ウグイス Ⅲ 心ひかれる声 何故?

心ひかれるウグイスの声

いまさら云うまでもありません。
ウグイスの澄んだ鳴き声は昔から人の心を引き付けてきました。
春の景色を謳った有名な漢詩に「千里鶯啼いて緑紅に映ず・・・」とあるとおりです。

こちらが待ち受けていると微妙に間合いを外されたり、喉の引っ掛かりが悪くて不発にずっこけてしまったりすることがしばしばあるので、それがまた、人を引き付けて逸らさないのかも知れません。
調子が乱れてさえも、その音色は澄んでいて、一生懸命ですから、聞いている方が切なくなってくるほどです。

「高鳴き」と「谷渡り」と

ウグイスのさえずりは、「ホー・ホケキョ!」と高々と歌い上げる部分と、間に不規則に入れられる「ケキョ・ケキョ・ケキョ・・・」という調子の異なるた部分とに分けられます。
「ケキョケキョケキョ・・・」という脇役も印象深いもので、昔から「ウグイスの谷渡り」と呼ばれて、芸人が舞台で演ずる演目と演目の間をつなぐための出し物のことを言うようになっておりました。
「谷渡り」と聞いても、ウグイスが谷の空間を一息に渡る、それも鳴きながら、というのはピンときません。けれど、藪の中をひょいひょいと移ってゆくウグイスの様子と、曲芸やマジックの演目を次々に繋いでゆくリズム感、これらのイメージはピッタリと収まる感じです。芸人たちは始め「藪渡り」とでも呼び合っていたところ、いつの間にか響きの良い「谷渡り」に変わっていったのではないかと思われます。
いずれにしても、「ウグイスの谷渡り」はウグイスの「移動」と関係すると気付かれていたわけです。

「高鳴き」は宣言モード テリトリーと本気度のアピール

ウグイスの番いは、それぞれにテリトリーをはっきりさせて繁殖します。メスはもっぱら卵を温め続け、オスは「ホーホケキョ!」と高鳴きしながらテリトリーを巡回します。

ある春、私は特殊な形をしたウグイスのテリトリーを見付けました。東西に150mほどの細長い雑木林でしたが、中央のあたりが険しい崖に大きく殺がれて、ヒョウタンのようにくびれた地形になっていたのです。
オスが日がな「ホーホケキョ」と高鳴きしながらテリトリーの巡回を繰り返すとき、必ずくびれて狭い藪の中を通過するので、そこで静かに待っていればウグイスの高鳴きにお目にかかれるチャンスがぐんと増すというわけでした。そのようにして撮った動画です。

出だしの「ホーッ」で、喉とくちばしをこきざみに震わせながら胸と腹を一杯に膨らませ、「ホケキョ!」で、全身を振り絞って一気に吐き出します。
その膨らませ具合は、普段はスリムな体型がまるでナスになってしまったかのようです。引き絞っておいて爆発させる時には、尾までがびりびりと上下に震えるほどの気合で身体を伸ばします。
「ここは僕たちのテリトリー!」
「侵入は許さないぞー!」
というテリトリーの宣言。
「順調だよ!」「安心して良いよ!」
「真面目に見まわっているからね!
子育てに本気で取り組んでいることのメスへのアピール。

宣言とアピールは、枝にとどまってなされることが多いようです。
そうしたわけで、十分にための効いた高鳴きは、高らかで誇らしく、余裕を含んでいます。それを聞くものにも快く響いて、春爛漫の気分をもたらすのでしょう。

「谷渡り」は警戒モード 注意喚起とくらまし

「谷渡り」と云われる「ケキョケキョケキョ…」は、ビデオにも見られますが、「ホー」がないだけに息の吸い込みが省略されており、体の膨らみもなく、喉から直接に吐き出されるように切迫した調子で始まります。出だしのクチバシと尾の動きも小刻みです。
「ちょっと怪しい、注意注意!」
「気を付けて、動かないで!」
などといった、メスへの注意喚起。
やがて、けたたましさがトーンダウンして、くらましモードに変わってゆきます。「ケキョケキョ」よりも「チチョチチョ」と小さくなります。
「そんなところにいないよぅ、こっちだよぅ」

「谷渡り」は、調子や大きさが目まぐるしく変わるので、声の主は移動中のように受け止められます。移動しているらしいのですが・・・。
右の藪へか、左の木立へか。鳴き声は遠くから聞こえるか、近くからか。あちらからも、こちらからも、分かれているように聞こえることがあります。
「や、行っちゃったぁ」と思っていると、しばらく間を置いて、ほとんど元の藪から「ホウ・ホケキョ!」という高鳴きが沸き起こることさえあります。

「鳴き合わせ」のホー・ホケキョ

書き忘れておりました。
冬の間、ウグイスは「ジッ・ジッ・ジッ」と小さくくぐもった地鳴きをして過ごしています。春先になると、オスは花嫁募集の練習を始め、短期間でとっておきの高鳴きを競い合うことになります。
それを利用したのが「鳴き合わせ」というヒトの考えだした道楽で、ことに江戸時代に盛んだったそうです。
ウグイスは籠の中で飼育されているのですから、どんなに上手に訴えても花嫁を得ることはできません。テリトリーを用意して宣言する以前の空回りですが、それでもウグイスは精一杯に歌うのです。悲愴というか、健気というか…。
「鳴き合わせ」は今でも非合法でなされており、これぞというウグイスは高額で売買されている実態があるといいますから、ヒトというものの因業の深さをこんなことでも思わされるのです。

里山の菜園をいじくりながら、林の中のウグイスの声を、宣言、アピール、警報、くらまし、と訪ねている・・・。そんな私は幸せです。ウグイスも幸せです。

投稿者: ロウボウ

長い間たずさわってきた少年矯正の仕事を退官し、また、かなりの時が経ちました。夕焼けを眺めるたびに、あと何度見られるだろうと思うこの頃。 身近な生き物たちとヒトへの想いと観察を綴りたいと思います。

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