神戸連続児童殺傷事件 Ⅴ 「性的サディズム障害」

1 サディズム・マゾヒズム

 ・生命体と性
 性は、攻撃と支配ということに密接に関係している。
この惑星の生命体は、その誕生以来長い間(およそ38億年前に生命が誕生してから現在までの距離を仮に100㎝とすると、はじめの50㎝ほどの間)は無性生殖であり、自分の遺伝子をそのまま子孫に伝えること、つまりクローンを作るというのが繁殖の仕方だった。それでも遺伝子の突然変異というものはほぼ一定の確率で起こり、ゆっくりとではあったが進化は積み上げられた。
 やがて生命たちの多くは、有性生殖というやり方を選択することになる。父と母それぞれが自分の遺伝子を二つに分裂させ、その片方ずつを再び一つに接合して子供に伝えるというやり方である。そうした操作はかなり微妙であるので遺伝子に変化を与える率は大きくなり、それだけに子孫に形態のレベルの変容をもたらしやすく、環境の変化に耐えて生き延びられる子孫を準備する多様性の確率が高くなった。その上に自然淘汰が働くことで、進化は格段に加速された。有性生殖というシステムのもとで自分の種を繁栄させるためには、良い伴侶と結ばれることが決定的に大切なこととなってゆく。
 野生動物などの生態を追ったドキュメンタリー画像によく見るように、彼らは縄張り、水、食料などのために攻撃しあうが、ことにそれぞれの繁殖期には、つがいの機会を多く獲得するために激しく闘争し、序列を決める。
およそ生物たちが種を残そうとする生態には、どうしてこうもと考えさせられるほど、それぞれに熾烈なものがある。良く知られた例であるが、ベニザケは物も食べずに川の上流まで遡上し、ペアが気合を合わせて卵を産み残した後は、ともに全身ボロボロになって流れのままに漂うだけとなる。生命の絶頂期からの、いきなりの死である。カマキリの多くの種では、オスは上半身をメスに喰いちぎられても交尾が可能であり、それどころか、頭部を嚙み切られるという刺激があってこそ、精子嚢をメスの体内に送り込むことが出来るという段取りを備えている種類もある。似たように過激な生態は生物界では珍しいことではなく、生と性暴力と支配の関係の原型を示唆しているようである。

 ベニザケの営みには、激しくはあるがペア同士がいたわり合うという雰囲気が漂う。あとのカマキリの方からはただ峻烈が感じられる。生き物の種の一つである現世人類も、複雑に変遷しながらも、このような二方向の要素を生命体の本質として受け継いでいるのは当然というか、自然であるのかもしれない。
 サディズム・マゾヒズムについては分からないことが多い。
 死を意識した時に生が輝く、というのは筆者にも分かる。治療不能の癌を宣告されて余命を教えられたとき、生還が望めない任務の遂行を命じられたとき、極端には特攻隊として出撃を命じられたとき、大洋に沈みつつある船中に残されたとき・・・。普段の幾倍かの強烈さで万物が迫り、一刻一刻が太鼓を打つように過ぎ、思考は信じられないような速さで巡り、生命は白熱して輝く。戦争というものが無くならないのは、こうしたヒトの心性によるのではないかと疑われるほどである。勇気ある人々が残してくれた、心をえぐるような記録を私たちは追体験できる。
 生と死は、とも深く関係していることは確かである。宮崎駿監督が「風立ちぬ」という動画を製作するにあたってエッセイを書いていた。「戦闘機という人を殺す道具に、どうしてあれほどの美しさを感じるか、自分自身で解決のついていない矛盾である」という主旨だった。「風立ちぬ」を筆者も観た。生と死と美とを作品の中で融合しようとする試みは、おそらく宮崎氏にとっても、完成したものではなかったであろう。零式戦闘機が飛行する姿は、画像としては感動的に美しかったが、主人公たちの純愛とはやはり乖離していると思った。
 生と性。これらが強く関連しあっていることは分かる。これがどう絡み合うとサディズム・マゾヒズムになるのかが、もう一つ分からない。

 ・情動のコントロール
 大脳の左右の「脳室」を包むような形をしている「大脳辺縁系」は、大脳の進化からいえば系統発生的に古いもので、まさに「逞しく生きてゆく」ための基本的な情動や本能、つまり食欲、睡眠欲、性欲動、喜怒哀楽、快不快などが保持される部位である。
 情動や本能をあからさまにぶつけ合っていたのでは、複雑に組み上げている社会生活というものは成り立たない。ヒトでは、大脳辺縁系を覆うように大きく発達した「大脳前頭葉」が、辺縁系から入力してくる情動の情報を、現実の状況に適合させて「上手く生きてゆく」ように調整している。そのための脳内の神経回路や神経伝達物質などの仕組みが近年明らかにされつつあり、情動に関する情報の処理や判断の結果は主として、辺縁系のうちでも自律神経機能とホルモン分泌の中枢である「視床下部」にフィードバックされ、血圧、心拍、空腹、性的興奮、睡眠・覚醒のサイクル、あるいは各種のホルモン分泌といったことに、ほどよく反映されることになる。進化の頂点として現世人類が到達したシステムではあるが、これに社会文化的な要因も絡んで、なかなかに複雑なことになっている。

 「性的サディズム(相手に肉体的あるいは精神的な苦痛を与えることによって性的な快感を覚える)」は、精神分析学の性理論においては、性倒錯というより性衝動の根本的な性質とみなされる。ジグモンド・フロイドは「肛門サディズム」という概念を提唱し、これを正常な発達段階とした。そうした議論の発展からサディズムといっても広範囲であり、そのときどきで何を指しているかが異なることがある。性対象に対して能動的言動を示すことをすでにサディズムと言うことすらあり、次いで性対象を屈服させ支配することを、さらには対象に具体的な苦痛を与えて性的満足を得る段階のことを言うというふうに範囲は広く、そのような傾向の極端なものだけを「性倒錯」と呼ぶのが普通である。
性は攻撃と支配を伴うことから能動態と受動態を持つことが多く、そのぶつかり合いの中に快感が設定されているものである。サディズムとマゾヒズムとは切り離して考えるべきではないであろう。

 ヒトにおいて、枠の効いたサド・マゾヒスティックな行為は互いに合意したパートナーとの間ではしばしばなされる。こうした関係では拘束したり叩いたりすることは演技にすぎず、互いにそれがゲームであることを知っており、より強い征服感と被征服感を空想するために、手の込んだ仕掛けをしあうことがあるが、実際に侮辱や障害を与えることを慎重に避けている。近年、一定のコントロールが効いているこのような性のありようは、多くの国で異常つまり性倒錯とは見なされないという傾向にある。
 これらの行為が程度を超えたときに「サド・マゾヒズム障害」と呼ばれるべきで、合意のない相手が犠牲となり、極限までなされて死に至らされることすらがある。合意の有無ということが判断の要点となりそうである。

 どうして節度を超えることになってしまうのであろう。性的に偏った空想はすでにヒトの小児期から存在する傾向があることからも、少なくとも一部の根底には「視床下部を含む大脳辺縁系」と「前頭葉」とを中心とした情動調整のシステムに偏りがあるということを前提にしても良いであろう。
 小児期からの芽生えということに加えて、サド・マゾヒスティックな性行為の際に危険な舞台設定としてしばしば、首を絞めたり、胸を圧迫したり、特殊な注射なりで、「酸素の欠乏状態」が選ばれることが珍しくない。そんなことからも筆者はシンプルに、たとえば脳の一部の血流の不安定さを、情動調整が滑らかにゆかない素質として空想することがある。自動車に例えれば、アイドリングの設定が低すぎてエンジンがしばしば止まりかかるために、ガソリンを求めて刺激を渇望するのか、反対にアイドリングの設定を高くしすぎたために、多めに供給されるガソリンが情動なりを妙な形に燃やしてしまうのか・・・。いずれ学術的な解明がなされることを待ちたい。

2 少年のサディズム・マゾヒズム障害

 ・気付き
 思えば小学5年の春まで、少年はそれなりに幸福であったと言えるかもしれない。過敏でこだわるところが強かったとはいえ、人並みから大きく外れて表出されてはおらず、小学4年時の学校でなされた評価に「・・・明るくユーモアもあって友達も多くひょうきん。・・・根はたいへん優しいが、超照れ屋。怒られることに過敏で、心を出せない子。・・・家庭は気取らず下町的な感じで、友人もよく遊びに行っていた。・・・授業中積極的に発表を行い、休み時間は元気よく遊んでいる・・・」とある。過敏な一方で反応の速い、こいたずらの多い学童であったらしい。

 運命の暗転は、小5の春に祖母を失った直後に突発した。祖母の遺した電気按摩器を手に取っていて、偶然のように初めての自慰を経験したところ、陰茎の勃起そのものは快感であったが、「精通」の瞬間に、按摩器を放り出して気絶してしまうほどの激痛に襲われたと告白している。それからも射精のたびに「・・・尿道に針金を突っ込まれるような・・・」「・・・釣り針を引っこ抜かれるような・・・」激痛があり、額に汗を浮かべて耐えるのだと。
 射精時の痛みは、尿道や前立腺あるいは精嚢に炎症があったり、陰茎に外傷などによる神経障害があれば生じても無理のないものであるが、少年の場合に性感染症の存在などは考えにくい。
 射精というものがなされる機序は、けっこう複雑である。視床下部にある性中枢の興奮とペニスからの刺激が合わさって仙髄にある勃起中枢に伝達され、さらに腰髄にある射精中枢に伝えられて一定量の刺激が蓄積されると、ここから射精指令が発せられる。前立腺、精嚢、副睾丸、精管などのまわりの平滑筋、尿道括約筋、球海綿体筋などがいっせいに収縮し、精液が前立腺から尿道口へと急激に押し出されることでなされる。
 中枢神経、自律神経、血管、ホルモン、筋肉などの協調のどれが不調であっても、射精の不調は起こり得る。少年の場合、快感と激痛という正反対の感覚に同時に襲われながら、そうした体験の総体を強い快楽として捉えるまでになっていっている。「・・・だがその快楽のドラッグはあまりに中毒性が強く、もうそれなしでは生きていけなくなるほど 僕の心と体を蝕んだ・・・」。
 そのころからナメクジやカエルの解剖が始まり、やがて多数のネコ殺しに発展した。猫を虐殺する際に、性器への直接の刺激がなくても、生き物を殺すという行為だけで、強い性的な快感と激痛を伴う射精がもたらされたことから、ようやく少年は自身の恐ろしい命運に気付くことになる。
 性衝動と虐殺疼痛と快感、それらを求める欲動。これらの循環が自分の内にがっしりと組み上げられつつあり、しかもそうしたことは普通ではないことを友達に探りを入れてみて自覚した。自分は何者になりつつあるのだろう。誰にも抱えてもらえずに、これからはずっと独りで穴倉の中を彷徨し続けなければならないだろうという予感がする。親には・・・なおさら打ち明けられないことである。心身不安定な思春期の盛りを迎え、いっそう歪みが増大してゆく力に飲み込まれて行くことになった。

3 穴蔵からのSOS

 ・号泣
 小5年の春に自分の性の異常に気付き始めたころから、少年の人付き合いのありようが潮目のように変わってきている。すでに小6年時、学校では「・・・殻を持った寂しい子のようであるけれど、心の中に近づけない・・・」と評されたが、1回だけ先生の前で「・・・なにをするかわからん。このままでは人を殺してしまいそうや。お母ちゃんに泣かれるのが一番つらい・・・」と泣きじゃくったことがある。母親は知らなかった。

 ・友達と守護神
 同じころ空想の中で「エグリチャン」と「バモイドオキ神」というのを作り上げた。エグリチャンは体の小さな醜い女の子で、気軽に会話をし合える相手。バモイドオキ神というのは、黒い太陽と白い月を左右に踏みしだきながら汗をかいている地蔵さんを思わせるような像で、自分だけの守護神とした。さらに、ネコ殺しをする自分の部分を「酒鬼薔薇聖斗」と名付けて切り離したら、気持ちが楽になったと後に述べている。母親は、精神鑑定後にこれらを説明されて初めて知ることになった。

 ・造形
 小6年時の学校の図工の時間に「未来の家」という課題に「死刑台に上がる13段階」と名付けた奇怪な工作を作ったことがある。続いて、赤く塗った粘土を脳味噌に見立てカミソリの刃をいくつも突き立てた不気味な作品を作り、気にした担任の先生が少年の家を訪れて母親と話をしている。母親は、少し前に脳の機能について解説したテレビ番組を見たことがあるからと説明して、そのままにやり過ごした。

 ・小石とオノ
 少年が塀を伝う猫を狙って投げつけたたくさんの石が、隣家の樋に詰まってしまったことがある。近所の人たちは少年の家から石が飛ぶのを見ており、どういうことであるかを気付いていた。当の母親だけがつゆしらずに、わざわざ隣の主婦を自宅の2階に案内して「お宅の樋に石が溜まっていますよ」と注意を促したという。親切心からであった。
 中学1年から2年にかけて、自宅の土台の通気口から手斧が出てきたことがある。母が少年を正すと、友達から借りたものだという。その友達の家に母が問い合わせると、知りませんとのこと。それ以上詮索せずに、母は斧を自治会に寄付してしまった。同じころ、やはり土台の通気口から腐乱した猫の死骸が出てきて家中であれこれと話題になったが、斧と猫を関連させて考えたものは誰もいなかった。
 ホラービデオ、猟奇事件のファイル、サバイバルナイフ、大工職が使うような工具類、たばこ・・・多くは万引きしたもので、警察なりに呼び出されることがあったから母親も一部を知っていたが、事件後の家宅捜査で初めて気付かされたものも少なくなかった。

 ・もう一度、友達に相談
 自慰をするときには地獄のような空想をするようになった。人間の腹を裂き、内臓に噛みつき、それをむさぼり喰うというシーンであった。「みんなもそうなのだろう」と思って友達に話すと、「それはおかしい」と言われた。とどめを刺された感じである。

 先生の前で泣きじゃくったり、奇怪な造形を作って見せたり・・・とりわけ初期のエピソードは明らかに少年のSOSの観測気球であったといえよう。このあたりで周囲がサインを敏感にとらえ、腰を据えて臨んでいたなら、あるいは少年は自分の異常さ(ついには内なる魔物と表現するようになる)を告白できていたかもしれない。
 が、少年自身の勇気というものが何といっても台風の目のようなもので、まず自分が勇気をふりしぼらなければならかったものだろうが、みんながこの分岐点をやり過ごしてしまった。おりから中学に進学して二階に個室を与えられたこともあって、少年は自分だけのありようを探るような傾向を強め、先の行為障害の項で挙げたような問題行動を発展させるようになった。同級生などとの交流では普通をとりつくろおうとするが、「あいつとは付き合わない方がいい」という雰囲気が生まれ、次第に浮き上がってゆく。家庭でさえ、自分の部屋の中だけが気を抜ける棲家となった。
 小学校6年から事件までの間に、万引き、いやがらせ、暴力などのために、母親は10回以上も学校に呼び出され、うち何回かは相手の家にお詫びに行ったこともある。女子同級生への嫌がらせがあまりに執拗であるのが気になったことがさすがにあり、中学1年時に小児神経科を受信させている。知能検査や画像診断には異常はないとされたが、全体の所見として「注意散漫・多動症(ADHD)」の傾向があると告げられたという。
 この1回を除けば、母親は常に、メンドリが両の翔を広げてヒナを守るように、一本調子で逞しく対応し続けた・・・。白黒をはっきりさせる。言うべきことは言う。少年が目の前に広げて見せるものを憶測もせず、それがSOSのサインであるとは想像もせず、まして、我が子が「魔物と血みどろの闘いを独りで闘っている」などとは夢にも思いはしなかった。手垢に汚れていない愛である。あまりに疑うことを知らなさ過ぎた。
 小さな心はついに限界に達し、導火線につながれたダイナマイトを次々に暴発させるように、少年は酸鼻な殺傷事件を連続させてしまった。が、その犯人として特定されない間のこと、「いったい誰があんなことを!」と母親が事件の残虐さに憤慨しているのを見て、少年は次のような印象を鑑定医に話している。

・・・家で母親はぜんぜん気が付いていないので、一人で大笑いしていました。まるで気が付いていないのが可笑しくてというか、可笑しいのか嬉しいのか、どちらなのか分からないですけれども、笑えました・・・

 事件も極限的であるが、それよりもずっと先に発生していた母と子のミスマッチングがついに行き着いたところも極限的である。母親は手記「この子を生んで」の終章で、精神鑑定書を読んで説明を受けてもピンとこないとし、次のような一行を入れている。「あの子は一体、何者なのでしょうか?」。想像力に乏しいところのある、おおぶりな神経の母親の姿がここにある。生来、この母と過敏で直観的な子。こうした出会いが次の「愛着の問題」をもたらす下地に在った。

4 性的サディズム障害の項のまとめ

 生命体の多くが有性生殖を始めるようになってから、それぞれの種がより良い子孫を残すためにはつがいの相手を選ぶことが大切なこととなり、能動と受動攻撃と支配という要素が生命活動に大きくかかわることになった。フロイトの精神分析学は生物学的な視点に立つ一面があり、サド・マゾヒズムを性倒錯というより性衝動の根本的な性質であるとしている。当該少年の場合はしかし、「ほどのよさ」を大きく逸脱してしまっている。その原因はなお明確にはなってはいないが、近年、大脳辺縁系と前頭葉との間の「情動調整システム」ともいうべき複数の神経回路のメカニズムの生理と異常などが研究されつつある。いずれにしても少年は小学5年の春に自分の「」の異常さに気付き、それからは孤独で苦しみ続けることになった。この苦しみから救われたくて、少年は幾度もSOSを発信しているが、母親にさえも気付いてもらえずに、その焦りと怒り、おそらくは恐怖から問題行動を発展させる一方となった。その行き着いたところが「行為障害」という状態であり、ついには本件の惨劇として破綻した。

ロウボウ

投稿者: ロウボウ

長い間たずさわってきた少年矯正の仕事を退官し、また、かなりの時が経ちました。夕焼けを眺めるたびに、あと何度見られるだろうと思うこの頃。 身近な生き物たちとヒトへの想いと観察を綴りたいと思います。

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