草原へのはてしない憧れ 「大草原の小さな家」

「大草原の小さな家」シリーズ

全9冊と関連図書。私も大好きです。
アメリカ開拓時代の圧倒的な自然を生きる、つつましく不屈な一家の年代記。

幌馬車の旅、猟、耕作、家畜の世話、料理、冬の備え、天災との闘い、丸木小屋の手作り・・・。それでいて、折々を楽しむ感性。一刻一刻が輝いています。

ローラ・インガルス。何時も目をまんまるにしている女の子。
この子が明るく語るのですが、天性の観察が行き届いているので、当時の日常の様子を知ろうとするのには、一級の資料になっているようです。ガース・ウイリアムズによる絵も素晴らしいものです。

ことに、母さんが作ってくれる料理についての語りが面白いうえに正確なことから、「小さな家の料理の本」といったレシピ集などが作られており、これらすらが、世界中で読まれているようです。

料理ばかりではありません。
猟銃の手入れの仕方、鉛の弾丸の作り方、罠の扱い方、獲物の処理の仕方、燻製の方法、馬や牛の扱い方、メイプルシロップや蜂蜜の収集と精製の仕方、丸木小屋の組み上げ方、暖炉の積み上げ方などなど・・・幼い女の子が、よくぞここまで見ていたもの・・・、レトロでアナログな大人にとっても、たまらないことの連続です。相応に想像を働かさなければならないところが、また、良いのです。

ログハウスの驚嘆

北方の「大きな森」からはるばる幌馬車の旅(最初の長旅)を続けてきた一家は、中南部オクラホマ州の一点に着きます。何も無い大草原でした。父さんがいきなり叫びます。「ここだよ!さあ、ここに家を建てよう」。1869年(明治元年)のことでした。

草原にポツンと作られた丸太小屋は、とおに無くなっていたところ、ローラ(幼い女の子)が述べている手掘りの井戸の跡が決め手となって、消えかかった土台の上に復元されました。写真があります。(大草原の小さな家博物館)

この写真で唯一大きさがうかがえるところ、つまり「入口」の高さをおよそ6フィート(1.8m)、幅を3フィート(0.9m)と見つくろって、勝手ながら、私は小屋の大きさを推測してみました。
間口およそ2間半(4.5m)、奥行き3間(5.4m)、梁の高さ3.4mほどとして大きな間違いはなかろうと思います。


さらに写真をにらんで、この小屋を作り上げるに必要な丸太の大きさと数を推測しました。
長さ7m前後、直径平均0.16m、重さ90〜100㎏(原木の比重0.7として)のものが26本ばかり。長さ5.5m前後、直径0.16m。重さ80㎏前後のものが35本ほど。原著のようにカシの木だとすれば、もっと重いでしょう。

これだけのものを一人で準備するのが、まず、途方もなく大変なことです。
近くにクリークがあって、その近辺に大きな木も生えていたのですが、チエンソーなどが無かった時代、オノ一本で切り倒し、枝を落とし、引きずってきて、持ち上げて、馬車に積み込む・・・したたかに不安定なもの一本ずつが100㎏(18ℓ入りの灯油缶5個以上)です!
これが60本。馬小屋の分を入れれば、100本ほど!

私は里山を守るボランティアをしていて、年に何度か、木を伐る手伝い(というよりオタオタ)をすることがありますが、たいへん危険で重い作業です。木は捻じれ、転がりながら枝は跳ねます。チエンソーを入れる前に、あれやこれやと打ち合わせをしておかないと、とんでもないことになります。あやうく、なりそうになったことが幾度かあります。

母屋用と馬小屋用のものと。二つの材木の山ができると、父さんは壁を組み上げにかかります。丸太3本分の高さまでは一人で、それからは母さんの力を借ります。
6段目ぐらいのところで、母さんが支えきれなくなって丸太を落下させてしまい、あやうく足を砕くところだったというアクシデントがあって、さすがに作業は中断。
途方に暮れていると、クリークの向こう側に入植しているという独り者が現われて、家造りは急進展。二本のオノが調子を合わせて鳴り、壁は積み上がり、たちまち梁が渡されて垂木が打ち付けられます。やれ、ひと安心。
勢いに乗って、続いて二人の男は馬小屋をたった一日で作り上げたということです!
丸太と丸太の間にどうしても出来てしまう隙間には、泥を塗りこんで、雨と風が通り抜けないように仕上げます。

このパワー、このスキル。たとえば、高く横たわっている丸太の上に立って、よくぞ、オノを力強く使えたものです。

さらに、どのようにして丸太を加工したか

さて次です。まず、長い丸太を縦に真っ二つに割る方法については、幼いローラが上手に説明してくれております。

この要領については、私も、映画で見たことがあります。
「若き日のリンカーン」、ジョン・フォード監督、ヘンリー・フォンダ主演。はるかに昔の映画でしたが、察しが付くだろうと思います。心に残る作品でした。
田舎町の独立記念日の「丸太割り競争」で、弁護士になったばかりのリンカーンが一等賞を取るのです。
丸太の頭に斧を打ち込んで裂け目を作り、そこにクサビを打ち込んで割れ目を広げ、クサビを下へ下へと移していって、最後の一撃で丸太はぱっくり二つに。リンカーンは大きな斧も軽々と振るえる人だったのです・・・。
チャンスを作れる人は、是非、丸太割りにチャレンジしてみてください。丸太の頭にオノを打ち込んで最初の裂け目を入れるだけでも、普通だったら、ただ弾き返されるばかりだと分かるはずです。

床を張るには、割れた丸太をそのまま敷き詰めてゆきます。凸凹やささくれはオノを使ってつるつるに均すのです。当時のオノというものが、如何に念入りに研がれていたものか。オノで髭を剃るという話を聞いたことがあります。どうも、本当のことです。

丸太から長い板を切り出すにはどうしたのでしょう。
現在では、大きなバンドソーを備えた製材所で原木を縦に往復させて、自由な厚さにスライスしてゆきます。

バンドソーやチエンソーが無かった時代に、オノ一本で板をどのようにして作ったか。その説明はありませんから図にしてみました
切り口が半身になった丸太をカマボコ状に伏せ、ノコギリで横に適宜にきざみを入れてから、三味線のバチ状のクサビを
打ち込んンで、弾き飛ばしてゆくのです。1本の丸太から、すくなくとも2枚の長い板と、何枚かの短い板が取れることになります。
小屋の内側の写真の天井のあたりを見てください。長い板は垂木と垂木をつなぐように張り渡して屋根の下張りに使ったのです。短い板は、その上をウロコ状に覆って屋根の仕上げに使います。板を作るのも大変に根気の要る作業でした。

入口と窓を切り開ける

“・・・二人は・・・つぎには、南側の壁に出入り口にする細長い穴と、西側と東側とに、窓にする四角い穴を開けました・・・”と、いとも簡単なことのようにローラは書いていますが、ちょっと想像してみれば分かります。丸太で組み上がった壁を切り抜くのは、そう簡単ではありません。
まず、先の細いノコギリを丸太と丸太の隙間に押し込んで切りはじめ、やがて大きなノコギリに入れ替えて、ようやく本格的に切り進めるのです。
両端を固定して積み重ねてある丸太の何本かを、途中で切り離してしまう作業です。1本を切断し、2本を切断し、丸太の重なりはどんどんと不安定になって、少しのずれが壁全体の崩落になってしまうことになりましょう。命に係わります。
これを防ぐために、おそらくあらかじめ、丸太の列をサンドウィッチのように挟み込む要領で、壁の内側と外側に縦に板を渡して、要所要所を釘で仮止めしたものでしょう。

したたかな体力と粘りを要しますが、ノコギリという道具そのものにも限界があります。何本も何本も切り続けるためには、「目立て」という手入れが必須です。ノコギリの刃を、ひとつひとつ、ヤスリで研ぎ直さなければなりません。目立て専用のヤスリは質の良い薄い鋼鉄で作られているものです。

一家だけで 小舟で大洋に乗り出すようなもの

ヤスリの目がつぶれてしまったらどうするのだろう。ノコギリが折れてしまったらどうするのだろう。オノの頭が飛んで、見つからなくなったらどうするのだろう。
水と穀物が尽きたら、幌馬車の軸が折れたら、車輪のタガがはじけたら、幌が裂けて吹き飛んでしまったら、ロープがなくなったら、鍋に穴が開いたら、種が腐ったら、銃が故障したら、火薬が無くなったら・・・。

不可解なこと

手作りの丸太の家と馬小屋。命がけで掘り下げた井戸。周囲の開墾畑。大草原を焼き尽くそうとする火事との戦い。これらは、自分たちが叩き込んだ一年間の全てでした。
ついに待ちわびた春が巡ってきて、タマネギ、ニンジン、エンドウ、インゲン、カブなどの種を蒔き、キャベツやサツマイモの苗を作って植え、極めつけのトウモロコシまで蒔き終えて、もうじき楽な暮らしができると安堵した或る日・・・一家は、突然、これらの全てを捨てて、北に向かう幌馬車の旅に出てしまいます。

朝、隣の入植者が訪れて、この辺りはインデアンテリトリーに3マイルほど入り込んでいるというニュースをもたらしました。それを聞いた父さんは、「・・・おめおめ兵隊どもにつまみ出されるなんて・・・今すぐにも出てゆくよ!」と、連れてはゆけない牝牛と子牛を隣の入植者にくれてしまうのです。
わずか数分間のうちに、これだけの決断をしたというのは信じ難いことですが、
二日を置かずに、一家を乗せた幌馬車が北に向かったというのは事実なのです。
7歳の少女は「大草原の小さな家」に別れを告げます。

“・・・この大草原高地のはてしない広がりのなかに、何ひとつ動いてはいませんでした。ただ、緑の草が風にさざ波のようにゆれ、高くすんだ空に、白い雲がながれているだけです。「すばらしい所だ、ここは・・・」とうさんはいいます。「だが、これから長い間、ここは、インディアンとオオカミのものだろうよ」・・・小さな丸太の家と小さな家畜小屋は、この静けさの中に、さびしそうにうずくまっていました”(恩地三保子訳)

私には さらに不思議なこと
・・・どうして 豊かな森を捨てて・・・?

「大草原の小さな家」シリーズは、5歳であった幼い少女が成人して自分の一家を作るまでを9冊に亘って綴った年代記ですが、主人公の少女の暦年表と記述された場所や日常が、数年単位で入れ替わっている個所があります!
けれどこれは、作品から無駄事を削ぎ落していった構成の結果であるらしく、一家はまず、アメリカ合衆国の北方から南へ、いったん北に戻り、居住を転々とし、再び楽園を求めて南方へ・・・という長大な3度の幌馬車の旅をしたという事実には揺らぎはありません。
その旅というのがそれぞれ、少しマゴマゴすると日本列島の本州の長さに近いほどで、日々に湧き上がってくる出来事を乗り越えつつの苦難の連続なのです。

そもそも、どうして、一家は長旅を繰り返すようになったのでしょう?
語り手の少女ローラは、アメリカ合衆国北部の森林地帯で生まれました。丸木小屋を取り巻いている巨木は、人がまるひと月歩き続けても、まだ途切れることがないという広大さ。
木々がどこまでも茂り続けているということは、ほかの生き物にとっても好ましい環境で包まれているということです。
ウサギやリスはもちろんのこと、クマ、シカ、オオカミ、オオヤマネコ、ピューマ、ジャコウネズミ、ミンク、カワウソ、といった野生動物が濃く生息していて、獲れた毛皮をひとシーズン溜めておくと、離れた町まで担いでいって換金するのに、背骨が撓むほどだったのです。


野生動物の肉や毛皮ばかりではなく、森は豊かな恵みをもたらします。メイプルシロップや蜂蜜や野イチゴやプラムばかりではなく、なによりも、緩衝の効いた四季を。
後に経験することになった、何年にも及ぶ干ばつ、大寒波、熱病、バッタの大群の来襲、などからも守られます。

ローラのおじいさん、おじさんやおばさん、従妹たちも、馬に引かせたソリで気を付けて往き来すれば、一緒にクリスマスを祝えるほどの近くに暮らしておりました。
つまり、大きな森は、人々を楽々と覆っており、常に新しい出来事を送り続けていたのです。こういうところを楽園と言うのではないでしょうか・・・。

ある早春、ミシシッピィ川が凍り付いていて渡れるうちにということで、父さんは、大きな森の土地も小屋も家畜も売り払って、幌馬車の旅に出ます。
この旅立ちが、北米大陸の大平原を舞台にした、何年も何年も続いた彷徨の、そもそもの始まりになったのです。

“・・・父さんがいうには、いまではこの「大きな森」に住んでいる人が多すぎるのだそうです・・・西部では、土地が平らで、木がなく、草はたけ高くのび、よくしげるのです。そこでは・・・野生の動物たちは自由に歩きまわり、食べたいだけ食べられるのです。そのうえ、まだそこに住みついている開拓者はいないのです。インディアンだけが住んでいるところなのです。・・・”(恩地三保子訳)

草原へのあくなき憧れ

わずか150年ほど前のことです。
当時、アメリカ大陸の一画に理想の農場を持とうとした人たちの、冒険心、独立独歩、徹底した自己責任、楽観、勤勉、助け合い、なによりも行動力と体力・気力に圧倒されます。
元来、このような特性を備えた人たちだから、何度でも遠い地平線を目指したのでしょう。けれど、厳しい一日一日を全力投球する疲れのために志が殺がれてゆくどころか、いよいよ冒険心と好奇心を燃え上がらせてゆく・・・
かつて大草原を支配した草原オオカミ。彼等がオオカミそのものに思えてくることがあります。
私にとっては、いかにしても手の届かない夢です。

幼かった少女ローラがママゴト遊びのために大切にしていたのは、トウモロコシの芯をハンケチでくるんだ人形でした。こういうことが、のちの大作の苗床となったのでしょう。一日一日を全力投球しながら、ローラ・インガルス・ワイルダーは90歳まで生きました。
揺らめくオーロラに吠え続ける老いた雌狼。そんな光景がちらつきます。

 

ロウボウ

投稿者: ロウボウ

長い間たずさわってきた少年矯正の仕事を退官し、また、かなりの時が経ちました。夕焼けを眺めるたびに、あと何度見られるだろうと思うこの頃。 身近な生き物たちとヒトへの想いと観察を綴りたいと思います。

「草原へのはてしない憧れ 「大草原の小さな家」」への3件のフィードバック

  1. ロウボウ先生
    読み応えがある投稿をありがとうございます。
    大草原の小さな家、大好きなテレビドラマでした。今でも再放送があると必ず観ます。
    物語は読んだことがないので、読んでみたくなりました。
    大自然の中で生きる、、便利なものであふれている現代から見ると、ひとつ間違えると死と隣り合わせの生活ですよね。
    現代社会から不必要なものを削ぎ落としていくと、何が残るのかを考えました。
    ありがとうございます。

    1. 本当に!
      今、身の回りを見回してみますと、自分で作り上げたものは何一つありません。
      私は、何か一つぐらいはと思って、小さな木工を手懸けることがあるのですが、はじめはオノで割ってノコギリで整えて
      、とはするものの、半端なところで電動工具に頼ってしまいます。いたって、趣味的な工作でもそうです。
      進化しているのか、退化しているものやら?
      でも、そんなことをあれこれと楽しんでいる自分は、ほんの少し前には、望むこともできなかったのです。
      平和こそ大切ですね!

      いつも、ありがとうございます。

      1. ロウボウ先生は木工細工もされるのですね!!素晴らしいです。
        木の製品はいつまでも飽きずに、時間が経つほど味が出るので好きです。

        平和であることは、本当に大事ですね。当たり前だと思ってはいけませんね。
        戦争の世の中に、すぐに変わることもあり得るんだ、、というようなことを今回のコロナ禍で感じました。
        世の中の状況の平和とともに、自分の気持ちの平和にも充分に気を配り、人に対して優しくありたいと思います。先生のメッセージをまた読み返してみます。
        ありがとうございます。
        コロナウィルスにも熱中症にも気をつけてお過ごしくださいませ。

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