狂気の核

 死を意識したときに生命は輝く。圧倒的な力やそれがもたらした結果を目の当たりにしたとき、ヒトの心はおののくと同時に、恍惚となる傾向があるらしい。そう捉えないと、核開発に執着するヒトの心の構造が分からなくなる。

史上最大のばけもの

核爆弾」の史上最大のものは、1961年に旧ソビエト連邦によって爆発させられた「ツアーリ・ボンバ」とあだ名された水素爆弾で、広島型原子爆弾の3300倍の威力があったという。爆発の空気衝撃波は地球を3周した。放射線による致死域が半径6.6km、爆風による人員殺傷力が半径23km、熱線による致死火傷力が半径58㎞に及んだという代物で、これが東京都心で爆発したとすると、東は千葉県の九十九里浜、南は三浦半島の突端、西は奥多摩、北は茨城県つくば市ほどで囲まれる首都圏が、かつての広島と同じような姿となり、6発ほどでこの国の大多数の人命はもとより、産業も文化も根こそぎに失われてしまうであろう。広島型原爆の19800発である。この上に、いわゆる[死の灰」による被害が加わる。狂気としか言いようがない。

 ツアーリ・ボンバという化け物は重量が27tもある巨体で、当時のソビエト連邦の最大の爆撃機に特別の手直しをしてようやく搭載できた。1954年にアメリカ合衆国が「ビキニ環礁」で爆発させた水爆「ブラボー」も、破壊力については想定以上であったとされるが、ツアーリ・ボンバと同じように、運用については鈍重で、いわば使えない「核」であった。

核を使いやすくする工夫

「核」の軽量化が争われることになる。現在、最新とされているものは、アメリカ合衆国についていえば「B83型核爆弾」で、威力を広島型の4倍から60倍程度と変えることができ、1tという小型軽量で戦闘機にも搭載できることから、他の「航空機搭載核兵器」を加えて現在500発程度が配備されているとされる。狂気であることには違いはないのであるが、フットワークが軽るげに見えることから錯覚を起こしやすく、かえって危険が増しているともいえよう。
 地下に作られた「サイロ」から発射される「大陸間弾道ミサイル」は、命令を受けてから2分で発射が可能のうえ数千キロ離れた標的への誤差100〜200mという精度に達しているが、飛翔時間が30分ほどを要することから捕捉迎撃される可能性があり、基地が固定しているので狙われやすいという理由などから近年は削減される方向にあるものの、重い単弾頭ミサイルを据えられたサイロは全米におよそ500箇所作られている。一方で、その隠密性から「潜水艦発射ミサイル」が重視されつつあり、すべて多弾頭で、標的近くの海面下から発射されるために5分ほどで到達するのを有利として、これもアメリカについていえば、16隻の原子力潜水艦に弾頭数として1000発近くが配備されているという。

アメリカ合衆国大統領にのしかかる重圧

 思えば、第二次世界大戦後、自らの体質がそのように計らったとはいえ、アメリカ大統領は、世界の命運を握っているというすざまじい重圧に耐え続けなければならなかった。その重圧は、自分だけが最終的に判断して決断するというボタン一つに凝縮されていた。あまりの権限と責任である。
大統領たちが、それぞれに「核軍縮」のコースを模索しようとしていたのは、自らの緊張を軽減する意味でも、自然なこととして理解できるような気がする。

 現職の米大統領トランプ氏は、かつて爆発の衝撃波が世界を3周したという「巨大水爆」を凌駕するような衝撃を、わずか「140語のツイート」で続けざまに世界に発信できることを発見(発明?)してしまった。もちろん頭抜けた「」の後ろ盾があってこその効果であるから、現職大統領はこれまでのながれとは真逆に、核武装を強化することを目指すとしている。

人々は、どこまで狂気につきあえるか

 人々は学びつつある。「言葉のテロ」「140語爆弾」とでもいうべきものが発せられるごとに、これまで営々と積み上げてきたアメリカの信用や人的資産やリーダーシップが、欠け落ちる氷山のように大きく失われてゆく。
「自己愛性人格障害」というのは「自分は特別な存在であり、周囲は自分を崇拝し、自分に尽くすためにある」という一方的で強固な構えであるが、これが大国一国の規模まで拡大すると、「アメリカは特別な存在であるから、世界はアメリカを崇拝し、尽くすためにある」ということになる。これが「環境問題」や「人種差別」「」にまで絡んでくるとなると、世界全体があやしくなる。
幸い、こうした状況を人類の圧倒的多数が反面教師として捉え、国連が動き出し、自分たちの判断の在り様を検討し直しているように見えるのだが・・・。希望は十分にあるのだ、と筆者は思いたいのだが・・・。

投稿者: ロウボウ

長い間たずさわってきた少年矯正の仕事を退官し、また、かなりの時が経ちました。夕焼けを眺めるたびに、あと何度見られるだろうと思うこの頃。 身近な生き物たちとヒトへの想いと観察を綴りたいと思います。

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