黒覆面に鋭い目つき
「イカル-Ⅰ」にも記しました。
ずんぐりと見える灰色の身体の上に黒覆面か黒頭巾。そこから突き出しているピラミッドのようなクチバシ。けっこうに鋭い目つき。・・・イカルが一羽で木の枝に居ると、「こわもて」といった雰囲気です。幾度見ても、これらには変わりはありません。
冬の林を歩いていると、かなり前方の枯葉の中から飛び立ち、ほとほとと縦に掻き昇る感じで高い枝にとまり、長い間、こちらを窺っていることがあります。なかなかに用心深くもあるのです。
こちらに気付いていないと
何時もふくれているわけではなさそうです。
こちらに気付かないと、こんなふうに遊んでいるように見えることもあります。尾が長いせいかほっそりとスマートに見え、羽の両側にアクセントの色味も付いており、鋭い目つきも目立ちません。・・・やはり独特な雰囲気はあるものの、可愛げのようなものが感じられませんか。
この鳥は、私の場合、付き合っていると次第に親しみが増してくるようです。
びっくりの鳴き声
イカルの群れが林の中に居ると、冬でも時折、澄んで張りつめた鳴き声があたりに染み通ります。
イカルにふさわしいような、ふさわしくないような、そのさえずりは有名で、昔からさまざまに聞きなされています。
「イカルコキー」「キーコキーキー」「お菊二十四」「蓑笠着い」「月・星・日」・・・
そのうち、「月・星・日」と聞きなした人々が、この鳥のことを「三光鳥」と呼ぶようになりました。
「イカルコキー」と聞き取った人々が、「イカル」という名前の由来となったとする説があります。
揃って食事を取る時は ホッピング
「こわもて」といった印象もあって、地上で餌をあさる時は脚を交互に前に出してのっしのっしと歩むのだろうと想像していました。
違いました。
ツグミがするように、両脚を揃えて軽快にホッピングするのです。
落ち葉が左右にはじき飛ばされます。
ほとほとと木に昇り ほとほとと落ちてくる
ヒトが迫ると、一羽二羽が近くの木の上に避難し、すると全員がシーンと静まって動きを止め、それから、てんでに高みに散開します。
こちらが少し離れて静かにしていると、やがて一羽二羽が地面に戻り、群れ全体が続きます。
その木々への昇り方と降り方に特徴があります。普通のように斜めではなく、タケトンボのように多少ぎくしゃくして、縦の方向にほとほとという感じで昇り、ほとほとと降ります。ですから、地上の群れにファインダーを向けていると、黒い影が縦によぎることがあります。
もっとも、林から林へと移動するときは、多少波を描きながら水平に、群れは梢の上をかすめて、かなりのスピードで飛び去ってゆきます。
ツグミやシメと混じるわけ?
群れはツグミやシメと混じることがあります。
ツグミはイカルと同じくらいの大きさですが、全体に茶色っぽく、首を落ち葉の中から持ち上げた時に、胸にアサリ貝のような模様が目立つので見分けがつきます。
シメは一羽二羽と少なく混じり、イカルよりも小型で頭が茶色。尾が短いのが特徴です。スズメよりも少し大きいぐらいですが、目つきはイカルよりもさらに鋭いようです。
どうして混じるのでしょう。
混群といえば、シジュウカラとエナガとコゲラの例がまず挙げられます。樹に付いた虫類を食べるという食性が共通しているのですが、大きく群がれば獲物の奪い合いになるはずなのに、どうして一緒になるのでしょう。
見張りの目が増えるという他にも何かわけがある、と私は思うのです。
シジュウカラもエナガも、それなりに幹や枝を叩きます。コゲラはキツツキですから、云うまでもありません。群れてコッコッコッという音で取り囲むことで、林の中の虫たちにパニックを引き起こさせるのではないでしょうか。
イカルやシメやツグミの主食は木の実ですから、パニックを引き起こせるわけがありません。美味しい木の実のある場所に引かれて集まるのは自然なこととしても、集まることで安全度が増すというのが何よりのメリットなのでしょう。
ツグミには、首を長くもたげて周囲を眺める習性があり、シメも警戒を怠りません。身を守るためには空に逃れるしかないという小鳥たちにとっては、見張りを重層化するということは大切なことです。たとえば、ネコたちは里山の林の中をひっそりと移動します。
私が身を潜めていると、あまり離れていない所に、ネコが同じようにしているのをしばしば見かけます。私は猫を追い払うべきなのでしょうが、それをすると目の前の小鳥の群れを失うことになります。
私は、小鳥たちの味方でしょうか、敵でしょうか。
長い間たずさわってきた少年矯正の仕事を退官し、また、かなりの時が経ちました。夕焼けを眺めるたびに、あと何度見られるだろうと思うこの頃。
身近な生き物たちとヒトへの想いと観察を綴りたいと思います。