クリアランスセールとやらで求めたブラウスをかざしてのこともあるし、発泡スチロールにラップされたマグロのサクを取り出しながらのことだったりする。デパートもスーパーにも、特別なサービス・デイがあるのだそうである。  “ハウ マッチ 苦労性の幸せ” の続きを読む

限りなく ピンピンコロリ

みんなの願い ピンピンコロリ

寿命が延びるにつれ、いかに生きるかも大切ですが、いかに死んでゆくかということが大きな課題となりつつあります。誰にも避けられない課題です。
ピンピン活動していてコロリと逝きたいというのが、みんなの願いでありましょう。

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カメラ固定補助具(腋下把持式)を手作りしよう

「ニコンP900」「ニコンP1000」の物凄さ

P900」は24㎜~2000㎜・光学83倍のレンズが組み込まれており、「P1000」に至っては24㎜~3000㎜・光学125倍の性能がぎゅう詰めになっています。デザイン性から見ればあまり美しいとは云えないのでしょうが、道具としては「きわもの」じみて面白く、日本国とドイツ国で売れるのではあるまいかと、なんとなく笑えてくるのです。安価。
大砲」と呼ばれる重くて高価な望遠レンズや、頑丈な三脚を持って歩かなくてもよいのですから、私のようなアマチュアには大助かりです。

高倍率、ことに高倍率の動画撮影では画面が不安定になる

手振れ防止機能」がたいそう優れていて、おおかたの撮影は両手と額の3点保持で何とかなるのですが、長時間に及んだり、高倍率の動画撮影時にはさすがにファインダーの中で標的が揺れます。
そこで、腋の下に挟んだ補助具で4番目の固定点を得ようというわけです。 “カメラ固定補助具(腋下把持式)を手作りしよう” の続きを読む

わたしの子供たちへ

  わたしの子供たちへ      
                   
年老いた私が ある日 今までの私と違っていても
どうか 私のそのままを見てほしい
服に食べ物をこぼしたり 靴ひもを結び忘れても
同じ話を 何度も何度も繰り返しても
どうか いらだたずにいてほしい・・・
あなたにせがまれて繰り返し読んだ絵本は
結末はいつも同じでも 私たちの心を平和にしてくれた

悲しいことではないんだ 薄まってゆくように見える私の心へ
励ましのまなざしを向けてほしい
楽しいひと時に 私がおもわず下着を濡らしてしまったり
お風呂に入るのをいやがるときには 思い出してほしい・・・
あなたを追い回し いろんなわけを見つけて
いやがるあなたとお風呂に入った 懐かしい日のことを

悲しいことではないんだ 旅立ちの準備をしている私に
祝福の祈りを捧げてほしい
いずれ歯も弱り 飲み込むことさえ難しくなるかもしれない
脚も衰えて立ち上がることさえ出来なくなるかもしれない・・・
あなたが 幼い脚で立ち上がろうとして私に助けを求めたように
よろめく私に どうかあなたの手を握らせてほしい

あなたを抱きしめる力が無いのを知るのはつらいことだけど
私の姿を見て悲しんだり 自分が無力だと思わないでほしい
私を分かろうとする心だけを持っていてほしい
それだけで それだけで きっと 私には勇気がわいてくる
あなたの人生の始まりに私が付き添ったように
私の人生の終わりに少しだけ付き添ってほしい・・・
あなたが生まれてくれたことで私が受けた多くの喜びと
あなたへの変わらぬ愛をもって その時も笑顔で応えたい

私の子供たちへ
愛する子供たちへ

何年も前になる。知人の奥様からプリントをいただいた。原作:不詳、訳・作曲:角 智織、樋口亨一とあった。キリスト教にゆかりのあるものであるらしい。心を打たれた。筆者が勝手ながら一部を変えたものです。

しあわせ続けよう

平和こそ力。あと二十年ほどを誤らなければ、内外に誇れる到達となるでしょう。
オリンピックの金メダル何万個、何十万個。そんなものよりもはるかに価値があるみんなの積み上げ。心に新しい力が蘇ってくるような目標です。
「大きな古時計」のメロディでどうぞ・・・。

一 今日はサシミが食べられる  ミカンもあるし
  小さな梅ノ木咲いていて   洗濯日和だし
  夜には娘が来てくれる    明日は働ける
  そのまた次の日も      しあわせ続けよう
  ※百年休まずに行ったり来たり  お前と一緒に行ったり来たり
   そのまた次の日も   しあわせ続けよう

二 四十五十は洟たれよ     六十やっと根が生えて
  神戸のおばちゃん七十で   ホームを立ち上げた
  七十八十働き盛り      死神はお断り
  百になったら晴れた朝    めでたくピンコロリ
   ※くりかえし

チチバナ

 照準を通して十五メートルほど先に、小さな標的が見える。そのはるか向こうは木曾川の対岸の石垣で、チチバナが満開に垂れ下がって豪華な緞帳をつくっている。あざやかな黄一色を背景に、白い的がくっきりと浮かび上がっている。
 私は窓枠に空気銃を乗せて標的を狙っている。まず、きっちりと中心をとらえ、息をつめ、それからわずかに左下に照準をずらせた。この銃にはしたたかな癖があったからである。

 中折れ式の小さな空気銃。台尻からすこし上のところに、月と狩のローマの女神ダイアナの像が彫りこんであった。長いローブのようなものをまとった女神は左腕を下ろして、おそらく何万年も愛用してきた弓と矢を惜しげもなく足元に投げ捨て、右手に高々と銃をかかげている。このポーズから察するところ、ダイアナは移り気な女神様のように思われる。
 この銃は次兄が買ってもらったものだそうだ。はじめのうちは狙ったとおりに弾丸が飛んだが、いつのころからか微妙に的を外れるようになった。欠陥に気付いた次兄は、むんずと銃身をひっつかんで逆手に振り上げ、そのへんの立木に叩きつけた。銃身が曲がっているなどということは、持ち前の潔癖性がとてもゆるさなかったのである。まるで西部劇映画の一場面のようであったろうが、台尻に大きなひびが走り、弾丸の通り道は決定的に曲がってしまった。
 空気銃の使用権は三番目の兄に譲られることになった。飛び道具というものにとってははなはだ困った癖のために、兄たちは使用権にあまり固執しなかったので、銃は三番手、四番手、とだいたい一年半ぐらいで通過し、しだいに私の手に近づいて来つつはあった。 “チチバナ” の続きを読む

迷い出た魂を元に納める方法

 木曾の実家に「ミソ蔵」というのがあった。自家製の味噌を入れた大きな樽ばかりでなく、穀類をはじめ、ジャガイモ、サツマイモ、ショウガなどが貯蔵されていた。蔵というからには、扉は結構に頑丈なものだったが、ネズミが入り込む。人が出たり入ったりする時の隙を狙うらしい。
 祖母が、アオダイショウの見込みのありそうなのをひとつがい、お百姓に吟味してもらって、ミソ蔵のなかに放したのを知って、五歳だった私はわなないた。・・・
じっくり選ばれたアオダイショウが太ったネズミをたくさん食べたなら、二・三年のうちにオロチほどに大きくなるかも分からない・・・。

「なんてことを!」
 化け物は化け物を呼び合うそうだから、これは大変なことである。 “迷い出た魂を元に納める方法” の続きを読む

キアゲハの姉

 秋の彼岸の入りの日(9月20日)に、菜園に「ナバナ」と「ノラボウ」の畝を作りに出かけた。
 そこを曲がれば私の畑が見えるという小道の角、3輪の「ヒガンバナ」が燃え上がっているところで立ち止まった。ヒガンバナのせいではない。花の上で1頭の「キアゲハ」が羽を広げたり閉じたりしながら、身を震わすようにしていたからである。
 「アゲ科」の蝶は、写真に撮るのは運次第といったところがある。あちこちの木や草や花に興味を示しはするものの、止まることはあまりせずに、かなり速く広く飛び続けるからである。
 野鳥については「まず1枚を撮れ」とよく言われる。野鳥をファインダーに入れたとき「もうちょっと良いアングルを」と欲張っていると、相手がいなくなってしまうことが少なくない。チャンス。キアゲハについても通用しそうである。

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私がボールを投げられないわけ

 その頃、フィールド競技で使われる「ヤリ」は一本の木を削って作られたもので、上手に投げて、正しく飛んで、金属のキャップを被せられた先端から土に刺さらないと、ともすると折れてしまうということがあった。もちろん、材質や値段などで差はあったであろう。
 私は陸上部に属していたが、トラック競技はからきしダメ。といって、フィールド競技の投擲なども苦手。部活の時間を勝手な気晴らしと考えていた。
 その年にも「東日本医科学生陸上競技大会」というのが新潟市の「白山公園」のグラウンドで催されるという通知が私たちの陸上部にも届いたときに、「槍投げ」と「円盤投げ」参加する者として、主将(同級生)が勝手に私の名前を書き入れてしまった。日頃、「ヤリには絶対に手を触れるな!1日で折られちゃうからな」ときつく言っていたのに、どういうことだったのだろう・・・。この同級生は、皆から「あいつは出世するぜ」とよく噂されていた。案の定、やがて医学部長になり、さらに学長になって大きな勲章をもらった。私に使ったような手を繰り返したものに違いない。 “私がボールを投げられないわけ” の続きを読む