戻ってきた失せ物 Ⅱ 剪定鋏

 少年のための矯正施設に居たころ。ある初冬、私は女子寮の中庭にある梅林の剪定作業を独りでしようとした。「桜切るバカ、梅切らぬバカ」と昔から言われているように、梅は素人にも扱いやすい木である。枝が密に伸びていてけっこうに硬いから、私物の大型の剪定鋏を使っていた。ずっしりと重いその剪定鋏は園芸用の刃物では名の通った泉州堺のメーカーで作られたもので、切れ味、握り具合、戻り、などのバランスの良いすぐれものだった。
 二日目の作業の最中、握りの間に梅の枝を引っ掛けたまま捻じってしまったとみえて、ふいにスプリングが外れ、弧を描いて、はるかな草むらの中に跳び込んで行ってしまった。梯子に乗って、腕を伸ばした高さからである。

 それを私は、それこそ草の根を分けて、執念で探し出した。元のようにセッティングして、その日の作業が終わる直前に、また跳ばしてしまった。抜けるのがクセになってしまったらしい。こんどは見つけることができなかった。

 メーカーに電話を入れてみた。技術者が出て、自分たちが作っている剪定鋏のうちで一番の大型の自信の品であるが、まれにスプリングが外れるトラブルがたしかにあり、「上下の刃の噛み合わせにゆるみが出ると不安定な歪みが生じて、外れるのかもしれません」と調整の仕方を教えてくれ、遅滞なく新品のスプリングが郵送されてきた。私なりに考えて、スプリングを固定している切り欠け部分に、金属の接着も可能で、乾いても軟性の残るクロロプレンゴム系の接着剤を垂らし込んだ。それから何十年というもの、一度として外れることはない。
 この道具を手にするたびに、今でも、はるか草むらの中に吸い込まれて行った小さな金属片を探し出すことができた瞬間を思い出す。

 同じメーカーが「ガーデニングに最適」としている小型軽量の剪定鋏も長く使っている。これはさらに優れもので、長いあいだに刃はすっかり黒ずみ、柄は傷だらけになってしまっているが、ときどき軽く研ぎさえすれば使い勝手は元のままである。いつも腰に付けていて、畑仕事の際にも何かと重宝している。 この夏、「里山を守る会」のボランティア活動で草刈り作業があった。エンジン式の刈り払い機は20台ほども揃えられている。2時間ほどで作業は終わり、フェイスガードや専用エプロンを外して引き上げに掛かった途中で、腰に吊るした革ケースから剪定鋏が無くなっているのに気が付いた。
 大勢が刈り払い機を回した範囲のどこかに落としてしまったことは確かである。その広さや、刈られた草や蔓がそこかしこに折り重なっている様子を思うと、まず見つけ出すのは絶望的だとせざるを得なかった。
 が、自分が動いた軌跡はほぼ憶えている。探してみるべきだと思った。刈り払い機をてんでに持って集合場所に向いつつある仲間に声を掛け、独りだけで引き返した。
 自分が動いた通りの巾をゆっくりと辿ってゆき、やがて一番奥にまで達したが、無駄であった。
と、やはり刈られた草の中にでも紛れ込んだものだろうと体を回して2歩3歩のところ、そこで八の字に開いた白いものが目に入った!。相棒は半ば草葉に埋もれながら私を待っていてくれたのである。
拾い上げて、柄の握り具合をあらためて楽しんだ。

 ものは探してみるものだなあ、とまた思った。

ロウボウ

投稿者: ロウボウ

長い間たずさわってきた少年矯正の仕事を退官し、また、かなりの時が経ちました。夕焼けを眺めるたびに、あと何度見られるだろうと思うこの頃。 身近な生き物たちとヒトへの想いと観察を綴りたいと思います。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です