神戸連続児童殺傷事件 Ⅵ 「愛着の問題」

1 愛着障害について

 ・母と子の無数のとりあわせ
 「愛着」とは、生まれてからのちに獲得される、親と子の間の基本的な絆の持ち方をいい、「安定型」と「不安定型」に大きく分けられるが、驚くべきことにそのタイプは生後1年6ヶ月ほどの間に決定され、対人関係一般のありように影響し、しかも生涯の長くにわたって持続するという。「第二の遺伝子」とすら呼ばれることがある。
 人類史上、それこそ数えきれない子供たちが親(多くは母親であろうが、必ずしも遺伝上の親ではない)に育てられてきた。親と子は、互いにさまざまな素質を持ち、さまざまな状況の下にあったであろう。どのような赤子がどのような親と組み合わされることになったかは、まさに運命的であり、それぞれが一期一会であった。
 もとより完全な子育てというものはあり得ないとはいうものの、なんと数多くの人がまともに育ってきたものだろう。生物的には母親は、他の哺乳動物と同じように、分娩時に愛情ホルモンとも呼ばれることのある「オキシトシン」というホルモンが脳下垂体から分泌され、いわゆる母性が刺激されて「我が子がいとしい」という気持ちがにわかに高まる仕組みになっているからかも知れない。

 愛着は、母と子の相互の働きで形成されてゆくものである。
 まずはゆったりと抱かれて、「乳」をたっぷりと受け取ることであろう。乳を飲み終わった赤子が、乳首を含んだまま母親の胸でうっとりしていることがある。母子一体の安心感を味わっているのに違いない。母親との信頼関係の芽生えであり、これが後に人というもの全体への「基本的信頼感」というものに繋がってゆく。
 何らかの行き違いがあって満足感の得られない状態が続けば、たとえば母親の判断が雑で、まだ乳を欲しがっているところを切り上げてしまうことを繰り返したり、テレビやメールに夢中になっていて赤子からのサインを見落としてしまったり、まして消化もできないものを口に押し入れられたりしていると、赤子は戸惑い、疑うようになる。命にもかかわることである。「自分は可愛がられる価値がないのだ」と自信を無くして無気力にさえなる。
母親の感性に不足することもあれば、赤ん坊の発信の仕方に問題がある場合もある。母子の一体感のずれは、一度ずれ始めると次第に拡大してゆく傾向がある。
 離乳、やがてトイレット・トレーニング。微妙な時期が続いてゆく。離乳は生後5〜6ヶ月ころ、首が座り、体重も増し、母乳やミルクを与えてもなお満足せず、食べ物に興味を示すようになった頃から徐々に始められ、12〜15ヶ月の間に完了するのが普通とされる。生後5ヶ月以前に離乳を試みるのは内臓に負担がかかる。あまりに早く、ソバ、魚介、全卵、ナッツなどを与えるとしばしばアレルギー反応を誘発し、自家中毒などを生じてしまう。
 口に入れるということはもとより命の源であるが、出すということも重要である。2歳ほどに近づくと肛門括約筋が発達し、排便を自分でコントロールできることに快感を覚えるようになる。親はそれを手助けしてやるわけであるが、トイレット・トレーニングを開始するには、少なくとも首が座っていること、「チッチ」「ウンチ」がどういうものであるかを分かっていること、言葉や動作で自分の意志を伝えられるようになっていること、などの段階に達している必要があるとするのが常識となっている。
 排尿や排便を自分でコントロールできるという体験が、誇りや自尊心、なによりも安定した自立ということに関係する。この時期にしばしば、子供のペースを無視した親の介入が生じがちである。「さあ、ウンチの時間だよ」「お出かけするから、今のうちに出しておきなさい」など、親の都合を頻回に押し付けることは「支配」につながる。

 難しく考えすぎると身動きが取れなくなってしまう。完全な母も赤子もあり得ないのであって、二者の間での取り違えや失敗は日常的に発生する。それも必要なのであり、「お母さんも自分とは違うのだ」というフィーリングが、赤子の自立の基本をかたちづくってゆく。大切なのは「ほどの良さ」なのである。
 支配に対する反抗や怒り、あるいは憎悪がなんらかの形になって現れるのは普通であり、精神分析学では「肛門サディズム」と呼ばれ、その原型として、泣き叫んだり、母親の乳首を噛んだりすることや、トイレで排泄をせずに衣類や室内を頻繁に汚したりする行為としてあらわれるとする。この時期には、甘えたい気持ち(独占欲、嫉妬、憎悪など)が出てくるが、その欲求もほどよく満たされないと、他人との協調することの難しい、ひとりよがりで僻みっぽい性格になるとされる。ここでも必要なのは「ほどの良さ」である。
 それを超えた強力な親の支配が続けられると、怒りは抑圧され、衣類が汚れて気持ちの悪い思いを「肛門マゾヒズム」として形を変えて受け入れてしまったり、あるいは親の都合に屈する形でいわゆる「良い子」となったりする。実は不自然なことであって、心の底に「時限爆弾」を抱えることにもなり得る。

 ・共感と信頼感はどのようにして生まれるか
 現在の赤ん坊は、人類が何万年もかかって発展させてきた「言語の習得」ということを、ほんの数年のうちに凝縮してやってのけるという驚くべき能力を備えている。まず赤子は、空腹、不快、苦痛などを感じると泣く。泣くという「信号」を発すると、乳がもらえ、あるいはオムツが替えられ、苦痛や不快が取り除かれる。こいうことを繰り返しているうちに、「泣けば・・・してくれるだろう」という「予測」が生まれ、親の方は「この泣き方は・・・したのだろう」という「判断」をなし、対応した結果は赤ん坊にとっても親にとっても、当たったり外れたりする。このような体験を繰り返しているうちに「信号」は次第に一定の指向を持つようになり、「パイパイ」「オブウ」「マンマ」「チッチ」などの初歩的な言語ともなり、じきにそれを超えてゆく。
 「予測」「判断」「結果」「修正」と、いっしょに小ぶりな石垣を積み上げてゆくように、作業はどんどんとスムースで巧緻になってゆく。
ここを少し詳しく考える。共通の場で、繰り返し予測し、判断し、行動し、結果を積み上げているうちに、ある物事を自分の心のどこに位置付けたら良いかが次第に定まってくる。一緒に案配しながら積み上げるということこそが必須である。キャッチボールのように、互いのリズムが協調していることが必須である。いま目の前にしている事象の「位置や序列」に、互いに「一致」するところが多くなれば快感と安心感が増し、そこに「共感と信頼感」が生まれてくる。これらを心に一定量溜めることができれば、ちょうどダムが沢から水を取り入れながら一方で放水しつつ常に一定の水を蓄えているように、共感と信頼感つまり「愛着」が安定した形で生涯続く。親と子ばかりではなく、周囲の人とも安定した関係を持つために必要な、こうした能力を身に着けられる期間は、先にも触れたが、わずか生後1歳半までとされている。
 さらには、親と子の手渡しのような作業の積み上げの中から、「これは大切なものだ、これは取るに足らないものだ」という厚みの中から、ちょうど同じ川の砂を振るった底に砂金が得られたように、動物にはない高次の「感情(情感)」つまり、いつくしみ、思いやり、あわれみ、あこがれ、畏敬、誇り、侮蔑、恥などが醸されてくる。このようにして、人類の子供たちはほぼ同じような道(経過)を通って成長してきた。野生動物に育てられた少年が、恐怖や怒りといった低い感情のレベルから、ついに発展し得なかったという事例が報告されている。

 ・この母と子のミスマッチング
 この赤子には、いわゆる育て難さがあったであろう。発達障害に由来する過敏直観的強いこだわり傾向などからもたらされるコミュニケーション能力にクセがあることが想定されるからである。
それに対して母親は、想像力や繊細さというよりも行動力に富んだ、おおぶりな情性の持ち主であった。
 母親の手記によれば、「・・・幼稚園に行っても恥をかくことのないよう、団体生活で必要な生活習慣や能力をきっちり身に付けさせようと、排尿、排便、食事、着替え、玩具の後片付けなどを早め早めに厳しく躾けた・・・」ようであるけれども、我が子に良かれと思ってのことであったとはいえ、その前提として必要な「予測」「判断」「結果」「修正」という回路が二人の間でスムースに機能しているとは言えなかった。
 母親の育児日誌によると、生後1ヶ月も経たないうちにトイレで排便させたとあり、生後4ヶ月でを食べさせたためにジンマシンが出、5ヶ月で牛乳を飲ませてひどく嘔吐された。子供は、アレルギー、喘息、自家中毒などもしばしば発症していた。おむつ外しも早くに終了している。
 1年4ヶ月後に年子で次男が生まれたときは、母親が赤子に乳をあげていると少年はよく泣いた。母親から離されるといよいよ泣き、近所迷惑になるからと、父親が少年をおんぶして外に連れだしたり、一晩中あやしてやらなければならなかったことがある。
 このように書いてみるとたいしたこととも思えないけれども、小児精神科の専門医からのスーパーバイズによっても、生まれて間もない一人の赤子にとっては、まさに「生命」にかかわる懸命の問題なのである。この組み合わせの場合、概して母親の「判断」が強引で独走的であり、「修正」もなされず、安心感や共感が生まれにくかったと言えよう。ちなみに、少年の弟達2人はそれぞれに安定して成長している。愛着はキャッチボールのような投げ掛け合いから生まれるのであり、相互性つまり相性というものを持つことを裏付けている。
 この母と子についていえば、運命的なミスマッチングがあったとせざるを得ない。それも虐待やネグレクトではない。互に求めあっていながら、ストライクゾーンがずれていたといえよう。

2 少年の愛着の問題

 ・発達障害と愛着の問題の絡まり
 先にも記したが、発達障害という捉え方は本人の遺伝的特性に重点を置いた視点であり、それへの対応を工夫することはできるけれども、本人の持つ特性自体を変えることは困難であるとされる。しかし、あるいはそれ故に、非定型に生まれ持った特性を充分に理解してゆったりと愛情深く育てられた発達障害者のケースには、しばしば、一種の透明感や清潔感が漂うのが感じられることがある。うまく泳いで得をしようとかの、べたついたところがなく、たとえば公園のポイ捨てゴミ拾いを、無言のまま何十年間も続けることなどがあり、なにか高邁な哲学や信念の人と映ることさえある。実際にそうであるかも知れない。
 日常の臨床では、発達障害と愛着の問題とが絡まっている事案が多い。どこまでが生まれつきの特性で、どこからが養育環境の問題なのかは、そう明確に分けられるものではない。このところ「第二の遺伝子」とか「二次性発達障害」とかのことも言われ始めて、いよいよ難しくなってきている。
 このあたりを突き詰めようとするのは難しい。とにもかくにも、「遺伝的特性に養育環境要因が加算されるのではなく、二つが掛け算されて捻じれ動く」という印象である。この「掛け算されて捻じれ動いている」部分に「愛着」が関与しているところが多く、こうしたところに注目することで、「育て直し」という作業に希望を見いだせるであろう。序章で触れたように、エピジェネティックス的な現象が関与してくるかもしれない。捻じれ動く部分とは、この例の場合、たとえば次のような事象である。

・祖母・弟達との関係
 少年が小学5年の春に祖母が他界している。その祖母は孫たちの躾については娘(少年の母)をしばしばいさめていたという。「叱りすぎる、厳しすぎる、子供が委縮してしまう」というのであった。三人の子供たちは親に叱られると祖母の部屋に逃げ込み、すると事情も聞かずにただ黙って抱きしめられた。子供たちにとっては「安全地帯」であったろう。祖母が死去したとき、棺の前で兄弟3人はボロボロ涙を流していたという。
 母親には、長男もその弟達も同じように悲しんでいると映ったが、長男である少年自身によると、「祖母はこの世で唯一、ありのままの自分を受け入れ守ってくれる存在だった」とされ、それを喪失したことは特別な痛手だったとしている。
 少年が医療少年院に入院してから4年目を迎えようとする夏に、家族調整の初期のアプローチとして「テーマ面会」が実施されたことがある。テーマは「二人の弟に謝罪する」というものであった。春ごろからその必要性を指導され、少年は緊張とためらいを高め、不安定な時にこの少年にしばしば見られることであったが、長い時間をかけて顔を洗い続ける行為が観察されていた。
 4年ぶりの兄弟たちの再会は緊張に満ちたものだった。少年が深々と頭を下げると、弟たちは言葉にならない声を漏らすばかりだったが、付き添っていた父親が、いまも続いている一家の辛い日々のことに触れると、こらえきれずに次弟がを溢れさせた。それを見た少年は凍り付いたように固まっていた。面会終了後、弟たちの後ろ姿に、「ありがとう。頑張って」と声を掛けると、次弟が振り返らないまま右手を上げて答えていた。数日後の母親からの手紙によると、二人とも「会って良かった」と言っているとのことであった。
 少年の手記「絶歌」に、少年院在院中の出来事のうちで唯一、この面会場面の様子がかなりくわしく語られている。よほど揺さぶられたのであろう。自ら語っているので、筆者も触れることができているわけであるが、面会の準備段階からたずさわった教官から筆者に上げられてきた当時の報告と、流れは一致している。祖母との間の特別な絆とともに了解のできることで、治療と教育にとっては光明の一つである。

 ・解離症状と身体化傾向
 少年は一度だけであったが、一過性で軽度の解離症状を呈したことがある。小学3年生の時、兄弟3人が三つ巴で取っ組み合いの喧嘩をしているところへ父親が帰宅し、長男である少年に手をあげ、怒鳴りつけた。すると、少年は急に虚ろな目になって宙を指さし、「前の家の台所が見える。団地に帰りたい、帰りたい・・・お母さんの顔が見えなくなった」などとうわごとのように言い、怯えたように震えだした。母親が抱きしめると次第におさまったが、神経内科を受診すると「軽いノイローゼ」と言われた。
  5歳の頃、急に「足が痛い、痛い」と言い出し、特に膝を曲げ伸ばしすると痛がるので整形外科を受診した。どこにも異常はなく、「長男さんをもっとかまってあげなさい」と言われた。三男が生まれて手が抜けない時期のことであった。他に先に記したが、しばしば食中毒、嘔吐、ジンマシン、喘息傾向といった身体症状を現わしやすかった。
 これらも、愛着の問題が前面に出ているエピソードであろうと考えたい。一般に、発達障害児が苛立ちや衝動を直接的に現わすのに比べて、愛着障害児の示す問題行動は他人の目を意識した、反抗や要求や顕示などの形で表れることが多い。

 ・事件直後の放心状態
 警察などでの取り調べの段階で、「少年は特に取り乱すでもなく、後悔するでもなく、淡々と他人事のように供述を続けている。きちんと食事をとって普通に眠れている」というような報道がなされ、これが世の人々を一層刺激することになった。
 けれど、大きな非行事案などの発生直後に、当の少年が気抜けしたような状態に陥ることはそう稀なことではない。これまで圧力を高める一方だった心の殻を一挙に爆発させた後の弛緩ともいえようか、「行きつくところまで行き尽した」という一種の到達感を伴う疲弊であり、自分のしたことの重大さを心身が認識しているからこその反応であることがある。少年なりに内的なバランスを保とうという弾力性の表れと捉えれば理解もでき、一概に冷血と決めつけるのではなく、治療と教育を託された側にとっては一つの可能性となりうることと考えたいのである。

 ・母への両価的感情
 行為障害性的サディズム障害と互いにおおきく絡み合っているものの、少年の示す母への両価的感情にこそ、愛着の問題がはっきりと出ている。
 母に対する「憎と愛の両価的感情」の揺れ動きは痛々しいばかりである。事件直後に少年鑑別所に面会に訪れた母親に、「・・・何で来やがったんや!はよ帰れブタァ!」と罵声を浴びせている。その形相に、心底からの憎しみを見て、母親はふるえあがった。
 恨みと怒りの噴出であったであろう。あれだけサインをばらまき、SOSを発信し続けたのにどうして助けてくれなかったのか!自分で自分の「病気」に気付いた小学5年の春の日から、家庭すらも一度として安全基地であったことはなかった。常に身構え、言い逃れを考え、表と裏を使い分けなければならなかった。いよいよ病気に引き込まれて行く中で、暗闇の中で、なによりも少年は孤独であった。
 この少年鑑別所での噴出そのものが、母親への反対の思いが少年のうちにあることの証明になっている。母親に何も感じていないのであれば、このような興奮があるはずはないからである。
 それから数日間の間に、少年は自分と母親の両方を諦めたと思われる。3日後に自ら母親との面会を希望し、怯えの見える母に先の興奮と罵倒をまず謝り、続いて、「人の命もアリやゴキブリの命も同じだ」というような話をし、相手がさらに怯えると、自分の病気のせいでこんなことが起こったのだから母さんは自分を責めないでほしいと伝え、いったい何の病気かと驚く母に、「母さん、知らんほうが幸せなこともあるやろう」と答えている。子が親に自分のことを説明するのに、これほど悲しい台詞はないであろう。
 母親は、精神鑑定を通した説明で「性的サディズム障害」と知らされて驚愕したが、なおピンとこないと正直に述べている。
少年は医療少年院に入院してからも2年4ヶ月の間、親との面会を拒否あるいは拒否的であり続けた。どうして面会を希望するようになったのだろう。・・・親との関係を見直し、世界との関係を見直す。これも医療少年院に託された中心的な作業であった。

3 愛着の問題の項のまとめ

 安定した愛着が形成されるためには、乳児と母親との間で、おだやかなスキンシップや、授乳や排泄などを媒体としたキャッチボールのようにタイミングの良い遣り取りが必要である。発達障害に由来する育てにくさが少年の側にあったであろうが、母親の育児のありようは善意からとはいえ強引独走的であり、少年に不安定さをもたらした。これが少年の対人関係の軸となり、さらに思春期の初期に深刻な性的異常を自覚してからは重い殻を被って致命的にかたくなになった。
殻が時に揺らぎを見せることがあり、母への両価的感情、事件直後の放心状態、祖母との関係、弟達との遣り取り、解離症状と身体化傾向、SOSの発信、などがそれで、愛着の障害らしさが前面に出た場面と言えよう。こうした動きがあるというところが、治療と教育の可能性を示唆するところであるだろう。

ロウボウ

投稿者: ロウボウ

長い間たずさわってきた少年矯正の仕事を退官し、また、かなりの時が経ちました。夕焼けを眺めるたびに、あと何度見られるだろうと思うこの頃。 身近な生き物たちとヒトへの想いと観察を綴りたいと思います。

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