次郎の父は鳶職だった。おそれず、油断せず、確実で、静かだった。「トビのために生まれてきたような男だ」と仲間うちでも評判が高かった。
東京新宿の超高層ビル、瀬戸内海の大きな渦をまたいだ吊り橋、アルプスの裏のダムのアーチ状の堤防工事などを手がけて全国を股にかけて働き、巨大なそれぞれの建造物のもっとも高いところに吹く突風を経験していた。それでいて何年ものあいだ、怪我ひとつしたことがなかった。
三十五歳のとき、次郎が小学校に入学したのをしおに、東京の近郊に家を買った。ひとつの区切りが出来上がったと気を抜くどころか、いよいよ仕事に身を入れて精進を続けていた。が、信じられないようなことが起こったのは、その三年後のことである。
久しぶりに我が家に戻れた日、妻に「家に上がる前に、すみませんが、ちょっと風呂場の屋根を見てくださいな」と頼まれた。鼻歌まじりで仕事を終えたとき、ほんの二メートルばかりの高さをふと転落した。尻を地面に付けたまま、自分ながら目をまるくしてわずかのあいだ苦笑いをしていた。
すぐに襲ってきたのは、痛いというよりも全身を震わす強いシビレ感だったが、それを遣り過ごしたころ、自分の身に起こったことが分かってきた。腰から下がまったく動かず、何も感じない。強く脚をつまんでみても痛みというものがない。病院へ運ばれて知れたことだが、腰の上のあたりで脊髄がぶっつりと切れていた。神経をつなぐ手術は成功しなかった。
車椅子と腿を交互に叩きながら、次郎の父はうめき続けた。
「俺としたことが、なんでまた!」
不機嫌で扱いに手がかかるのでナースたちは疲れ、話し合いで病棟を持ち回りにしたほどである。どこでも、身をよじるようにして苛立って過ごし、退院してからはたちまち酒に溺れるようになった。
次郎にとっては・・・小学校三年までは天国のような毎日、それからあとは地獄・・・となった。
父は昼間から酒びたりである。車椅子をあやつるのにさえ焦れたって言いがかりをつけ、母を殴り、次郎を殴った。母の顔も次郎の顔も風船のようになった。冬、けだものじみた咆哮と乱暴から逃れるため、パジャマ一枚のうえ裸足のまま外に逃げ出し、ほとんど一晩中を雪の中で足踏みをしていたことがなんどもある。
中学二年生のとき、張り替えたばかりの障子を、母の鼻から吹き出した血がしぶきが散るように染め上げるのを見て、次郎は逆上した。泥酔している父をさんざんに打ちのめした。
正気に戻ったときにどんな騒ぎになるだろうと思うと、止められなくなり、さらに木刀を振り上げ続けた。近所からの通報によって家庭裁判所の係属事案となって、次郎は在宅試験観察処分をうけた。
肝臓を駄目にした父が、干からびるように死んで行ったのは四十七歳のときである。母が四十一歳、次郎は十七歳だった。
葬式には、次郎がたまげるほどの人が集まった。見知らない壮年の男たちばかりだった。黒い上下の服を着ていたが、そろって短く刈りつめてある頭髪と、日焼けした顔と、頑丈そうな指とが目立つ人たちだった。なかにはヘルメットを固定するベルトの巾を額に白く残している者もいた。そうして共通して、腰を左右上下にほとんど揺らさず、一歩一歩をしずかに前に伸ばしてゆく歩き方をしていた。父が電話口で怒鳴るようにして、ときには泣きながら、「見舞いになんか・・・来てくれるな!」と繰り返していた人たちなのだろうと次郎は思った。
「あんたが次郎さんかね」
父が焼かれている間に、五十歳がらみの半白の髪の男に話しかけられた。
「あんたの父さんに助けられたことがあるのよ。きわどい仕事をしておって、わしが前、父さんが後ろだった。わしはふいにガチガチに固まってしまった。こうなるときっと落ちて、よくても命綱にぶらさがることになる。グラグラ揺れだしたときに、あんたの父さんがボソンと話しかけてくれた。ぼくらが抜けたって工事はそのまんま続くんでしょうね、とこうさ。それで縛りが解けて、わしはまた息ができるようになったのよ」
その隣にいた棟梁らしいおじさんがうなずいた。
「いちどやると、調子を戻すのが大変だあ。わしも高いところで固まっちまったことがある。あんたの父さんが、大社でお守りを余分にもらっといたからひとつあげます、と尻のポケットに差し込んでくれた。あとで見たら、ただのテイッシュペーパーだった。でもそれを神棚に上げて、いまでも拝んでるわけさ」
その隣のおじさんが目をしばたたいた。
「やさしい人だった。意地もあった。他人さまを助けると自分の運が細ることがあるというが・・・どんなもんだか・・・」
いま、次郎は鳶職の見習いをしている。「トンビの子はトンビだ」と言われはじめている。高いところで怖くなったときは、胸のポケットにしのばせてある父の形見の数珠だまのことをおもって勇気をふりしぼる。 休みの日、家の風呂場の屋根の修理を二度した。きちんとした作業衣を付け、きちんとした足袋を履いた。無事におえて家の中に入ると、そのたびに線香の匂いがした。父の位牌の前に母がそなえたものに違いなかった。
東京湾を大きくまたぐ橋の工事に、次郎は今たずさわっている。途方もなく長くて重い橋桁が船で運ばれて来、幾本ものクレーンで吊り下げられて正しい位置にじりじりと寄せられてくる。波や風、潮流の加減などで、橋桁を橋脚に最初につなぐタイミングが巧くゆくかどうかは、数千トンの重みがあるものであるとはいえ、つまりは鳶職が落とし込む最初のボルトの一本にかかっている。
次郎は棟梁の助手として、橋桁の微妙なリズムを身体中で計ろうとする。わくわくする充実感で、はちきれそうになっている。波を遠くから光らせてきた風が、このあたりの高みでは潮の香をほとんど落として、南から北に吹き渡って行く。
長い間たずさわってきた少年矯正の仕事を退官し、また、かなりの時が経ちました。夕焼けを眺めるたびに、あと何度見られるだろうと思うこの頃。
身近な生き物たちとヒトへの想いと観察を綴りたいと思います。