大きな白い翼 しなやかな羽ばたき    「ミサゴ」

鮨の始まりになったという伝承

トビほどの大きさをした猛禽類の一つに「ミサゴ」という種類があります。別名を「ウオタカ」と呼ばれることがあるように、魚を獲物にしています。
魚を捕らえるために水の中に突っ込むときの「ビシャ!」という音が変わって「ミサゴ」呼ばれるようになったという説があります。
こんな伝承があります。

・・・漁師が、ミサゴが食べ残して隠した魚を見付け、ご飯に乗せて食べたところ、微妙に発酵していて大層に美味しかった。これが鮨の始まり・・・。

生鮮のものをネタにしている「握り寿司」ではなく、少し発酵(?)させた「ばってら鮨」や「松前鮨」などのヒントとなったのかも知れません。
それで、全国の寿司屋さんを調べると、「みさごずし」という看板が一番多いのだそうです。

多摩川の中流の堰で

多摩川には幾つもの堰(せき)があります。飲み水の確保や潅漑のために、江戸時代に作られたものも少なくなく、例えば、「羽村の堰」で取り入れられてはるばる江戸の街に向かった「玉川用水」は、その設計の巧みさと難工事とが「玉川兄弟」の偉業として有名です。

この晩秋、多摩川中流の堰に拡がった浅い池の対岸に、私は一羽の猛禽らしい姿を見付けました。枝の上で、何かをつついているようです。
初めは「ノスリ」か「オオタカ」かな、と見当を付けました。けれど、全体の色味の印象から、どうも違うようだと感じました。

冠羽 白くて大きな翼

対岸の白っぽい点は結構に遠くであったので、130倍に近い超望遠でアップしましたが、最近のカメラは強引なまでにブレ防止機能が組み込まれているとはいえ、手持ちでは、さすがにぐらぐらして長くは持ち堪えられません。私の腕力では・・・。

けれども、一部を除いては純白の胸と脚、頭には冠羽(冠状に逆立った羽毛)が認められ、頑丈な脚で枝に押し付けているのは大きな魚(おそらく鯉)であることが判りました。

大きな獲物を丸いものの上に踏まえているのは難しいらしく、羽ばたきを繰り返してバランスを取ろうとしています。手を焼いているというよりも、楽しんでいるように見えました。
その羽根の裏の色。これで決まり。
「ミサゴ」です!

しなやかな羽ばたき

これより前にも、私は幾度かミサゴを見たことがあります。どれも海辺の静かな入り江でのことでした。
水鳥を観ていると、不意にミサゴが現れてホバリングを始めたので、それからのダイビングを慌てて連写して、(見事に)半ペタだけを捉えたこともあります。ご覧の通りです。

さて、遠く、羽ばたきを繰り返している対岸のミサゴ。
しばらくは、長大な獲物と対比されるせいか、それほど大きな猛禽とは思えません・・・。ところが段々に、とりわけ翼が強く印象されてきます! 
しなやかに大気を包み込んで!
ミサゴはトビほどの大きさのはずですが、羽ばたく翼の裏の白味が目立つせいか、体全体もずんと大きく見えてきます。

別の日

別の日、ミサゴが枯れ木に止まっている下に「ダイサギ」がやって来ました。互いに警戒し合う仲ではないようです。並んでみると、やはりミサゴの大きさは相当のものです。

飛び立つと、トビを凌ぐほどの滑空を見せますが、陽を受ける一点で、翼が白くひらりと輝くのが印象的でした。

翼の下面が白っぽいということ

上空でホバリングしながら獲物を探し、周辺をスキャンし、タイミングを計ってダイビングする猛禽類の代表といえば、ミサゴ、チョウゲンボウ、ノスリ、が挙げられるでしょう。どれも、下から見上げられたときに背景の明るさに紛れて目立たないように、翼の下面が白っぽいことが共通しています。適者生存という進化の原理を、ここでも見ることができます。

ヒトの軍用機がそれを真似しました。たとえばひところの戦闘機の主翼と胴体の上面はくすんだ迷彩色に、下面は明るいグレーに塗装されることが多かったのです。かつての日本の軍用機を挙げましたが、外国の軍用機も同じ様です。

猛禽たちについて言えば、その白味の印象もミサゴが一番で、チョウゲンボウ、ノスリと並ぶようです。
ミサゴは、空中から地上のターゲットを狙うのではなく、空中から水中へと次元を越えて襲撃するわけですから、翼にも一層の工夫を要しているのでしょう。

はばたく

かつて私は長く、病気を持った非行少年少女たちの治療にたずさわったことがあります。法務省の管轄する特殊な病院でしたが、一般少年院と同じように保護者会や発表会があり、そうした機会に彼らが涙を流しながら合唱する歌が、1900年代後半の「フォーク黄金時代」にはもとよりのこと、それからもずっと、フォークグループ「赤い鳥」の「翼をください」でした。

  今 私の願いごとが叶うならば
  翼が欲しい
  この背中に鳥のように
  白い翼付けてください
  この大空に翼を広げ
  飛んで行きたいよ
  悲しみのない自由な空へ
  翼はためかせ 行きたい

「はばたく」という言葉の響きには、誰もが憧れを憶えるものでしょうが、飛翔の前の準備として、殊に若者たちの「はばたき」は、ミサゴのそれのように、しなやかで伸びやかであってほしいと思うのです。

投稿者: ロウボウ

長い間たずさわってきた少年矯正の仕事を退官し、また、かなりの時が経ちました。夕焼けを眺めるたびに、あと何度見られるだろうと思うこの頃。 身近な生き物たちとヒトへの想いと観察を綴りたいと思います。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です