目の前の課題

1 「騎馬戦型社会」から「肩車型社会」への移行
2 「孤独死」と「一人死」と
3 常態への軟着陸

自分たちの山と土と海。これらとまともに付き合うことを、次第に私たちはないがしろにしてきた。
百坪(330m)の畑があればヒトは飢え死にしない」と、私たちの祖先はいみじくも言い切っている。そのへその緒を切るようにしてふわついていると、必ず不安がはびこって来る。それは次のように極端な課題になって私たちを追い詰めてきている。

 「騎馬戦型社会」から「肩車型社会」への移行

少子高齢化の勢いはすさまじい。昭和40年(1965)には10.8人の現役世代が1人の高齢者を支えている「神輿型社会」であった。平成27年(2015)には2.3人の現役世代が1人の高齢者を支える「騎馬戦型社会」になった。これが2065年ともなると、1.3人で1人を支えなければならない「肩車型社会」に移行すると予想されている。 “目の前の課題” の続きを読む

置いて行かれている国土を見る

1 概観
2 農業
3 林業
4 漁業
5 まとめ

1 概観

別の稿で触れたとおり、昭和30年代の半ばごろから、我が国では世界史上でも稀とされる経済成長が長く続き、第一次産業を担う農山漁村地域から都市部へと若者たちを吸い上げることになった。
こうしたことが地域の生活基盤と経済活動に支障をきたすに至り、すでに昭和45年(1970)にはいわゆる「過疎法」が施行され、以降、3回にわたって改訂を重ねて、「予防」から「自立」というふうに対策の力点が変わってきているが、見るべき効果をあげているとはいいがたい。

過疎地域」とみなされるには、人口要因、財政要因、公共施設整備状況などを総合して細かく規定されている。たとえば人口については、昭和45年(1970)から平成27年(2015)までの45年間に32%以上の減少をきたしているとか、あるいは人口減少率は27%以上にとどまっているものの、住民の高齢者率が36%を超えるようになっている・・・とかである。 “置いて行かれている国土を見る” の続きを読む

平和のための創造

1 日本の若者たち・・・うかがえる完全主義
2 日本国憲法の創造性
3 JICAの実績を継ぐもの
4 まとめ

1 日本の若者たち・・・うかがえる完全主義

毎年発行される内閣府からの「子ども・若者白書」「少子化社会対策白書」に見るように、日本の若者はこのところ、自己評価が低く、社会を厳しいと受け止め、成功の保証のないことに手を染めるのを避けたがり、将来を悲観的に予測する、といった傾向が諸外国に比べて高くなっている。 “平和のための創造” の続きを読む

現在の若者たちはどのように育つか

戦後ほぼ一貫して育まれ続けた社会通念と構造。これが多分、誰もが予想しなかったような速度で変遷した。1980年代の終わり頃からであるという。
その原因を乱暴に要約すれば、その頃から決定的になった「IT技術の爆発的な発展普及」と「新興国の台頭」とであろう。ITの発達によってもたらされる情報をてんでんに拾うようになったことで人々の価値観と欲望は多様化し、消費をするにあたっては、情報がピンポイントで得られるようになっただけに、何をどのように選択するのが賢いか、というパフォーマンスへの評価が次第にマニアックに厳しくなってゆく。

1 終身雇用制の瓦解がもたらしたもの
2 目標とされる成人像の変化
3 揺れる学校生活
4 まとめ

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ほんのひと昔前まで・・・人はどのように育ったか

1980年代までのこの国において、「人はどのように育ったか」を筆者なりのまとめをしてみたい。現在のそれと比較できればと思うからである。

1 高い成長を続けた稀有の20年
2 図にしてみる
3 ロバ的な適応の功罪
4 マイノリティのさまざま

1 高い成長を続けた稀有の20年

日本は、戦後10年を過ぎたころから年10%前後の経済成長を20年近くも続けてきた。乱暴な要約であろうが、「年功序列を基本として仕事を保障される」という独特な就労慣行が好循環を支え続けたもので、世界の歴史上でも稀有のことだという。給与は低く抑えられる傾向と引き換えではあったが、所得に対する安心感は高く、それも右肩上がりの経済成長のおかげで着実に豊かになってゆくという実感を人々は持ち続けることができた。「地道に努力すれば相応に報われる」「安寧と秩序」ということが社会的価値の物差しとして強く機能し、公共の場における行動の仕方もはっきりしており、「一億総中流」という表現は、この国の人々のメンタリティにしっくりと馴染むところがあった。「平等感」というものは人々のストレスを軽減させる大きな要素の一つである。 “ほんのひと昔前まで・・・人はどのように育ったか” の続きを読む