「ミサゴ」はトビほどの体格をした猛禽類ですが、白さが映えるせいか翼が大きく見え、とりわけ、羽ばたきがしなやかに見えます。
「野鳥」のカテゴリーの中で、少し前に紹介しました。
https://row-bow.tokyo/wild-birds-2021-12-30/
ホバリングの華麗さ 長い待ち時間
水中の魚を襲うタイミングを計るための停止飛行(ホバリング)の華麗ぶりが有名ですが、その一方で、これという枝に止まったまま一時間も二時間も獲物を待ち続けるという辛抱強さを見せることがあります。
対岸からの撮影のために、光学ズームを超えて電子ズームに入っていて、あまり鮮明な画像を得られてはいません。ここに写っているミサゴは、なんだかふくれっ面をしているように見えます。
おなじ猛禽類のノスリも、小動物を捕らえる際にホバリングを使えるというところと、枝の一点でじっとチャンスを待ち続けるという習性とがミサゴに似ており、そうしたせいか、ミサゴとノスリがあまり離れないところに止まっていることがあります。互いに無視し合うようにひっそりと・・・おなじ樹にたたずんでいることさえあります。
近くも近く、ミサゴの後ろに、ノスリに特有のカーキーなベスト風の胸の模様が見えます。
ちょっと目を離した隙に発動 見事な獲物
こちらとしては、ファインダーを覗いたり、双眼鏡に変えたりしながら・・・首だけが回るような彫像を何時までも視ているわけにはゆきません。
・・・と、ちょっと目を離した隙に・・・ご覧の通り。
ミサゴが大きな獲物(鯉)を捉えて来て、細めの古枝に引き上げようとしています。左脚の爪が頭部に深々と打ち込まれているのでしょう。鯉は少しも動きません。
欧米での観察によると、ミサゴが捕らえる魚の大きさは7〜57㎝であったということです。今、目の前でぐったりしている鯉は、全長50㎝・重さ2㎏超えほどもあろうように見えます。獲物としては相当に大きめと云えそうです。
バランスを取り直しながら、懸命に左脚を引き付けるのですが・・・駄目です。持ち上がりません。
「俎板がお粗末すぎるのだ」とミサゴは考えたのでしょう・・・いったん飛び立って勢いを付け、がっしりした足場を見付けようとしますが・・・先客のアオサギをびっくりさせてしまって、駄目・・・もう一度旋回をやり直して、少し離れた水面に突き出ている丸太(おそらく洪水で流されてきた電柱)の先に取り付く・・・ここでも相当に苦労させられているようですが(獲物のウロコがぬめるようで)、まずは上に引き上げることに成功・・・ようやく宴が始まりました。
動画はかなりカットされています。大きすぎた獲物を持て余してバタバタ羽ばたいている時間は、ここに見るよりもずっと長いものでした。
丸太に着く少し前に、前方の水面にしぶきが上がるのを見たので「や、落とした!」と思ったのですが、これは間違い。鯉は無事にテーブルの上に・・・すると水しぶきは何?・・・ビデオを停止・拡大してみると・・・近づいてくる影に驚いた3羽のカイツブリが、なりふり構わずに急潜水したものだと確かめられました。
魚を狩る執念
ミサゴは魚を主食にしている唯一のワシタカ類ですが、そのように特化するにつれ、いくつかの独特な技や進化を獲得しています。
ホバリングしてタイミングを計るや、翼を閉じ、両脚を頭の前に突き出して水中にダイビングし、なんと、水面から1mほどの深さを泳いでいる魚を掴んで抜き上げ、そこから持ち去ることができるそうです。
空中を運ぶときは、両脚を使って雑巾を絞るように獲物をつかみ、頭を前にして、魚雷を抱えた雷撃機さながらのやり方です。そもそも、水中で魚を襲う一撃から、頭部を狙ってのことだろうと思われます。いちばん魚を抜き上げ易いでしょうから。
水中へのダイビングに耐えられるように、羽毛の防水が他のワシタカ類よりも入念に施されており、獲物をがっしりと掴んでおくために、足指が前後2本ずつに(フクロウと同じように)分かれて向き合うようになっており、さらに、その指の裏側に角質のトゲを生やしています。それで、次のようなことが起こります。
漁師の網や針に、背に白骨を絡みつかせた大型の魚が掛かることがあります。
白骨はというと、鳥類もミサゴのそれ。
手にあまる獲物に挑みかかったのは良いけれど、打ち込んだ爪が抜けなくなって、逆に海中に引きずり込まれてしまったという顛末を語っているものです。
見当違い、誤算、偶然といったものが掛け合わさってこそ見られる光景ですから、稀なことではありましょう。
リスクを覚悟しながらのバランス 進化
「いちど掴んだら外れにくくなることがある」という足指の形態は、ミサゴの生存にとってプラスであると同時にマイナスでもあるわけです。
そうしたミサゴはこのところ増えつつあるという観察があり、その理由の一つとして、ミサゴに適した環境を作り出すダム湖の増加が指摘されています。
そういえばこの冬、私が一羽のミサゴと出会って何回かお目にかかれたのも、ダムとまではいかないまでも、人によって作られた水の拡がりを前にしてのことでした。
ミサゴという種の繁栄ということから見れば、脚が抜けなくなって溺れ死ぬというリスクにおびえるよりも、執念とチャレンジ魂を優先させるやり方が、数千万年も繰り返された適者生存・自然淘汰から導かれた正解なのです。
ミサゴが一層、颯爽としてクールに見えてきます。
私たちヒトは、DNAの構造からすれば99%はチンパンジーなのだそうですが、わずか1%の違い(ざっくり言って言語中枢の発達の違い)にものを云わせて、ごく短い間に地球中にはびこりました。
ヒトにとって言葉は、ミサゴにとっての足指のトゲのようなものでありましょう。
ほんの新参者の私たちは、言語中枢の発達というトゲを、自分たちの繁栄にとって正解となるように上手に使っているのでしょうか。
相手かまわずに深く打ち込み過ぎて、すでに、浮き上がれない深みまで引きずり込まれつつあるのでは・・・なんだかつまされます。
長い間たずさわってきた少年矯正の仕事を退官し、また、かなりの時が経ちました。夕焼けを眺めるたびに、あと何度見られるだろうと思うこの頃。
身近な生き物たちとヒトへの想いと観察を綴りたいと思います。