カラスザンショウ(烏山椒)
1月下旬、冬も真っ盛りの空が群青の蓋のように硬く見える日のことです。
子犬と一緒に落ち葉を踏みながら山道を行くと、トンネル状に笹竹が迫っていた向こうは明るく開けており、その少し手前に、沢山の小さな実を枝先に残している落葉樹がありました。
そこにメジロの群れがやって来ています。
大小の団子状に固まっている実は、カラカラに乾いて口を開けている小さな灰色の果皮が集まっているもので、その小さな灰色の粒の中からさらに小さな黑い粒が顔をのぞかせているように見えます。小枝には鋭いトゲがあるのも映っています。
落ち葉の上を探すと、くすんだ色同士で難しかったのですが、いくつかの房状のものを見付けることが出来ました。枝の先から落ちたものです。小さな黒い種子は抜けてしまっていて、ほとんど残っていません。
樹を見てみました。
高さおよそ9~10メートル、幹の直径が20センチほどの高木で、根元近くの幹にはトゲの跡であるらしいイボ状の瘤が残っています。
沢山の実、小枝のトゲ、幹のイボ、高木…これで樹が何者であるか見当が付くのですが、念のため、灰色の粒のひとかけらを摘み取って噛んでみました…間違いようもない「粉山椒」によく似た痺れるような刺激性の辛味…これでまず決定。
葉が落ちてしまっている冬場でも知れることですが…この樹はカラスザンショウ(烏山椒)。
さらに念を入れて、枝先のあたりをアップして見ると、可愛らしいお猿さんの面のような模様が見られます。これは去年の大きな葉が抜け落ちた後で、額のあたりにねじり鉢巻きのように盛り上がっているのが、この春に芽吹くための新芽なのです。これもカラスザンショウの特徴です。
さて、カラスザンショウならぬお馴染みのサンショ(山椒)といえば、春の芽山椒・葉山椒・花山椒、初夏の実山椒、秋から冬の粉山椒…と殊に私たち日本人が徹底的に賞味し尽くしている風味で、その枝や樹皮までもが久しく活用されてきました。使うたびに微妙な香味が料理に移ることから枝はスリコギ(擂粉木)に加工され、剝いだ樹皮をもみだして川魚を獲るという「毒もみ」という漁法もかつてはありました。サンショの実や樹皮に含まれているサンショオール、サンショウアミドは辛み成分として知られていて大きな害はないとされているものの、キサントキシン、キサントキシン酸は、動物ことに魚類に投与すると痙攣や麻痺を起こすことが分かってきました。
サンショの仲間(ミカン科サンショウ属)には何種類かがあり、サンショ(山椒)のほかイヌザンショウ(犬山椒)とカラスザンショウ(烏山椒)がよく知られています。
どちらも本命のサンショに比べるとスパイシーな刺激のある芳香が劣るとされて食用にはされていません。イヌザンショウというのは、犬が好むサンショという意味ではなく「犬も食わない」という感じから呼ばれるようになったヒトの勝手だろうと思われます。
山椒の仲間のうちでもカラスザンショウは抜きんでた高木で時に15メートル以上にも成長し、カフェインやニコチンと同じであるアルカロイド(アルカリのようなもの)と呼ばれる化学物質を持っているそうです。アルカロイドの多くの作用は温和であり、毒性があっても比較的安全であるとして様々な薬の材料になっているものですが、例えばケシの実に含まれるアヘン、コデインも同じアルカロイドであるので油断はなりません。カラスザンショウの若芽を天ぷらにして食べたり、葉を煎じて薬用として飲んだりするときには量に注意する必要があると思われます。
植物は原則、昆虫や動物にやたらに食べられないように毒性のある物質を生成します。にもかかわらず、カラスアゲハ、ミヤマカラスアゲハ、モンキアゲハ、クロアゲハといった大型のアゲハ蝶の幼虫はカラスザンショウの葉を食べて健やかに育つという現象はどういうことかというと、アゲハチョウとカラスザンショウの間には、進化という試行錯誤を重ねることで得られた厳しい相互選択性ともいうべきものがあるからで、他の生き物との間で同じような平和な関係が成り立つとは限らないのです。
春から夏にかけてのカラスザンショウの様子を見てみましょう。私にはこの季節の写真の持ち合わせが無いので、インターネットで検索しました。
たわわに咲いている花を見て思い出しましたが、これに群がったミツバチ達が作る蜂蜜は爽やかでスパイシーな香りが独特な絶品なのだそうです。一度、味わってみたいものです。ミツバチのおなかというフィルターを通っているので安心して良いのでしょう。
カラスザンショウとメジロと
メジロにまた登場してもらいます。
メジロといえば、初冬の残り柿に取り付いてせっせと穿っていたり、いち早く咲き始めた早春の梅の花蜜を吸うために花から花へと忙しく渡っていたり…留まるにしろ動き回るにしろ、甘い物が大好きなのです。
カラスザンショウに来ているメジロたちは、動画に見るように、少しもじっとしておらずに灰色の房から房へとキョロキョロしながら移動しています。梅の花蜜を吸うときと同じように、少量のものを集めているようです。
枯れ切った灰色の果皮に蜜があるはずはありません。すると、もう一つ内側の黒い種子が目当て…???
だいぶ前のことですが、私は本命のサンショのつやつやと光る小さな黒い実を齧ってみたことがあります。ガリガリと砂のように砕けるだけで、味らしい味も素っ気もありませんでした。
何がメジロを呼び寄せるのだろう?
カラスザンショウの種子には甘味があるのだろうか?
というわけで、房状のものを家に持ち帰りました。
灰色の果皮からは黒い種子がほとんど抜け落ちていましたが、6~7個を見付けることが出来ました。2~3ミリの大きさで、皺が寄っています。
よく見ると、皺の中から、さらに小さな黒い粒が顔を出しているものがあります。
それを取り出してみます。ここで、皺の寄った薄い膜をAとし、それに包まれていた黒い小さな粒をBと呼ぶことにします。
Bを口に入れてみました。
砂を嚙んだようにガリガリと砕けるだけで、何の味もしません。
Aの方を口に入れてみました。ごく少量がグニャグニャする感じで直ぐに無くなってしまい…どうということはありません。少なくとも、メジロが好む甘味はほとんどありません。
何がメジロを呼び寄せるのだろう??
写真を見直すと、気のせいか、メジロたちが取り付かれているような様子に見えてきます。
メジロの口から黒い物が落下する瞬間が写っているものもあります…口に入れ損ねたものでしょう。間違いなく、AかBがお目当てなのです。
メジロが残した糞の謎
次の日も訪れると、やはりメジロたちが集ってパーティーを開いていました。メジロに限らず、小鳥が口に入れるのは両方(A+B)であり、Bはそのままで排泄するとするのが順当です。「果肉を食べさせるかわりに中の種子を運んでもらう」というのが実を成らせる植物の戦略であるからです。AのみかBも消化させてしまうというような間抜けなことを、植物がするわけがありません。
が、カラスザンショウとメジロの間には特殊な相互選択性が有って、ひょっとしたらメジロは種子Aを消化できているのかも知れません。
そこを確かめたくてメジロの糞を探そうとしましたが、地面は落ち葉ばかりが散り重なっていて、それらしいものを見付けるのは無理でした。
その場の片側は急な斜面に落ち込んでいるために柵が設置してあり、それは擬木のように加工された単管パイプで組み上げられていました。
と、樹の真下に当たるパイプの上に小鳥の糞らしいものがこびり付いているのが目に留まりました。偶然に引っかかったものでしょう。一粒のもあれば、二三粒が一緒になったのもあります。カラスザンショウが運んでもらいたい種子Bは、やはり消化されないものとみえます。
摘まみ上げようとして驚きました。
単管パイプに吹き付けてある合成樹脂に食い込むように密着しているのです。Bを包んでいる果皮Aが、メジロの腸管を通っている間に、樹脂をも溶かす物質に変化したものだろうか??
訪れたメジロたちがせわしなく動き回るのは、お目当ての果皮Aがごく薄くて少量ずつであるからだと頷けるのですが、そもそもカラスザンショウの果皮はメジロを引き寄せる特異な化学物質を蓄えているのではないだろうか。ヒトにとってのカフェインやニコチンなどに類するような…?
私がこの冬、最後にカラスザンショウの大木を訪れたのは、辺りに春の気配が濃くなりつつある2月23日のことで、あちらこちらでメジロの大好きな梅の花が咲き始めておりました。
それでもカラスザンショウの梢には変わらずに乾いて見える灰色の塊りが残っており、驚いたことに、そこにメジロたちが一羽二羽と訪ねて来ていました。梅の花蜜よりもカラスザンショウの僅かな果皮の方に惹かれる? 極々薄い果皮とメジロとの間には、やはり何か秘密があるようです。
そうこうするうちにさしものカラスザンショウの種子も食い尽くされるでしょう。謎は残ったままです。
私の足腰がまだ耐えられるなら、来年の冬にはカラスザンショウの樹の下にビニールシートなどを敷いておいて、きちんとしたサンプルなりを集めてみたいと思っています。
長い間たずさわってきた少年矯正の仕事を退官し、また、かなりの時が経ちました。夕焼けを眺めるたびに、あと何度見られるだろうと思うこの頃。
身近な生き物たちとヒトへの想いと観察を綴りたいと思います。