みんなの願い ピンピンコロリ
寿命が延びるにつれ、いかに生きるかも大切ですが、いかに死んでゆくかということが大きな課題となりつつあります。誰にも避けられない課題です。
ピンピン活動していてコロリと逝きたいというのが、みんなの願いでありましょう。
願うばかりで 終活は先送りされがち
高齢期も熟すると、いよいよ終活期に入ります。それぞれに人生をまとめて如何に死んでゆくかを具体的に考えなければならないはずですが、人情として、「どうにかなるだろう」と課題を先送りしがちです。
「それは間違っているよ」と私は自分に言い聞かせています。「怖れずにここを踏ん張らないと、最後に地獄で釜茹でされるような目にあうよ」と・・・。
覚悟 思いきり 謙虚
先ず必要なのは、「私は自宅で死ぬぞ」という覚悟だと思うのです。この国の人々の大部分は「自宅で死にたい」と望んでいながら、果たせず、病院で死んでいっています。
病院で死にたい人は、それはそれで一向にかまわないのですが、「住み慣れたところで死んでゆきたい」と望むのであれば、それなりの覚悟(延命治療は受けないという)と、それなりの準備、そしてそれを周囲の人たちに承知してもらっている必要があります。
「住み慣れたところで死ぬ」という覚悟のもと、在宅医療と在宅介護、それに家族の介護力を如何にバランスよく組み上げられるかがポイントとなります。「在宅療養支援診療所」あるいはそれに準ずるもの(かかりつけ医を中心にした地域支援専門職たち)を如何に有効に活用できるかということです。
日本の医療や介護に関するサービスは、けっこうな水準にあると思います。
が、それらを展開するお役所が申告制で、住民の申し出がないと動き出さないという性格を持っていますから、どのようなサービスが受けられるかを私たちは積極的に勉強する必要があります。在宅医療を巡る支援の仕組みはひどく複雑ですが、頑張って調べてみる価値はあります。
独りきりで高齢期を過ごしていても、公的な訪問診療や介護サービスを上手く組み合わせることで、いわゆる「孤独死」におちいらずに済むとされています。そうした成功事案からも、多くを学ぶことができます。
覚悟と思い切りの良さと謙虚さが必要となりましょう。意地を張らず、しかるべき時に他人からの支援を受けても良いのです。「介護してあげたい」と周囲の人たちに思われるほど、スッキリして可愛らしい老人になりたいものです。
事前指示書の書き方
例外なく、生命としての力が尽きるときがやってきます。
「終末期」に至ったときにどのように扱ってほしいかを、本人の意向が重く勘案される流れになりつつありますから、事前に要望しておくことが大切です。「要望」というより「指示」という強い意向を示しておいた方が良いと思います。
内容は誰にでも分かるように具体的に、そして自分の強い要望を周囲に良く伝えておく必要があります。
よほど徹底しておかないと、様態に急変が生じたときに、動転した家族などが救急車を呼び(無理もないことですが)、すると救急隊員も搬送先の病院も、職務としてできるだけの蘇生や延命措置を発動することになり(これも無理のないことです)、それからが本人にも家族にもおそろしい苦痛と負担になることがあります。
いちど延命装置などを付けてしまうと、それを中止したり外したりするのは難しくなります。本人の要望が「延命治療は望みません」というような1行であったりすると、家族や縁者側にも病院側にもさまざまに受け取られて、思わぬ紛糾の種になることがままあるのです。
事前指示書の例文
「日本尊厳死協会」と「愛知県がんセンター名誉総長大野竜三医師」が開示しているものを大いに参考にして、私なりに終末期の要望をまとめたものです。これからも手を加える必要が生じるだろうと思っています。
終末期の医療・ケアについての事前指示書
私は、私の傷病が不治であり、生命維持装置無しでは生存できない状態に至るのも間近くなった場合に備えて、私の家族、縁者、私の治療に携わっている方々に、次の事前指示を文書にして託します。
この指示は、私の精神が健全な状態にある時に書いたものです。ですから、私の精神が健全な状態にある時に、私自身が撤回する旨の文書を作成しないかぎり有効です。
上記の「生命維持装置無しでは生存できない状態に至るのも間近くなった場合」とは、意識を失うような状態におちいったり、あるいは、たとえ呼びかけには応じても、朦朧としている状態になったり、あるいは、意識はあっても自分の意思を伝えることができない状態となり、自分で身の回りのことができなくなり、自分で飲むことも食べることもできなくなったときのことを示しています。
①私が自分の力では(飲み込むことが難しくなって)水も飲めず、食べ物も食べられなくなったら、無理に飲ませたり、食べさせたり、点滴や栄養補給をしないでください。ましてや、鼻管を入れたり、胃瘻を作ったりは、絶対しないでください。
②私が自分の力で呼吸ができなくなっても、人工呼吸器をつけないでください。万一、人工呼吸器がつけられている場合でも、一旦、電源を切っていただき、私の自発呼吸が戻らなかったら、人工呼吸器を取り外してください。
③昇圧薬、輸血、人工透析、血漿交換、脳圧低下薬などの延命のための治療はしないでください。
④こうした時期、私の苦痛を和らげるために、あるいは私が苦しげに見えたなら、麻薬などの使用により、充分な緩和医療を行ってください。
私の命を長らえるために努力をしてくださっている、お医者さん、看護師さんや医療・介護スタッフの方達に心から感謝いたします。その方々が私の要望に沿ってくださった行為の一切の責任は私自身にあることを付記いたします。
年 月 日
住所
本人署名(自筆) ( 歳)〔印〕
家族署名(自筆) ( 歳)〔印〕
以上の意思表明に変わりはないことを認めます。
年 月 日 本人署名(自筆) ( 歳)〔印〕
年 月 日 本人署名(自筆) ( 歳)〔印〕
年 月 日 本人署名(自筆) ( 歳)〔印〕
・・・未だ生を知らず 焉んぞ死を知らん・・・。
カッコいい! けれど、知らなくても分からなくても、死は必ずやってきます。
それをできるだけスマートに迎えられるように、主体的に準備をしておくことで、いまわに「生を知り 死を知る」瞬間を持てるかもしれないと思うのです。
長い間たずさわってきた少年矯正の仕事を退官し、また、かなりの時が経ちました。夕焼けを眺めるたびに、あと何度見られるだろうと思うこの頃。
身近な生き物たちとヒトへの想いと観察を綴りたいと思います。