神戸連続児童殺傷事件 Ⅶ 「湖のイメージから」

1 黒い湖

 目の前に、い水をたたえたが広がっているとイメージしてみる。図に示した、上から2番目がそれである。
この湖には第2章で述べた3本の沢が注ぎ込んでいるとする。

 ・青い沢 =「行為障害」
 ・黄色い沢=「性的サディズム障害」
 ・赤い沢 =「愛着の問題」

 それぞれが三原色によって染められているので、これらが混じり合って、湖の水は黒々と淀んでしまっている。
3本の沢のなかで、まず、その色味を変えることができそうなものはどれであろう・・・。

 赤い沢=「愛着の問題」。この問題がもっとも流動的で、施設内生活という規制された環境の中でも、前2者に比べて表出されやすく、表出されずにはおかないほどに現実の日常に根ざしている。
 この色を薄めることができれば、湖の色は黒からグリーンに近くなるはずである。
 3本の沢の源流は近く、一部は遺伝子レベルで絡み合って互いに切っても切れない関係にあるのであるから、1本の色の変化が他の源流の色にも影響を与える可能性は高い。つまり、治療教育の進展につれて、湖のグリーンはさらに薄く柔らかくなってゆく可能性がある。
 「赤い沢=愛着の問題」に着目して中心に置くと、少年の処遇のおおよその流れが自然のように浮かび上がってくる。

2 似かよう経過

 当該少年のために作成された「処遇計画」のそのままをここに示すことはできない。しかし「G-3級・・・非行の重大性などにより、少年の持つ問題性が極めて複雑・深刻であるため、その矯正と社会復帰を図る上で特別の処遇を必要とする者‥」と判定されて医療少年院に送致されてくる少年たちは、とりわけ緊迫した状態にあるため、しばしば、次のような経過を示すことを筆者たちは学習している。

・緊張期
 拒否的、警戒的で不信感が強く、ぎこちなく、目線をあげることは少ない。
緊張して構えている。消耗していながら犯行を誇示したりして見せることがある反面、「やってしまったことが迫ってきて苦しい」「これからどうしたらよいか分からない」などと動揺する。親への気持も混乱していて、それがそのまま職員に向けられ、特定の職員に信頼を寄せそうになったかと思うと、逆に暴言や暴行に及ぶことがある。自殺の可能性を強く念頭に置かなければならない。

 緊張のはけ口のように、読書や造形などにのめり込むことがある。
・危機期
 落ち着いてエネルギーを取り戻してくるにつれ、自分のこれまでの全体がおぼろげに見えはじめ、信頼できそうな職員との出会いも持てそうだと感じるようになる。「自分は変わらなければいけないのではないか。ひょっとしたら変われるのではないか」。これは、当人にとっては初めての強い不安恐怖をもたらす。「自分が怖い」「このまま、オン・オフで作動する機械のままで居たい」などと訴え、硬く、余裕をなくし、一過性の精神病状態を呈することさえある。
 職員にとっても正念場である。職員が冷静に対処できれば、やがては「自分の気持ちを吐き出して、歩き始めたい」というふうに前向きに変わってくることが少なくない。
退行が極端な例では、言葉が赤子同然、大小便も垂れ流しというふうに、一度、底を打ってから浮き上がってくることがしばしばあるものである。生きるもの、ヒトというものの不思議のひとつであろうと感じさせられないではいられない。

・再構築期
 ルーティンな日課にも対人関係にも、新しい意味を見い出しはじめる。朝日を見てもあらためて感動して涙ぐむことがある。全体朝礼への参加。寮内生活。課業や係活動など。全ては新鮮であるが、トイレの掃除などには、生まれて初めての思いを実感したりする。
 負担は大きいが、この頃から、両親との関係を見据えること、事件との直面、服喪日課などを課されることになる。気が走るために、職員はどうしても重すぎる課題を与えがちであるが、ここまで来ると、期待が大きく裏切られることは少なくなる。被害者などの著した思いや報道を何度も読み返し、涙の跡が滲んだ所感を表出するようになったりもする。このようにして、「贖罪教育」に手が付けられてゆく。
 親との関係が中心に在ることも少なくない。保護者が施設に宿泊する「宿泊面会」などを設定できれば、少年本人はもとより、保護者たちも普段とは違った気付きを手にすることができることもある。

 少年たちに粘土を与えて、「自分の住みたい家を作ってごらん」としむけると、入院当初、すさまじい作品を見せられることがある。四方を厚い壁でふさぎ、天井にも重い平板を乗せる。窓も玄関も何もない。まさにトーチカである。けれど時と経過につれ、まず空気抜きの穴が開けられ、窓が付けられ、玄関らしきものが足されてゆく。作業療法の途中経過で、まずは家の横からおそらく2階の自分の部屋へ、玄関を避けて直接にハシゴが付けられる様子などを見ると、処遇を観ているものとしては、ひどく納得したような気分になったりもする。当該少年のものではないが、作品の例を挙げておきたい。

 この再構築期は、さきの緊張期や危機期にくらべれば緊迫感は減ずるものの、いちばん長い積み上げの期間となり、やはり処遇の背骨を形づくり、その成否を分けるものとなる。
・総括期
 社会復帰を意識しての治療教育の見直し、点検、評価。重大事件であればあるほどに、関係機関との処遇検討会、更生保護委員会(施設の処遇の結果を受けて調査をなし、仮退院の可否を決定する)の多数回にわたる面接と調査。再鑑別。より客観的な所見を得るための外部の医師による診察。状況によっては被害者側への経過説明など・・・。くびすを接するように重なってくる。贖罪についても、当人を軸に置いた現実性ということを見極めなければならない。

 このようにして、ひとつひとつの事案が仮退院を迎えてゆく。やがて社会での保護観察期間を終え、本退院を迎えることができても一件落着とはもちろんなるものではない。それぞれのおそらく生涯を通じて、つぐないと修復の日々が続けられるべくあるわけで、それを受け入れる社会は、厳しくとも冷静に見守れる余裕のある雰囲気でありたい。

投稿者: ロウボウ

長い間たずさわってきた少年矯正の仕事を退官し、また、かなりの時が経ちました。夕焼けを眺めるたびに、あと何度見られるだろうと思うこの頃。 身近な生き物たちとヒトへの想いと観察を綴りたいと思います。

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