首振りエンジン始末記

 中学一年の夏休み、兄の一人が東京の土産に「首振りエンジン」という玩具を買ってきて来てくれたことがあった。真鍮で造られたごく小型のスチームエンジンで、一人前に安全弁の付いたボイラーと、小指の先ほどのシリンダー部分との二つから組み立てられていた。原理は蒸気機関車に付けられているのと全く同じなのだが、この小型の原動機のシリンダーは、いやいやをするように左右に揺りながら勢車(はずみぐるま)をまわすので、「首振りエンジン」と呼ばれる。ぎりぎりまで簡素に工夫された実に愛くるしい機関である。
 これを搭載するにふさわしいものとして、私は船を造ることにした。幅十六センチ、長さ六十センチもの大船を設計し、「信濃」と名づけ、波を蹴散らして進む勇姿を想像しながら一週間ほどは無我夢中だった。ブリキ板を三十センチもある装甲鉄板にみたてて、手を傷だらけにしながらハンダ付けをした。機関部を取り付ける際には、上級の技師を買ってでている兄に厳しく監督された。 船ができあがると、鬼門筋もなんのその、肩にかついで進水式をやりにダムへ出かけた。水面に降ろしてバランスを見ると、いくらか左舷に傾くことが分かったので、手ごろな石を反対側に入れて固定した。予想していたことであったので、石の固定にはあらかじめ父の診察室からくすねてきていた絆創膏をつかった。怪我の功名で、いくらか腰を沈めたようすが船らしさを増したようであった。次に、ボイラーの下の皿形のランプのなかに、これも父の薬品棚からくすねてきていたメチルアルコールを一杯に注入し、火をつけた。やがてボイラーが鳴りだし、ころを見計らって指で一、二回はずみをつけてやると、スクリューが回りはじめた。
 しだいに軸の回転があがり、「信濃」はゆっくりと前進をはじめた。その鷹揚さはさすがに超弩級艦の風格で、なおいくらか左舷に傾いているところが、かえってなかなか結構なものだと思われた。
 試運転の興奮がさめやると、この船の最大速力にとんだ見込みちがいがあることが分かり、たちまち不満と感ずるようになった。本物の「信濃」は、戦速を命じられたときなどには海を切り裂かんばかりに突進したにちがいないが、私の「信濃」はいつまでたっても出港直後のように、前進微速なのである。
 次の日には、ランプの中に灯油を入れてみた。ボイラーが煤で真っ黒になったが、蒸気の圧力はおおいに上がり、船首の両脇にわずかな波のしわが寄るかというほどの速力が得られた。静かな水面に、かすかに楔形の航跡を残して船は進む。すこし左舷に傾き、黒煙をたなびかしているから、ムードはあるものの、雷撃を受けて沈没寸前といった寂しさを漂わせている。
 速力は燃料の火力におおよそ比例するらしいことを学んだから、ボイラーの安全弁をきつく締めたうえ、三日目にはガソリンを使ってみることにした。
 アルコール用のランプにガソリンを詰めて点火したらどういうことになるか。体験してみないとちょっと分からないことであろう。 マッチをランプに近づけた瞬間から惨劇がはじまった。水の上のことで、全く幸いだった。芯が燃え出したなどというなまやさしいことではなく、いきなり噴火したのである。火炎が鯨の潮吹きのように盛り上がり、ぼとぼとと割れ落ちてたちまち舟の木造部分が火達磨になりはじめた。ボイラーは煮えたぎり、安全弁が浮き上がって蒸気を斜めに吹き出し、シリンダーに通じているパイプが過大な内圧のために膨れ上がった。エンジンは調子をはずしてわめきちらし、船は火炎につつまれたまま左に大きく円を描きながら速力をあげ、二度三度と旋回するうちに岸からしだいに離れていってしまった! 
 私は水辺を行ったり来たりした。船はのたうちまわっているし、水に入れば得体の知れないダムの主が待ち受けている。
 続けざまに石を投げて、水しぶきで火を消すことができないだろうかと思いついた。何でもいい、手を打たなければならなかった。手近にころがっている適当な石をつかみ、できるだけ慎重に見当をつけて放った。
 浸水したばかりの私の船は薄幸に運命づけられていた。ダムの主の神通力がそうさせたとしか考えられない。投げた石の最初の一発が、甲板の左舷にもろに落下した。船はくるりと転覆し、十秒もせずに轟沈してしまった。
 波紋が残り、なおしばらく水面でガソリンが燃え、ミニチュアなりにもの凄いながめだった。本物の「戦艦信濃」は建造の途中で航空母艦に設計を変更され、偽装を終えないうちに、瀬戸内海でアメリカの潜水艦の雷撃を受けて沈んでいったのだそうだが、私の「信濃」も試運転の段階で本物とそっくりの運命を辿っていった。
 エンジンを買ってきてくれた兄に顛末を報告すると、「もう、おまえなんかには金輪際、お土産を買ってこない」といわれた。私としては手を傷だらけにした十日間はもちろんのこと、それから続いた三日間はとりわけ中身の濃い時間を過ごしたと思っていたので、兄の不機嫌にキヨトンとしていて、それをまた叱られてしまった。
 次の年の夏休みがちかづくと、数ヶ月前からさかんに手紙を書き、おわりにかならず、「こんどは模型用のガソリンエンジンを買ってきてください」という一行を入れた。エンジンはおろか、土産というものをこの兄から手にすることはなかった。兄が死んでから何年もたつが、その仏前に座るたびに、私は「首振りエンジン」の礼と乱暴な扱いをしたことの詫びを伝えるのを忘れずにいる。
 
 ブリキで作られた船体はとおに朽ち果てたにちがいない。真鍮はさびにくい合金だから、私の小さなエンジンだけは、あのダムの底に堆積している泥の中のどこかに、炭化したわずかな木片とともに今も埋もれているはずである。これからもそこに在りつづけるだろう。
ほんの少し秘密めいているというか、後ろめたいというか・・・故郷とつながる思いにはそんな味付けがある。おそらく、みんなが同じなのではないかと思うことにしている。

ロウボウ

投稿者: ロウボウ

長い間たずさわってきた少年矯正の仕事を退官し、また、かなりの時が経ちました。夕焼けを眺めるたびに、あと何度見られるだろうと思うこの頃。 身近な生き物たちとヒトへの想いと観察を綴りたいと思います。

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