子犬のケン

             
  〽総攻撃の命くだり
   三軍の意気天を衝く
   目醒めがちなる敵兵の
   胆驚かす秋の風
   ・・・・・
   トテーッ!
   やい、有象無象!

 乱れがちなる父の足音が、大きなだみ声ともつれあって石段を降りてきた。私が小学校二年生のころの秋の夕辺。歌は日露戦争当時の古い軍歌。父が酔ったときによく歌っていたが、正確かどうかは分からない。「トテー、やい、有象無象」というのは、父の即興の合いの手。
 ガラガラと大気を裂いて落下してくる敵の砲弾が至近であるのを知って、私はすばやく草履をつっかけ、台所から庭のほうへ避難しようとした。が、酔っ払いというものはいつでも変なところに冴えているもので、この時も父の目はすでに私の動きを捕捉しており、すかさず浴びせてきた。
「そこな、待てい。トテーッ! やい、有象無象!」
 有象無象というのは何であるか、後になってだいたい分かるようになった。もうひとつの合いの手「トテーッ!」の方は、いまになっても何のことか分からない。

 これを叫ぶとき、父は鼻の下にたくわえた髭をひとひねりして右腕をすっくと伸ばし、人差し指で高々と天を突くような仕草をしたから、「突撃!」という大号令の略であった可能性がたかい。将軍はまた怒号したが、ありがたいことにその内容は平和なものに変わっていた。
「ケン子。お土産だあ!」
 黒革の往診鞄が宙を飛んで来、台所の板の間を転がった。その往診鞄は自転車の横棒に振り分けて乗せられるように作られていて、いつも蓋の留め金がかからないほどに膨らんでいた。父はその中に、薬や注射器や聴診器だけを入れていたとは限らない。このときもぱっくりと開いた口から、まずへたの付いた柿の実が二つ三つ転げ出てきた。父は音をたてて口髭をひねり上げている。
 「なんだあ、柿かあ」と思っていると、つづいて這い出してきた生き物がいた。四つ足、丸っこくて薄茶色。前脚と後脚の調子がとれずに、よたよたしながらぷっくりした腹を引きずっている。自分の足につまずいて転がったりするのは、トンボ獲りのときの私のさまとおなじ現象であろう。鼻面から顔の三分の二ほどが黒っぽくて、そのほぼ真ん中に、余計に黒くてつぶらな目玉が二つ並んでいた。「犬の子だよね?」
「犬の子だ。クマ狩りの犬だ」
 これがクマ狩りの犬であることはちょっと肯けない。ほんとに、犬の子ほど可愛らしいものは世の中にそれほどあるものではない。クマをも追撃するという勇猛な犬でも、赤ちゃんは赤ちゃんでころんころんしているだけである。
 山奥の患家へ往診にでかけて、代金のかたに貰ってきたという。こういうふうな取引は父の十八番で、ヤマドリ、キジ、野兎、川魚、なんでもござれ。あるときは生きている山羊だって取ってきたことがある。すぐに食べてしまったほうが良いと思われるものについては、それから四、五年もすると
「ケン子、みどれ」
 と、きまって私が指名された。私は男の子であるが、父はどうしたわけか、私のことをケン子と呼んでいた。みどるとは、身を取ることである。山鳥や野兎が獲れるのはおおかた冬のさなかのことで、死骸はかんかんに凍ってもいる。くさくて、冷たくて、気味わるく、危険の多い作業でもある。いちど粋がって引き受けたのが失敗であった。
 使い古しのメスを握っている手がかじかんで思うように動かなくなると、両手を炬燵の中に入れてしばらくあたためる。ついでに下掛けで、こってり手に付いた血と油とを拭き取った。「灰の中で鼠が死んで腐っているのではないか」と誰かが言いだし、どうにもならない臭いが強くなってきたことから、ついに母に真相を見破られてひどく叱られたことがあった。

 さて、子犬の名前をすぐに「ケン」と決めた。この命名は、すでにそのころから私のうちにあった、ピントは大分ぼけてはいるものの小悪党のようなひらめきの所産といわなければならない。第一に所有権の属するところを宣言している。第二に、この名前は家中のものに面白がられ、それからは私自身もケンと呼ばれるようになり、ケン子といわれる屈辱から逃れることができたのである。中庭に面した引き違い戸のガラスの一枚に、機械油のようなものを指につけて、「こいぬのなまえ ケン」と大きく書きなぐり、独りで快哉を叫んだのはその晩のことだった。
 それからというもの、誰かが「ケン!」と叫ぶと、子犬のケンは尻を振り、私は青っ洟をすすりあげて、ともにおぼつかない足つきで馳せ参ずることになった。
 子犬が人間のように仰向けになって寝ることがあるとは知らなかった。子犬のケンは、長い時間をかけて山羊の乳を味わったあと、小さなみかん箱の中に敷かれた藁の床で、四肢を開いて臍を臆面もなく見せ、いとも平和そうに昼寝をする。そのくせ、夜になると「ひーひー」と泣く。乳離れも充分でないうちから母親や兄弟から離され、庭の隅で独りで寝ろといっても、無理というものである。いくら犬が夜行性の動物でも、幼ければ暗みは怖いであろう。暗闇の恐ろしさは私には良く分かっている。
 みかん箱の隅におしつまって震えているケンを抱き上げてきて、二、三ヶ月の間、私の寝床の中に入れてやった。こうしてやると鼻面を私の首に押し付けて静かに眠るのである。世の中に私より弱いものがあり、それをこの自分が保護してあげられるものだと知ることは、なんと誇らしく、雄々しい気持ちであることか。
 けれどもこの時すら、私が一方的にケンの保護者であったわけではなかった。暖かいものに顔をくっつけていれば私の方も心強かったし、寝小便をケンのせいにしてあゆうく助かったこともある。

 ケンは日に日に大きくなった。日本犬にしては脚が伸びすぎるのではないかと観察して、父に意見を伺ってみた。
「心して育てよ。あれは信州柴とドイツ原産シェパードとの国際結婚による合いの子なのだ」
 鼻の下の髭をひねり上げながら父は答えた。日本犬の質実さとドイツ犬の頭の良さを兼ねそなえた名犬なのだという。要するにただの雑犬なのであるが・・・私はたいそう感心してしまった。なるほど、余り物にわずかな煮干を加えただけのご飯に嬉々として尾を振っておりながら、一方ではなかなかに頭脳的なスタンドプレイをして見せるではないか。他の犬と喧嘩をするとき、ふいに後脚だけで立ち上がって前脚を複雑にふりまわし、人間のボクシングに似たような立ち回りをやって見せて、相手の意表を突く。争いごとには先制と戦術が第一であることを弁えている。ただ、相棒である私が脇に居ると大変に威勢が良いのだが、ケン独りのときは元気が半分ぐらいになってしまうようであった。犬はその飼い主に似るということになれば、これは少し薄気味のわるい話になってくる。
 私とちがって、ケンは陽性のわるふざけも得意だった。わけても姉のひとりのスカートにじゃれついて大仰にうなってみせ、小さな牙をむいてつっかかってみせる悪戯は得意中の得意だった。おどろいたことに、子犬のたわむれにこの姉は色をなして逃げ回った。姉の悲鳴とまだ幼い犬の吠え声とが中仙道の静寂を乱すと、当時はテレビジョンなどはなかったから、谷の人々は往来に出ておおよろこびで見物する。
 長男が軍医として出征したので、父はまずこれの生還をあきらめて、家業を継がせるためにとりあえず女の子の二番手を医学校を卒業させていた。早くにケンを抑えたつもりであるが・・・いつも遅すぎた。姉は大きく息を切らしたうえ、目を吊り上げてさえいる。衆目のなかで大恥をかかされ、女医先生の面目は吹き飛んでしまったと言って、姉にとっては世の終わりかというほどに怒った。救援が遅れたばかりか、教唆の疑いすらあると判断したのであろう。私に一発、二発、平手打ちをくれておいてから父に注進におよんだ。
「お前が逃げるから、子犬が追うのだ」
 と父は言っただけで、私には何のおとがめもなかった。この対応は半分は当たっているが、半分は間違っている。終戦後しばらく、姉は木曾の国鉄診療所で働いていたから、仕事を終えて帰るときには血液や消毒液の臭いを消しきれないでいる。それを嗅ぎつけた子犬が興奮したということもあったであろう。

 ケンと私とはいつも一緒だったわけではない。私は学校へ通わなければならず、ケンは私を送りとどけ、ちゃんと教室に入ったかどうかを見とどけると、家にもどって昼間はおおかた寝ていたようである。私が学校から帰ると、それから暗くなるまではいっときも離れない。
 そして夜にはやはりケンだけの世界があった。土曜日の晩を遅くまでねばって、犬の付き合いを覗いてみたことがある。世も更けると、両開きの木の門の前にきちんと腰を下ろして正しく頭を持ち上げ、さながらピラミッドを守るスフインクスを気取りだす。
 やがて犬にだけ分かるある時刻がくると、ふいと腰を上げて木曾川の岸辺の平らみへゆっくり歩いてゆく。町中の犬がどこからともなくここへ集まってくる。最後に親分格が悠然とあらわれ、月光の下にてんでに散っていた狼群にびりりとした緊迫感が生まれる。序列に従った挨拶の交換があり、身分をわきまえぬ成り上がり者には相応の牙の制裁がなされ、それから犬どもは一列になって町をひと巡りするのである。ケンの序列はどのあたりかと見ると、この大名行列のかなり下っ端のほうである。まだ子犬なのだから仕方がない。
 親分は「高瀬の丸」というひどく脚の短い日本犬だった。ブルドッグにまさるとも劣らない執拗さを持っていて、他に残忍なふるまいをするのに無頓着なばかりか、相手から与えられる苦痛にたいする耐性がずぬけて高かった。頭を下げて突っかかり、どこへでも喰らいついたら最後、雷が鳴ろうが稲妻がひらめこうが絶対に離さない。はじめはいつも分が悪そうに見える。さんざんに咬まれて血染めになるのだが、倒れもしなければひるみもしない。ついに相手が尻尾を垂れて股のあいだに入れ、降参の意を明らかにしても止めるどころではない。絶対に服従することを相手の身体が知るまで、容赦なく締め上げた。
 高瀬の丸は子どもたちにとっても恐怖だった。これを飼っている高瀬家は島崎藤村の親戚で、町の小高いところに白い壁を巡らせている。この近所を通らなければならないとき、私たちはきまって全速力で突っ走った。天はありがたいことに、「丸」に比較的鈍い勘と遅い足とを与えてくれてあった。彼は私たちが高瀬家の門の前を駆け抜け終わるころに、ようやく口に泡を噛んで現われ、つんのめって追いかけてくるのだった。なんと、私でさえ無事に逃げ切ることができたのである。
 親分の統率のもと、彼らは夜がな塀を抜け、あの畠をよぎり、あの生垣をくぐり、町中を遊弋した。毎晩きまったコースであったから畠の中に固い小道ができ、生垣に犬の肩が通るだけの隙間が開き、塀の穴は犬の毛の油で磨きあげられた。この執拗さはもちろん、指揮者の性格が丸だしにされたためであった。

 私たちの町をとりまく山々のうちのひとつにサイレンが取り付けてあり、毎日正午に一分間ほど鳴らされた。ごく普通のサイレンなのだろうが、ちかじかと連なっている峰と谷とをえぐって、とてつもなく余韻のこもった音色になった。山が、川が、森が、谷がいっせいに吠え立て、遠くはるかな空へ、山国の万感の想いを訴えるようであった。
 その日、なにごとかがあって私は学校を休んでいた。ふと気付くと、サイレンの音に妙に甲高い音が重なっている。なんの音なのか、いくら考えても分からない。息の長いサイレンの響きと競うように長く引っ張り、ふと途切れ、また調子を合わせるといったふうだった。寝床を這い出して縁側の戸を開けてみた。
 子犬のケンが中庭の黒松の横に正座し、胸を張り、顎を天にむけて夢中で歌っていた。酔い痴れているような不安定なリフレインが、せばめられた喉から細々と吐き出される。シェパードと日本犬の合いの子であるとすれば、狼にごく近い血が流れており、かつて家畜の群れをふるえあがらせ、その持ち主の財布を寒からしめた祖先の殺戮の詩を、サイレンの殷殷とした響きの中に聞いたのであろう。
 それにしても、自分の祖先の歌を人間の作ったサイレンでよび醒まされ、これと合唱しなければならないとは・・・血というものの悲しさと恐ろしさを、こんなことからも知らされることがある。子犬のケンもなかなか厳かにみえた。ただ、そのころ家でいっしょに飼っていた山羊一匹すらふるえあがらせることができなかったのは、まだ声変わりもしていない甲高い音色のせいもあるだろうが、気の毒といえばそうもいえたことである。子山羊は怖がるどころか、小屋の横木の間から不審気な首をつきだし、茶色の縁取りに緑色の瞳をした目玉をさらに丸く見張って、同僚がにわかに悩乱したようすをつぶさに見学しようとしていた。
 それからというもの、サイレンに合わせて歌うことがケンの大切な儀式となった。どうしてか気の乗らない日もあったようで、そんなときは儀式は予告なしに中止になる。
 夕方、ダムの堰堤の付近へ山羊に食べさせる草を刈りにいってひとしきり働き、大きな竹の背籠もようやく一杯になったので、私は水辺に腰をおろしてしばらく休んだことがある。そよとも風はなく、たたえられた黒い水が岸辺の大きな石の間にまで満々と寄せてきていた。もちろんケンが一緒だったが、犬は鎌という道具を持てないから、草を刈るのを手伝うわけにはゆかない。先ほどからいい気になって、あっちこっち遊び歩いているのを目の隅で追いながら、おなじケン同士でいて何故こっちだけが働かなければならないのか、真面目に考え考えしていた。偉い先輩には違いないけれども、道具というものを発明してしまった人がいる。そんなことをしてくれなければ、今だって私たちは、犬や猿とおなじように朝から晩まで遊んでいられたはずである。ただ、私が今こうして存在していられるだろうかということになると、話はややこしいことになってくる。
 ケンは草むらのなかに跳びこんでバッタを追い出し、あっちこっち、前足でたたき伏せ、くわえては放り投げている。尻尾がさかんに振られているところをみると、面白いゲームであるらしい。私は犬をやっかんだ。少しからかってやろうと思いついた。手ごろな石に腰を下ろしたまま、顎をしゃくりあげ、中天をにらんで吠えてみた。
「おー、おー」
 遠くの草の群れをゆるがせてケンが頭を出し、ちょっとあちこちしてから、一目散に走り寄ってきた。さあどうするかと思っていると、まるで当然のことのように私の横にぴたりと威儀を正して座り
「おー、おー」
 と、自分もやりだした。私が「おー」とやると、ケンが「おーおー」と受ける。気を合わせてなんども繰り返しているうちに、こんぐらかって奇妙な気分になり、どちらがからかわれているのか分からなくなってきた。ケンジがケンに近づき、ケンがケンジに重なってきた。
 どれだけやっても厭きなかった。私たちの和音は黒い水面を這って向こう岸に至り、木に、岩に、森の斜面に反射し、「おお・お・おーん」と帰ってくるときには、かすかな漣をともなっているようだった。すると水力発電のための、さして大きくもない人造湖が太古の水をたたえた茫洋とした湖にひろがりだし、水面をわたる風もただならぬ雰囲気をはらんでくる。湖の向こう、それは即未知。無限な可能性と、同時に胸をとどろかせずにはおかない不安がこみ上げてきて、私はほとんど朦朧としてしまった。
 私はケンのうちに残っている本能に共鳴し、ケンもきっと、私の身体を流れている類人猿の血の臭いをかいだに違いなかった。何回も何回も歌い続け、厳粛さと物悲しさを分かち合った。
 木曾では日がはやばやとかげる。そのかわり黄昏が長い。気がつけばその黄昏も過ぎ、あたりはとっぷりと暮れていた。我にかえり、ケンを案内に立て、背骨がしなうほどの竹籠を背負い、鎌という道具を片手にして、とぼとぼと家に向かった。そのとき眺めたダムならぬ幻の湖は、そのまま私の底に沈みこんで、ずっと潜んでいたものとみえる。青春の終わり頃、まるで少年の心の最後の残照のように、二回ほどよみがえって見えたことがあった。・・・
「ケン! ちょっとこっちへ来い」
 父の呼びつけである。土間に足を踏み入れたとたんのことだから、夢を見たあとの呆けた気分はいっぺんに吹き飛んでしまった。草履を脱いでのろくさと台所に上がった。犬のケンは顎を縁に休ませ、尻尾さえふりながら見物役にまわっている。
「たずねるが、おまえ。ダムで何をやっとった」
 父は私をじっくりと眺めつづけた。聞けば、ダムの近くに住んでいるお百姓の一人が、暮れ方に独り空にむかって咆哮している子どもをみつけ、ひどく薄気味悪く思い、その日の仕事をはやばやと切り上げて、わざわざ父のところに知らせに来たという。
「先生んとこの一番下の子は、気が触れたんじゃねえずらか」
 このぐらいのことを言ったに相違ない。親切には違いないだろうが、要らぬ節介である。が、自分のしてきたことをそのまま父に伝えようとするのだが、ケンと歌っていたと言えるだけで、肝心のところは口が空回りしてしまうばかりだった。応援をたのもうとして振り返ると、ケンはあいかわらず顎を縁に乗せて成り行きを見ているだけである。父は例のように
「馬鹿!」
 と言い放った。
「馬鹿じゃない!」
 私は言い返した。
「では何だ。そうでなければおまえは何者だ」
 父はにやりとする。私は気ばかり昂ぶらせ、口をぱくぱくさせて力む。父は断定した。
「それみい、間違いない。分かったか」
 私は泣きながら雌山羊を小屋から引き出し、中庭に深く打ち込まれて黒光りしている杭につないで乳しぼりをした。桜色の乳首をかるくにぎり、人差し指から小指の方へ順に力を入れてゆくと、真っ白い液体がボウルの中にほとばしって涼しい香が立ちのぼる。青い草を食べていながら白い乳を出すとはどういう魔法を使うのか。当時の私の大きな謎のひとつだった。もっとも、今になっても分かってはいない。気が散っていたためか乳首に痛みを与えてしまったらしく、いきなり山羊が跳ねて、泥だらけの後ろ足の一方をボウルの中に踏み入れてしまった。せっかくの中身を捨てようとしたとき、また私に閃いたことがある。そのまま仕事をつづけ、一リットルほどの乳が採れると、ひそかにそれを三枚に重ねたガーゼで漉してから加熱した。そうして父にうやうやしく捧げた。
 こんなふうにして、人間、それも父にさえ分かってもらえない部分を、私はケンと分かちあうようになった。それからはほとんどいつも、子犬のケンと私とは一緒だった。学校で机に向かっているときも、私の心はケンと一緒に遊んでいた。それどころではない。例によってようやく草刈を終えた夕方、にわかに便意をもよおしたのでその辺にしゃがみ込み、立ってみると私の出したものは、つやのあるぴちぴちと跳ねそうな一センチほどの虫で白く覆われてしまっている。目を丸くしているとすぐ脇でケンもおなじことをしており、のぞいてみればまったく同じ山を作っていて、また別の長々しい虫がうごめいていた。仰天して報告におよぶと、父はまず私に指を向け、ついでケンのほうに動かした。
「蟯虫! 条虫! どいつもこいつも。何を食わしても太らんわけだ!」
 おおざっぱに、こぼれ落ちそうなほどの丸薬を手の平に載せられた。ほぼ一日ぐらい、あたりが黄色味をおびて映って気味がわるかった。ケンも多分、黄色の夢にたっぷりうなされたはずである。仲良く、腹いっぱいに虫をわかしていたのである。

 私が小学校の三年生、ケンは一歳と半ほどになった秋。一人のお百姓が小さな扇状地をたどっている小道を曲がりばな、「月の輪熊」と鉢合わせてしまった。秋もたけなわ、野生の栗が実るころ、クマは山奥から降りてくる。彼らは上手に毬をひろげるし、落ちている実を食べつくすと、木に登って実をゆすり落とすことをする。揺することが面倒なときには、信じられないような怪力で枝をたたき折る。山栗を奪い合うということでは、私たちはかたき同士のあいだがらだった。小粒な野生の栗は、五、六日を日に当てると渋皮がはげかかって甘味が増してくる。「栗御飯」は年に数回だけのたいへんな馳走だった。古い落ち葉にうずもれた溝や崖の下のテラス状の地形は、斜面を転がった栗を集めているだけに、子どもたちのうちでも最も重要な秘密とされていた。
 熊は鼻が利くし賢くもあるので、人間がやってくるなどということは数百メートルも先に知ってしまって、静かに身を引いてしまうものだそうである。このときの熊は、冬眠に備えてよほど食い意地が張っていたか、鼻風邪でもひいていたに違いない。いきなりのヒトとの出会いに彼も驚いてひょいと片腕を振ったのだが、それだけで農夫の身体は吹き飛び、顔の半分の肉が骨から離れて雑巾のように垂れ下がってしまった。農夫は気丈だった。自分でおおよそ顔を元に戻して片手でしっかりと押さえつけ、六キロもの道を小走りで私の父のところへ来た。
 なんとか肉片を縫い付けてから、しばらくじっとしていたのち、父は私を呼びつけた。仕事の出来栄えの後ろめたさが響いていたものと思われる。
「ケンを返してやる。あれはもともと熊狩りの犬だ。いいな!」
 私は黙って、たださめざめと泣くべきであった。
「ケンは臆病なところがあるから、熊なんか追いかけられないと思うよ」
「何を根拠に言うのか」
 すこし前、山道を歩いていたときのこと、突然ケンが痙攣を起こしたように立ち止まり、鼻をひくつかせていたかとおもうと、「ギャー!」と一声、一メートルも跳びあがった。「なにか臭うぞ」と緊張したその真下に、蛇の抜け殻があったのである。とっさにケンを捕まえ、胸の下に耳をあてがってみた。犬の心臓はただでさえ速く打っているものだが、どっど、どっどと、まるで機関銃のように昂ぶっていた。ようやくのことで、これだけを父に話すと
「とっさのことに驚くのは臆病なのではない。それで身を避けることができれば、それは敏捷というのだ。もういい。あれはやれる」
 と言い切った。
 乱暴にもその日のうちに、ケンはさらわれていった。片目だけを残して首から上を包帯で巻き上げられたミイラの怪人のような農夫。血の臭いにむせるようになってケンは怯え、尾を伏せたり、泡を噛んでつっかかったりしたけれども縄をかけられ、首が抜けそうになるほど踏んばった格好のまま、ずるずると引きずられて行った。遠く離れても、なんども悲鳴をあげた。「助けてえ!」と私に呼びかけていた。また血に染まりつつある包帯の色が只事ではないことを教えており、強いブレーキになって、私は何もしてやれなかった。父がしっかりと肩に手を置いていた。私は耐えられることを示さなければならなかった。

 それからも何度か、ケンに会う機会があった。どう嗅ぎつけるのか、ちょうど学校から帰る途中で、全速力で向かってくる薄茶色のかたまりに迎えられたものだった。身体じゅうに懐かしさをみなぎらせて、私のまわりを跳ね飛ぶ。泥だらけになってから二人でご飯を食べ、夜更かしをし、家に泊めてやった。いつの間にか姿を消し、またふいに現われる。そんなことが繰り返された。
 どんなにしても片面しか使えない鼻紙のような帳面。航空機の材料の放出品であるジュラルミンの下敷き。そんな帳面をかぎざきにしてしまう針金のような鉛筆。一回履いただけで破れてしまうゴム長靴。そのころは、そんなものすら順番を待たないと手に入れることができなかった。けれど私はあのころ、実はいちばん物を持っていたのである。
 八キロもの山道を越えてケンが帰ってくるのは、三日に一度が一週間に一度になり、やがて月に一、二回になった。
 次の春の終わりごろ。私が学校へ行こうとすると、思いがけず門の前にケンが座っていた。あらためて見直せば、もう立派な成犬である。頭の形が六角形にかたまり、目は奥まり、首太く、胸郭は逞しく張って、あんなに目立ったひょろ長い脚も、がっしりと大地を踏まえていて、全体と良く調和がとれている。私が知らぬ間になにものかに裂かれ、今はほとんど癒えているすざまじい傷痕が右肩から脇腹にむかって走っているという貫禄だった。尾の振り方も、尻までがよたよたと揺れる子犬のあれではなく、白っぽい房になっている部分をさわさわとゆするやり方に変わっていた。 小学校に通うには、木曾川にかけられた木橋を渡ってゆかなければならない。並んでその橋のたもとにかかったとき、私はむらむらとおかしな気分にとらわれた。
「来るな。帰れ!」
 ふいに立ち止まって私は叫んだ。ケンはすこし躊躇したようだったが、やがてその場にきちんと座り、だが、ゆったりと余裕をたたえて私の顔をみつめた。
「帰れ!」
 ふたたび鋭い声をはりあげた。ケンは動こうとしない。私のほうで素早く背をまわして歩き出した。橋を渡りきって道を左に折れ、ケンの視野から私が消えようとする瞬間、いま振り返れば、ケンは地を蹴って立ち上がり、全速力で駆けてくるだろうと確信した。だが私は前を向いたまま、その角を曲がり切った。
 いずれ遠くなく、ケンは私を忘れ去るだろうことははっきりしていた。おそろしい傷痕が証明しているように、本物の熊狩りの犬に成長した。一方のケンよりもはるかに早く大人になってしまった。ままごと遊びはこのあたりが限度である。見捨てられるよりは、形だけでもこちらから別れを告げたほうが、いくらかは惨めでないと私は思ったのだった。
 ケンは熊狩りに、私は学校に・・・それからは一度も会うことはなかった。

ロウボウ

投稿者: ロウボウ

長い間たずさわってきた少年矯正の仕事を退官し、また、かなりの時が経ちました。夕焼けを眺めるたびに、あと何度見られるだろうと思うこの頃。 身近な生き物たちとヒトへの想いと観察を綴りたいと思います。

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