遥かな・・・「ススキ」「ジバチ」「アシナガバチ」

ウマやヤギは冬眠をする動物ではないから、夏のうちに干草を作っておかなければなりません。たかだか三週間ほどの夏休みしか持たない山国の子どもたちにとってはつらい作業でしたが、末っ子の私は、身体の大きさからのハンデイもさりながら、左利きであったところから、さらに苦戦を強いられることになりました。

草刈のときは普通、何人かが縦に並び、おおよそ自分の持ち巾を決めて横に刈り進んでゆきます。右利きの人は、まず左手で草をひとにぎり掴み、右手の鎌で切り取ることを繰り返すから、左へ左へと移動することになります。並んで作業をするということは大切で、全体に一定のリズムが生まれて能率が保たれるのです。
私は左手に鎌を握るので、刈り進む方向が皆と逆になり、刈り場の反対側から独りで働かなくてはなりません。「草を除けたら、その下からドクロが睨み上げてきた」というのが、そのころ執拗に私を苦しめていた想像でしたから、ほとんどいつも半分ベソをかいているという始末でした。「無理もないことだ」と今は自分を慰めています。当時、私は小学校の低学年生でしたから・・・。
さらにもうひとつ。というものは右利き用に作られているものなので、右手に持って眺めてみると、刃はゆるく向こう側に膨らんでいるものです。これを左手に持ち替えるとカーブは逆になり、指に迫るようになります。おかげで何度も自分の手を削ってしまうことになりました。そのころ付けた切り傷のあとが、いまも右手のあちこちに残っております。それでなくとも、細かいノコギリの刃を巡らしたようなススキの葉のために、ひょっとしたはずみで、皮膚が意外に深く切れるものです。

そうして炎天下。気紛れといえば、いっそ誰かがハチにでも刺されてくれまいかという期待ぐらいのものでした。
兄弟のうちで、ハチにいちばん弱かったのは四番目の兄でした。
彼がススキの根元を一握りして、さて鎌をさくりと入れようとしたら、左手が妙にむずがゆく感じられたのだそうです。思わず手を開いてしまったのは無理もないことでしたが、握りつぶしていたのは珍しいほどに大掛かりなアシナガバチの巣であったのだそうです。
一個中隊もの戦闘員が、研ぎ澄ました槍の穂先をそろえ、先陣を争って兄の顔面を強襲しました。
「ぎゃー!」
兄はいちど尻餅をつき、ついで跳ね上がって走り出します。怒りに怒ったハチたちに追いまくられ、刺されに刺され、そのたびに恐ろしい悲鳴を上げ、象が通るほどの音を立てて藪を抜け、あちこちの立ち木にぶつかり、そうしながらも無茶苦茶に鎌を振りまわしました。あんなに逆上していては、ハチを追い払うどころか、自分の耳や鼻を削ぎ落とさずに済めばさいわいというもの。あらららと眺めているうちに、四番目の兄は林をひとまわりしてこちらに駆けて来ます。一同にとって、ようやく事態は他人事ではなくなり
「来るな、来るな。あっち、あっち!」
てんでに叫びながら、クモの子を散らすように逃げ出しました。ハチの大群をすこしでも分散させようという魂胆があるのか無いのか、当人は執拗に私たちのあとをすがってきます。
長く思われる必死の障害物競走が続き、ようやくのことでハチたちを振り切って一息ついたとき、気付いてみれば、この兄の顔は無残な形相に変わりつつありました。

目が無くなり、唇がまくれ上がって発語が明瞭でなくなっています。笑い事ではすまなくなり、独りだけ家に帰ることになりました。道中、吐き気とめまいと動悸に苦しみ、ほとんど物を見ることができずに歩きましたが、町に入ってからは、シャツを脱いですっぽり被り、人目を驚かすことを避けようとしたそうでした。
夕方、私たちが帰ると、本日の第一等の犠牲者は氷枕を頭に載せて呻吟しておりました。腫れは、引くどころか、胸元まで達しようというものすごさでした。

黒っぽくてずんぐりと重そうなクマンバチ。これと同じほどの大きさで、赤褐色の体毛に被われたアカバチ。さらに、胴体が大人の小指ほどもあり、金粉をまぶしたようなスズメバチにいたっては、アナフラキシー・ショックというような特別な反応によらなくても、注入された毒の量だけで命にもかかわることがあるのだそうです。兄の場合は、いくらなんでも命には別状ないようではありました。

「ジバチならあ、天国う。アシナガだとう、地獄う」
「まったくだ。どうせやられるんだったらジバチの巣でも見つけてくれりゃあ」
ハチの部族のうちでも、ジバチ(クロスズメバチ)は建築の天才でありましょう。土の下に、大きなものだと、一抱えもある何階建てもの宮殿を作っていて、円盤状のそれぞれの層にはいろんな成長段階の幼虫をいっぱい入れています。これをつつき出して塩味に煎ったり佃煮にしたりすると、非常に美味だし、それこそ滋養もたっぷりなのです。当時、山の人々にとっては重要な蛋白源であったはずです。

まず巣を見つけなければならないのですが、女王を戴く宮殿は地面の下に隠れており、出入り口は藪の中の小さな一点にすぎないから、これが大変なことなのでした。
カエルの肉の小片に、目印として軽いマワタを絡み付けて置いておく。ジバチの働き者が見つけて巣に持ち帰るのをどこまでも追いかける。ヤブをこぎ、林を抜け、川を渡り、わたり戻し、崖を越える。ふと目印を見失うと、ふたたび見い出すのは難しいことでした。

ジバチは、一族にとって恐ろしい災厄を一緒に運んできたとは露ほども知らず、穴の入り口にマワタの目印を引っかけて土の中にもぐってゆきます。ここでまた人間は知恵を働かせます。その頃は、セルロイドに火をつけるなり、ジバチの城の玄関に突っ込んで蓋をしてしまうというやり方でした。ガスのために相手がヨロヨロになっているうちに、丁寧に彫り出すのです。
残念というか、ジバチにとっては幸いというか、兄弟のひとりひとりがキツネになったつもりで大汗をかいても、宝の蔵に到達できることはごく稀なことでした。けれど、次への期待は欲をかきたてます。草刈の作業が終わったなら、たっぷり一日をかけてジバチ狩りをやりたいと誰もが思っていたでありましょう。
目の前に、いまこの日の犠牲者がもだえていることなどは、どこかへ飛んでいってしまっている中、男の子たちそれぞれが膝をかかえて、いっとき静かな間が流ていました。

アシナガバチの思い出は金色をしています。あのような日々から、すでに兄弟の三人が抜けてしまいました。けれど私のなかでは、遠い山野は萌える緑を背景に、金色の点が縦横に飛び交うさまを保ち続けております。

投稿者: ロウボウ

長い間たずさわってきた少年矯正の仕事を退官し、また、かなりの時が経ちました。夕焼けを眺めるたびに、あと何度見られるだろうと思うこの頃。 身近な生き物たちとヒトへの想いと観察を綴りたいと思います。

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