河川敷での出会い
多摩川の河川敷には、大小の「クルミの木」が流れに沿うように並んで生えている処がよく有ります。
大雨が降って水かさが増した時に、実が下流に運ばれて芽吹くのでしょう。太った実がたわわに付いているのを見るのは楽しいものです。
晩秋のある晴れた日、中流の河川敷の藪を分け行って、ひときわ大きなクルミの木に近付くと、数羽の「ガビチョウ(画眉鳥)」の群れに出会いました。名前のとおり、目の周りのくっきりした隈取が際立った特徴です。写真を一目見れば頷けるでしょう。
ガビチョウ聞いている方がくたびれるほどの大声で長々と鳴き続ける鳥ですが、その割には低い藪の中を好んで、しかも用心深く、この時もそそくさと移動して行ってしまいました。
と、はじめは枯葉が揺れたのだと思いました。
クルミの木の下枝の向こうで枯草色のかたまりが動き、その中に目玉らしいものが見えました。
初めて見る野鳥でした!
アリスイ 横向き大きさはガビチョウほど。つまり、スズメを一回り大きくした見当。頭から尻尾まで徹底して地味づくし。地味も地味。失礼ながら、先ず連想したのがワラジ(草鞋)。それも、使い古した手ぬぐいを裂いて編み上げたワラジでした。
アリスイ 前向き
家に帰って調べると、「アリスイ」という鳥だと分かりました。
このあたりでは、かなりの珍鳥のようです。新聞に報道されています。
・・・毎日新聞 埼玉地方版 2018・3・18
蕨市北町の○川○一さん(69)が、さいたま市桜区の桜草公園でアリスイを写真に治めた・・・
新聞に報道されるほどに珍しい野鳥かは、少し疑問ですが・・・。関東地方で見られる時期が珍しいのかな。
アリスイ うしろ向き 頭頂から背中を通る黒い帯が特徴
ユニークな特性の数々
蟻を好んで、吸い込むように食べることから「蟻吸い」。キツツキの仲間。
キツツキ科に属するのですが、ユニークな特性をいくつも備えています。
①舌がいちばん長い鳥
体長17.5㎝でありながら、舌の長さは10㎝ほど。体の大きさに対して舌が最も長い鳥です。長大な舌は、他のキツツキと同じように、頭蓋骨をぐるりと回って、ゼンマイ式に収納されています。
②一般のキツツキとは違うクチバシと止まり方
一般のキツツキは、幹に縦方向に止まって移動しながらノミのように頑丈なクチバシを連打し、虫をつつきだして捕食します。垂直面での活動が楽なように、短く尖った尾羽を支えにしています。
アリスイの舌は捕食することに特化しており、地面のアリの巣に長い舌を直接差し入れてアリを絡め捕るので、クチバシはノミのようではありません。
他の鳥と同じように、枝に横に止まります。尾も普通の鳥のように角形をしています。
③首を奇妙にくねらせてヘビの擬態をする
危機場面に陥ると、殊にのっぴきならないあわやという状態に出くわすと、首を精一杯に伸ばしてくねらせ、首が360度回ることもあり、そうした様子は奇怪で、毒蛇が鎌首をもたげて威嚇するさまによく似ていることが知られています。地上で天敵に押さえられた時などに使われる擬態だろうとされています。
④「ジンクス」の語源
学名が Jynx torqilla。Jynxはキツツキ科アリスイ属のこと。torqillaは「首を捻じる者」という意味。
このJynxが英語になってJinx。野球の選手などがよく気にする、あの「ジンクス」の語源なのだそうです。
しきりに後ろを窺う様子がどこか邪な事を連想させ、首をくねらせる動作が不気味でもあり、西欧では「不吉」なことの前兆とされました。古くはギリシャ神話でも、恋の「呪術」にアリスイが使われているエピソードがあるそうです。
はて、ギリシャにアリスイが居るのかな?
調べてみて、また、びっくりです。
アリスイの分布は大変に広く、旧大陸の全てに亘っています。夏季にはユーラシア大陸とアフリカ北部で繁殖し、冬季にはアフリカ大陸中部、インド、東南アジアに南下して越冬します。
分布は広いけれども個体数は少なく、それもヨーロッパでは減少しているそうです。
日本には、夏季に北海道と北陸の一部に繁殖のために飛来し、中部以西に越冬のために飛来します。
私の出会った個体は、晩秋のことでしたから、北から南に移動する途中の一羽だったことになります。
ピントが合いにくい
しばらく留まってこちらを窺っていましたから、動画に撮ろうとしました。
カメラの自動動画モードでは、画面中央にピントが合うようになっています。全身が徹底した枯葉様の地味づくりのせいか、アリスイを中央においても、前にある小枝にフォーカスするばかりです。
あわてて手動モードや連写モードを試して、ようやくピントが合ったかと思うと、タイミングを読んだように、画面から消えてしまいました。世のさまざまな事柄で、よくあることです。
私にとってアリスイは不吉な予兆であったか
河川敷のクルミの下枝で出会ったアリスイは、私にとって不吉な予兆であったか。
まったく逆でした!
キツツキの異端児。アリスイの念力のお蔭です。
この夏から持病の腰痛が悪化して、私は老後のこれからの数年をはかなんでべそべそしていたのですが、アリスイに見参してから数日後に病院を訪れた時、これからの数年分はやってゆけそうな元気を一気に取り戻すことができました。奇跡的に、奇跡的な治療法に出会えたのです。
私もあのアリスイに念力を送ります。
・・・この冬もきっと無事に過ごせる。必死のスネークダンスをしなくても済む・・・
長い間たずさわってきた少年矯正の仕事を退官し、また、かなりの時が経ちました。夕焼けを眺めるたびに、あと何度見られるだろうと思うこの頃。
身近な生き物たちとヒトへの想いと観察を綴りたいと思います。
ロウボウ様
腰痛をおもちだったのですね。治療でこの冬を乗り越えられますように。
私は、2020年、コロナ第1波の始まりのころ、職場でPCR検査に関わるよう言われ、断った64歳のNurseです。コロナとの全面戦いに乗れず、悶々としていたころ、ロウボウ様の投稿を読み、メールでお返事をいただいた時、涙溢れました。それから、自分の納得がいく範囲で、唾液PCR検査、ワクチン接種に関わり、来年3月で65歳の定年を迎えます。今のところ、とても元気です。来年4月からは、老健でNurseとして働けるめどが見えています。
あの辛かった時、自分ができることをできる範囲でやって行くが回答だったのに、当時は、混乱と不安でいっぱい。周囲の目を気にしすぎていたと思います。自分を見失っていました。コロナとの関わりは、次に働く老健でも継続していくことになるけれど、皆と協力して、私ができることをしていけば、それでよいと思えるようになりました。
コロナとの関わり、本当にご苦労様でした。
おそらく貴方は、公立の大きな病院での勤務を終えられようとしているのですね。
自分の判断でPCR検査に関わることをことわり、自分の納得のゆく範囲で関わり・・・素晴らしいことです。
これから「老健」で、さらに働くとのこと。私の経験でもありますが、「何かヒトのためになり続けている」という感覚は、老後の日々を支える柱です。それも無理なく・・・。
65歳になろうとしている人に「老後」とは失礼ですが・・・、貴方の第二ラウンドの幸せは先ず確実であると思われます。
無理なくどうぞ。
こでまりといいます。
2年前、独居の母の命が守れそうにないなどと、長々と書いてしまったものです。
あの時の私は、うまく話すことさえも出来なくなっておりました。
でも、ここに自分の気持ちを書かせていただいたおかげで、少しずつ、
本当に少しずつでしたが、前へと進んでいけました。
今は、母は、妹のところで暮らすようになり、私ももちろん
協力しております。
このコロナ禍で、認知症(だと思っております)になってしまった母、
問題は山積ですが、病院に行きたがらず、デイサービス、デイケアなども
嫌がるので、いまは、できるだけ、母が笑顔で、過ごせることを
目標に自分たちで、デイサービス、デイケアらしきものを行っています。
もの忘れ外来の受診や介護保険の申請なども考えては、いるのですが、
本人が嫌がるので、対応できるところまでは
このまま、母をみようと思っています。
先が見えなくて、まだまだコロナにも苦しみそうですが、
妹夫婦が倒れないようにも気を付けていこうとも思っています。
ずっと、ご報告していなかったので、本日、書かせていただきました。
ロウボウ様もどうぞ、ご無理なさらず、お体、大事にされてください。
2年経つのですね。
お母さんを・・・できるだけ笑顔で過ごせるように・・・妹さん夫婦と取り組んでいるとのこと。嬉しく読みました。妹さんの旦那さんも優しい人なんですね。
お母さんが漠然と嫌がっているのは、次のようなことかもしれません。
これから在宅支援、看護、医療と「在宅」を選択されるのでしょうが、それでも、この国の人の8割は病院で亡くなっています。いざという時の急変時に「救急車」で入院するからです。日本の今の医療は「1分1秒でも延命させるのが正義」としていますから、自動的に、輸液、吸引、カテーテル設置、人工呼吸などと進みます。時には、ずぶずぶになるまで輸液することがあります。本人は望まないにしても、多く、それを伝えられる状態ではありません。人生の最後に、飛んだ苦しみを味わうことになりましょう。
全国に設置されている「地域包括支援センター」を訪れて、どういう支援、看護、介護、医療が活用できるかを知り、お母さんの思いを中心にして、皆さんで設計するのが良いと思います。まず「もの忘れ外来」を受診させるにはどうしたらいいかを相談されるといいでしょう。日本の介護を支える制度は、申請すれば、かなり頼れるものになっています。上手に活用してください。
これらは「不謹慎」なことではありません。生を受けて今ある限り、必ず死はあるからです。やたらに忌むことではなく、できるだけ静かに受け入れたいものです。突き詰めれば「ピンピンコロリと逝きたいとのことですが、なら、明日死んでも良いのですね」と尋ねられた時「ええ、24時間あれば準備できると思います」と答えたいものです。いつでも、生を生き切っていたいものです。
私自身の問題でもあり続けていることですが・・・。
皆さんのご多幸を祈り致します。
ロウボウ様
お返事してくださって、ありがとうございます。
もの忘れ外来の受診を嫌がる本人にどのようにすすめたらいいか、
考えあぐねておりました。
いろいろ提案してみても、何もしなくていいと、いう母。
それをうのみにしていいものやら、
かといって、過剰に医療などを施してしまうのもどうかと。
母にとって、何がいいのか、妹と思案していました。
地域包括支援センターに、相談してみようと思います。
「いつでも、生を生き切っていたいもの」心に刻みます。
ありがとうございました。