二つの「赤とんぼ」
「赤とんぼ」というと、〽ゆうや〜けこやけ〜の・・・という歌い出しの曲を思い浮かべる人が多いと思います。
三木露風の詩に山田耕作が曲を付けたもので、〽十五で姐やは嫁にゆき お里のたよりも絶えはてた・・・などとあって「五木の子守唄」に通ずるような哀れさが醸されるのですが、最後に、〽夕やけ小やけの赤とんぼ とまっているよ竿の先・・・と、静止している赤トンボに想いを凝集させて、トンボの美しさを際立たせています。
もう一つの「赤とんぼ」があります。戦前も昭和の初期から文部省唱歌として尋常小学校で歌われたもので、作詞作曲は不詳とされています。
〽秋の水すみきった 流れの上を赤とんぼ
何百何千 揃って上(かみ)へ ただ上へ
上(のぼ)って行くよ 上って行くよ
秋の空金色の 夕日に浮かぶ赤とんぼ
何百何千 並んで西へ ただ西へ
流れて行くよ 流れて行くよ
こちらの方は、無数のトンボが群飛する光景を目の当たりにして謳っていて、定点動画を見るように明快です。水も空もトンボも澄み切っています。こちらの方を好みとする人も多いと思われます。
赤トンボとはアキアカネのこと
二番目に挙げた唱歌では、何百何千という数の赤いトンボが分列行進のように揃って、ただひたすらに川の上流に向かって飛翔していると謳われています。「赤とんぼ」つまり秋に赤く色付くトンボには幾種類かがありますが、ここでの赤とんぼは「アキアカネ」であるとして間違いはありますまい。
アキアカネは全国に分布している日本固有種のトンボで、初夏、田圃などの水中で過ごしたヤゴと呼ばれる幼虫から脱皮して成虫になるのですが、盛夏には高地に移動して避暑をするという特性があります。30℃以上の暑さには耐えられないのです。
秋になると、オスの尾の上部が赤く色付き始め、秋雨前線が通り過ぎた頃を見計らって高地から低地に移動を開始し、それが大きな集団となることがあります。謳われているように長距離を群飛する様子が、かつては各地にしばしば見られました。
ここで不思議があります。
避暑を終えて高地から低地に移動しなければならないアカトンボたちは、川を伝うのであれば、下流に向かっていなければならないはずです。どうして川の上流に向っているのでしょう?
トンボは一筋縄ではゆかない 飛翔力は昆虫のうちで屈指
アカトンボというと先に挙げた歌のとおり、先ずは棒や竿の先に静止して翅を休めている姿が浮かんでくるのですが、実はトンボの飛翔力というものは抜群なのです。
空中の一点にホバリングすることは勿論、前後・左右・上下に自由自在。宙返りしながら虫を捕らえることも楽にこなします。一直線に高速で飛行することも得意で、殊にオニヤンマ、ギンヤンマといったヤンマ類は時速100キロ近くを出せるのだそうです。低速・高速のどちらでもOKとするためには、僅かな空気の動きを敏感に捉えてそれに浮かび、反対に高速で迎えた空気はスムースに後方へやり流す必要があります。そのために、翼の表面を微細で特殊な鱗状の組織でカバーするという巧妙なやり方を獲得しています。何億年もかけて、しっかりと進化を重ねているのです。
ヘリコプターはトンボを真似してヒトが造ったものでありましょう。トンボは4枚の翅を別々に操って軽やかに飛ぶのですが、ヘリコプターにはそんなことは出来るわけがなく、オールのようなものを竹トンボのように回転させるより仕方ありません。で、動きはぎこちなく鈍重で、宙返りなどをすることは望めません。「オスプレイ」というアメリカの軍用機がありますが、ヘリコプターと似たような無理があり、そのせいかしばしば事故を起こしています。トンボの方がはるかに完成度は高く、今も、その方面の技術者にとって憧れの飛翔体であり続けているのです。
ヤンマ類の「黄昏飛翔」
ヤンマ類のうちでも飛翔力屈指と云われる「ギンヤンマ」については思い出があります。
私は木曽谷で育ちました。夏の暮れなずむ頃、木曽川の流れに沿って大型のトンボが群れて飛ぶのを毎日のように見かけたものでした。川面から3・4メートル上をキラキラと連なって飛翔する姿を、谷の人々が「あれはギンヤンマだ」と言うので、小学生としてはそのままに信じました。橋の上から見下ろせば、ギンヤンマに特有である胴の後部の鮮やかなエメラルド色が確かめられたかもしれません。
普段、縄張りを個々にパトロールするように巡回しているヤンマ類が、日暮れから薄暮に掛けて集合して飛行する習性を「黄昏飛翔」と呼ぶのだそうです。・・・夕暮れ・・・日暮れ‥・暮れなずむ‥・薄暮‥・黄昏‥・黄昏飛翔・・・どれも美しい言葉です。
木曽川の上のギンヤンマたちは上流に向かってきらめいていましたが、ひたすら一方を目指すという飛び方ではありませんでした。不意にふわりと群れを外しては元に戻る個体があちらこちらに見えたからです。夕方に川面に増えるユスリカなどの羽虫を捕らえるためだったろうと思われます。ヤンマ類のこうした集団を「採餌飛翔」と呼ぶのだそうです。
「赤とんぼ」の不思議
唱歌「赤とんぼ」に話を戻します。
繰り返しになりますが、ここで謳われているアカトンボは、何百何千と揃って、ひたすらに流れを上に向かっているとされています。ヤンマ類の「黄昏飛翔」「採餌飛翔」とは違って、移動のための移動なのです。
避暑地から引き上げて低地に向かうための長距離飛翔が、どうして川を遡っているのだろう。
元々の詩は・・・
〽秋の水すみきった 流れの上を赤とんぼ
何百何千 揃って下(しも)へ ただ下へ
下(くだ)って行くよ 下って行くよ
であったのではなかろうかと思われるのです。すると二番に・・・並んで西へ ただ西へ 流れて行くよ・・・とあるのともしっくり嚙み合うようです。避暑地から帰るのだとすれば、南か西に流れてゆくのが自然ですから。
元詩が・・・下へ下へ・・・と繰り返しているのを嫌って(文部省唱歌とあれば)、あえて後の誰かが・・・上へ上へ・・・と置き換えたのではと勘ぐってしまうのです。
作詞者が眺めた時は、アキアカネたちは峠や分水嶺を越えなければ低地に移動できないという狭隘で特異な地形に差し掛かっていて、一旦は上流に向っていたという可能性もありはするのですが。
「赤とんぼ」挽歌
トンボのことを古くは「あきつ」と呼び、日本列島のことを「あきつしま(秋津洲)」と表現したことがありました。神話によると、神武天皇が日本の国土を一望してトンボのようだと言ったのが由来だということです。トンボはそれほど身近で実感を伴うものでした。
近年、トンボは数を減らしています。アカトンボも例外ではなく、中でもアキアカネは1990年代の後半から日本各地で個体数を激減させており、各地でレッドリストに加えられるまでになっています。
DDT、BHC、パラチオンといった毒性の高い殺虫剤は近年さすがに生産中止あるいは使用中止となっていすが、このところフィプロールという高い殺虫能力を持った薬剤がイネ苗の病害虫予防のために多用されることが、トンボの取っては致命的になっているようです。田圃はトンボの幼虫の揺り籠であるからです。
「赤とんぼ」に謳われているような光景は、遠い昔のものとなってしまいました。
長い間たずさわってきた少年矯正の仕事を退官し、また、かなりの時が経ちました。夕焼けを眺めるたびに、あと何度見られるだろうと思うこの頃。
身近な生き物たちとヒトへの想いと観察を綴りたいと思います。