戻ってきた失せ物 Ⅲ カバン

 私はカバンを何回か無くしたことがある。印象的なものでも2回。
 1回目は、新宿駅西口に「○○通り」といった横丁飲食街が全盛であったころ、つまり何十年も前のことだった。
 医局に入ってから3年目に、先輩から「司法精神鑑定」を手伝ってくれないかと頼まれ、そのための資料集めや下書きなどに集中したことがある。
 そうした書類を詰め込んだカバンを、深夜、新宿駅西口で夜食を掻きこんでいるときに、見事に「置き引き」されてしまった。届け出を受け付けた警官がカバンの内容を聞くと「これは面倒なことになるかもしれませんね」と言ったから、私の不安はいよいよ高まった。極め付きのプライバシーを手元から離してしまったのである。怖くて、2・3日は先輩と顔を合わすのを避け続けていた。

 4日目に「警視庁新宿警察署」から電話が入った。先方は私が本人であることを確かめ、「カバンが見つかりましたから受け取りに来てください」と続けた!!
 署での説明では、カバンは新宿かいわいのゴミの集積箱に投げ入れられており、ゴミの収集員が中身がいわくありげであるのを怪しんで、そのままで届け出てくれたのだという。こんなに安堵したことはなかった。
 「確かめるために尋ねるんですが、カバンには届け出たものと違ったものが入っていませんでしたか」と、メガネをかけた係官に問われた。「いえ、思い当たるものはありません。ボールペン2本ぐらいはあったかも知れません」と私は答えた。
 「これを忘れてはいけないじゃないですか!」と係官はくしゃくしゃした銀色のものを机の上に置いた。その頃に発売が始まった「ポッキー」というチョコレート菓子の食べ残しの袋だった。さいわい、何を言われているのかを汲み取ることができた。「お手数をおかけしました。以降、充分に気を付けます」と深く頭を下げた。無言のままで、カバンは私の手元に戻された。 私は警察というものに好意を抱いたとみえて、それからというもの、たとえばスピード違反であげられても、抗弁ひとつせずにつつしんで罰金を払うことにしている。

 二度目は、つい一年ほど前の「置き忘れ」である。その日、仕事の帰りに「100円均一ショップ」大型店に立ち寄って、週末のDIYのための材料を買った。アルミの巻き線、小型の蝶番、小分けにされたネジクギ、接着剤、などである。棚の上の方にあるものを手に取ってみようとして、カバンを片側の陳列台の上に置いた。集めたものに気を取られて、レジを通り、片手に下げた袋の重みをカバンのそれと感じ取ってしまったものだろう。カバンを置き忘れてきてしまった。
 電車に乗り込む寸簡に気付き、急いで店に戻って一巡りしたが、見当たらない。レジの1人に申し出ると、トランシーバーのようなもので店長と連絡を取ってくれたが、忘れ物の届け出は無いとのことだった。
 カバンには書類のほかに、アイパッドとスマートフォンが入っていて、それぞれにデータが溜められている。駅前の交番で「遺失物届書」を出した。 公衆電話を見付けて、妻に失敗を白状しようとすると、こちらが口を開く前に「○○というお店から電話があって、品物が見つかったって・・・どうしたの?」と言われた。
 店に戻ってカバンを受け取り、礼を云うと「はい、いいえ」といたって平静である。交番に立ち寄って、品が戻ったことを告げると「はい、はい」と私が届け出た用紙をめくり出し、なにやらチェックを入れ、そのまま対応中の女性と話を続けた。
 次の機会に同じ100均店に行ったとき、レジで先日の礼を云うと「は、はい、どうも」とレジからほとんど視線もそらさなかった。
 このようなことは、この国では日常茶飯のことであるらしいのである。ばたついているのは私だけのように思えて、ひとりで苦笑いをしていた。バツが悪いような、誇らしいような感じが入り混じっていた。

投稿者: ロウボウ

長い間たずさわってきた少年矯正の仕事を退官し、また、かなりの時が経ちました。夕焼けを眺めるたびに、あと何度見られるだろうと思うこの頃。 身近な生き物たちとヒトへの想いと観察を綴りたいと思います。

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