初夏。新聞の地方版に次のような記事が載せられたことがあります。終戦から10年も経っていないころの話で、私は小学六年生だでした。
ダムで雷魚みつかる
〔木曾福島〕〇〇電力株式会社黒川渡ダムは、このほど土砂の堆積を除くため に放水をおこなった。水位の下がった底近くで、木曾福島町上町、○○昇さん(十八歳)が十八日午後、一匹の奇怪な魚を発見し二時間後に網に入れた。日暮れまであちこち持ちまわられたが、ようやく雷魚と判明して一件は落着。雷魚は大正年間に台湾から移入されたという肉食性の淡水魚であるが、高い堰堤を乗り越えてダムに侵入し、このような高地で棲息していることが不思議がられている。
古いダム
「黒川渡ダム」という響きからは、「黒四ダム」とも「佐久間ダム」とも肩を並べられるような威風を感じます。規模は、はるかな後輩たちの数万分の一にすぎないけれど、技術の蓄積のために役立ったたくさんの古い人造湖のひとつには違いありません。それだけに場所を選り抜かれており、黒川渡ダムはあたかも、太古からそこにある沼のようなたたずまいを醸し上げていました。
雷魚! 肉食性だというから、コイやフナ、マスやヤマメやイワナなどを襲うのだろう。獲物が足らないときには、水没している家々の墓跡などを取り巻いてあばき、人骨をしゃぶるに違いない。そんなことをしながらも、たえず水面をうかがっており、ひょんなことで人間の子どもでもばちゃばちゃやっていないでもあるまいと、辛抱づよく待っている。
空にいる雷神とのつながりもあるであろう。電光がすさまじく飛び交い、雷鳴が谷のあいだを轟きわたるときには、いそいそと水面まで浮上してくる。ずるずるした皮膚を霊気にわななかせながら、恍惚と腹を裏返して漂うさまが目に浮かぶようでした。
怪魚の大きさ
この魚を捕らえた○○昇さんは、それから数年後、ごく初期のヒマラヤ登山隊員に選ばれた若者で、私たちのすぐ隣に住んでいました。
新聞記事を読むや、私は隣に駆け込んでいって、「雷魚ってどんなの?」とたずねました。「おう」と請け合い、昇さんはわら半紙を持ってきて板の間に置き、すこしずつ鉛筆を動かし始めます。どんなことにもあわてず、手を抜かないのが昇さんのやり方でした。
ようやく手渡してくれたものを一目見て、やはりそうだったのかと私は胸をわななかせました。ワニとウツボとシーラカンスの合いの子のような、ものすごい生き物が描かれていたからです。
「大きさは?」。
昇さんは両手を向かい合わせ、四十センチ、六十センチとしだいに大きく間を取り
「まず、こんなところかな」
両腕をゆるやかに伸ばしきったところでようやく止めたものだから、私はよろめき、奪い取った半紙をしっかりと掴んだまま、息せき切って我が家にとってかえし、四番目の兄の目の前につきつけ
「雷魚って、こんなにでっかいんだってよ!」
言いながら両手をひろげ、そのまま三歩ばかり横ばいにずって見せました。雷魚の体長はそのころの私の丈のおよそ三倍だというわけです。怪物はこのとき、また一メートルばかり大きくされているのに自分では気が付きません。
むっつりとスケッチの品定めをしていたこの兄は、やがて何気ない口調をつくろってこう言いました。
「ふん。こんなもなあ、そのへんにごろごろしてるんだ。水溜りがありゃあ、かならず主というものが住んでるんだからな」
四番目の兄は、隣の昇さんと同年生でした。大発見をものされたことでやっかんでいただろうし、ほんの少し前、相手の耳の脇をかすめるように、いきなり空気銃弾を通過させて大気が切られる音を聞かせてやろうという悪戯をしかけて失敗していました。悪戯のチャンスをうかがっているうちに、なんと自分の足の甲に鉛の玉を深々と打ち込んでしまったのです。父に叱り飛ばされたうえに、弾をほじくり出す手術のため一生残るであろう大きな傷痕を作ってしまいました。
そんなこともあってか、ちかじかと顔を寄せてきて、つぎのような話をしてくれた。
ダイズやアズキを生のまま食べてみせるというような変わった芸当をすることがありましたが、この兄は同胞のうちでは癖がすくなく、いつもは口数の少ないほうでした。
・・・水が淀んだところには、かならず主というものが住んでいる。どんな細い澤の、どんな小さな淵にもだ。冬、駒ヶ岳で一人の男が滑落した。雪解けのあと、ようやく身体は出てきた。どうしたわけか片方の足首から先が無くなってしまっている。春、山深い小さな淀みで並はずれて大きなイワナを釣り上げた人がいた。カワネズミやヘビをまるごと飲み込んでいたイワナの話ぐらいは聞いたことがあるだろう。化け猫のような顔をした怪物の胃袋の中からなにが出てきたと思う・・・。人間様の足の骨がばらばらになって一揃いだ。
御嶽山の頂上付近には大小の火口がスリバチを作っていて、いまでも毒気を噴き上げている。あの山は生きているのだ。
スリバチのいくつかは水を溜めている。どこからも流れ込まず、どこへも流れ出しはしない。三千メートルの高さに淀んだ千古の水だ。頂上の北側に「一の池」がある。そこから「賽の河原」と呼ばれるガレキ帯を越えて、「二の池」「三の池」と順に大きいのが並んでいる。火口湖であるから地の底まで続いているであろう淀みのなかに、それぞれ主が住んでいるのだ。白装束に身をかためた行者たちは、彼らに生贄を投げ込んでやる。そして六根清浄をたからかに唱える。
一人の学者が火口湖の深さを測ってみようということを思いたった。祟りがあると騒ぐ行者たちを押しきりつつ、一人で何本もの丸太を四合目ほどから担ぎ上げたという。さて、あやうげな筏で「三の池」のまんなかに漕ぎ出で、錘のついた麻紐を水の中に垂らしてやった。なんど繰り返してやっても、これが底に着かない。こつんとあたりを感ずるので底に達したのかと思う。いざ、引き上げにかかると、なんの手ごたえもなく紐だけがたぐられてくる。末端はどれも、何者かによってスパリと切られていた。
すり鉢の底の風の中で、ふいに先生は背骨がうずくような恐怖にとらわれた。脂汗を流しながら、必死の形相で岸に漕ぎかえったという。それから御嶽は三日三晩荒れ狂った。深い地鳴りとともに、池の底がかすかに明るみ、泡が立ち上るのを見たという人がいる。
分かったか。ダムの底に雷魚の一匹や二匹がうろついていたといって、何にも驚くことはないし、それを見つけたからといって威張ることもない。だが、たかが雷魚といって油断してはなるまい。あのダムでも行方不明になった人が無いではない。お前もせいぜい気をつけて、水溜りにはめったに近づかぬことだ。・・・
四番目の兄は竜神やらの話を続けていたようでしたが、途中から私の思いはダムを離れ、谷の空を抜けて、はるかに飛んでしまっています。小学校六年生で私はまだ「海」というものを見たことがありませんでした! それどころか、御嶽や駒ケ岳の向こうにどういう世界がつづいているのか、ほとんど知りませんでした。
「海の主はどんなの?」
いきなりたずねると兄はぐっとつまり、しばらくしてから
「それは自分で考えろ」と言いました。
雷魚図
「百科事典」などにはおおよそ次のような説明がしてあります。こちらのほうを基準にしなければならないと強いられる状況。これらがそれからの私の周りをずっと包み続けてきました。幾重もの縄をまわして、いまも私を縛り上げております。これらを振り切ることができるかどうか。ふたたび少年のように、夢を見ることができるようになれるのでしょうか。
らいぎょ〔雷魚〕
カムルチーとタイワンドジョーを混称して一般に雷魚という。トウギョ科の魚である。台湾、華南、海南島、ベトナム、朝鮮などに分布している。鰓腔に迷器と称する補助呼吸器官を有し、空気呼吸を行うことができ、水量の少ないところにも住む。美味であるが、自身非常な食いしんぼうで魚や蛙などを食べ、他の有用魚を絶滅させることがあるうえに、いちど本種が繁殖するとこれを駆除することは困難であるので、本種を日本で増殖させることには反対する学者が少なくない。体長は成魚で四十から七十センチほどである。
長い間たずさわってきた少年矯正の仕事を退官し、また、かなりの時が経ちました。夕焼けを眺めるたびに、あと何度見られるだろうと思うこの頃。
身近な生き物たちとヒトへの想いと観察を綴りたいと思います。