1968年(昭和43年)、私は府中刑務所の医務部に勤務していた。おりから学生運動の最後のたかまりがあり、多数の若者たちが逮捕され、首都圏の拘置所が満杯になったために、刑務所の「独居房」の一部が拘置区として転用されるという事態になったことがある。 “拘禁” の続きを読む
長い間たずさわってきた少年矯正の仕事を退官し、また、かなりの時が経ちました。夕焼けを眺めるたびに、あと何度見られるだろうと思うこの頃。
身近な生き物たちとヒトへの想いと観察を綴りたいと思います。
生き物はひとつ 世界のなかま
1968年(昭和43年)、私は府中刑務所の医務部に勤務していた。おりから学生運動の最後のたかまりがあり、多数の若者たちが逮捕され、首都圏の拘置所が満杯になったために、刑務所の「独居房」の一部が拘置区として転用されるという事態になったことがある。 “拘禁” の続きを読む
長い間たずさわってきた少年矯正の仕事を退官し、また、かなりの時が経ちました。夕焼けを眺めるたびに、あと何度見られるだろうと思うこの頃。
身近な生き物たちとヒトへの想いと観察を綴りたいと思います。